自分の風景異化の取り組みの中で重要なテーマの一つに「奇跡」というのがある。人はいかなる風景に奇跡的なものを感じ、神聖で厳かなものを感じるのかということは生涯かけて追求すべきテーマのように思える。まさにこのインスタレーションの最中でもそれは考え続けているため、毎日進化している。
例えどれほど醜悪な環境であったとしても、そこに奇跡を見出せる瞬間があるのではないかと考えていて、それはいかなる条件が整えば出現するのかということが風景異化の根本的なテーマの一つとして据えられている。ほとんど宗教に近い問いであり、宗教や信仰の中にそのヒントがあるのだろうと感じる。
今の世は我々が信じるに足るものを見失っている。かつてはそれが幻想であったとしても信じていたことがあったはずだが、近代がそれをそっくりと上書き今も進行しているのではないかと僕は見ている。異化とは単なる相対化であっては意味が無く、より我々が幸せに生きるための補助線でなければならない。
いままさに取り組んでいる作品を通じて、毎日学びや気づきがあり、考えが深まっているのが分かる。役者にとって舞台の上やカメラの前が最大の学びのチャンスであると同様に、アーティストにとって制作現場というのが最良の学びの場だ。しかしそういうチャンスはそう何度もやってこない。
良い評価にも悪い評価にも流されず、自分が感じている違和感を丁寧に見つめながら、深く思考していくことを怠れば、何も学ぶことはできない。特に僕のように自然現象を相手に格闘する表現を行うということはより冷静に状況を見つめねばならないのだ。
今日はセッティングが不完全だったに関わらず、確実にその場所に神聖さが宿っている手応えがあった。今日見た人は昨日見た人とは全く違う風景を見ていただろう。おそらく昨日のアンケートと本日のアンケートは確実に違うものになっているはずだ。舞台のように同じ風景は二度と見ることが出来ない。
表現者の心のコンディションが、ここまで風景に影響するのかと自分でも驚いた。迷いがあったり、心持ちがひけていたりすると、それは表現に素直に反映される。いかに自分を信じるか、そして信じられるまで沈思黙考するかがとても重要なことだ。それはとてもとても孤独な時間を過ごさねばならない。
今日の成功が、明日の保証にはならない。明日はまた違う風景なのだから。だから一期一会を大切にしたい。それは人も同じだ。この人とは二度と何か一緒に出来ないかもしれないと思うからこそ、大事に出来るのだ。
このあたりが自分のルーツの一つにもなっている農学の感性の一つなのだろう。かっちりと何かを作るという工学の感性と、偶然性や一期一会を最初から許容する農学の感性とではおのずと表現方法も変わってくる。風を読み、水を操るというのは「形」(かたち)ではなく「象」(かたち)への感性が重要だ。
これについては2年ほど前に現象デザイン研究会で取り組んでいたテーマ。複雑系にそのあたりのヒントがあると考え、菊地誠さんなどと対談させてもらったが、中途半端に終わってしまった。またいつか再開してやろうというネタだが、風景異化とだんだん融合してきた手応えが自分の中にある。
昨日と明日の間に生きている我々は、ただ生きるために生きているのであり、生きるという意味においては目的などないのだ。目的型思考の20世紀型の時代を乗り越えて、我々が共に生きる方法を模索するために何が必要なのかを表現においても言説においても考え続けているのだがなかなか答えは見えない。
例えどれほど醜悪な環境であったとしても、そこに奇跡を見出せる瞬間があるのではないかと考えていて、それはいかなる条件が整えば出現するのかということが風景異化の根本的なテーマの一つとして据えられている。ほとんど宗教に近い問いであり、宗教や信仰の中にそのヒントがあるのだろうと感じる。
今の世は我々が信じるに足るものを見失っている。かつてはそれが幻想であったとしても信じていたことがあったはずだが、近代がそれをそっくりと上書き今も進行しているのではないかと僕は見ている。異化とは単なる相対化であっては意味が無く、より我々が幸せに生きるための補助線でなければならない。
いままさに取り組んでいる作品を通じて、毎日学びや気づきがあり、考えが深まっているのが分かる。役者にとって舞台の上やカメラの前が最大の学びのチャンスであると同様に、アーティストにとって制作現場というのが最良の学びの場だ。しかしそういうチャンスはそう何度もやってこない。
良い評価にも悪い評価にも流されず、自分が感じている違和感を丁寧に見つめながら、深く思考していくことを怠れば、何も学ぶことはできない。特に僕のように自然現象を相手に格闘する表現を行うということはより冷静に状況を見つめねばならないのだ。
今日はセッティングが不完全だったに関わらず、確実にその場所に神聖さが宿っている手応えがあった。今日見た人は昨日見た人とは全く違う風景を見ていただろう。おそらく昨日のアンケートと本日のアンケートは確実に違うものになっているはずだ。舞台のように同じ風景は二度と見ることが出来ない。
表現者の心のコンディションが、ここまで風景に影響するのかと自分でも驚いた。迷いがあったり、心持ちがひけていたりすると、それは表現に素直に反映される。いかに自分を信じるか、そして信じられるまで沈思黙考するかがとても重要なことだ。それはとてもとても孤独な時間を過ごさねばならない。
今日の成功が、明日の保証にはならない。明日はまた違う風景なのだから。だから一期一会を大切にしたい。それは人も同じだ。この人とは二度と何か一緒に出来ないかもしれないと思うからこそ、大事に出来るのだ。
このあたりが自分のルーツの一つにもなっている農学の感性の一つなのだろう。かっちりと何かを作るという工学の感性と、偶然性や一期一会を最初から許容する農学の感性とではおのずと表現方法も変わってくる。風を読み、水を操るというのは「形」(かたち)ではなく「象」(かたち)への感性が重要だ。
これについては2年ほど前に現象デザイン研究会で取り組んでいたテーマ。複雑系にそのあたりのヒントがあると考え、菊地誠さんなどと対談させてもらったが、中途半端に終わってしまった。またいつか再開してやろうというネタだが、風景異化とだんだん融合してきた手応えが自分の中にある。
昨日と明日の間に生きている我々は、ただ生きるために生きているのであり、生きるという意味においては目的などないのだ。目的型思考の20世紀型の時代を乗り越えて、我々が共に生きる方法を模索するために何が必要なのかを表現においても言説においても考え続けているのだがなかなか答えは見えない。

緑橋×町家再生×シェアハウスというテーマでトークセッションをうちのアトリエで行います。
朝は大阪市役所ロビーで伝書鳩フォーラムですが、すぐにすっとんで帰ってこちらのフォーラムです。
シェアに興味のある方は是非お越し下さい。
「シェア」からつながるまちのコミュニティ
日時:1月22日(日)
時間:
14:00〜15:30(第1部) トークセッション+緑橋まち歩き&再生町家見学・説明会
17:30〜(第2部)懇親会
場所:
第1部
♭ (フラット) 大阪市東成区中本3丁目10-2
第2部
町家再生複合施設「燈」
トークゲスト
六波羅雅一(建築家/六波羅真建築研究室代表)
永瀬泰子(有限会社Come on up代表取締役)
ハナムラチカヒロ(ランドスケープデザイナー/アーティスト/極東EX主宰/役者/大阪府立大学準教授)
コーディネーター
早川厚志
参加費:500円
予約・お問い合わせ
有限会社Come on up
TEL/FAX 03-3760-1392
mail: info@comeonup-house.com

大阪市役所のロビーで行われる「伝書鳩フォーラムvol.02」で話します。
前回はトークイベントを拝見する立場でしたが、今回はお声がかかったので、壇上から失礼致します。
うちのアトリエで2年前にした「住み開きシンポジウム」でもご一緒した小山田徹さんと、別府アートプロジェクトの山出淳也さんと一緒に基調講演とクロストークです。
会場は友人のドットアーキテクツによるデザイン、午後からは関西の若手アーティストによるプレゼンテーションがたくさんありますので、ご興味ある方は是非お越し下さい。
伝書鳩フォーラムvol.2
基調講演「表現を考える」。大阪を中心に様々な「立場」「現場」で活躍する6組の表現者の方々をお招きして、その先進的な活動を伺うと共に、特に大阪の表現活動の「未来について」自由に対談して頂きます。
場所:大阪市役所ロビー
2012年
1月21日(土)
10:00-10:20 基調講演1 新聞女氏
10:20-10:40 基調講演2 三村康仁氏
10:40-11:00 基調講演3 樋口ヒロユキ氏
11:00-12:00 クロストーク 「大阪の表現を考える」フリー対談
1月22日(日)
10:00-10:20 基調講演1 小山田徹氏
10:20-10:40 基調講演2 山出淳也氏
10:40-11:00 基調講演3 ハナムラチカヒロ氏
11:00-12:00 クロストーク 「大阪の表現を考える」フリー対談
【伝書鳩とは?】
『伝書鳩』とは、大阪市の芸術創造活動支援事業の1つとして、表現活動を通じて、未来を『よりよい方向に変えていこう』と様々な現場で活躍している『若手表現者達』にスポットをあて、まるで『伝書鳩のように』正確に伝えていく事にポイントを置いている2つのプログラム、2011年6月~11月に月 1回、計6回、中之島4117をメイン会場にして開催する『伝書鳩トーク』そして、2012年1月21日、22日の2日間、大阪市役所玄関ロビーを会場にして開催する『伝書鳩フォーラム』の総称です。
長引く経済不況、急激に変化する社会情勢。ともすれば私たちは、昨日まで信じていた『今』を信じる事が出来ず、未来に対して容易に不安になってしまう時代に生きているのでは?とかんじています。だからこそ、彼らが社会に対して、それぞれの表現活動を通じて向き合っている『今』を『メディアなどの編集を通さず、自分たちなりに正確に知る事』また『その知る機会自体を参加者同士で共有する事』は今の時代に生きる私たちにとっての何かしらの気づき、もしくは指針の1つになるものだと考え、本企画を開催させていただいていおります。
前回に続き、第2回目の開催となる今回は2011年6月から11月まで月1回、各2組、計12組のゲストを、表現活動を広義な意味で人(表現者)場所(スペース運営)事(プロジェクト)の3つに分類して、それぞれの活動を紹介していただく事で、表現活動を始める人の“きっかけづくり”になる事を目指すと同時に、来場者を交えて、それぞれに共有する想いを考えていく『伝書鳩トーク きっかけづくり“ヒト、バショ、コト”』を新たにシリーズ企画として実施した後、翌2012年1月21日、22日の2日間開催の『伝書鳩フォーラムvol2〜未来を考える〜』においては、ジャンルや活動領域こそ違うものの、ただ1つ『未来をよりよい方向に変えて行く為に』『社会に対して表現活動を行っている』という共通点をもつ表現者達が前回の2倍である34組『大阪の真ん中』大阪市役所玄関ロビーに集結し、それぞれの活動を発表します。
そして、その事がそれぞれの多様性を包括したまま、大阪、そして全国に『伝書鳩』のように『正確に』発信される事で、来場者の皆様それぞれにとっての『未来を考える』きっかけの1つになれば。それが勝手ながら企画委員としての私たちの願いです。
関大へ向かう道中で論文の受け渡し。大阪の名所絵図と観光ガイドブックから江戸時代と今とでどう風景が変化したのかという研究を昔していたが、雑誌「大阪人」での参考にしたいようだ。今でも基本的な研究スタンスは変わっていないのだが。
関大での特別講演が終了。たくさんの人が来てくれて感謝。クリエイティブシェアの話も熱心に聞いてくれていたので、こちらも話に熱が入る。でもやはり時間は1時間半とかかかるな。日曜の伝書鳩の持ち時間20分なのにどうしようかなと。
風景異化学とインターフェイス工学とを総合的に仕掛学の中にまとめて行く中でどうしても避けて通れない課題として賞味期限の問題がある。このあたりをどう検証し回避するのかということを今回の研究の中でも考えねばならない。松下先生とも議論していた課題の一つ。
風景異化にヴァーチャルリアリティは有効なテクノロジーだと前から考えているので、ヒューマンインターフェイス系の人とは相性が良い。一方で、テクノロジーにいかにも頼りましたというのがプリミティブ派なランドスケープとしてはつまらなく感じる。彼らの技術をどう演出するかが腕の見せ所。
場合によってはテクノロジー的には大したことのない事でもすごく見える時がある。任天堂WIIもそうだし、オリザさんが演出したロボット演劇もそうだが、ようはどう演出するかだと思う。
【下記はツイッターで拾った聴講者の感想】
「今日のハナムラチカヒロ (@flwmoon) 先生の講演、大変興味深く、楽しく聴かせて頂いた。私の研究が事故・災害関係なので、もう少しそのあたり聴きたかったけれども、予定が詰まっていてお話できなかったのが残念。医療の文脈で、事件・事故被害者・遺族の風景異化ができないかと考えた。」
「ありがとうございました!時間を空けてもう一度聞くと、いっそう核心に触れたような気になり、何故か森に造花を植えたプロジェクトとアートカフェプロジェクトの話の途中で泣きそうになりました。そう友人に話すと、友人も同じ体験をしたそうで、それ程魅力的な話でした。」
「遅ばせながら先日は講演ありがとうございました。私も泣きそうになった一人です。デザインの可能性をすごくすごく感じることができました。またアトリエの方も行かせてもらいますね。」
関大での特別講演が終了。たくさんの人が来てくれて感謝。クリエイティブシェアの話も熱心に聞いてくれていたので、こちらも話に熱が入る。でもやはり時間は1時間半とかかかるな。日曜の伝書鳩の持ち時間20分なのにどうしようかなと。
風景異化学とインターフェイス工学とを総合的に仕掛学の中にまとめて行く中でどうしても避けて通れない課題として賞味期限の問題がある。このあたりをどう検証し回避するのかということを今回の研究の中でも考えねばならない。松下先生とも議論していた課題の一つ。
風景異化にヴァーチャルリアリティは有効なテクノロジーだと前から考えているので、ヒューマンインターフェイス系の人とは相性が良い。一方で、テクノロジーにいかにも頼りましたというのがプリミティブ派なランドスケープとしてはつまらなく感じる。彼らの技術をどう演出するかが腕の見せ所。
場合によってはテクノロジー的には大したことのない事でもすごく見える時がある。任天堂WIIもそうだし、オリザさんが演出したロボット演劇もそうだが、ようはどう演出するかだと思う。
【下記はツイッターで拾った聴講者の感想】
「今日のハナムラチカヒロ (@flwmoon) 先生の講演、大変興味深く、楽しく聴かせて頂いた。私の研究が事故・災害関係なので、もう少しそのあたり聴きたかったけれども、予定が詰まっていてお話できなかったのが残念。医療の文脈で、事件・事故被害者・遺族の風景異化ができないかと考えた。」
「ありがとうございました!時間を空けてもう一度聞くと、いっそう核心に触れたような気になり、何故か森に造花を植えたプロジェクトとアートカフェプロジェクトの話の途中で泣きそうになりました。そう友人に話すと、友人も同じ体験をしたそうで、それ程魅力的な話でした。」
「遅ばせながら先日は講演ありがとうございました。私も泣きそうになった一人です。デザインの可能性をすごくすごく感じることができました。またアトリエの方も行かせてもらいますね。」
自分が正しいという所から出発するスタンスは一定の人に見られる。世代だけでは無いと思うが、世代や年齢というファクターも一つはあるだろう。自分がそうなっていないか常にチェックする姿勢を持たねばと思う。
思い込まないと何も出来ないのも事実だが、思い込みが激しいととんでもない間違いを起こす可能性がある。思い込みが激しい状態が多いと、そのことに気づけない上に相手を糾弾したり洗脳したりするのでこれが厄介だ。特に権力や権威を持ってしまうと気づけないことが多くなる。
なまじ弁が立つ人だと相手を論破しようとする戦闘モードに入るので、余計に相手から反発を喰らうが、大体そういう人はそれでさらに燃えるので、話す気が失せる。大事なのは相手と戦闘する議論じゃなくて、共有へ向かう対話だよ。
戦う人は時にカッコ良く見える時があるので、みんな戦う姿を見たがるけど、本当に何かと戦うことと、身のこなしや言動が戦っている風に見えることは似て非なることなのだと思う。真に戦いたければ騒がずとも静かに着実に戦えば良い。
議論戦闘力の高さで人望が得られるというのはもはや大きな間違いだと思う。
言っていることが正しくても言い方によっては正しいと見なされなくなる。内容と形式の両方が適切じゃないと伝わらない。過激な言いまわしで伝わるならばいいのだが、どうも必ずしもそうでは無い場合があるのだと思うのだが。
ディベートで理解しようとして相手と向き合うのと、勝ちに行こうとして相手と向き合うのとでは、全ての振る舞いのマインドセットが違う。後者の場合は喧嘩だし、勝つことが目的だからそのための印象操作も戦略のうちと言うことか。勝った方が正論を言っているようにも見えてしまうのが恐ろしい所だ。
つまり口喧嘩の強い奴の言っていることが正しいということになってしまう。腕っぷしの強い奴が正しく、戦争で勝った方が正しいという理屈。だとすれば正しさを得るためには勝たねばならないということがまかり通るが、それでいいのだろうか。正しいことを学ぶことは勝ち方を学ぶことになってしまう。
「正しい者が勝つ」ということと、「勝った者が正しい」というのは似て非なることだと思うがややもすれば混同しがちだ。何が正しいかということが立場によってあまりにも異なり、共有出来ていない時代だからこそ「勝ったものが正しい」とされる危険性があるのだと思うが、ちゃんと見れているだろうか。
言っていることが仮に正しくても、言い方が間違っていれば内容まで間違っているように捉えられる。まさに表現方法と内容の混同。同じく自信満々に言うと正しいことを言っているように聞こえる。どちらも発言の印象が内容判断に重要な要因になっているということ。そこを見抜かねば。
思い込まないと何も出来ないのも事実だが、思い込みが激しいととんでもない間違いを起こす可能性がある。思い込みが激しい状態が多いと、そのことに気づけない上に相手を糾弾したり洗脳したりするのでこれが厄介だ。特に権力や権威を持ってしまうと気づけないことが多くなる。
なまじ弁が立つ人だと相手を論破しようとする戦闘モードに入るので、余計に相手から反発を喰らうが、大体そういう人はそれでさらに燃えるので、話す気が失せる。大事なのは相手と戦闘する議論じゃなくて、共有へ向かう対話だよ。
戦う人は時にカッコ良く見える時があるので、みんな戦う姿を見たがるけど、本当に何かと戦うことと、身のこなしや言動が戦っている風に見えることは似て非なることなのだと思う。真に戦いたければ騒がずとも静かに着実に戦えば良い。
議論戦闘力の高さで人望が得られるというのはもはや大きな間違いだと思う。
言っていることが正しくても言い方によっては正しいと見なされなくなる。内容と形式の両方が適切じゃないと伝わらない。過激な言いまわしで伝わるならばいいのだが、どうも必ずしもそうでは無い場合があるのだと思うのだが。
ディベートで理解しようとして相手と向き合うのと、勝ちに行こうとして相手と向き合うのとでは、全ての振る舞いのマインドセットが違う。後者の場合は喧嘩だし、勝つことが目的だからそのための印象操作も戦略のうちと言うことか。勝った方が正論を言っているようにも見えてしまうのが恐ろしい所だ。
つまり口喧嘩の強い奴の言っていることが正しいということになってしまう。腕っぷしの強い奴が正しく、戦争で勝った方が正しいという理屈。だとすれば正しさを得るためには勝たねばならないということがまかり通るが、それでいいのだろうか。正しいことを学ぶことは勝ち方を学ぶことになってしまう。
「正しい者が勝つ」ということと、「勝った者が正しい」というのは似て非なることだと思うがややもすれば混同しがちだ。何が正しいかということが立場によってあまりにも異なり、共有出来ていない時代だからこそ「勝ったものが正しい」とされる危険性があるのだと思うが、ちゃんと見れているだろうか。
言っていることが仮に正しくても、言い方が間違っていれば内容まで間違っているように捉えられる。まさに表現方法と内容の混同。同じく自信満々に言うと正しいことを言っているように聞こえる。どちらも発言の印象が内容判断に重要な要因になっているということ。そこを見抜かねば。


縁あって、映画監督の石井岳龍さんのトークライブツアーのお手伝いしています。
僕は2週連続で神戸プラネットアースです。
皆さん是非お越し下さい。
石井岳龍トーク・ライブ・ツアー
『石井岳龍は、路上にいる。』
●神戸 2012年1月15日(日)18:00〜(開場は30分前)
神戸元町高架下商店街アート・カフェ『プラネット・アース』
場所:JR元町駅下車、高架下商店街を西へ約5分。モトコータウン2(山側)
★テーマ『映画を目指す若い衆へ。生きてるものはいないのか?』
神戸芸術工科大学で教鞭を取る石井監督から、次代を担う若者へメッセージ。
参加者とのディスカッション、「生きてるものはいないのか」予告編、短編作品プロジェクター上映など。参加者による交流会も。10分以内の映像作品(DVD)をお持ちの方はどうぞお持ち寄り下さい。時間の範囲内で上映いたします。
●大阪 2012年1月21日(土)18:00〜(開場は30分前)
天神橋筋6丁目ブック・カフェ『ワイルド・バンチ』
場所:各線天神橋筋6丁目駅 2番出口より、北北東に徒歩2分。
★テーマ『かつて石井聰亙と呼ばれた男』
対談:石井岳龍×ミルクマン斉藤(映画評論家)
石井聰亙時代の足跡を辿り、改名に至る道のりを検証。
そして、今後の新たな思いを語る。撮影当時のエピソードやレアな話が飛び出すかも。石井ファン必見!
「生きてるものはいないのか」予告編、石井監督短編作品をプロジェクターにて上映。
《誠に恐れ入りますが、1ドリンクのご注文をお願い致します》
●会費
一般・学生=2.000円(『生きてるものはいないのか』特別鑑賞券付)
『生きてるものはいないのか』前売券をすでにお持ちの方はご提示により、1.000円にてご入場いただけます。
※会場の混乱等を避けるため、メールでのご予約を優先とさせていただきます。
quickone@sky.bbexcite.jp(主催:渡辺)までお名前、希望日、希望人数をお知らせくだい。返信にてご予約完了とさせていただきます。
また、当日は自由席となります。ご予約済の方でもお席の確保は困難となりますので、早めにお越し下さい。
本企画は、石井監督、関係各社・各位のご協力のもと、自主企画として開催されます。トラブルのない運営を心がけますので、よろしくご協力お願いします。
今度は神戸でガンダム講談のゲストで出ます。
全く何を話すのか、どんな話になるのかは検討もつきません。
ご関心ある方は是非。
【七井コム斎のガンダム講談コーベ方面軍7】
日時:1月8日(日) 15:00開場/15:30開演/17:30頃終演
場所:プラネットアース(JRまたは阪神電車の元町駅より高架下商店街を西に徒歩3分)
地図:http://bit.ly/gErBaw
会費: 予約1500円 当日2000円 18才未満無料
ネット予約:http://bit.ly/ieaHPI(12/12〜前日まで)
演目:『ソロモンの悪夢』『マ・クベの武士道』
ゲスト:ハナムラチカヒロ(ランドスケープアーティスト)
全く何を話すのか、どんな話になるのかは検討もつきません。
ご関心ある方は是非。
【七井コム斎のガンダム講談コーベ方面軍7】
日時:1月8日(日) 15:00開場/15:30開演/17:30頃終演
場所:プラネットアース(JRまたは阪神電車の元町駅より高架下商店街を西に徒歩3分)
地図:http://bit.ly/gErBaw
会費: 予約1500円 当日2000円 18才未満無料
ネット予約:http://bit.ly/ieaHPI(12/12〜前日まで)
演目:『ソロモンの悪夢』『マ・クベの武士道』
ゲスト:ハナムラチカヒロ(ランドスケープアーティスト)
誰も信じないから誰からも信じられないのだ。
誰かを信じて裏切られれば、怒りを持って返すのではなく、哀しみに変えればいい。
哀しみは静かな力になり、いつか相手に届くだろう。
それが届いたのなら裏切った者の方が本当の哀しみに囚われるのだと思う。
その時に優しく微笑んであげれるような器を持ちたい。
誰かを信じて裏切られれば、怒りを持って返すのではなく、哀しみに変えればいい。
哀しみは静かな力になり、いつか相手に届くだろう。
それが届いたのなら裏切った者の方が本当の哀しみに囚われるのだと思う。
その時に優しく微笑んであげれるような器を持ちたい。
誕生日と結婚式を迎える弟に会いに母が東京に行くようなので、講師料は全て母へ渡して旅行のたしにしてもらうことにした。最近忙しくて全然親孝行できていなかったので、せめてもの気持ちだ。
弟に結婚の祝儀を渡したが、それと同時に僕は母へ同じ額の祝儀を渡した。弟の結婚は母の一つの区切りであり、彼女への祝福でもあるからだ。
姉の結婚の時には僕に経済力がなく、十分なことは出来なかったのだ。
日本へ来てもう40年になる母は日本人になったのも最近で、今も年金すら無い暮らしだ。
朝鮮戦争の疎開の時に怪我し、ほぼ片腕状態で僕ら三人を大学まで出させてくれた母に僕は頭が上がらないのだ。だから彼女を何とか支えて生きるためにも金に興味ないなどとは言ってはいられない。
我々がまだ小さくこれから養わねばならない時に父を喪い、コネも地縁も無い中で己の根性と能力のみで生きていかねばならなかった母の人生を察すると、僕自身は甘えた事を言ってはいられないという気持ちにもなる。だからこうして講演が出来るようになるまで育ててくれた母に感謝の気持ちを表すのだ。
母には思い切り今を楽しんでもらいたい。
10年後はもう楽しめないような健康状態になっているかもしれない。将来への貯蓄など必要はなく、今を楽しみ消費するために必要なお金というのがある。だから僕は僕の能力で稼いだお金を今の母のために使う。今でないと意味が無いようなこともあるのだ。
己一人の私腹など、底が知れている。茶碗一杯でお腹いっぱいになるのだから。
そんなことよりも今の己を何が成り立たせて来たのかということへ感謝することや、これから出来るであろう己の子供が生きて行く上でどういう社会が良いのかを考えることの方が僕にとって余程意味のあることだ。
色んな人が色々と近づいて来て、己の能力で必死に生きる僕らから搾取しようとしてくる。頭から出てくるものは原価がかかっていないので当然のごとくタダのように扱う。
冗談ではない。
血のにじむような母の努力と生き様があったからこそ、今の僕のクリエイティビティがあるのだ。搾取されてたまるか。
僕はモノを動かして商売している訳ではない。己のクリエイティビティと情熱を武器に仕事をしているのだ。24時間そのことに熱意を傾け、人生を自分の資本にしているのだ。そんな僕を作るために母が僕にどれほど投資をしたのか。それを考えるとビジネスなんて言葉に搾取されている場合ではないのだ。
だから僕は講演のはじめに必ず自己紹介をする。その時に必ず自分のルーツの話をするのだ。なぜ今の僕があるのか。そのことを語らねば今の自分のクリエイティビティは無いと考えているからだ。インターナショナルでいいねと人がうらやむが、それは僕が自分の人生をポジティブに読みかえているからだ。
僕が母の血のにじむような努力をポジティブに評価しないと一体誰が評価してくるというのだ。語られずに埋もれてしまう彼女の歴史を声高に訴えるには僕という人間のありようが社会化することしかない。制度に守ってもらえなかった彼女が必死で守った僕の存在が彼女のプライドになるしかないではないか。
20年前に父が亡くなる時、長男の僕にだけ耳打ちした言葉がある。
でも家族の誰ひとりそれがどんな言葉であったかということは知らない。
僕と父との間でだけ交わされた約束事だ。
母は海外に居て、父の最後には立ち会えなかった。
姉もその時はアメリカにいて同じく父とは最後の言葉を交わしていない。
当時弟は7歳で記憶すらあいまいではないかと思う。
もうダメだと分かりロビーで泣きじゃくる僕に優しい言葉をかける弟が何も知らないのだなと考えると、さらに不憫に感じたのを今でも忘れてはいない。
もっと強くならねばならない。そしてもっと優しくならねばならない。そう静かに想う。
弟に結婚の祝儀を渡したが、それと同時に僕は母へ同じ額の祝儀を渡した。弟の結婚は母の一つの区切りであり、彼女への祝福でもあるからだ。
姉の結婚の時には僕に経済力がなく、十分なことは出来なかったのだ。
日本へ来てもう40年になる母は日本人になったのも最近で、今も年金すら無い暮らしだ。
朝鮮戦争の疎開の時に怪我し、ほぼ片腕状態で僕ら三人を大学まで出させてくれた母に僕は頭が上がらないのだ。だから彼女を何とか支えて生きるためにも金に興味ないなどとは言ってはいられない。
我々がまだ小さくこれから養わねばならない時に父を喪い、コネも地縁も無い中で己の根性と能力のみで生きていかねばならなかった母の人生を察すると、僕自身は甘えた事を言ってはいられないという気持ちにもなる。だからこうして講演が出来るようになるまで育ててくれた母に感謝の気持ちを表すのだ。
母には思い切り今を楽しんでもらいたい。
10年後はもう楽しめないような健康状態になっているかもしれない。将来への貯蓄など必要はなく、今を楽しみ消費するために必要なお金というのがある。だから僕は僕の能力で稼いだお金を今の母のために使う。今でないと意味が無いようなこともあるのだ。
己一人の私腹など、底が知れている。茶碗一杯でお腹いっぱいになるのだから。
そんなことよりも今の己を何が成り立たせて来たのかということへ感謝することや、これから出来るであろう己の子供が生きて行く上でどういう社会が良いのかを考えることの方が僕にとって余程意味のあることだ。
色んな人が色々と近づいて来て、己の能力で必死に生きる僕らから搾取しようとしてくる。頭から出てくるものは原価がかかっていないので当然のごとくタダのように扱う。
冗談ではない。
血のにじむような母の努力と生き様があったからこそ、今の僕のクリエイティビティがあるのだ。搾取されてたまるか。
僕はモノを動かして商売している訳ではない。己のクリエイティビティと情熱を武器に仕事をしているのだ。24時間そのことに熱意を傾け、人生を自分の資本にしているのだ。そんな僕を作るために母が僕にどれほど投資をしたのか。それを考えるとビジネスなんて言葉に搾取されている場合ではないのだ。
だから僕は講演のはじめに必ず自己紹介をする。その時に必ず自分のルーツの話をするのだ。なぜ今の僕があるのか。そのことを語らねば今の自分のクリエイティビティは無いと考えているからだ。インターナショナルでいいねと人がうらやむが、それは僕が自分の人生をポジティブに読みかえているからだ。
僕が母の血のにじむような努力をポジティブに評価しないと一体誰が評価してくるというのだ。語られずに埋もれてしまう彼女の歴史を声高に訴えるには僕という人間のありようが社会化することしかない。制度に守ってもらえなかった彼女が必死で守った僕の存在が彼女のプライドになるしかないではないか。
20年前に父が亡くなる時、長男の僕にだけ耳打ちした言葉がある。
でも家族の誰ひとりそれがどんな言葉であったかということは知らない。
僕と父との間でだけ交わされた約束事だ。
母は海外に居て、父の最後には立ち会えなかった。
姉もその時はアメリカにいて同じく父とは最後の言葉を交わしていない。
当時弟は7歳で記憶すらあいまいではないかと思う。
もうダメだと分かりロビーで泣きじゃくる僕に優しい言葉をかける弟が何も知らないのだなと考えると、さらに不憫に感じたのを今でも忘れてはいない。
もっと強くならねばならない。そしてもっと優しくならねばならない。そう静かに想う。

京都造形芸術大学の公開講座でお話をします。
もしこれまで僕の話を聞いた事が無い方が居られれば是非、お越し下さい。
下記、案内文。
「風景をずらすことで起こる変革」
花村周寛
日時:2011年11月20日(日)13時30分から16時30分
会場:大阪サテライトキャンパス
申込不要、参加費無料
このたび、芸術環境研究領域では大阪府立大学の花村周寛先生をお招きして下記のとおり公開講座を開催します。花村先生はランドスケープアーキテクトとして空間設計に携わるだけでなく、俳優やアートカフェのディレクションなどさまざまな活動に関わっておいでです。本講座では、花村先生のこれまでの活動についてお話を伺うとともに、病院でのプロジェクト「霧はれて光きたる春」の記録映像を上映し、公共空間とその場の「異化」について考える機会を持ちたいと思います。大学院生以外にも多くの方のご参加をお待ちしています。

などと普段から車に乗る自分が書くのもおかしいが、そう思うのだから仕方あるまい。
縁あってオムロンさん主催の「京都カラダ会議」なるものに参加して一緒に議論している。割とすごいメンバーが来ているのだが、京都カラダ会議といいながら京都では一度しかしていない。
さて、そのカラダ会議での話題の中心はオムロンが出している活動量計とウェルネスリンクというシステム。
いわゆる万歩計という奴なのだが、自分が歩くということを数値化すると意外と歩いていない事に気づく。
例えば、この1週間の自分の歩数を見てみると。
10月26日 10118歩
10月27日 6481歩
10月28日 7638歩
10月29日 1300歩
10月30日 2239歩
10月31日 6923歩
11月1日 4242歩
という結果。
「だんだん減ってんじゃん」とか思うわけだ。
大体29日の1300歩って一体....とか思ってスケジュールを見ると、研究室にこもって作業をしている日だったりする。
こんな感じで歩く事を「見える化」することで気づく事が多い。
「見える化」については僕の風景異化論の中でも重要な要素で、データハンダイでそのあたりをやったが、いつかまたやってみたいネタではあると暖め続けている。
ともかく歩く文化の復権が重要だと思う。
僕のいる観光産業戦略研究所はツーリズムを研究するところだ。
ツーリズムとは英語で書くとTourism。
つまり"ism"であって主義主張や思想である。
だからTourにismが付いているのでずっと旅し移動し続けるという思想だ。
そもそも考えてみれば人類の歴史のほとんどは移動の歴史で定住し始めたのはほんの最近のことだ。
狩猟民族であったころは、とにかく狩りのためにずっと移動している。
この時代は人口が増えればその分の食料が必要で、自然から収奪するのも大変なだということから期せずして自然環境は守られていたといえる。
しかし人間が定住し、穀物を育てるようになってから一気に人口が増え、環境破壊が起こったという人も居る(コリン・タッジ「農業は人類の原罪である」)。
それまでは人類は移動し続けていて、つまりTourismだったわけで、もの凄い距離を歩いてグレイトジャーニーしていたという。
だから潜在的に人間のカラダは歩く事がプログラムされているのだ。
しかし、今や仕事のほとんどがパソコンの前に座ったり、または移動を伴わないようなものになってきていて、しかも移動も私のように車を使って移動したり、電車に乗ったりと乗り物に乗るようになってきているので、ますます総人口メタボ化や成人病などになってしまっているという。
方やフィットネスなどに通ってカロリーを消費しているという不思議な現象も起きる。
歩く文化を復権させるということは、健康文化を作るということである。
そしてマルチメディアの発達で脳化した社会の中でカラダを復権させるということでもある。
歩く文化を復権させることは街を歩いて楽しい環境にすることでもある。
そんなことを考えているのだが、こうしてパソコンの前に座って声高に唱えていてもリアリティは無いのかもしれんけどね。

♭で週末に行なっている「キネスケープ研究会」では映画の中のランドスケープを巡って映画監督の方々などと一緒に議論しています。
今回はその研究会を公開にした「キネスケープショーケース」として、研究会メンバーの監督作品を上映し、関西のインディペンデントシーンで映画を撮られている方の作品を巡ってオープントークをする機会を設けたいと思います。
是非ご参加下さい。
CINESCAPE SHOWCASE vol.001
■上映作品
監督・脚本:渡辺シン
「テンロクの恋人」(99min/2011 年) /出演:桂三風・宇賀仁美・山本拓平 他
監督:吉田徹
「マルセリーノ」(17min/2011 年) 脚本:佐藤絢美/出演:くにえださわこ、ますもとまさゆき、ハナムラチカヒロ
■日時
10 月 16 日(日) 14:00~17:30
13:30 開場
14:00 開演
14:20 「マルセリーノ」上映
14:50 「テンロクの恋人」上映
16:50 監督によるトーク
17:30 終了
終了後、懇親会(会費制)あり
■参加費
一般1,000円
■定員
40名
■連絡先
quickone@sky.bbexcite.jp
渡辺真

船場アートカフェが平野町ギャラリーに移り、月に一度のプログラムとしてマンスリーアートカフェを開催しています。
その第2回目でハナムラが講演します。
僕の講演を聴いた事が無い方は是非一度お越し頂けますと嬉しいです。
講演を聞く前と聞いた後とできっと風景の見方が変わるはずです。
第2回 マンスリーアートカフェ 「風景へのまなざしをデザインする」
2011年10月14日(金)
マスター:ハナムラチカヒロ(ランドスケープアーティスト/大阪府立大学准教授)
オープン:18:30 スタート:19:00 終了予定:21:00
開場: 辰野ひらのまちギャラリー(大阪市中央区平野町1-5-7 辰野平野町ビル地下1階)
参加無料
問い合わせ:art-cafe@ur-plaza.osaka-cu.ac.jpにお送り下さい。
普段見慣れているはずの場所がふとした瞬間にまるで違った風景に見えたことはありませんか?
風景とはその場所にどのようなまなざしを向けるかによって何度でもその顔を変えるのではないでしょうか。
ここでは「風景異化」という観点からこれまで取り組んで来た作品をもとに
風景のまなざしをデザインする方法をお伝えしたいと思います。

極東EX本部の♭がある緑橋で、緑橋文化祭が今週末開かれます。
様々なイベントが行われますが、♭では極東EX第11区工作活動の見学・参加及び、夜はキネスケープ研究会を行います。
ハナムラは出たり入ったりしていてつかまらないかもしれませんが是非お越し下さい。
http://midoribashibunka.gonna.jp/
緑橋文化祭ブログ
緑橋文化祭(みどりばしぶんかさい)とは、大阪市東成区緑橋にある「町家再生複合施設 燈ーあかりー」で開催するイベントです。
大正時代に建設され、戦火を免れた町家が2008年、「燈」として生まれ変わりました。
1階には緑橋の地場産業である帽子屋さんや、美味しいビールと珈琲のお店などが入っています。
緑橋文化祭はその町家「燈」で、毎年秋に開催します。ここが更に人々の交流の場となり、地域を活性化していくことを目的としています。
緑橋文化祭実行委員会事務局 三原美奈子

なぜか下記のようなテーマでトークッセッションに参加することになりました。
ご関心ある方は是非。
「ナレッジキャピタル木曜サロン~会話は人生の楽しみ~」
ホットな夏に、ランドスケープアーティストと温泉ソムリエが、
「街」と「温泉」と「恋愛」をキーワードにトークセッションを展開。
多くのみなさまのご参加をお待ち申し上げております。
■開催日時
2011年8月18日(木)19:00~20:30
■受付開始
受付18:30~
■開催場所
株式会社ナレッジ・キャピタル・マネジメント(KMO)
KMOサロンスペース
大阪市北区梅田1-12-39新阪急ビル9F
TEL:06-6342-8976
■会 費
お一人様1,000円(ドリンク、おつまみ付)
サロンテーマ
「ランドスケープアーティストと温泉ソムリエとのコラボレーション」
日時 平成23年8月18日(木) 19時~21時
場所 KMOオフィス
http://www.kmo-jp.com/corporate/
プログラム
19時~ トークセッション
花村周寛(俳優・ランドスケープアーティスト)
山口貴史(温泉ソムリエ)
20時~
立食形式の懇親会 会費 1000円
ご関心ある方は是非。
「ナレッジキャピタル木曜サロン~会話は人生の楽しみ~」
ホットな夏に、ランドスケープアーティストと温泉ソムリエが、
「街」と「温泉」と「恋愛」をキーワードにトークセッションを展開。
多くのみなさまのご参加をお待ち申し上げております。
■開催日時
2011年8月18日(木)19:00~20:30
■受付開始
受付18:30~
■開催場所
株式会社ナレッジ・キャピタル・マネジメント(KMO)
KMOサロンスペース
大阪市北区梅田1-12-39新阪急ビル9F
TEL:06-6342-8976
■会 費
お一人様1,000円(ドリンク、おつまみ付)
サロンテーマ
「ランドスケープアーティストと温泉ソムリエとのコラボレーション」
日時 平成23年8月18日(木) 19時~21時
場所 KMOオフィス
http://www.kmo-jp.com/corporate/
プログラム
19時~ トークセッション
花村周寛(俳優・ランドスケープアーティスト)
山口貴史(温泉ソムリエ)
20時~
立食形式の懇親会 会費 1000円

先日出演した堺Twitterサミットの様子を関西ウォーカーTVでたまたま見てしまったが、自分のプレゼンがかなり雑だと反省。
当日のプレゼン映像とトークセッションの様子はこちら
やっぱり2時間の内容を20分で離すのはちょっと無理があったかもしれない。
話す内容は変わらないが、2時間ぐらいあればじっくりと観客の皆さんに話を解釈させる時間があげれるから理解度は少し進むのではないかと思っている。
関西ウォーカーの玉置編集長からは、この内容を3分にしてR1に出ればいいんじゃないかとのお言葉をいただいたが、非常に興味深い。
びっくりしたのは僕のプレゼンから「バカリズム」を読み取ったことだ。
僕自身はバカリズムの升野さんのファンで、その手法も前々から通じるものがあると勝手に思っていたのだが、僕の一回のプレゼンでそれを読み取るのはかなり深い洞察力と想像力があると舌を巻いた。
クリエイションの参考にすべきイメージや領域は離れているほどいいと考えている。
その方が一旦アイデアを抽象化することが出来るからだ。
ピン芸人とランドスケープデザインはおそらくほど遠いと思うがそこに共通性を見いだせるのはかなり高度な抽象性を備えた視点で、玉置編集長の感性には正直びっくりした。
僕自身は自分の風景異化の表現を考える上で実は笑いを参考にすることが多い。
質の高い「笑い」は芸術と同じく批判力を持っていると思うからだ。
消費的な「お笑い」ではなく「ユーモア」というのは何かを揺るがす。
質の高い笑いというのは、我々が共有している常識やコモンセンスから少し外れた状態を表現するもので、そのためには共有されている常識とは何かということをちゃんと分かった上で、それを一瞬で相対化し感じさせねばならないからだ。
実に高度なテクニックなのだが、「お笑い」というくくりにされてしまうことで消費的に扱われるのが残念だ。
北野武などももともと笑いから映画表現に入っているが、おそらく本人の感覚の中では表現の違いはあれどやっていることはほぼ同じ事なのだと思う。
様々な表現で同じ感覚を描こうするのは僕も同じなのでとても共感出来る。
表現したいものの抽象度を一つ上げれば表現媒体は実は自由になる。
ユーモアは人の根底に横たわる哀しみや孤独と闘うための武器だ。
シリアスな状況に対してシリアスに向き合うことだけが全てではなく、僕自身はユーモアを持って闘いたい。
ユーモアを表現するためには、根底に人間としての孤独や哀しみが横たわっているかどうかが重要だ。己の我欲を満たしてもその哀しみが消える事はなく、ますます募っていくだろう。人は誰かの為に生き、誰かと共に生きるほんの一瞬だけ、哀しみから開放されるのだから。
組織や官の論理はどうしてもそうした孤独や心の問題を隅に追いやりつつ、人間を単純化して扱わねば成り立たない。 僕はどうしても個人という所からしか出発出来ないので、組織や官の理屈とは時々相入れないことがある。それを子供の理屈だと言うのであれば、それでも構わない。
大人というのはなろうとしてなるものだ。それは社会的な演技によって得られるもので、それを剥ぎ取れば人はみな子供だと思う。しかし、大人を演じているうちに自分の子供の部分を見つめる事が怖くなってはいないだろうか。見たくないと隅に追いやった幼児性は抑圧されて歪な形で噴出しなければいいが。
子供である事を受け入れて大人を演じる。それは哀しみや孤独を知った上でそれでもポジティブに生きるという態度に通ずるのではないか。
社会は単なる個人の集合ではないし、個人という概念ですら本当に成立するのかどうか怪しいのはちゃんと理解している。しかしその上であえて個人的な孤独感や情念、感情の表出ということから考えてみる重要性については全ての作家と共に唱えて行かねばならない視点だ。
「景観」の問題は社会的な事だが、「風景」の問題は個人的なものだ。僕は景観ではなく風景から考えたいといつも言うのはその視点に立っているからだ。これは今までの官の理屈で進められてきた都市計画やまちづくりなどとはひょっとすると相入れないかも知れない。
恐怖や孤独を克服する為に人は集まり寄り添い生きている。しかし、一方で集まり、寄り添う事で新たに生まれる恐怖や孤独というのもあるのだと想う。その時には再び離れてみる距離が必要だ。風景異化とはそこまでのスケールを持って語られねば意味がないだろう。
人間が生まれてから死ぬまでの時間に精神的に経験できることは今も昔もそう変わりはしないだろう。
愛して、憎んで、喜んで、哀しんで。そしてようやく昔の人が既に行き着いた感覚や認識に辿り着く頃には人生が終盤を迎えているのかもしれない。
表現とは最終的にその人がどういう生き方をしているかという事に尽きるだろう。僕が工場に住みながら色んな人と場と時間をシェアし、助けてもらいながら知恵や価値を交換するのは生き方であり僕なりの表現なのだ。小手先の表現技術の問題ではない。生とどう向き合うかというアティチュードの問題だ。
事業化してもっと効率良く儲ける事も出来るのにと言う人も居る。美味しい目が見れるかもと期待をかけてくっついてきたが、いつまでたっても事業化しない事に愛想を尽かして離れた奴も居る。何が魅力の本質なのか見抜けず事業化しようとしても底は見えている。
生き方だ、表現だと何事も口で言うのは簡単だ。しかし本当にリスクを背負い、粘り強く耐えながらそれを実践していく事は困難だ。実践し行動し創造し続ける者の言葉にはリアリティが宿る。口先で理念ばかり唱えられがちな社会だからこそ体現することの重要性を噛み締める。
今のマスメディアは名実の価値を逆転させているように思える。実を行う者に光を当てることで名を得ていくプロセスが本当の道筋だ。しかし名を与える事でその者に実があるかのような錯覚を起こさせているのが現状ではないか。名には流行りや賞味期限があるが、実には地道な生き方が伴わねばならない。
プロデュースという言葉をはき違えてはいけない。 実に名を伴うようにするのがプロデュースであって、実がないものに名だけ与えることではないのだ。しかし、人は簡単に名があるものには実があると思ってしまう。ブランディングの逆転現象が起こっている。
今はこうして耐え忍びながら実を積み重ねていく。名は僕が作るものでは無いし、周りが価値を認めていないのであれば名など出来るはずは無い。今の自分に名が伴っていないのは、実が足りないか、価値を認める人が少ないということだと受け止めている。しかし、名の有無とはべつに実とは生き方だ。
名は業界というコミュニティから始まるのだが、一定間隔で旅をする自分はコミュニティの中で名が上がる事が無い。自分が実を行っていないとは思わないが、どの業界においても、誰も僕のしていることを知らないので評価のしようがないのは仕方ないだろう。
ただ名を伴なっていない今、自分の実を評価してくれている人間は貴重だ。名が伴なってから寄って来る人間には、実を見ている者も居るが、名だけを見ている者がほとんどだと思うからだ。そういう者は名の賞味期限が切れればすぐに離れて行く。「杜子春」の中にそういう者がたくさん描かれている。
自分だけの利益のために人を利用する者を悪人というのだ。 例えそのつもりはなくとも結果としてそうなってしまったとしてもそれは同じ事である。それを挽回するためには今度は相手の利益だけを考えてするぐらいの事をせねばならない。しかしそんな動機で動ける人間はなかなか居ないことを嘆く。
事業化してもっと効率良く儲ける事も出来るのにと言う人も居る。美味しい目が見れるかもと期待をかけてくっついてきたが、いつまでたっても事業化しない事に愛想を尽かして離れた奴も居る。何が魅力の本質なのか見抜けず事業化しようとしても底は見えている。
生き方だ、表現だと何事も口で言うのは簡単だ。しかし本当にリスクを背負い、粘り強く耐えながらそれを実践していく事は困難だ。実践し行動し創造し続ける者の言葉にはリアリティが宿る。口先で理念ばかり唱えられがちな社会だからこそ体現することの重要性を噛み締める。
今のマスメディアは名実の価値を逆転させているように思える。実を行う者に光を当てることで名を得ていくプロセスが本当の道筋だ。しかし名を与える事でその者に実があるかのような錯覚を起こさせているのが現状ではないか。名には流行りや賞味期限があるが、実には地道な生き方が伴わねばならない。
プロデュースという言葉をはき違えてはいけない。 実に名を伴うようにするのがプロデュースであって、実がないものに名だけ与えることではないのだ。しかし、人は簡単に名があるものには実があると思ってしまう。ブランディングの逆転現象が起こっている。
今はこうして耐え忍びながら実を積み重ねていく。名は僕が作るものでは無いし、周りが価値を認めていないのであれば名など出来るはずは無い。今の自分に名が伴っていないのは、実が足りないか、価値を認める人が少ないということだと受け止めている。しかし、名の有無とはべつに実とは生き方だ。
名は業界というコミュニティから始まるのだが、一定間隔で旅をする自分はコミュニティの中で名が上がる事が無い。自分が実を行っていないとは思わないが、どの業界においても、誰も僕のしていることを知らないので評価のしようがないのは仕方ないだろう。
ただ名を伴なっていない今、自分の実を評価してくれている人間は貴重だ。名が伴なってから寄って来る人間には、実を見ている者も居るが、名だけを見ている者がほとんどだと思うからだ。そういう者は名の賞味期限が切れればすぐに離れて行く。「杜子春」の中にそういう者がたくさん描かれている。
自分だけの利益のために人を利用する者を悪人というのだ。 例えそのつもりはなくとも結果としてそうなってしまったとしてもそれは同じ事である。それを挽回するためには今度は相手の利益だけを考えてするぐらいの事をせねばならない。しかしそんな動機で動ける人間はなかなか居ないことを嘆く。

極東EXプロジェクトの中に、ハナムラチカヒロとアニメーター吉田徹とのユニット「極東EX第七区」がある。その第七区として作った「ANIME GRAPH」がもうすぐ発売される。
吉田徹アニメーター30周年記念のいわゆる同人誌にあたるのだが、今回はハナムラがデザイン及びプロデュースをして第七区として世に出すことになる。
6月にハナムラの総合プロデュースで行なわれた「こうべイクメン大賞」でお披露目したミライスゴロクに続く第2弾のプロダクトなのだが、今回はちゃんと販売までする。

手始めは8月13日から東京はお台場で始まるコミックマーケットにて。
僕はオタク業界の事はおろか、アニメもほとんど見た事がなかったので、各アニメーターさんたちから集まって来た原画を編集する中で色々と勉強させてもらったが、きっとマニアの方々には垂涎ものなのだろうなと思いながら、マニアのためだけにならないように全体のコンセプトとデザインを行った。
吉田さんが当時作画監督を務めた「ボトムズ」という作品に出てくるロボットを表紙にして全体をコロニアルなイメージの世界観に降ったのだが、なかなか良くできたと我ながら。
表紙にはガツンと活版印刷も施されている。
もちろん♭一階の印刷工場で刷っている。

コミックマーケットでは予想を遥かに上回るかなりの部数が出回ってしまったので、品薄状態なのでがまだこちらに販売出来る数はあるので、もし欲しいという方が居られればこちらのフォームで是非申し込みを。
ANIME GRAPH
価格:2000円+送料
極東EX第7区プロデュース

本気とか覚悟とか、本当の感情とか。
関係性が出来ていない時にそういうのを強要するのはある種の暴力だろう。
誤解を恐れずに言うと人とは「社会的な演技」をしながら互いに歩み寄っていくものだと思う。
相手が自分を傷つけないか、自分は相手を傷つけないか。
またどの距離が一番適切か。
そういう事を図りながら徐々に歩み寄って行くのだ。
コミュニケーションのあり方もどんどん間接的になっている。
会って話すよりも電話で、電話で話すよりもメールで交わす方が生の相手と向き合わずにすむ。
すっかり恐がりになってしまった時代を生きる我々はそうやって何かを通して、時間をかけてコミュニケーションを取って行く。
そういう時間が待てずに「本気」だとか、「覚悟」だとか「迫力」だとか。
一足飛びに生のコミュニケーションを期待するのはかなりな時代遅れではないか。
大体そういうことを言うのは未成熟なまま偉くなってしまった大人たちだ。
「お前の本気を見せれば助けてやらんでもない。」とでも言いたげな態度で迫って来る。
ましてや偉くもなっていないのに、権威的に振る舞いながら「君の本当の感情を見せろ」等と言う者は何も自分を客観視出来ていない未成熟な態度を取っているとしか言いようがない。
迫真の演技を求める映画監督や演出家に多い態度だが、それを役者にダイレクトに要求するのは、演出としてほぼ自分が無能だと言っているようなものだ。
偉くなってしまった人に言いたいのは、誰かからの素直な感想や批判が直接耳に届くなんて期待しないで欲しいという事だ。 もしそういうのを期待するならば、相当リベラルな空気を出さないと難しいだろう。権威的に振舞っていて素直な意見が欲しいなんてとんでもない。
そうでなくてもあなたには様々な社会的な記号がそこに張り付いているのだ。
それが無言の権力を持っていることをちゃんと自覚しているのだろうか。
それを自覚しつつ乗り越えてこいとでも言っているのだろか。
我々はあなたたちが若い頃にそうであったような反骨精神がすっかり抜け落ちているのだよ。
あなたたちがこしらえた土俵の中で勝負しようとは思っていないのだよ。
若者が出ぬように叩いて潰して来たことを棚に上げて、「今の若い奴には覇気や迫力がない」などと言う態度を我々が冷ややかに見ていること。
それが分からぬぐらいあなたたちは愚かなのだろうか?
覚悟というのは誰かに押し付けられて生まれるのではない。
迫力は持とうと思って持つものではない。
本気とは意識して生じるのではない。
それは悩みながら自分を見つめる中で静かに生まれて来るものだと思う。
迫力があるかのように見えるパフォーマンスとして政治家は対抗する政党に覚悟を問う。
しかし、こんな複雑な時代の中で簡単に覚悟を決めて進めるはずもなかろう。
悩んでいて瞬時の決断など出来ませんと言うことも一つの誠意の現れではないか。
我々は生産性を上げるために事を急ぎすぎている。
インスタントに生まれる覚悟等いらない。
関係性が出来ていない時にそういうのを強要するのはある種の暴力だろう。
誤解を恐れずに言うと人とは「社会的な演技」をしながら互いに歩み寄っていくものだと思う。
相手が自分を傷つけないか、自分は相手を傷つけないか。
またどの距離が一番適切か。
そういう事を図りながら徐々に歩み寄って行くのだ。
コミュニケーションのあり方もどんどん間接的になっている。
会って話すよりも電話で、電話で話すよりもメールで交わす方が生の相手と向き合わずにすむ。
すっかり恐がりになってしまった時代を生きる我々はそうやって何かを通して、時間をかけてコミュニケーションを取って行く。
そういう時間が待てずに「本気」だとか、「覚悟」だとか「迫力」だとか。
一足飛びに生のコミュニケーションを期待するのはかなりな時代遅れではないか。
大体そういうことを言うのは未成熟なまま偉くなってしまった大人たちだ。
「お前の本気を見せれば助けてやらんでもない。」とでも言いたげな態度で迫って来る。
ましてや偉くもなっていないのに、権威的に振る舞いながら「君の本当の感情を見せろ」等と言う者は何も自分を客観視出来ていない未成熟な態度を取っているとしか言いようがない。
迫真の演技を求める映画監督や演出家に多い態度だが、それを役者にダイレクトに要求するのは、演出としてほぼ自分が無能だと言っているようなものだ。
偉くなってしまった人に言いたいのは、誰かからの素直な感想や批判が直接耳に届くなんて期待しないで欲しいという事だ。 もしそういうのを期待するならば、相当リベラルな空気を出さないと難しいだろう。権威的に振舞っていて素直な意見が欲しいなんてとんでもない。
そうでなくてもあなたには様々な社会的な記号がそこに張り付いているのだ。
それが無言の権力を持っていることをちゃんと自覚しているのだろうか。
それを自覚しつつ乗り越えてこいとでも言っているのだろか。
我々はあなたたちが若い頃にそうであったような反骨精神がすっかり抜け落ちているのだよ。
あなたたちがこしらえた土俵の中で勝負しようとは思っていないのだよ。
若者が出ぬように叩いて潰して来たことを棚に上げて、「今の若い奴には覇気や迫力がない」などと言う態度を我々が冷ややかに見ていること。
それが分からぬぐらいあなたたちは愚かなのだろうか?
覚悟というのは誰かに押し付けられて生まれるのではない。
迫力は持とうと思って持つものではない。
本気とは意識して生じるのではない。
それは悩みながら自分を見つめる中で静かに生まれて来るものだと思う。
迫力があるかのように見えるパフォーマンスとして政治家は対抗する政党に覚悟を問う。
しかし、こんな複雑な時代の中で簡単に覚悟を決めて進めるはずもなかろう。
悩んでいて瞬時の決断など出来ませんと言うことも一つの誠意の現れではないか。
我々は生産性を上げるために事を急ぎすぎている。
インスタントに生まれる覚悟等いらない。
ツイッターが意外と思考整理に役立つが、消えて行ってしまうのでブログに整理する。
■「建築と都市計画と美術と造園の間に、そのどれでもない領域が見出せれは非常に有効なサジェスチョンになるだろう。」八束はじめ それがランドスケープという領域だと思いたい。以上、造園とランドスケープの違いを巡ってのメモ。 かなり今更な説明だが。
■しかし気をつけねばならないのは、こちらがリベラルな空気を出していることにつけ込んで、かなり失礼な態度を取ってくる者が居ることだ。権威や権力を使ってねじ伏せる態度は大嫌いだが、逆に権威が無いという所に付けこんで相手に敬意を持って接する態度が持てないのも同じ罠にはまっている。
■僕にとって詩を書くとは漂っている言葉をうまく捕まえるという行為のように思える。何かを捏造したり、何かを虚飾するような事とは違う感覚がある。
■権力で従う人の力よりも、誠意に打たれて動く人の力の方が尊いものだと思う。
■国会が演劇の舞台にしか見えない。 ゲームか何かをしているようで、リアルなやりとりに見えないのはなぜだろうか。
■キャナルシティ博多はジョーンジャーディのデザイン。六本木ヒルズ、なんばパークスと同じデザイナーで空間性もほとんど一緒なのだが、楽しげなのはやっぱり水がふんだんに使われているところかと。
■ジャーディ建築は周辺環境に対してほとんど関心がなく、中に設けられたラビーン(谷)によって自己完結的に空間演出されていることかと。いわばテーマパークの一種ではあるが、少しだけ違うのは土地のコンテクストは反映されていること。
■ヒルズは建築的にもアップダウンが設けられた丘(ヒル)になっているし、なんばパークスは大阪球場の跡地としてスタジアムの形状を踏襲する形になっている。キャナルシティは川縁にあることから水のイメージで繋がれている。外部環境への眺望や視覚的なつながりはあんまり持たないが文脈的連関がある。
■副首都の候補地として超党派議連から関西圏が上がっているが、当然議論の中に福岡はじめ北九州というのも挙げられているだろう。新幹線開通も含め、韓国やその他アジア諸国としてのゲートウェイ機能もある場所なので、ポテンシャルは高いはず。マルチリンガルも大阪より進んでいる気がする。
■博多ラーメンはもはや博多だけの文化ではなくなったな。長崎チャンポンが全国に広まったのと同じか。食のグローバリズム(というほどでもないが...)は嬉しい反面、その土地ならではのモノって感覚が薄くなっていく。博多にある屋台システムは空間装置として土地性が担保されている。
■問題に対してシリアスに向き合うのではなく、ユーモアを持って闘いたいと常々思う。
■ポストモダンの人工楽園。テーマパークとの違いは無料で自由にアクセス出来ること
■人工楽園にかかるメンテナンスコストは膨大だ。しかもそれで聖性が獲得されているとは思いにくい。楽園を支える公共性は協働ではなく資本という形で担保されている。
■どんな楽園もずっと居続けられるものではないように思える。楽園の選択性と回遊性が重要か。そのあたりが観光と結びつく部分。 http://instagr.am/p/IMzuU/
■表現の好みの問題をさも普遍的な理屈があるように語る口調はどうも好きになれない。建築家に多いような気がするが(偏見かも)全部説明しないと気が済まないというのは何かに怯えているようにも見えて可哀想に思えて来る。
■バスというメゾスケールのシステムは旅行者には使いづらい。鉄道、飛行機というマクロシステムとタクシーというミクロシステムの組み合わせで都市内であれば大体行ける。都市内バスは主に都市のヘビーユーザーのものなのだろうな。
■何だかんだ言ってもそろそろポストモダンを見直す時期に来ている気がするんだけどな。市内にこれだからね
■天神中央公園の特徴は三方を高い建物に囲まれていることか。アクロスの目の前に済生会病院があり格好の視点場に。でもここでは霧はれては出来ない。芝の管理がかなり行き届いている。ランドスケープは余計なこと考えずにこれだけで十分なんじゃ
■寝そべれるというアフォーダンスだけ提供すればいいんじゃないかとも思う。 http://instagr.am/p/IM9as/
■で中はこうなのね。外は自然で中は人工的。外見は羊で実は狼的な... http://instagr.am/p/IM-UI/
■ポストモダンの作家ってどうしてシマシマ好きなんだろう。建築もランドスケープも皆一様にシマシマ。多様なはずのポストモダンって実は一様なのかも。 http://instagr.am/p/IM-zl/
7月22日
■コミュニティ再生って騒ぎすぎだろうとも思う。強制的に再生させねばならないものでもないような気も一方でしている。 気負わずとも、もっと自然で緩やかに形成される方法はないのだろうか。
■セグウェイジャパンの大塚さんプレゼン。モビリティ社会の中で有効な乗り物になりそうだ。一回の充電で約40キロ走れる。日本では道路交通法の関係で走れない。全世界で日本とイギリスだけが走れない社会になっている。やはり問題多いな日本の道路交通法。
■世界ではポリス&セキュリティで最も利用されている。後は空港とテーマパークでの利用が多い。 セグウェイツアーとしてハウステンボス、十勝公園、中部空港などで活用。
■モビリティ社会の中で本当に車のようなパーソナル交通手段が最適かと いうとそうではないという問い。 自転車よりも面積を取らずその場でも回転出来るセグウェイは移動手段としての可能性は高い。
■今年、つくば市でモビリティ特区が取れ、道路に本格的にセグウェイが走れるようになる。確かにこれが普及すればパーソナルモビリティが変革するかも知れない。 乗り捨て出来るセグウェイシェアリングなども可能になる。
■一方で今オムロンとしようとしている「歩く文化」の再生はこのセグウェイのモビリティとは少し違った方向性か。 セグウェイが歩くという身体感覚に近づくほど、歩くことを放棄する社会になるのではないかという危機感もある。 自転車の代わりになるモビリティツールとしての代替が妥当な所か。
■医療現場、警備の現場のようにすぐに駆けつけねばならない状況で非常に有効な乗り物だろう。自転車では入れないようなエレベーターなどにも入れるのでアクセスタイムが早まる。
■モーダルミックスの一つのチョイスとして有効だと思う。 後は使用感が非常に心地よいのでエンターテインメントやスポーツ的に使用できるのも特徴の一つだ。
7月23
■日本ではやはり街乗りが法的に難しいのが一番の難点。 後は段差を乗り越えれる仕組みさえあれば爆発的に普及するのではないか。
■自動車はEVの流れもあって小型化の傾向にある一方でセグウェイを大型化するのは容易。上海万博では二人乗りセグウェイが導入されたが、考え方は体重移動で操縦という考え方はそのまま。
■ディシプリンから外れた人をキワモノとして扱うのは簡単だが、その質やレベルはちゃんと見極めた方がいいのだろう。 ただのキワモノか革新者かの判断を自分が正しくできているかどうかが問われる。
■同じ事をしていてもただ己の為にある業界を搾取しようとするのか、それともその業界の可能性を開こうとするのかというスタンスの違いがある。ビジネスと称して弱い立場の者から搾取しようとするヤツは何人も見てきた。
■きっちりと説明して伝え理解と共感を得るというコミュニケーションの重要性が唱えられる一方で、はっきり断定せず曖昧にほのめかすことでより多くを感じてもらうというコミュニケーションの重要性も言われる。答えを一つにするのではなく適材適所なんだろうな。
■トリイホールを後に♭へ。 鳥居さんのお話はなかなか含蓄が深かった。宗教と街の成り立ち信仰心の崩壊による街の乱れについては思うところが色々とある。都市の霊性があまりにも軽んじられていることへの警鐘とも受け取れるが、学生にはちんぷんかんぷんの空気が流れてた。それを埋めるのが僕の仕事。
■そりゃミナミ活性化とか期待して来た学生にいきなり霊とか神とか宗教とか言われると引くのも無理はないだろう。 でも実は芸能や文化とは切れない関係にあるのだよ。
■宗教とか言うと途端に胡散臭くなってしまう空気が既にデフォルトの社会なのでズレがあるのも当然。 それよりもズレを感じているならば感じているとちゃんと言うべきだし、言えない空気が対話の場にあることの方がよほど問題かと。
■そこをちゃんと相対化するのが僕の役目。他の人は歳取って偉くなりすぎているので、ある種神格化か無視の対象になる。 年齢や感覚の近さって重要だし、その感覚をちゃんと届く言葉にすることも重要だと感じる。
■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。
■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。
■勝ち馬に乗ろうと取り入る様子は見るに耐えない。なぜ自らが勝ち馬になろうと足掻かないのか。
■自分はまだまだ常識にとらわれすぎているのかと改めて反省。 常識とは従うものではなく、観察すべき対象なのだ。
■世の中には山ほど天才が居て、大体そういう人々は常識など疑ってかかっている。だからといって常識を知らないのではなく、それを観察する対象として捉えていると思う。
7月30日 お気に入り 返信 削除
■常識を疑うためにはたくさん常識を知らねばならない。まだまだ自分には知識が足りない。学問知も世間知も。
■学問知だけある者社会の中での人間関係の機微が分からないことが多い。世間知だけある者は世間の枠の中でしか捉えられないことが多い。 どちらもバランス良く伸ばしていくためには両方を同時に進めていく必要がある。
■若い者の方が発想が豊かだなんてとんでもない。若いヤツはものを知らないので発想が年寄りと違うだけで、本当に豊かな発想とはモノを知った上でそれを乗り越えられるかどうかだ。 若いか歳くっているかで判断するべきではないと若い頃から思っていた。
■僕が今まで見て来た学生で僕よりも発想が豊かだと感じたのは少なかった。だから年齢ではないのだろうなと感じる。 ただ豊かな発想だけが全てではない。
■しかし、若いヤツは年寄りを乗り越えねばならない。そうでないと文化や文明は進んで行かないからだ。 年寄りはすぐに潰そうとしてくるから、それを凌駕する力で向き合わねばならない。ただ単に若さを振りかざすのではなく、ちゃんと向き合う重要性を感じる。
■我々の抱く大阪のイメージがいかに東京のメディアによって作られているかが分かる。 それを笑ってすませる器量の大きさも良いが、反対に貶められてしまっている感もある。 タコ焼き、吉本、タイガースだけではないだろう。
■だからといって逆にお洒落になろうと無理する必死な大阪も違う気がする。その論理に絡め取られると東京とか他の都市と変わらないじゃないのか。
■アンチを唱えて突っ張るのも、無理して真似るのも両方同じ理屈だ。 そうではないやり方がたくさん沸き起こってくる必要がある。
■面白かったのは大阪出身の今の大学生の意識の中にも、根拠のない大阪人としての誇りが強くある事だ。 頼もしくも思うし、旅人としては羨ましくも思う。 しかし、問題は彼らに大阪の良さを説明できる材料が乏しい事だ。 それを提供する何かが必要だろう。まさにシビックプライド
■東京との差違として捉えられるためには東京に学んでいてはダメだろうと感じる。ソウルや釜山、シンガポール、上海、北京、クアラルンプールなど学ぶべき場所は山ほどあるはずだ。 東京にアンチなど唱えている場合ではないのではないだろうか。
■しかし、どうも大阪の動きを見ていると東京を意識しすぎか、売れればすぐに勝ち馬に乗って東京へ行ってしまう構図しかないように思える。
■ソウル人でも大阪人でも無い自分はかろうじて外なる視点を確保できているが、実は大阪人の方がその問題に目が向いていない気がする。
■昨夜のキネスケープは工藤栄一監督の1982年の作品「野獣刑事」。 出演、緒形拳、石田あゆみ、泉谷しげる。前回のガキ帝国同様、かなり殺伐とした話だったが、大阪の風景切り取り方が素晴らしい。 ランドマークもいくつか写っているのだが神崎川などの何気ない風景の撮り方が素晴らしい。
■和製カトリーヌドヌーブ、いしだあゆみさんが綺麗な上に役どころが可愛いく切ない。泉谷しげるさんもいい芝居で改めて工藤監督の役者との関係性の作り方の確かさを感じる。 あまり注目されていないがいい演技しているのが実は益岡徹さん。
■工藤監督の切り取りの構図は前衛写真家のようで楽しい。 津守という設定(実際は武庫川団地か?)で切り取った団地などはロシアか東欧風景のようでタルコフスキーみたいだという意見も。 反射を利用した構図や、窓の外からのロングとかも面白い。そのシーン長回しでやってしまうという?のもいくつか
■しかし、ガキ帝国との違いとしては、このシナリオは特別大阪でなくても成立するというように感じる事だ。ガキ帝国は韓国人との関係性など含めて大阪でする必然性があるが、野獣刑事はシナリオ上は大都市であればどこでも成立する。 いしだあゆみの大阪弁はかなり可愛いけど
■原稿ようやく出口が見えて来た....。単なる事実だけ述べても意味がなく、その事実を元に何を言うのかが重要だと感じる。言いたい事はリアルタイムとして全部ツイッターで呟いてしまっているのだが、活字にした時に急にリアリティが持てなくなることがあるから不思議だ。
■メディアのタイムラグについて再び想いを馳せる。ツイッターは感覚を伝えるのには良いメディアだが、何かの考えを深く伝えるのには向いていないかも知れない。反射的なつぶやきはその時にリアルな感覚だとしても、賞味期限がどこまであるのかが分からない。
■本日は維新派の稽古にて「第五福竜丸」を見る。 次回犬島公演での船の動きや波の表敬の参考に。
■「第五福竜丸」の後、松本雄吉さんが持ってきた「裸の島」を維新派と一緒に見る。 セリフは一切なしで、半分以上が水を運ぶシーンだったにも関わらず見入ってしまった。生きるとは何かという事を改めて考えさせられる。新藤兼人監督の凄さがここにも表現されている。
■この映画はほぼ農業映画と言ってもいい。実際にあの島に作物が育つかどうかをスタッフがかなりの年月をかけて実験したらしい。 当時は撮影技術もそれほど高くなかった時代に空撮なども綺麗に撮れている。無言劇もかなりの実験だったのではないか。
■維新派にも若い役者さんがたくさん居るがどう響いているか興味深い。 ハリウッド映画に慣れた若い人々にはかなり退屈な映画かも知れないが、無意味に見える時間の積み上げがあるからこそ最後のシーンに意味が出てくる。地と図の関係。
21時間前
■雄吉さんが伝えたかったのはあの船を漕ぐ動き。 手首のスナップ、腰の動き、大腿の踏ん張りなどは実際に櫂を漕ぐのを見ていなければリアルに身体を統合出来ない。マイムにも通ずるが、身体はそれに関わる環境によって形が決まる。舞台は虚構の環境なので、身体の動きでイメージさせねばならない。
■地頭の良さと偏差値はますます違うになってきたような気がする。
■「建築と都市計画と美術と造園の間に、そのどれでもない領域が見出せれは非常に有効なサジェスチョンになるだろう。」八束はじめ それがランドスケープという領域だと思いたい。以上、造園とランドスケープの違いを巡ってのメモ。 かなり今更な説明だが。
■しかし気をつけねばならないのは、こちらがリベラルな空気を出していることにつけ込んで、かなり失礼な態度を取ってくる者が居ることだ。権威や権力を使ってねじ伏せる態度は大嫌いだが、逆に権威が無いという所に付けこんで相手に敬意を持って接する態度が持てないのも同じ罠にはまっている。
■僕にとって詩を書くとは漂っている言葉をうまく捕まえるという行為のように思える。何かを捏造したり、何かを虚飾するような事とは違う感覚がある。
■権力で従う人の力よりも、誠意に打たれて動く人の力の方が尊いものだと思う。
■国会が演劇の舞台にしか見えない。 ゲームか何かをしているようで、リアルなやりとりに見えないのはなぜだろうか。
■キャナルシティ博多はジョーンジャーディのデザイン。六本木ヒルズ、なんばパークスと同じデザイナーで空間性もほとんど一緒なのだが、楽しげなのはやっぱり水がふんだんに使われているところかと。
■ジャーディ建築は周辺環境に対してほとんど関心がなく、中に設けられたラビーン(谷)によって自己完結的に空間演出されていることかと。いわばテーマパークの一種ではあるが、少しだけ違うのは土地のコンテクストは反映されていること。
■ヒルズは建築的にもアップダウンが設けられた丘(ヒル)になっているし、なんばパークスは大阪球場の跡地としてスタジアムの形状を踏襲する形になっている。キャナルシティは川縁にあることから水のイメージで繋がれている。外部環境への眺望や視覚的なつながりはあんまり持たないが文脈的連関がある。
■副首都の候補地として超党派議連から関西圏が上がっているが、当然議論の中に福岡はじめ北九州というのも挙げられているだろう。新幹線開通も含め、韓国やその他アジア諸国としてのゲートウェイ機能もある場所なので、ポテンシャルは高いはず。マルチリンガルも大阪より進んでいる気がする。
■博多ラーメンはもはや博多だけの文化ではなくなったな。長崎チャンポンが全国に広まったのと同じか。食のグローバリズム(というほどでもないが...)は嬉しい反面、その土地ならではのモノって感覚が薄くなっていく。博多にある屋台システムは空間装置として土地性が担保されている。
■問題に対してシリアスに向き合うのではなく、ユーモアを持って闘いたいと常々思う。
■ポストモダンの人工楽園。テーマパークとの違いは無料で自由にアクセス出来ること
■人工楽園にかかるメンテナンスコストは膨大だ。しかもそれで聖性が獲得されているとは思いにくい。楽園を支える公共性は協働ではなく資本という形で担保されている。
■どんな楽園もずっと居続けられるものではないように思える。楽園の選択性と回遊性が重要か。そのあたりが観光と結びつく部分。 http://instagr.am/p/IMzuU/
■表現の好みの問題をさも普遍的な理屈があるように語る口調はどうも好きになれない。建築家に多いような気がするが(偏見かも)全部説明しないと気が済まないというのは何かに怯えているようにも見えて可哀想に思えて来る。
■バスというメゾスケールのシステムは旅行者には使いづらい。鉄道、飛行機というマクロシステムとタクシーというミクロシステムの組み合わせで都市内であれば大体行ける。都市内バスは主に都市のヘビーユーザーのものなのだろうな。
■何だかんだ言ってもそろそろポストモダンを見直す時期に来ている気がするんだけどな。市内にこれだからね
■天神中央公園の特徴は三方を高い建物に囲まれていることか。アクロスの目の前に済生会病院があり格好の視点場に。でもここでは霧はれては出来ない。芝の管理がかなり行き届いている。ランドスケープは余計なこと考えずにこれだけで十分なんじゃ
■寝そべれるというアフォーダンスだけ提供すればいいんじゃないかとも思う。 http://instagr.am/p/IM9as/
■で中はこうなのね。外は自然で中は人工的。外見は羊で実は狼的な... http://instagr.am/p/IM-UI/
■ポストモダンの作家ってどうしてシマシマ好きなんだろう。建築もランドスケープも皆一様にシマシマ。多様なはずのポストモダンって実は一様なのかも。 http://instagr.am/p/IM-zl/
7月22日
■コミュニティ再生って騒ぎすぎだろうとも思う。強制的に再生させねばならないものでもないような気も一方でしている。 気負わずとも、もっと自然で緩やかに形成される方法はないのだろうか。
■セグウェイジャパンの大塚さんプレゼン。モビリティ社会の中で有効な乗り物になりそうだ。一回の充電で約40キロ走れる。日本では道路交通法の関係で走れない。全世界で日本とイギリスだけが走れない社会になっている。やはり問題多いな日本の道路交通法。
■世界ではポリス&セキュリティで最も利用されている。後は空港とテーマパークでの利用が多い。 セグウェイツアーとしてハウステンボス、十勝公園、中部空港などで活用。
■モビリティ社会の中で本当に車のようなパーソナル交通手段が最適かと いうとそうではないという問い。 自転車よりも面積を取らずその場でも回転出来るセグウェイは移動手段としての可能性は高い。
■今年、つくば市でモビリティ特区が取れ、道路に本格的にセグウェイが走れるようになる。確かにこれが普及すればパーソナルモビリティが変革するかも知れない。 乗り捨て出来るセグウェイシェアリングなども可能になる。
■一方で今オムロンとしようとしている「歩く文化」の再生はこのセグウェイのモビリティとは少し違った方向性か。 セグウェイが歩くという身体感覚に近づくほど、歩くことを放棄する社会になるのではないかという危機感もある。 自転車の代わりになるモビリティツールとしての代替が妥当な所か。
■医療現場、警備の現場のようにすぐに駆けつけねばならない状況で非常に有効な乗り物だろう。自転車では入れないようなエレベーターなどにも入れるのでアクセスタイムが早まる。
■モーダルミックスの一つのチョイスとして有効だと思う。 後は使用感が非常に心地よいのでエンターテインメントやスポーツ的に使用できるのも特徴の一つだ。
7月23
■日本ではやはり街乗りが法的に難しいのが一番の難点。 後は段差を乗り越えれる仕組みさえあれば爆発的に普及するのではないか。
■自動車はEVの流れもあって小型化の傾向にある一方でセグウェイを大型化するのは容易。上海万博では二人乗りセグウェイが導入されたが、考え方は体重移動で操縦という考え方はそのまま。
■ディシプリンから外れた人をキワモノとして扱うのは簡単だが、その質やレベルはちゃんと見極めた方がいいのだろう。 ただのキワモノか革新者かの判断を自分が正しくできているかどうかが問われる。
■同じ事をしていてもただ己の為にある業界を搾取しようとするのか、それともその業界の可能性を開こうとするのかというスタンスの違いがある。ビジネスと称して弱い立場の者から搾取しようとするヤツは何人も見てきた。
■きっちりと説明して伝え理解と共感を得るというコミュニケーションの重要性が唱えられる一方で、はっきり断定せず曖昧にほのめかすことでより多くを感じてもらうというコミュニケーションの重要性も言われる。答えを一つにするのではなく適材適所なんだろうな。
■トリイホールを後に♭へ。 鳥居さんのお話はなかなか含蓄が深かった。宗教と街の成り立ち信仰心の崩壊による街の乱れについては思うところが色々とある。都市の霊性があまりにも軽んじられていることへの警鐘とも受け取れるが、学生にはちんぷんかんぷんの空気が流れてた。それを埋めるのが僕の仕事。
■そりゃミナミ活性化とか期待して来た学生にいきなり霊とか神とか宗教とか言われると引くのも無理はないだろう。 でも実は芸能や文化とは切れない関係にあるのだよ。
■宗教とか言うと途端に胡散臭くなってしまう空気が既にデフォルトの社会なのでズレがあるのも当然。 それよりもズレを感じているならば感じているとちゃんと言うべきだし、言えない空気が対話の場にあることの方がよほど問題かと。
■そこをちゃんと相対化するのが僕の役目。他の人は歳取って偉くなりすぎているので、ある種神格化か無視の対象になる。 年齢や感覚の近さって重要だし、その感覚をちゃんと届く言葉にすることも重要だと感じる。
■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。
■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。
■勝ち馬に乗ろうと取り入る様子は見るに耐えない。なぜ自らが勝ち馬になろうと足掻かないのか。
■自分はまだまだ常識にとらわれすぎているのかと改めて反省。 常識とは従うものではなく、観察すべき対象なのだ。
■世の中には山ほど天才が居て、大体そういう人々は常識など疑ってかかっている。だからといって常識を知らないのではなく、それを観察する対象として捉えていると思う。
7月30日 お気に入り 返信 削除
■常識を疑うためにはたくさん常識を知らねばならない。まだまだ自分には知識が足りない。学問知も世間知も。
■学問知だけある者社会の中での人間関係の機微が分からないことが多い。世間知だけある者は世間の枠の中でしか捉えられないことが多い。 どちらもバランス良く伸ばしていくためには両方を同時に進めていく必要がある。
■若い者の方が発想が豊かだなんてとんでもない。若いヤツはものを知らないので発想が年寄りと違うだけで、本当に豊かな発想とはモノを知った上でそれを乗り越えられるかどうかだ。 若いか歳くっているかで判断するべきではないと若い頃から思っていた。
■僕が今まで見て来た学生で僕よりも発想が豊かだと感じたのは少なかった。だから年齢ではないのだろうなと感じる。 ただ豊かな発想だけが全てではない。
■しかし、若いヤツは年寄りを乗り越えねばならない。そうでないと文化や文明は進んで行かないからだ。 年寄りはすぐに潰そうとしてくるから、それを凌駕する力で向き合わねばならない。ただ単に若さを振りかざすのではなく、ちゃんと向き合う重要性を感じる。
■我々の抱く大阪のイメージがいかに東京のメディアによって作られているかが分かる。 それを笑ってすませる器量の大きさも良いが、反対に貶められてしまっている感もある。 タコ焼き、吉本、タイガースだけではないだろう。
■だからといって逆にお洒落になろうと無理する必死な大阪も違う気がする。その論理に絡め取られると東京とか他の都市と変わらないじゃないのか。
■アンチを唱えて突っ張るのも、無理して真似るのも両方同じ理屈だ。 そうではないやり方がたくさん沸き起こってくる必要がある。
■面白かったのは大阪出身の今の大学生の意識の中にも、根拠のない大阪人としての誇りが強くある事だ。 頼もしくも思うし、旅人としては羨ましくも思う。 しかし、問題は彼らに大阪の良さを説明できる材料が乏しい事だ。 それを提供する何かが必要だろう。まさにシビックプライド
■東京との差違として捉えられるためには東京に学んでいてはダメだろうと感じる。ソウルや釜山、シンガポール、上海、北京、クアラルンプールなど学ぶべき場所は山ほどあるはずだ。 東京にアンチなど唱えている場合ではないのではないだろうか。
■しかし、どうも大阪の動きを見ていると東京を意識しすぎか、売れればすぐに勝ち馬に乗って東京へ行ってしまう構図しかないように思える。
■ソウル人でも大阪人でも無い自分はかろうじて外なる視点を確保できているが、実は大阪人の方がその問題に目が向いていない気がする。
■昨夜のキネスケープは工藤栄一監督の1982年の作品「野獣刑事」。 出演、緒形拳、石田あゆみ、泉谷しげる。前回のガキ帝国同様、かなり殺伐とした話だったが、大阪の風景切り取り方が素晴らしい。 ランドマークもいくつか写っているのだが神崎川などの何気ない風景の撮り方が素晴らしい。
■和製カトリーヌドヌーブ、いしだあゆみさんが綺麗な上に役どころが可愛いく切ない。泉谷しげるさんもいい芝居で改めて工藤監督の役者との関係性の作り方の確かさを感じる。 あまり注目されていないがいい演技しているのが実は益岡徹さん。
■工藤監督の切り取りの構図は前衛写真家のようで楽しい。 津守という設定(実際は武庫川団地か?)で切り取った団地などはロシアか東欧風景のようでタルコフスキーみたいだという意見も。 反射を利用した構図や、窓の外からのロングとかも面白い。そのシーン長回しでやってしまうという?のもいくつか
■しかし、ガキ帝国との違いとしては、このシナリオは特別大阪でなくても成立するというように感じる事だ。ガキ帝国は韓国人との関係性など含めて大阪でする必然性があるが、野獣刑事はシナリオ上は大都市であればどこでも成立する。 いしだあゆみの大阪弁はかなり可愛いけど
■原稿ようやく出口が見えて来た....。単なる事実だけ述べても意味がなく、その事実を元に何を言うのかが重要だと感じる。言いたい事はリアルタイムとして全部ツイッターで呟いてしまっているのだが、活字にした時に急にリアリティが持てなくなることがあるから不思議だ。
■メディアのタイムラグについて再び想いを馳せる。ツイッターは感覚を伝えるのには良いメディアだが、何かの考えを深く伝えるのには向いていないかも知れない。反射的なつぶやきはその時にリアルな感覚だとしても、賞味期限がどこまであるのかが分からない。
■本日は維新派の稽古にて「第五福竜丸」を見る。 次回犬島公演での船の動きや波の表敬の参考に。
■「第五福竜丸」の後、松本雄吉さんが持ってきた「裸の島」を維新派と一緒に見る。 セリフは一切なしで、半分以上が水を運ぶシーンだったにも関わらず見入ってしまった。生きるとは何かという事を改めて考えさせられる。新藤兼人監督の凄さがここにも表現されている。
■この映画はほぼ農業映画と言ってもいい。実際にあの島に作物が育つかどうかをスタッフがかなりの年月をかけて実験したらしい。 当時は撮影技術もそれほど高くなかった時代に空撮なども綺麗に撮れている。無言劇もかなりの実験だったのではないか。
■維新派にも若い役者さんがたくさん居るがどう響いているか興味深い。 ハリウッド映画に慣れた若い人々にはかなり退屈な映画かも知れないが、無意味に見える時間の積み上げがあるからこそ最後のシーンに意味が出てくる。地と図の関係。
21時間前
■雄吉さんが伝えたかったのはあの船を漕ぐ動き。 手首のスナップ、腰の動き、大腿の踏ん張りなどは実際に櫂を漕ぐのを見ていなければリアルに身体を統合出来ない。マイムにも通ずるが、身体はそれに関わる環境によって形が決まる。舞台は虚構の環境なので、身体の動きでイメージさせねばならない。
■地頭の良さと偏差値はますます違うになってきたような気がする。
縄文人と弥生人とで風景の嗜好性に決定的な差が出来たのだろう。 旅人としての縄文人の持つ世界の見方と、定住者としての弥生人のそれとではあまりに違うはず。そのレベルから風景異化と観光を捉えると深みが出てくる。
ある目的も持つことやあるリテラシーを持つ事で風景の見方は随分と異なる。それはどういうコスモロジーを心に抱いているのかという事と深く関わっている。現代ではそのコスモロジーが壊れているか、うまく機能していないと思うのだが。
弥生人の延長としての日本人はたかだか数千年の歴史しか無い。世界的に見てもそれ以前の旅人としての歴史の方が長く、人が移動することの必然性は昨今の観光現象にも顕著だ。生産性を追い求めていなかった狩猟時代の方が人口の抑制も効いており、エコロジカルだったことは間違いない。
ここにも生産性への警鐘が潜んでいる。究極的に言うと、地球に優しくしようとすれば定住しては行けないのかも知れない。しかし、今の観光のあり方がエコロジカルかと言うと全くそうでは無いと思うが。 人口抑制をどう考えるか。現代は人口爆発と人口減少を同時に迎えているからだ。
だから交流人口という考え方が重要になる。それが観光研究の本質的な立脚点。僕の研究者としての使命はそれとランドスケープの問題とを芸術や宗教を用いて止揚することだと思う。実践家としての使命ともリンクしてくるのだが、カバーせねばならない領域が大きくて一人では無理だ。
だが、文化というのは定住することから生まれてくるというのもまた事実。定住しその場で自然現象と闘うからこそ、様々な生活の知恵や精神的な救いのための儀礼が生み出される。ストレスと闘うための娯楽も生み出される。ヒトが動物から人へと変わる証は定住にあるのだ。移動と定住の弁証法が必要だ。
恐怖と命と風景とについても想いを馳せる。 もっと勉強と黙考が必要だな。 講演する度にこちらの方が学ばせてもらっている。 毎回、何てありがたいんだと感謝。
バタイユ先生に色々と教えてもらわないといけない気がしてきた。ますます、今しなければならない勉強から外れていく...。 脳が四つぐらい欲しい。
まぁこの辺りは岩手の神楽支援の時に使える勉強だと割り切ろうか。 ♭で神楽のVJした時に来てくれた植島啓司先生とも話してみたいネタ。聖と風景。しかし、僕の方が膨大な勉強をしなければ対談にもならないので、今は実力をつける。
人を取り巻いて避けられない困難として、自然現象からの恐怖、死からの恐怖、人口増加の恐怖の3つがある(吉村1997)。
一方で人口減少への恐怖というのが日本では起こり始めているのだろう。H氏の観光への期待と問題意識はまさにそこに起因しているが、Y氏の問題意識と重なるのかどうか。 おそらくベクトルは反対だろうな。
以上、思考整理のためのツイッターの呟きから。この140字をためていけば、本になるかも知れない。そのプロセスも公開するのは現代的かも。
ある目的も持つことやあるリテラシーを持つ事で風景の見方は随分と異なる。それはどういうコスモロジーを心に抱いているのかという事と深く関わっている。現代ではそのコスモロジーが壊れているか、うまく機能していないと思うのだが。
弥生人の延長としての日本人はたかだか数千年の歴史しか無い。世界的に見てもそれ以前の旅人としての歴史の方が長く、人が移動することの必然性は昨今の観光現象にも顕著だ。生産性を追い求めていなかった狩猟時代の方が人口の抑制も効いており、エコロジカルだったことは間違いない。
ここにも生産性への警鐘が潜んでいる。究極的に言うと、地球に優しくしようとすれば定住しては行けないのかも知れない。しかし、今の観光のあり方がエコロジカルかと言うと全くそうでは無いと思うが。 人口抑制をどう考えるか。現代は人口爆発と人口減少を同時に迎えているからだ。
だから交流人口という考え方が重要になる。それが観光研究の本質的な立脚点。僕の研究者としての使命はそれとランドスケープの問題とを芸術や宗教を用いて止揚することだと思う。実践家としての使命ともリンクしてくるのだが、カバーせねばならない領域が大きくて一人では無理だ。
だが、文化というのは定住することから生まれてくるというのもまた事実。定住しその場で自然現象と闘うからこそ、様々な生活の知恵や精神的な救いのための儀礼が生み出される。ストレスと闘うための娯楽も生み出される。ヒトが動物から人へと変わる証は定住にあるのだ。移動と定住の弁証法が必要だ。
恐怖と命と風景とについても想いを馳せる。 もっと勉強と黙考が必要だな。 講演する度にこちらの方が学ばせてもらっている。 毎回、何てありがたいんだと感謝。
バタイユ先生に色々と教えてもらわないといけない気がしてきた。ますます、今しなければならない勉強から外れていく...。 脳が四つぐらい欲しい。
まぁこの辺りは岩手の神楽支援の時に使える勉強だと割り切ろうか。 ♭で神楽のVJした時に来てくれた植島啓司先生とも話してみたいネタ。聖と風景。しかし、僕の方が膨大な勉強をしなければ対談にもならないので、今は実力をつける。
人を取り巻いて避けられない困難として、自然現象からの恐怖、死からの恐怖、人口増加の恐怖の3つがある(吉村1997)。
一方で人口減少への恐怖というのが日本では起こり始めているのだろう。H氏の観光への期待と問題意識はまさにそこに起因しているが、Y氏の問題意識と重なるのかどうか。 おそらくベクトルは反対だろうな。
以上、思考整理のためのツイッターの呟きから。この140字をためていけば、本になるかも知れない。そのプロセスも公開するのは現代的かも。
土曜日の極東EX第11区工作活動の後はキネスケープ研究会。
映画の中に切り取られた風景に学び、逆に風景を映画として切り取る事で実際の風景の見え方をデザイン出来ないかという試みで僕が始めた研究会だ。
土曜日は極東EXプロジェクトの工作部隊である第11区のメンバーが集まるので、そこからも半分ほど参加したが、みんなかなり刺激を受けていたようだった。
映画製作する人々と建築や経営の学生が会った事もないので、それだけでも刺激的。
うちのアトリエでしている様々な活動にちょっとした交錯点を設ける事で、世代を超えて対話が出来る場がだんだん醸成されて行きそうな予感がする。CSCDに居た時に出来なかったことを、自分のアトリエを通じて一つづつ実践していっている。パブリックセクターで出来ることとプライベートで出来る事の違いもある。
さて本日のキネスケープ研究会の上映作品は井筒さんの「ガキ帝国」。
1981年製作だが、1967年が舞台で、当時の大阪の一面を確実に描いているように思えた。
木下ほうかが出ていたようだ。どこに居たのか分からなかったが...。彼は実は僕の従兄弟で、撮影当時は確か隣に住んでいた時だったと思う。役者としても大先輩。
第11区の学生達は半分以上理解不能な感じだったが、そこに世代による温度差を感じる。彼らに取っては1967年の大阪の空気はどこか遠い外国で起こっている戦争のようなリアリティを欠いたものなのだろう。しかし、10年前の自分が見ていたとしても同じような感想を持っていたに違いない。
知識や経験を積み重ねて行く事で、その断片から想像出来る世界や時代のムードがある。直接的に経験していなくても、かすかな経験の残り香が開く感覚というのがある。理解出来ない事をシャットアウトするのではなく、そこに対して想像力を働かせることで学べることはあるのだ。
81年の大阪と67年の大阪では万博を挟んでいるはずなので、おそらく随分と風景が違っているだろうにそれがほとんど感じられなかったのはやはり切り取り方なのだと感じる。それというランドマークも道頓堀以外ほぼ写っていなかった。
もう一つは在日コミュニティとの関わりに対して井筒監督が持っているこだわりのようなものだ。僕にとっては人ごとではないのだが、万博推進の裏側で語られなかった歴史に光が当てられている作品のように感じた。
演技的にも非常に興味深いことがいくつか発見出来る。不良の演技はリアルとそうでないものとの区別がつきにくい。実際においても不良とは演じられるものであるという事がリアルさをコーティングしているからだ。後は不良の演じ方が板についているかどうかの勝負になるのかもしれない。
後、印象的だったのはケンカの描写。全然痛そうに見えないのと、ものすごく格好悪く立ち回る。実はこれがかなりのリアリティを出している。今の日本映画やハリウッドを見慣れた世代には随分と不親切だし、刺激が少ないのだろうなとは思うが、実はそれがシュミラクルなのだと改めて感じる。
前回見た「お父さんのバックドロップ」よりも全然大阪の一部の空気を描いているのは間違いない。もちろん描かれている時代背景が違うので空気感が違うのは仕方ないが、大阪という都市やそこでの人の気質についての捉え方の差が2作品見る事で見え隠れしているような気がした。
初回で見た「秋深き」については、そういう意味では全く大阪の空気を感じなかった。舞台となる場所は大阪だが、別に大阪でなくても構わないと言うような印象。しかし「ガキ帝国」は大阪でないと成立しないような気がする。物語先行型なのか、空気先行型なのかの違いかと思う。
今の大阪にはもちろん「ガキ帝国」のような空気は無い。表面的な暴力の規制の結果、暴力が見えなくなってしまったからだ。僕の子供の頃はまだその残り香があったが、今はどうだろうか。その蓄積されたヒストリーの違いが映画へリアリティを感じるかどうかを左右する。
リアルに喧嘩の仕方を知らなくなったというのを感じる。昔の喧嘩はある種スポ―ツみたいなもので、どこを殴れば致命的にならないか、どこで止めれば安全かを知っていたが、今はどうだろうか。街中で喧嘩も見かけなくなった。社会全体が表面上は大人化しているようにも見えるが、果たしてそうなのか。
一旦喧嘩が始まると死ぬまで殴り続けると言うのは、もはや喧嘩ではない。喧嘩がメディアの向こう側に行ってしまい非日常化してしまっているので、加減が分からないのだろう。喧嘩を抑圧することで、噴出した時に本当の暴力になってしまうことが怖い。
社会の中で暴力の閾値が下がっていることは問題かもしれない。
ちょっとした事を暴力と言って抑圧する事で、本当の暴力が見えなくなってしまう事が恐ろしい。今のクレーマーやモンスターペアレンツの話にも通じる。
再び「ガキ帝国」について。
登場人物の滑舌の悪さが非常に良い。何を言っているか分からない早口で滑舌の悪いことは日常的によくあることで(特に大阪では?)、世界観や空気感を表現するために全部の台詞がクリアに聞こえる必要は無いと思う。台詞は内容を伝えるためだけにあるわけではないのだ。
後、登場人物が全員格好悪いというのが素晴らしい。逆説的だがあの格好悪さの中に格好良さがあるというのがある種の大阪的な空気を作るのだが、それが理解出来ない感性が大阪でも主流になりつつあるような気もする。格好つけていないから格好いいし、格好付けようともがくのが格好いいという矛盾。
お洒落な事が逆に格好悪いという価値観がそこに流れている。
これはひょっとするとデザインの連中には分からないかも知れない感性で、他者を意識せずなりふり構わない事の格好良さは基本的に他者を意識するデザイン行為とは相容れないかもしれない。
格好悪いことが格好いいという一週回った格好良さというのがあるような気がする。
市民権は得にくいかもしれないが、前衛とはそういうものだろう。そのバランスが重要。
映画の中に切り取られた風景に学び、逆に風景を映画として切り取る事で実際の風景の見え方をデザイン出来ないかという試みで僕が始めた研究会だ。
土曜日は極東EXプロジェクトの工作部隊である第11区のメンバーが集まるので、そこからも半分ほど参加したが、みんなかなり刺激を受けていたようだった。
映画製作する人々と建築や経営の学生が会った事もないので、それだけでも刺激的。
うちのアトリエでしている様々な活動にちょっとした交錯点を設ける事で、世代を超えて対話が出来る場がだんだん醸成されて行きそうな予感がする。CSCDに居た時に出来なかったことを、自分のアトリエを通じて一つづつ実践していっている。パブリックセクターで出来ることとプライベートで出来る事の違いもある。
さて本日のキネスケープ研究会の上映作品は井筒さんの「ガキ帝国」。
1981年製作だが、1967年が舞台で、当時の大阪の一面を確実に描いているように思えた。
木下ほうかが出ていたようだ。どこに居たのか分からなかったが...。彼は実は僕の従兄弟で、撮影当時は確か隣に住んでいた時だったと思う。役者としても大先輩。
第11区の学生達は半分以上理解不能な感じだったが、そこに世代による温度差を感じる。彼らに取っては1967年の大阪の空気はどこか遠い外国で起こっている戦争のようなリアリティを欠いたものなのだろう。しかし、10年前の自分が見ていたとしても同じような感想を持っていたに違いない。
知識や経験を積み重ねて行く事で、その断片から想像出来る世界や時代のムードがある。直接的に経験していなくても、かすかな経験の残り香が開く感覚というのがある。理解出来ない事をシャットアウトするのではなく、そこに対して想像力を働かせることで学べることはあるのだ。
81年の大阪と67年の大阪では万博を挟んでいるはずなので、おそらく随分と風景が違っているだろうにそれがほとんど感じられなかったのはやはり切り取り方なのだと感じる。それというランドマークも道頓堀以外ほぼ写っていなかった。
もう一つは在日コミュニティとの関わりに対して井筒監督が持っているこだわりのようなものだ。僕にとっては人ごとではないのだが、万博推進の裏側で語られなかった歴史に光が当てられている作品のように感じた。
演技的にも非常に興味深いことがいくつか発見出来る。不良の演技はリアルとそうでないものとの区別がつきにくい。実際においても不良とは演じられるものであるという事がリアルさをコーティングしているからだ。後は不良の演じ方が板についているかどうかの勝負になるのかもしれない。
後、印象的だったのはケンカの描写。全然痛そうに見えないのと、ものすごく格好悪く立ち回る。実はこれがかなりのリアリティを出している。今の日本映画やハリウッドを見慣れた世代には随分と不親切だし、刺激が少ないのだろうなとは思うが、実はそれがシュミラクルなのだと改めて感じる。
前回見た「お父さんのバックドロップ」よりも全然大阪の一部の空気を描いているのは間違いない。もちろん描かれている時代背景が違うので空気感が違うのは仕方ないが、大阪という都市やそこでの人の気質についての捉え方の差が2作品見る事で見え隠れしているような気がした。
初回で見た「秋深き」については、そういう意味では全く大阪の空気を感じなかった。舞台となる場所は大阪だが、別に大阪でなくても構わないと言うような印象。しかし「ガキ帝国」は大阪でないと成立しないような気がする。物語先行型なのか、空気先行型なのかの違いかと思う。
今の大阪にはもちろん「ガキ帝国」のような空気は無い。表面的な暴力の規制の結果、暴力が見えなくなってしまったからだ。僕の子供の頃はまだその残り香があったが、今はどうだろうか。その蓄積されたヒストリーの違いが映画へリアリティを感じるかどうかを左右する。
リアルに喧嘩の仕方を知らなくなったというのを感じる。昔の喧嘩はある種スポ―ツみたいなもので、どこを殴れば致命的にならないか、どこで止めれば安全かを知っていたが、今はどうだろうか。街中で喧嘩も見かけなくなった。社会全体が表面上は大人化しているようにも見えるが、果たしてそうなのか。
一旦喧嘩が始まると死ぬまで殴り続けると言うのは、もはや喧嘩ではない。喧嘩がメディアの向こう側に行ってしまい非日常化してしまっているので、加減が分からないのだろう。喧嘩を抑圧することで、噴出した時に本当の暴力になってしまうことが怖い。
社会の中で暴力の閾値が下がっていることは問題かもしれない。
ちょっとした事を暴力と言って抑圧する事で、本当の暴力が見えなくなってしまう事が恐ろしい。今のクレーマーやモンスターペアレンツの話にも通じる。
再び「ガキ帝国」について。
登場人物の滑舌の悪さが非常に良い。何を言っているか分からない早口で滑舌の悪いことは日常的によくあることで(特に大阪では?)、世界観や空気感を表現するために全部の台詞がクリアに聞こえる必要は無いと思う。台詞は内容を伝えるためだけにあるわけではないのだ。
後、登場人物が全員格好悪いというのが素晴らしい。逆説的だがあの格好悪さの中に格好良さがあるというのがある種の大阪的な空気を作るのだが、それが理解出来ない感性が大阪でも主流になりつつあるような気もする。格好つけていないから格好いいし、格好付けようともがくのが格好いいという矛盾。
お洒落な事が逆に格好悪いという価値観がそこに流れている。
これはひょっとするとデザインの連中には分からないかも知れない感性で、他者を意識せずなりふり構わない事の格好良さは基本的に他者を意識するデザイン行為とは相容れないかもしれない。
格好悪いことが格好いいという一週回った格好良さというのがあるような気がする。
市民権は得にくいかもしれないが、前衛とはそういうものだろう。そのバランスが重要。

今日は劇団維新派の皆さんにプレゼン。
風景論と絡めて次回公演の「風景画」について語り合う。
維新派の次回公演は犬島の入江にて干潮時のみの上演。
今日の話が作品づくりに少しでも何かの刺激になればと思う。
普段は僕のアトリエ♭を稽古場として利用されているが、♭は稽古場としてもトークイベント会場としてもギャラリーとしても使える。いつもの稽古場の感じとは少し空気が違う感じ。
まずは雄吉さんから犬島の次の公演になる東京池袋の説明。同じ演目をビルの屋上でされるらしく屋上から見える風景がそのまま舞台となる。まさに風景画。
池袋での公演面白そう。犬島と同じ内容なのだが、背景が変わればおそらく風景が変わるはずだ。是非役者としても参加したかったが。

維新派への講演終了後に祐吉さんや俳優たちを交えてかなり面白いディスカッションが出来た。
次回の「風景画」では稽古場で芝居を作る時間を重視されていて、その生産プロセスに自分が関わる事になるとは想像すらもしていなかったが、俳優陣にも刺激になったようで良かった。松本さんもかなり刺激を受けていたようで作品づくりに反映するかと。
終わってから俳優が集まって質問してきた内容からも作品づくりに主体的に関わる姿が見える。脚本があってそれを演じるのではなく、芝居の主体的な作り手になる意識があるからこそ、僕の今日の講演も響くのだろう。俳優とデザイナーとアーティストのクロスオーバーに居る自分としては本望な時間を持てた。
雄吉さんも俳優も今回公演のために風景について良く勉強しているようで、風景についての質問も飛んでくる。今日は物語をキーワードに宗教と芸術と風景の話へと膨らませた。特に演劇なので身体と風景については関心が深い。CSCDで志賀玲子さんと一緒にしていた身体と環境を巡るワークショップの話も少し触れながら話した。
今日の話を受けて、犬島の風景がどう異化されるのか。また池袋の街の風景がどう異化されるのか。僕は自分のプレゼンを通じて、俳優や演出家のまなざしを異化することで、間接的に風景をデザインしている。もはやランドスケープデザイナーの仕事では無いのかも知れないが、そんなこと構うまい。
松本雄吉さんも反応していたが、「現代アートの森」でやったインスタレーションの"ニテヒナル"が玄人受けが良い自分の作品。 森に造花を仕込んでいくという単純な発想の作品だが、実はメッセージとして深いものがあるのを読み取ってくれる。話のわかる人相手にはあれだけで一時間は話せる。
松本雄吉さんも言っていたが、やはり農学部出身の表現者は珍しいらしい。修士も農学生命科学科だし、昔から生命や命には並々ならぬ関心があったのは事実だが、最近までさほど意識したこともなく、むしろ逃れようとしていたのだが。
今は誇りに思っている。宮沢賢治にも感謝。
本日一番学んだのは、物語の外側を巡る議論の最中だ。 フラーの言葉を出して「環境」と「宇宙」の違いは"私"を含むかどうかの違いだと説明したが、その私が物語として風景を見て、物語として生きるという話をしていた時に気づいたことがたくさんある。もう少し整理が必要だが何か掴めそうだ。
雄吉さんの芝居を作るプロセスの話も興味深い。もはや芝居の中身よりも、作る手法論に創造性がシフトしつつあるのかも知れないとここでも感じた。問題はそれが実際の公演でどう表現されるか。そのプロセスに内部から関われるのはとても勉強になる。
風景異化の話を楽園論とセットで語ろうと思ったのは今日初めて試して見たこと。前回の研究会で得た事が少し効いている。もうちょっと勉強と消化が必要だ。うまく整理出来たら、来年の阪大の建築学科の講義で話そう。
少しだけ語ると、ある場所が聖性や楽園性を帯びることに通じているという視点。 あんまり考え込めていないことは小出しにするべきではないが、今やまとまってから本にするという時代でも無かろう。プロセスを見せる事の方が重要だと割り切る。
維新派の舞台で犬島は聖性を帯びるのかどうか。 今日のディスカッションでは「風景が私を愛する」というテーマについて考えれたのは自分にとって得た事。維新派は犬島の入江に関心があるかも知れないが、犬島の入江は維新派に関心が無い。そこを何が乗り越えさせるのかがポイントだ。
次回の犬島とその次の池袋の維新派の公演にご招待されたので是非、成果を見守りつつ、しかと見極めたい。

本日の講演の元ネタになった風景論の数々。みんな興味深そうに手にとっていた。これも自分のアトリエでする講演だからできる技。
前回、松本祐吉さんにはイーフートゥアンの「空間の経験」をプレゼントした。
僕もかなり影響を受けている一冊。
いよいよ脳がパンクしそうになってきたが、旅と観光、風景異化、楽園と聖地、演劇と身体、映画とイメージ、場所愛、演技と公共、アートとデザイン、創造と都市...。これら全てを同時に処理せねばならない立位置になってきたことをどう受け止めるか。逃げるか踏みとどまるか。引き裂かれそうだ。
今日の講演も本当は松本雄吉さんと僕との対談にして、USTREAMで流せば良かった。風景と演劇と表現を巡ってかなり面白い議論になっていたのに。こんな時に♭に技術的に手伝ってくれる人が居ればと感じる。

うちのアトリエで7月から稽古されている劇団維新派さんの次回公演の案内です。
実は主宰の松本雄吉さんはご近所さんで、共通の知人も非常に多い。
次回公演は瀬戸内海の犬島で、何と干潮時の入江でするということなので非常に興味深い。
タイトルも「風景画」という事なので、僕も維新派の皆さんに自作と風景についての講義を少しすることになった。
「大阪の東、世界の極東」の緑橋周辺もなかなか盛り上がってきそうだ。
『風景画-岡山・犬島』 公演
維新派は、今年2011年から「風景画」シリーズを開始いたします。
維新派はこれまで、野外に仮設の劇場を建て、膨大な量の美術装置を使い公演してきましたが、「風景画」では、大がかりな劇場や装置は作らず、俳優の身体のみで深く風景にかかわることをテーマにします。
「風景画」の最初の舞台となるのは、犬島の、現在は使われることのなくなった入り江です。潮が引いた干潮時にのみ姿を現す、泥状の海底を舞台とし、昼間の自然光のもとで行います。
【日程】
2011年9月23日(金祝)12:09 開演
24日(土)13:19 開演
25日(日)14:16 開演
開場=開演の60分前
【会場】
犬島・中の谷入江(岡山市東区犬島/犬島港から徒歩3分)
【料金】 (各日指定/全席自由/前売当日共通/税込)
一般3,000円 高校生以下1,000円
※各日定数に達し次第、販売を締め切ります。
※高校生以下は当日受付にて学生証の提示が必要です。
※未就学児のご入場はご遠慮ください。
※雨天決行(台風など荒天の場合は中止)ですので、雨合羽などを準備の上ご来場ください。
【チケット発売】 7月9日(土)
【チケット取扱い】
・ぎんざや=TEL086-222-3244
・岡山シンフォニーホールチケットセンター=TEL086-234-2010
・犬島 海の劇場 岡山事務局(NPO法人アートファーム)=http://www.artfarm.or.jp/25th/
チケットの販売は、発売日以降に上記のプレイガイドで直接ご購入いただくか、岡山事務局のウェブサイトよりご予約ください。
折り返し、郵便振替用紙(通常払込・文書振替)でのチケット購入手続について、ご案内させていただきます。
維新派ではチケットの取り扱いはございません
【交通アクセス】
<陸上交通>
JR岡山駅と宝伝を結ぶ無料シャトルバスを運行します。
往路=林原モータープール発9:00(集合8:45)⇒ 宝伝着9:45
復路= 9月23日宝伝発16:45 ⇒ 林原モータープール着17:30
9月24日宝伝発17:45 ⇒ 林原モータープール着18:30
9月25日宝伝発17:45 ⇒ 林原モータープール着18:30
※乗車の際には公演チケットをご提示ください。本券で無料シャトルバスにご乗車いただけます。
公共交通機関をご利用の方は、こちらをご覧ください。
http://www.artfarm.or.jp/25th/detail/ishinha.html
<海上交通>
定期連絡船 : 宝伝港と犬島港を結ぶ連絡船・あけぼの丸が運航します。所要時間約10分
往路=10:00、11:00、13:00、13:45
復路=14:00、15:35、16:15、17:15
※宝伝港⇔犬島港は乗船料(片路300円)が必要となります。
【犬島マナー】
◇自分の出したゴミは、必ず持ち帰ろう。
◇民家の庭先に入らない。雑木林に立ち入るのも危険。
◇島の人々と笑顔のあいさつ。忘れないで。
◇船便に限りあり。乗船時間を事前に要チェック。
主催=財団法人福武教育文化振興財団、特定非営利活動法人アートファーム、維新派
共催=財団法人直島福武美術館財団
助成=平成23年度文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)
後援=岡山県、岡山県教育委員会、岡山市、岡山市教育委員会、山陽新聞社、朝日新聞岡山総局
読売新聞岡山支局、毎日新聞岡山支局、産経新聞岡山支局、日本経済新聞社岡山支局
岡山日日新聞新社、NHK岡山放送局、RSK山陽放送、OHK岡山放送、TSCテレビせとうち
RNC西日本放送、KSB瀬戸内海放送、oniビジョン、エフエム岡山、レディオモモ(順不同)
【お問い合わせ】
犬島 海の劇場 岡山事務局
NPO法人アートファーム内
〒700-0823 岡山市北区丸の内1-1-5 栗山ビル404
TEL=086-233-5175 FAX=086-239-5895
URL= http://www.artfarm.or.jp/25th/
E-mail = info@artfarm.or.jp
維新派ではチケットの取り扱いはございません

総合プロデューサーで関わらせていただいた「こうべイクメン学級会」が終了した。
その前日が堺ツイッターサミットで、こちらも何やらプレゼンが盛況だったようなので、気を良くして会場入りをした。
昨年度は藤井実行委員長のリードのもと三宮センター街で展示と認定式をした。
ハナムラはロゴデザインやTシャツ展示などの全体のコンセプトメイキングとアートディレクションを担当したが、本年度は実行委員を外れて総合プロデューサーとして外から応援をした。
まぁ僕自身は神戸住民でも子供が居るわけでも無い旅人なので、実行委員メンバーに居るのは何となく違うと感じていたが、今回はちゃんと位置づけていただいたので、堂々と関わる事が可能になった。
今回は3つのプログラムを行った。
一つは昨年と同じ、イクメンのエピソード展示と認定式。
今年は子供用のチビTシャツにエピソードを入れて100枚展示した。


二つ目は子供たちによる給食作り。
大人達が会話に興じている間に、いつもはご飯を作ってもらっている子供からイクメンやお母さんたちへカレーを振る舞うという逆転企画。


三つ目が、僕が考案及びデザインした「ミライスゴロク」のワークショップ。
これがメインだが、実は2007年に中越復興市民会議で行った「フッコウスゴロク」が元になっている。
あの時に考案したのは、もうちょっとシンプルな形だったが、今回は本格的なコミュニケーションデザインツールとしてリ・デザインし直した。
全体デザインや構図はハナムラが担当し、作画は吉田徹が。
我々のユニット「極東EX第7区」の作品。

それで、僕の場合はいつもフレームやコンセプトの構築と同時、コンテンツやデザインなどの中身セットで作る事にしているので、スゴロクを用いたコミュニケーションデザインワークショップのファシリテーターとしても前に出て行った。
しかし普通にしても面白くないと思ってしまいいつものごとく、しなくても良いようなことを思いついてしまった。
それは「無言ファシリテーション」。
2時間半に渡るワークショップを一切言葉を発せずに行うと言う無謀なチャレンジを行った。
自分の役者文脈として前々から言葉を使わない身体表現の可能性を試してみたいと思って居たのだが、ここで試す格好のチャンス。
しかし思いついたのは2日前なので、いつものごとくあわてふためきながら準備をする。
無声劇風やマイム風に進めたいと考えていたので、そうなれば衣装は当然これだろうということで、燕尾服にシルクハットに手袋。
イメージとしては「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカーとチャップリン。
注意を喚起するのにベルを鳴らして、プロジェクターで文字として会話する。


各テーブルのファシリテーターが居てくれるので出来る技。
皆さんに感謝。
さて肝心のワークショップの中身は、イクメンとして「ふさわしい行動」と「ふさわしくない行動」を考えてコマにしてもらい、それを最後は女性に点数として評価してもらうという内容。
実はこの「ミライスゴロク」は結構考えていて、イクメン以外でも様々なコミュニケーションに使える。
例えばまちづくりや、会社の経営などで色んな意見を引き出すのに使う事が出来るのだ。
CSCDに居る時に考案したこのメソッド、ここで役に立ててやった。


会場は終止笑いに包まれた中、進んで行ったがそこに無言ファシリテーションが利いていたように思える。
こちらが無言で接すると、実は相手も無言で身振り手振りでコミニケーションを取ろうとしてくるのが非常に面白い。
言葉を交わすからといってコミュニケーションが起こるのではなく、むしろ言葉を奪う事で違った形のコミュニケーションが生まれるのは風景異化の考え方に近い。
最後は発表してもらい、大団円として終了した。


いくつかテレビ局や新聞が来ていたが最後はケーブルテレビのインタビュー。
かなり異様な風景になっているような....。

参加者や主催者はじめ色んな方がレポートしておられる。
参加者のブログ
http://ameblo.jp/babyrun/entry-10934578326.html#main
主催者のブログ
http://kobe-ikumen.seesaa.net/
しかし、同世代の建築家やデザイナーなどに比べて、何と節操のない事をしているのかと自分でも感じるのだが.....。
しかしオリジナリティはあるかもと言い聞かせて慰める事にしている。


僕が総合プロデューサーを務めるこうべイクメン大賞2011「こうべイクメン学級会」の開催まであと少しになりました。
今年の6月19日父の日は三宮センター街を飛び出して神戸長田区の二葉小学校でやります。
昭和に建てられた旧い小学校で、育児について考える日に出来ればと思います。
昨年と同じ、100人のイクメンエピソード展示に加えて、今年はイクメンって一体なんだろうと言うことを考えるワークショップを行います。
題して「ミライスゴロク こうべイクメン版」
これは僕が2007年に中越復興市民会議の時に開発したコミュニケーションデザインツール「フッコウスゴロク」が元になっていて、さらにそれを押し進めた形でデザインしたものです。
イクメンについてディスカッションのみならず、あらゆる局面での会議ツールとして使えるものを目指して開発しました。
ミライスゴロクはハナムラチカヒロとアニメーターの吉田徹がコラボしているユニット「極東EX 第7区」がデザインしたものです。
そのキャラクターの一部をここで公開します。
未来での職業と子どもとの関わりをイメージしてデザインしました。


神戸はユネスコデザイン都市に選ばれていることもあり、これからデザインに力を入れて行こうとしている都市。
しかし本当の意味でのデザインは色や形の話だけではなく、いかにして次の社会や未来やコミュニケーションをデザインしていけるのかという本質的なところにまで立ち入ってゆかねばならないと思っています。
そういったことを一緒に考える時間を持てれば幸いです。
イクメン学級会の参加にはまだ余裕がありますので、是非ご参加いただければと思います。
『こうべイクメン学級会』
■日時
2011年6月19日(日)10:00~14:00(9:30より受付)
■場所
神戸市立地域人材支援センター(長田 旧二葉小学校) 下記の地図をご参照ください
■対象者
子育てに関わるすべての男性(=イクメン)やお母さんとお子さん
■募集内容
子育てにかかわる50人のおとなたちが『イクメンスゴロク』をつくりながら、『イクメンが当たり前の社会』について語り合います。その間、こどもたちは給食づくりを通して調理体験をしていただきます。できあがった給食は会場でご家族で一緒に食べていただきます。調理は、現役の給食調理師が指導します。
●主催者あいさつのあと学級会と給食づくりにわかれます(10分)
●総合プロデューサー 花村周寛氏によるイクメンスゴロクの説明(20分)
●【おとな向けワークショップ】講堂でイクメンスゴロクづくり。(120分)
●【こども向け調理体験】調理室で給食づくり(120分)
●食事(60分)
●こうべイクメン大賞 認定式(20分)
■参加費
大人1人こども1人で¥1,000-(追加の参加は大人¥300-、こども¥200-)
※大人のみの参加 1人 ¥800-(食事代込み)
※参加費の一部は東日本大震災の義援金として寄付します
当日こうべイクメン学級会に参加いただいた方には王子動物園無料入園券付の参加証証を差し上げます
無料入園期間:2011年6月19日から2011年6月26日まで
※入園時に参加証を提示してください。無料入園は期間中1回限りです
しめきり
5月8日から先着順 学級会参加者が50名に達し次第しめきります
■応募方法
http://www.kobeikumen.com/event.html
■受付発表
随時受付完了をお知らせします
※ここに掲載されているイラストは「極東EX第7区」の著作です。無断で転載や使用されないように堅くお願い申し上げます。

プロジェクトメンバ−募集
大学コンソーシアム大阪で行われているプロジェクト型インターンシップという課外プログラムがある。
大学のキャリア教育活動の一環で行われているのだが、大阪の3つの地域―キタ/ミナミ/アベノの活性化を学生が提案するというPBL(problem based learning)である。
これのミナミの活性化についてお手伝いする事になった。
テーマはミナミが育んだ「上方文化と上方芸能」。
僕が入る前からテーマは決まっていたので、それを僕としてはどう捉えるかという事なのだが、役者をやっている関係上、上方芸能には少なからず関心があるし、今回は上方芸能の研究者である大阪樟蔭女子大学の森西先生が代表コーディネーターをされているということもあり、色々と勉強出来そうだ。
後は、トリイホールの鳥居社長なども法善寺横町のあたりのまちの活性化を考えておられていて、ご挨拶したが想いをかなり強く持っておられる方だ。
さぁ、ここで一体何をするか。
もちろん僕がコーディネーターで入るからには普通の事はしたくはないと考えているが、やってくる学生がどういうモチベーションかによる。
むろん上方文化や上方芸能を伝統的なものだけで捉えるつもりは毛頭ない。
文化と言うのは一つの時代で止められたものではなく、連綿と今も続き、そして今のリアリティの中で提案されたものが次の時代の文化を作って行くと思うからだ。
だから今、僕たちが面白いと思うものの中に次の答えがあると信じている。
そんなことをしていきたい。
エクソダスも含めて色々と自分の手持ちの作品や技が増えて来たので、それらを活用しても面白いコトが出来そうだ。
大学コンソーシアム大阪に所属している学生から優先的にこのプログラムを取る事が出来るが、もし集まらなければ他大学の学生も参加することが出来るようだ。
キタは大阪大学の参加が多いようだが、もちろんミナミ参加してくれたも構わない。
詳しくはウェブサイトに掲載されているので是非、僕と一緒に面白いコトをミナミで提案したいという学生は参加していただければと思う。
締め切りは平成23年6月24日(金)。
http://www.consortium-osaka.gr.jp/univ/project3.html
【募集要項】
対象者:
大学コンソーシアム大阪加盟45大学在籍学生・全学年(院生も可)及び母国語の他に日本語ができる留学生。
※但し、募集定員割れになった場合、会員大学以外からの出願も受付します。
定員:10〜20名程度 ※出願学生が10名に満たない場合は中止になる可能性があります。
参加費:無料
※但し、プロジェクト参加時の交通費及び食事代等は基本的に自己負担。
また、パソコン等の機器の貸出はできませんので、個別でご用意ください。
申込方法:
出願票に必要事項を記入し、在籍大学のインターンシップ担当窓口まで提出してください。
出願締切:平成23年6月24日(金)
※但し、大学によっては独自の締切日を設けている場合がありますので、必ず、在籍大学のインターンシップ担当窓口に確認してください。
面接:
【日時】平成23年7月9日(土)18:00〜20:00
【場所】キャンパスポート大阪(大阪駅前第2ビル4階 西側)
今週末に堺ツイッタ―サミットとかいうイベントにパネラーで登壇します。
関西ウォーカーとのコラボ企画のようです。
堺は少なからずご縁のあるところなので、何か面白い話へとつなげられればと。
場所も面白いところのようなので、ご興味お持ちの方は是非お越し下さい。
本日まで申し込みやってます!
堺市Twitterサミット
日時2011年06月18日(17:30開場、18:00スタート)
開催場所ホテル リバティプラザ 10Fプラチナルーム(大阪府堺市堺区翁橋1-1-17)
参加費1,000円(税込)
定員100人(先着順)
申し込み開始2011年05月28日 10時00分から
申し込み終了2011年06月15日 18時00分まで
主催
堺市ウォーカー編集部(角川マーケティング・関西ウォーカー編集部)、デリートエンターテイメント
堺の最新情報盛りだくさんの地元情報誌の第4弾となる「堺市ウォーカー2011」の発売を記念して、地元堺を舞台に、堺市の魅力あるコンテンツをどう世界へ発信していくかを語り合うトークイベントを6/18(土)に開催します!
メインMCに植村茂浩さんを迎え、豪華パネラー陣が堺の魅力を語り、幕間にはお笑いライブも開催されるなど、堺市盛りだくさんの3時間です!
★第一部は、6月17日に発売される「堺市ウォーカー2011」とも連動した企画「堺市の魅力再発見!」。
バラエティ豊かなパネラー陣によるトークで、新しい堺の魅力に出会えます。
①ラーメンと鉄道を愛する鉄道アーティスト小倉沙耶さん(ブログ「小倉沙耶のやわやわ日和」http://kokurasaya.blog111.fc2.com/)による「祝・開通100周年!阪堺電車の現在・過去・未来」
②講談師旭堂南陽さん(公式ウェブサイトhttp://kyokudounanyou.zouri.jp/)による「堺で観られる寄席」トーク
③カリスマ工場写真家小林哲郎さん(ブログ「工場ディスカバリー」http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50025915.html)による「堺の工場夜景の魅力」
④サッカージャーナリスト永田惇さん(http://ameblo.jp/j-nagata/)による「『J-GREEN』開設1周年~堺とサッカー幸せな関係」
★第二部は、堺市の魅力をソーシャルネットワークを活用していかに内外に発信していくかを語り合う「ソーシャルネットワーク社会が開く堺の未来を語ろう」。
第一部のパネラー陣に加え、映画監督・細川博司さん、ホテルリバティプラザ代表取締役・西尾佳三さん、関西ウォーカー編集長・玉置泰紀ほか、堺の現状やソーシャルネットワークに精通した豪華メンバーによりトークが繰り広げられます。
★幕間では、エンターテイメント企画「堺Twitterサミットお笑いライブ」も。
お笑いライブのMCは旭陽南陽さんが担当し、R-1グランプリの準決勝進出者の森プロジェクトら多彩な芸人がコントや漫才を披露。
【出演者(予定)】
MC:植村茂浩(ピン芸人・松竹芸能)
小倉沙耶(鉄道アーティスト)
小林哲朗(フォトグラファー)
旭堂南陽(講談師)
永田惇(サッカージャーナリスト)
細川博司(劇団主宰者、映画監督)
ハナムラチカヒロ(アーティスト/俳優/大阪府立大学21世紀科学研究機構)
西尾佳三(ホテルリバティプラザ代表取締役社長)
森プロジェクト
ぎんがてつどう
福人
コテンパン
大フェスティボーン
霜降り明星
ハイブリッド
玉置泰紀(関西ウォーカー編集長)
関西ウォーカーとのコラボ企画のようです。
堺は少なからずご縁のあるところなので、何か面白い話へとつなげられればと。
場所も面白いところのようなので、ご興味お持ちの方は是非お越し下さい。
本日まで申し込みやってます!
堺市Twitterサミット
日時2011年06月18日(17:30開場、18:00スタート)
開催場所ホテル リバティプラザ 10Fプラチナルーム(大阪府堺市堺区翁橋1-1-17)
参加費1,000円(税込)
定員100人(先着順)
申し込み開始2011年05月28日 10時00分から
申し込み終了2011年06月15日 18時00分まで
主催
堺市ウォーカー編集部(角川マーケティング・関西ウォーカー編集部)、デリートエンターテイメント
堺の最新情報盛りだくさんの地元情報誌の第4弾となる「堺市ウォーカー2011」の発売を記念して、地元堺を舞台に、堺市の魅力あるコンテンツをどう世界へ発信していくかを語り合うトークイベントを6/18(土)に開催します!
メインMCに植村茂浩さんを迎え、豪華パネラー陣が堺の魅力を語り、幕間にはお笑いライブも開催されるなど、堺市盛りだくさんの3時間です!
★第一部は、6月17日に発売される「堺市ウォーカー2011」とも連動した企画「堺市の魅力再発見!」。
バラエティ豊かなパネラー陣によるトークで、新しい堺の魅力に出会えます。
①ラーメンと鉄道を愛する鉄道アーティスト小倉沙耶さん(ブログ「小倉沙耶のやわやわ日和」http://kokurasaya.blog111.fc2.com/)による「祝・開通100周年!阪堺電車の現在・過去・未来」
②講談師旭堂南陽さん(公式ウェブサイトhttp://kyokudounanyou.zouri.jp/)による「堺で観られる寄席」トーク
③カリスマ工場写真家小林哲郎さん(ブログ「工場ディスカバリー」http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50025915.html)による「堺の工場夜景の魅力」
④サッカージャーナリスト永田惇さん(http://ameblo.jp/j-nagata/)による「『J-GREEN』開設1周年~堺とサッカー幸せな関係」
★第二部は、堺市の魅力をソーシャルネットワークを活用していかに内外に発信していくかを語り合う「ソーシャルネットワーク社会が開く堺の未来を語ろう」。
第一部のパネラー陣に加え、映画監督・細川博司さん、ホテルリバティプラザ代表取締役・西尾佳三さん、関西ウォーカー編集長・玉置泰紀ほか、堺の現状やソーシャルネットワークに精通した豪華メンバーによりトークが繰り広げられます。
★幕間では、エンターテイメント企画「堺Twitterサミットお笑いライブ」も。
お笑いライブのMCは旭陽南陽さんが担当し、R-1グランプリの準決勝進出者の森プロジェクトら多彩な芸人がコントや漫才を披露。
【出演者(予定)】
MC:植村茂浩(ピン芸人・松竹芸能)
小倉沙耶(鉄道アーティスト)
小林哲朗(フォトグラファー)
旭堂南陽(講談師)
永田惇(サッカージャーナリスト)
細川博司(劇団主宰者、映画監督)
ハナムラチカヒロ(アーティスト/俳優/大阪府立大学21世紀科学研究機構)
西尾佳三(ホテルリバティプラザ代表取締役社長)
森プロジェクト
ぎんがてつどう
福人
コテンパン
大フェスティボーン
霜降り明星
ハイブリッド
玉置泰紀(関西ウォーカー編集長)

「先進技術とビジネス研究会」というところで講演をしてきた。
京都大学の関係で出来た研究会のようだが、企業の方々が半分、大学の方々が半分は行って半年に一度ほど行われている研究会のようで、これまでに10回ほど行われているようだ。
主に先進技術を持ちいたイノベーション系の方々がこられるのだが、なぜかこういところに呼ばれて講演することになるのは不思議だ。
風景異化のような事をしていると、きっと行き詰まったことに対して違った角度から考えるので、参考になるのだろうか。
とにかく終了後たくさんの方々が来られてお褒めの言葉をいただいた。
僕としては京都工芸繊維大学の佐藤先生の色彩の話が面白かったのと、会場の関西セミナーハウス横の曼殊院の建物/仏像/庭園が素晴らしく良く出来ていたので大満足。
これでしばらく講演は無いかと思っていたら、今度は7月に大学コンソーシアム大阪で話をせねばならない。
しばらくは今のメディアランドスケープデザインの話をするが、もう少し考えを進めて風景異化学の話へとスケールを上げたい。


今週金曜日は京都の曼殊院というところで行われる「先進技術とビジネス研究会」というところで講演します。
僕以外には京都工芸繊維大学の佐藤教授という方が「色空間の科学」というお話をされるようです。
その後には討論会もあり、今から楽しみ。
風景異化学とかしていると、最近はこういったイノベーション関連の方々からお声がけ頂けることが多く感謝の日々です。
日常を違った視点から捉えることについて少しでも評価の声が消えると勇気をもらえます。
もしご興味をお持ちの方は是非ご参加下さい。
先進技術とビジネス 研究会 スケジュール
(研究会) 受付(関西セミナーハウス、大会議室前)
受付 13:00~13:30
曼殊院見学 13:30~14:10
代表挨拶14:20~14:30
講演&討論1 14:30~15:30
メディアランドスケープデザイン ~風景をずらすことで起る変革~
アーティスト/ランドスケープデザイナー 花村 周寛 氏
講演&討論II15:40~16:40
色空間の科学 ~自然・(ヒト/モノ/トキ)・世界の色彩~
京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 教授 佐藤 哲也 氏 3総合討論16:40~17:10
(懇親会) 関西セミナーハウス(アゴラホール)17:20~19:00
**********************お茶会など、希望者のみ別途実施********************
(お茶会&昼食・・・希望者のみ)
1.茶室にてお茶会(1,000 円)11:30~12:10 2.昼食(1,200 円)12:00~13:00
*セミナーハウス内にてお茶会を実施致します。 希望者は 高田まで(090-8755-1504 or E-mail)にてご連絡ください。
*関西セミナーにてお食事を希望される方は同じくご連絡ください。(通常は休業です) 尚、セミナー内に軽食などのお持ち込みも可能です。飲料は比叡山からのお水をどうぞ。

僕以外には京都工芸繊維大学の佐藤教授という方が「色空間の科学」というお話をされるようです。
その後には討論会もあり、今から楽しみ。
風景異化学とかしていると、最近はこういったイノベーション関連の方々からお声がけ頂けることが多く感謝の日々です。
日常を違った視点から捉えることについて少しでも評価の声が消えると勇気をもらえます。
もしご興味をお持ちの方は是非ご参加下さい。
先進技術とビジネス 研究会 スケジュール
(研究会) 受付(関西セミナーハウス、大会議室前)
受付 13:00~13:30
曼殊院見学 13:30~14:10
代表挨拶14:20~14:30
講演&討論1 14:30~15:30
メディアランドスケープデザイン ~風景をずらすことで起る変革~
アーティスト/ランドスケープデザイナー 花村 周寛 氏
講演&討論II15:40~16:40
色空間の科学 ~自然・(ヒト/モノ/トキ)・世界の色彩~
京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 教授 佐藤 哲也 氏 3総合討論16:40~17:10
(懇親会) 関西セミナーハウス(アゴラホール)17:20~19:00
**********************お茶会など、希望者のみ別途実施********************
(お茶会&昼食・・・希望者のみ)
1.茶室にてお茶会(1,000 円)11:30~12:10 2.昼食(1,200 円)12:00~13:00
*セミナーハウス内にてお茶会を実施致します。 希望者は 高田まで(090-8755-1504 or E-mail)にてご連絡ください。
*関西セミナーにてお食事を希望される方は同じくご連絡ください。(通常は休業です) 尚、セミナー内に軽食などのお持ち込みも可能です。飲料は比叡山からのお水をどうぞ。

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私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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