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私的風景の電脳記録
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2015年を振り返って

2015年を少し振り返る。
今年は1月4日にオリックス劇場に出させて頂いた「ファウストの恋人」からスタートした。
昨年の年末年始はずっと稽古だった記憶がある。出演者及び関係者の方々には本当にお世話になりっぱなしだったが、あっと言う間に舞台が終わって、まるで夢のように過ぎ去っていった。
役者仕事としては、自分のアトリエのフラットで撮影した浦山監督の「株式会社恋文印刷所」を各所で上映して頂いた。

9月に韓国の済州島で、ダンサーやミュージシャン、現代アーティスト達と一緒に「Trace」という舞台作品を作った。こちらは役者と美術の両方を同時にするという試みで、コンセプトメイキングから材料調達までの全てを現地に入ってから2日間で行った。
現地で何を感じて、どういう風景を見たのかということと自分の表現が接続されるとリアルなものになるという手応えを得た。

そういう意味では、2013年に訪れて同じように現地で全て組み立てた「ベンガルの赤い蛇」もそうだが、8月末から9月頭には再度現地を訪れて、プロジェクトの続きを行い、11月にそのときのドキュメンタリー映像をアトリエで上映した。
2年前に僕が作品を作ったことがきっかけで、現地政府が動いて問題が解決した上に、国会議員へプレゼンテーションできる機会を得たが、国家プロジェクトへつなげるべく継続的に現地のディレクターを連絡を取りながら進める。

講演は奈良のロータリーから始まり、筑波大学のホスピタルアート、江之子島文化芸術創造センター、ファンドレイジングジャパンや、堺環づくり、りそなのシンポジウム、交友懇話会、CCC第3の道、関西ソーシャルアート会議、郷土芸能ストリーム、ソウル童話祝祭、新潟の水と土の芸術祭など含めて今年も各所でさせて頂いた。特に新潟では、「まなざしのデザインゼミ」として出張ゼミの実験をさせて頂いた。今後、大学以外の場所でもゼミや教育の機会を持ちたいと前々から考えていたが、少しずつ可能性を探っている。

学術的なアクティビティとしては広島大学の感性COIプロジェクトで何度か登壇させていただき、情報工学系や機械系、脳科学系の方々とディスカッションさせて頂いた。今年はわりと脳科学の研究者にご縁があったが、もうちょっとこの領域については詳しくなりたい。
調査としてはこれまでの聖地の調査を継続。特に密教を中心に、高野山、弥山と空海の足跡を辿り、山形は出羽三山や千手窟へと足を伸ばした。インドの聖者と上座仏教の長老のお話も何度か聴く機会があった。
学会発表は学生とともに3報行った。高野山の聖地のデザイン研究に加えて、映画に見る大阪のイメージの特質に関する研究や、ティーツーリズムに関する研究についても学生とディスカッションした。映画研究では釜山国際映画祭の調査にも訪れ、役者と学者の両方の角度から見させてもらった。

行政のお仕事としては、大阪市では何度は事業の審査員をさせて頂いた他は、堺市にご縁があるようでシティプロモーション事業のアドバイザーや芸術文化審議会の委員をさせて頂いた。シティプロモの方は3年目でそろそろ色んなアクティビティが見え始めてきたので、それを縦横につなぐタイミングか。

教育の方は大阪府立大学の観光・地域創造の社会人大学院で初の修士号が出た。花村ゼミからも何名か無事に卒業し、2期生、3期生と続いている。学生のほぼ全員が自分より年長者ではあるが、若輩者の言うことに耳を傾けてくれることに真摯に感謝したい。

一番大きな出来事としては5月に母が心臓の大動脈解離を起こして緊急手術をしたことだった。25年前に父が心筋梗塞で急逝し、2年前に弟が同じく心臓が原因でトロントで倒れたので、我が家系は心臓に難があることを意識させられた。
社団法人の仕切り直しも自分の中では大きな出来事で、来年からは少し体制も見直して、本当の意味で社会にこれから必要なことを打っていきたい。

大阪大学のCSCDのプロジェクトに参加してから10年、アトリエを始めてから7年、大阪府立大学に来てから5年ではあるが、激動の時間であった。
特にこの3年ほどは、自分の周りに起こる出来事の密度が急速に増えているいるが、それはおそらく世界的にも今後もますます加速していくだろう。
特に2016年から2020年までは、世界にとって非常に重要な5年間になることは間違いない。

今年一年にも、様々な出来事や困難な状況が起こり、分かち合えた喜びや頂いたご縁があり、交換しあえた愛や別れがたくさん訪れた。

今年の一年はこういうアクティビティだったが、今後どのようなアクティビティを行うのかは、自分自身が握っているわけではない感覚が強まっている。
自分の意図ではなく、社会や世界が自分にどういう役割を求めているのかに真摯に耳を傾けていると、自ずとやるべきことが立ち上がってくる。
そのような中で自分自身の存在が一つのメッセージになっていくことができるように、自我を滅して日々精進あるのみ。

2016年はより自分の幸せを世界と分かち合えるような年にしたい。
これまでの全てに感謝。
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# by innerscape | 2015-12-31 15:12 | 日常

価値についてのメモ

価値を作る役割と価値を見つけて伝える役割は少し違う。
昨日のプレゼンテーションの場のような場所では伝える役割もするが、基本的には僕の役割は価値を作ることだから、実は伝えるのは苦手。
伝えるのは本当は誰かにやって欲しいと思っているが、上辺ではなくちゃんと中身を伝えてくれないと、間違ったものとして伝わるのが難しい。
それは逆に伝える人がどれだけの見識と理解力があるのかが問われる。
さらに難しい状況としては、「価値があるものが伝わる」というのではなく、「伝わったものに価値がある」という逆転現象が生じてしまうこと。
だから常に受け取る側は、批判力を鍛えておかないといけないと本当の価値が見えなくなってしまう。
まなざしのデザインで問いたいのはその一点に尽きる。

価値判断の主体が大衆に移った社会では、「売れる、注目される、皆が知っている」と言うことと価値がイコールで結ばれがちになる。本当は価値が広まった結果なのにね。
やっぱり価値が生まれる原因の方に僕は関心があるので、言葉は僕が紡いだとしても、伝えるのは誰かに任せた方がいいのだ。
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# by innerscape | 2014-10-20 09:43 | 日常

READYFOR of the year 2014のクリエイティブ部門で受賞

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東京大学でレディフォーのプレゼンテーションのため東京へ。結局台風らしい感じには遭わずに済んだ。
午後から本番に備えて少し頭の整理。
TEDと神戸モトマチ大学の時は20分あったけど、今回は15分なので、脚本と台詞を練り直して再度稽古。
今回は最後の演出が使えないから大人に感じで行こうかと考えた。

15分の一人芝居に近いプレゼンテーションだが、タイムがあと30秒ほど縮まればいいんだが、コンディションによっては今ひとつ。
200文字ぐらい削ればいい感じになるけど、これ以上は落とせない...。
映像にかぶせて喋ることで調整するかとも思うが、プレゼンが何だかスポーツみたいになって来ている。

今回の会自体は色々と感じる所あったが、東大の伊藤謝恩ホールは素晴らしかったし他のプレゼンテーターの方々も非常に面白かった。

詳しくはこちらに掲載されている。

結局「霧はれて光きたる春」の賞としてはm¥、READYFOR of the year 2014のクリエイティブ部門の受賞した。
400件を越える取り組みの中から選ばれた4件らしい。
大賞は東京おもちゃ博物館の取り組みで「沖縄の大自然に「森のおもちゃ美術館」を皆で作ろう!」というもの。
館長は僕のプレゼンが終わってから真っ先にご挨拶頂いた。
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今回の「霧はれて光きたる春」は三回目ということでメッセージの社会化の可能性を模索するために、一般社団法人で事業化し、クラウドファンディングを利用させて頂いた。
だから今回の受賞は僕個人ではなく、制作で奔走してくれた社団法人の仲間や、現場でしっかりと支えてくれた技術スタッフの皆さん、ご協力頂いた大阪府立・急性期総合医療センターの皆さん、そして何よりクラウドファンディングでご支援頂いた皆さんに贈られたものであると思っている。
皆さんを代表して賞を受け取らせて頂く事をとても嬉しく思うと同時に、皆さまに祝福の言葉を贈りたいと思った。

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# by innerscape | 2014-10-14 09:31 | インフォメーション

対馬の聖地の調査

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対馬の聖地と天道信仰の調査に入る。

調査二日目の対馬は雨。
雨の方が聖地の感覚がよく伝わってくる。
昨日は島の南半分の神社を回って、この島が神々の島であることは十二分に理解した。
社殿は単なる拝み、祈るための場所であり、実際に神がおりてくる場所には建築は無い。
聖地のランドスケープの研究はその辺りからの出発。
対馬は朝鮮と日本との境界上の重要な場所で、このアーキペラゴの風景だけ見ても普通の場所とは異なることがよく分かる。

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和多都美神社は海彦山彦の神話の地。
本殿は単なる遥拝所だが、裏側に磐座があり、おそらくそこが本命かと。
蛇の鱗の岩が気になる。

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山のシューレで植島先生、伊藤先生と鼎談させて頂いた時にぶつけたのは、エネルギーと物質が交換される場としての聖地の話だったが、そこに記憶というファクターが足されねばならないというのが、その時に僕の中で学んだことの一つ。
聖地は見出されるものであって創られるものではないため聖地など人の手でデザインすることなど出来ない。
では人に出来ることはないのかという問いがそこに立つ。
ヤクマ祭の時に浜に積み上げられる石にはその辺りのヒントがありそうだと思い訪れてみた。
木坂の海神神社のヤクマ。


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天神多久頭魂神社の岩積み。
朝鮮の影響を色濃く受けているのが分かる。
岩積みが対になっているので、その中央の木造の鳥居がおそらく中止だろうと推測して方位を図ると、案の定真東を向いている。

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五根緒の岩積み。
曽根崎神社近くの岩壁に積まれているもので、ヤクマ祭との関連があるのかどうか。
地図にも無いような場所なので辿り着くのは難しい場所にある。
海が一望出来るというのとはあるが、なぜこの位置にこの形で積まれなければならないのか。


江戸期の対馬には約450個ほどの神社があったという。
現在では約150箇所ほどに減少しているが、かなり古い信仰の形態が残っている。
中でも興味深いのは龍良山を中心として設定された「オソロシドコロ」という禁足地で、その境界地として表八丁郭と裏八丁郭という場所。
(八丁角とも書く。)
これはヤクマと同じように岩積みがされており、そのたかさは3m程にも及ぶピラミッド型だ。
ここから先は入ることはおろか、木の葉一枚も持ち帰ってはならない場所となっており、言い伝えによると八丁郭を見ることすらタブーとされたという。
八丁郭を見たり、そこから先に間違って入ってしまった者は頭に草履を乗せて「インノコインノコ」(犬の子犬の子)と言いながら後ずさりして退出せねばならないという。

天道法師の信仰とも関係してくるが、熊野権現や修験者のしきたりを踏襲した可能性があり、非常に興味深い。
日本の国家神道以前の古神道の色合いを濃く残している場所には聖地のランドスケープのヒントがある。
一日半は大学の業務である、対馬市の地域ブランディング、もう一日半は聖地の調査というスケジュールだったが、とりあえず今回の調査はこれで終了。
基本は人か神かに呼ばれないとどこかへ訪れることは無いが、また呼ばれることがあれば次はもう少し掘り下げてみたい。

もう一つ注目すべきは、対馬は壱岐と並んで、卜占(ボクセン)が異常に盛んだったことだ。
もちろん朝鮮半島と近かったことが大きく影響しているが、亀卜(キボク)と関係している神社が数多くある。
卜占術は古代の科学であったが、太占(フトマニ)は動物の骨を焼いてそのひび割れの形から吉凶を占うものであり、特に対馬は海亀を使う亀卜が中心のようだ。
日本の古神道の一旦でありながら、大陸の亀卜も併せ持つ独自の発展をしているのが興味深い。
司馬遼太郎によると、大宝律令制定(701年)の頃に神祇官の職掌名として「卜部」(ウラベ)が20名ほど宮廷に置かれるようになったが、壱岐から5名、伊豆から5名、そして対馬からは10名呼ばれて、その職についている。
亀卜、岩積、天道、古神道あたりの積層が一つのポイントだが、もうひとつの補助線としては山の形が尖ったピラミッド型が異常に多いということ。
風水的に見てもかなり複雑な形態をしているのと、全体が泥岩と花崗岩で主であることもポイントになってきそうだ。

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# by innerscape | 2014-09-29 09:49 | 聖地創造論

その変動の後の世界

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僕とアニメーターの吉田徹のユニット「第七区」の作品「After theShift」の初の日本での展覧会終了。
前回はソウルで行ったが、ようやく日本でもお披露目することが出来た。
会期中あんまり会場にはいれなかったけどたくさんの方々にお越し頂いたようで感謝感激の想いでいっぱいだ。
この作品は2010年代に地球の地軸がズレてしまう極移動(ポールシフト)が起こった後の世界を物語として描いている。
ついつい我々は今の世界がずっと存続することを前提に物事を考えてしまいがちだが、今躍起になっている政治や経済や文化という"ソフト"は、地球という"ハード"が変動してしまうことで確実に変化してしまうということを忘れがちで、それを自分なりに考えて見たかったというのが動機の一つなっている。
もう一つは、今僕らが正しいと信じて疑わない"まなざし"を推し進めていくと、ひょっとするとこんな世界になるかもしれないというのを極端に描いて見たかったというのもある。
今回は全体をあるジャーナリストの視点から追いかけたルポタージュという形でテキストもつけて展示したが、来場者の反応も良くてまずまずだったかと。
今の様々な社会問題を未来から見た時にどう見えるのかということを世界の名所9ヶ所を具体的にピックアップして、自然、土地、エネルギー、観光、風景、資源、宗教、安全•安心、民族という観点からそれぞれ考えてみた。
とりあえず♭には飾っておくが、また機会があればどこかで展示するかもしれない。
もう少し思考を掘り下げるツールにしてみたい。

2007年に「いのちを守る智恵」という減災絵本を書いたことがあり、その時は30話書いたが、今回は9話。
前回は目的がクリアだったし、真面目なお話しか書いていないが、今回は自発的に書いて制約フリーなので、割と言っちゃいけないようなことや、こんなコト真面目に提案すると問題になるよねという際どいシチュエーションも書いてやった。
物語というフィクションの力を借りるから、思想や思考が自由になることもあると思う。

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# by innerscape | 2014-09-29 08:38 | アート

料理を作る人と食べる人

新潟、東京、対馬、福岡、札幌、名古屋、大阪とこの一月の間に渡り歩いた。
どの都市でも普遍的に見られる人の佇まいと、その都市固有のローカリティが見える。
その間で文化の成熟とは何かを考え続けている。

共通して地方が抱える“まなざし”の問題と可能性の両方について、いつかは考えを整理せねばならない。
人は見たいものにまなざしを向けるので、己に加えられる批判は見たくないものだ。
だからといってまなざしを向けないでいるといつまでも成長出来ないどころか、時が過ぎれば大変なことになっていることもある。
難しい問題だが、タイミングを見極めつつじっくりと向き合うことしかないのだろう。

料理のクオリティをいくら上げても、それを食べる人の味覚のレベルと釣り合わなければ満足感は得られないことが多い。
それどころか、いくら高級な食材であっても子供が食べるためには、カレーにせねばならないという現状があちこちである。
カレーの方が喜ばれるので出し続けていると、高級な食材でなくても良くなる。
そうすると舌も鈍ってくるので、高級な食材はどんどん必要なくなって来る。

子供の舌が喜ぶからと、化学調味料で味付けした濃い食べ物ばかり出すと、その子供は将来どうなってしまうのか。
それでも喜ぶからと出し続ける親になるのか、それとも厳しく戒める親になるのか。
あるいはその意味をちゃんと説いて理解と共感を得る賢い親になるのか。
そのためにはまず親がちゃんと質を理解していなければならない。
文化や芸術も全く同じことが言える。

やっぱり人類の進歩のためには全ての人の舌は成熟するべきだと思うので、高級な食材とハイクオリティな料理を出し続けることが大切だと思う。
それは料理だけではなく、文化の課題かもしれない。
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# by innerscape | 2014-09-29 08:36 | 日常

日常と非日常と超常

風景には日常、非日常と同様に「超常」という状況が在るのだと思うが、僕が進めている風景異化研究の射程範囲には超常現象も一部含まれている。
なぜならば風景の半分は想像力が見せているとすれば、その引き出された想像力の中には“怪異”と呼ばれるものがあるからだ。
それは古今東西、時代を問わず人々がその目撃を口にするものである。

「超常現象とは一体何なのか?」を科学的に解明するという問いも興味深いのだが、それよりも「人はなぜ超常現象を見てしまうのか?」という問いの方が風景異化論としては本質に迫れる可能性があるようにも思える。

実話の怪談ばかりを集めて語り続けている怪談作家の宇津呂鹿太郎さんに一年ほど前にそんな話しをしてみたら、実際にそれを公開で話してみましょうということになり、「妖しき怪談談義」というかなり際どいイベントへと繋がった。
これまで僕が参加した中ではかなり異色な内容だ。

僕は主催者ではなく、あくまでトーカーの一人として呼ばれている。
今夜に備えて結構勉強したつもりだが、元々そんなにオカルトに明るい方でも無いし、皆さんほど知識も多くはない。
トンデモな感じは否めないが、お声かかったので一生懸命に風景異化から切り込んでいきたいが、科学者から噺家までこの面子が集まって話する事はそうそうないので、これを機に少し勉強してみた。

心霊現象自体は僕にとってどちらでも良い事なのだが、「人間の意識と環境との関係」を考えるのに良い題材だと思っている。
“風景”が単なる物理的な環境ではなく、環境を捉える人の内部に生み出される物であるのであれば、意識や無意識の状態が変化すれば、環境の捉え方即ち風景も変化するというのは至極当たり前の話だ。
そうなると「意識とは何か」という問い、そして「意識と外界との関係は一体どうなっているのか」という問いへと繋がって行く。

僕は”今見えている風景がふいに違う風景となることがある”という現象を風景異化と名付けて研究しているが、超常現象や心霊現象というのはまさにその最たるものの一つだ。

風景異化から心霊現象を捉えた時に何が言えるのかを少し考えるためには、オカルトと呼ばれる現象について研究するところから始めねばならない。
かつて霊について研究した人々は何を知り、どこまで到達したのか。
果たしてそのような存在は居るのかどうか。

一応ひととおり人間の精神は肉体から独立しうるのかということを巡って、過去にどのような研究がされていたのかを調べてみた。
18世紀末のスウェーデンボルグに始まる近代の心霊研究の萌芽から、19世紀頭に大流行した交霊会の話、それに端を発してアメリカのデューク大学を中心に確立していった超心理学研究の紹介、そして心霊現象に対しての懐疑派達の理論が錯覚研究や認知科学、脳科学の角度からいかに展開されていったか、ヴァージニア大学の精神科に設立された人格研究所での臨死体験の研究から、最新の脳科学の研究、そして量子力学的なアプローチから意識と物の関わりを考察する研究から宇宙生命論の話まで。
僕が信じているのかどうかとは無関係に、近代以降どのような議論として熟しつつあるのかの概略をざっと調べてみた。

特に最近世界的に報告が増えている臨死体験。
おそらく医学の発達によって生還した人が多く居るのではないか。
最も古い記録ではプラトンの時代から臨死体験はあるらしいが、その記述が現代のものとかなり酷似しているのはなぜなのか。
死の今際に際して人々が見る風景には、古今東西、宗教を問わず共通のフォーマットが見られるという事実は非常に興味深い。
また最近のミシガン大学での実験では心肺停止してから30秒に渡って脳は活動を続けているらしく、その間に臨死体験者が見る風景が作られている可能性が高い。

より重要な問いは「霊が居るかいないか」よりも「なぜ我々はそれを見てしまうのか」だ。
そういう問いを建てれば死後の世界の研究ではなく、現在に生きる我々の認識の問題となる。


“否定派”の意見も大体そんなこんな感じだ。
「超能力信仰の最も強力な源は、不思議な出来事を日常生活の中で見聞きすること」ギロビッチ
「自然科学者を神秘世界に媒介するのは志向を放棄した平凡な経験」エンゲルス
「超常現象を信じたい人には信じるに十分な証拠が出る一方、信じたくない人には否定をするに十分な曖昧さが残る。そういうレベルの証拠しか出ないのが超常現象である。」ウィリアム・ジェームズ

一方で肯定も否定もしない懐疑派というのもたくさん居る。
科学的立場に立つと懐疑するのが一番良いのかもしれない。
カールセーガンはこういう。

「科学の核心は、一見すると矛盾するかに見える二つの姿勢のバランスを取るところにある。一つは、どれほど直感的に反する奇妙なアイデアであっても、新しいアイデアに対しては心を開くという姿勢。もう一つは、古いアイデアであれ新しいアイデアであれ、懐疑的に、かつ徹底的に吟味するという姿勢である。この二つのバランスを取ってはじめて、深い真実を、やはり深いナンセンスから選り分けることができるのだ。科学が正しい方向に歩み続けるためには、創造的な考え方と懐疑的な考え方の両方が必要なのである。」

そんな話を怪談ライブではしてみたが、これまで怪談作家さん達がしてきた普通の怪談ライブを期待してきた人は面喰らったかも知れない。
ただ漠然と盲目的に霊を信じている人や、そんなものは絶対に無いに決まっていると決めつける否定派の両方にとって共通に話せる土台をとりあえず用意した。

かつて怪異だったものは次の常識になっているかも知れないし、それでも残る怪異はあるのだろう。
しかし一番の怪異はランドスケープデザインやアートやってる僕のような人間がなぜこんなトピックを整理をしているのかということかも知れないと昨夜は感じた。
あらゆる風景を扱うのであれば人が死に際して見る風景や死後見る風景も研究と異化の範疇かと半ば諦めている。
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# by innerscape | 2014-09-27 08:09 | 日常

問いと文化についての覚書

新潟、東京、対馬、福岡とあちこちの都市での講演とか調査とかで回って、ようやく大阪へ帰って来た。
第七区というアニメーターとのユニットをしているが、その展覧会が梅田で行われるので、その搬入を終え、大学の入試説明会を終えてすぐにワークショップのファシリテーターをする。

入試説明会の後のワークショップのファシリテーターは少しキツかったが、それでも色々と勉強になった。
今日は自分の意見や思想は全く話さずに皆さんがどういう問いを立てるのかを観察するだけにしたが、問いを立てるということは訓練が必要なことだと改めて感じた。
そのあたりをどうレッスンするかが次の自分の課題だ。

問いを安易な形で答えるのでは無く、それをちゃんと問いのままで残しておくという「勇気」が大事だというメッセージだけは伝えたつもりだ。

普段の生活では問いを問いのまま残しておくと仕事にならないし、物事が前に進まない。それをずっと繰り返していると、問いが立った時にすぐに答えを出して処理するというマインドになるわけだが、その答えがうまくいかなくなった時に問いへと戻る訓練を積んでいないと別の答えを探せない。
その訓練を僕はまなざしのデザインという言葉で説明しているに過ぎない。
それは別に特別新しい概念ではないし、皆本当は知ってることだと思う。
ただそのことをすぐに僕らは忘れちゃうのよね。

アートでも芸術でも文化でも呼び方は何でもいいんだけど、そういうのは生きている中でリアルに生まれて来る問いに対して、必死で答えようとする人間の表現が、結果としてそう呼ばれるだけのこと。
問いが無いのに最初から答えは無いし、問いが浅いのに深い答えが生まれるはずはない。
深められた問いと、それに対して共有される答えが結局は次の文化を作っていくのだと思うが、そこをうまく考えられないんだろうと思う。
抽象的な概念では人は理解しにくいので、それを具体的にどうやって示すのかが僕自身の課題だとしかと受け止めた。

毎晩どこかの都市で誰かと、同じようにそういう問いの話をしている。
結局はそういう対話の積み重ねでしか長期的にはまなざしのデザインは出来ないのだろう。
短期的な外科治療としてあちこちでしている自分の講演があるのだが、それはある種のショック療法なので、そのうちそのショックは薄れていく。
講演で僕の放ったメッセージをしっかり受けとめた人は、会社辞めるとか自分で何かを始めるとかする人も居るが、その問い続けることを持続させるのはやはり相当難しいことなのだ。
だから長期的に他者との対話が必要だし、まなざしを深めていくための技術というものを身につけないと行けないのだと思う。
今の自分の講演はほぼ組み立てとして完成して来ているので、それはそれで2時間のショック療法としてアリだけど、そのから日常へ帰った時にどうやってそれを持続するのかというプログラムは次に僕が考えねばならないことか。
大学での教育だけでは広がりに限界があるかもしれない。
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# by innerscape | 2014-09-13 22:33 | 日常

芸術表現についての覚書

アートでも芸術でも文化でも呼び方は何でもいいんだけど、そういうのは生きている中でリアルに生まれて来る問いに対して、必死で答えようとする人間の表現が、結果としてそう呼ばれるだけのこと。
問いが無いのに最初から答えは無いし、問いが浅いのに深い答えが生まれるはずはない。
深められた問いと、それに対して共有される答えが結局は次の文化を作っていくのだと思うが、そこをうまく考えられないんだろうと思う。
抽象的な概念では人は理解しにくいので、それを具体的にどうやって示すのかが僕自身の課題だとしかと受け止めた。

「芸術は爆発だ」は岡本太郎の言葉だが、まさに日々の命の中で立ち現れて来る表現の結果が芸術へと繋がるのだと思う。
僕自身も気をつけないといけないと思っているのは、その表現が目的化していないかとということと、その表現がちゃんと高いレベルで問いと答えを出せているのかということだ。
よくありがちなのは、問いのレベルと答えのレベルが合っていないということで、問題意識は深いけどそれがちゃんと「芸」になっていないと浅いレベルでしか伝わらない可能性がある。
それは自分の中でも課題なので、かなり気を使うようにしているがなかなか難しくてまだまだだ。
きっと一生それを求め続けていくのだと思うし、そのアティテュードの積み重ねが振り返れば結果として芸術になっていれば、それはそういうものかときっとその時に気づくのかも知れない。
最初から表現を追い求めると足下を掬われるかもしれないと日々戒める。
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# by innerscape | 2014-09-13 08:05 | 覚書

死んだ弟は蜂になって会いに来た

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「聖なる場所の力」を巡る3日間のシンポジウム「山のシューレ」が本日で終了した。
植島啓司先生の基調講演、伊藤俊治先生と植島啓司先生とハナムラチカヒロによるオープニングシンポジウムで幕を開けた聖なる3日間の結び舞台は、本日の谷川俊太郎さんと谷川賢作さんによる舞台で、素晴らしいパフォーマンスの中、皆が幸せな気持ちの中で終えた。
期間中に知り合った全ての方々は、とても優秀で心の優しい人ばかりだったし、聖なる場所の力を一緒に思考する冒険に出た貴重な仲間のような気がしている。
個人的にはこの那須で弟の1回忌の命日を迎えることが出来たことは特別な意味を持っている。
丁度一年前に弟はトロントで亡くなった。
その訃報を聞いた夜に僕は泣き崩れる母を連れて遺体の確認のためにトロントに出向いた。
365日経ってまさか自分が那須の地に立ち、聖なる場所の力を語っていることになるとは想像もしていなかった。

実は今朝、3日間降り続いていた雨が一瞬止み、陽光が射している中で朝食を取っていた時に僕は不思議な体験をした。
それは一匹の蜂との出会いだった。
その蜂は僕が朝食を食べているテーブルにやってきて、最初はテーブルに置いていたルームキーに止まっていた。
しばらくして飛び立ち、僕の掌にとまった。
全く怖がる様子もなく僕の手の上でウロウロしていていた。
不思議と僕も怖い想いもなく、その蜂がおしりを振りながら触覚を僕の手に何度も押し付ける様子をしばらく見つめていた。
いつまでたっても僕の手を離れてくれないので、そのまま食事を続けているとどこかへ飛去ってしまった。
その時は何とも思わなかったのだが、食事を終えてしばらくするとその蜂はまた僕の掌に戻って来たのだ。
中指に止まった蜂は僕の掌の方へなつきながら近づいてくる姿を見て僕は何とも堪えきれなくなった。
僕はその時にこの蜂が自分の弟だと確信したのだ。
弟はきっと僕の側にいることを蜂の姿で告げていたのだと思う。
この三日間、聖なる場所の力について多くの方々と話し合ってきた。
聖性とは場所に帯びるだけでなく、どんな場所にでも帯びる瞬間があるのではないかと僕は風景異化を交えた自分の発表でこの3日間の最初に述べた。
弟はそれが正しいということを僕に伝えてくれたのだ。
兄として弟に教えてあげれたことよりも、弟から兄へ教えてもらったことの方が多いのは、彼が死してなお続いている。
生活の終わりは生命の終わりではないのだ。

今日の結び舞台で谷川俊太郎さんの詩の朗読にこんな一説があった。

身近な死者が増えてきた
彼らにしてやれたことよりも  
してやれななかったことのほうがずっと多い

僕は谷川俊太郎さんの少しくぐもったその朗読を聞きながら弟のことを思い浮かべざるを得なかった。
6月9日のこの弟の命日に那須で過ごしたこの記憶は僕は死ぬまで忘れることは無いだろう。
心からありがとう。
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# by innerscape | 2014-06-09 23:59 | 私的詩

霧はれて光きたる春2014のレポート最終日


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土曜日の夜から降り出した雨が日曜日の午前には強くなってきていた。
傘をさして歩くのも難しいぐらいの激しい雨が一時は降っていたが、なぜか午後には晴れるような予感がしていた。
天気予報でも午後からは雨が止むと言っていたこともあったが、そういう情報からではなく、もっと大きな予感が今日の「霧はれて光きたる春」の最終日に素晴らしい風景が見れる事を告げていた。
実際に午後にはピタリと雨が止んだ。
なぜかそれは自然なことのように感じられた。

一週間を振り返ってみると、奇跡のように一度も中止にはならなかった。
本番の一時間前になるといずれの日も天候がおさまるのだ。
不思議な力が働いているのを感じる。

土日にこの「霧はれて光きたる春」を実施するのは実は今回が初めてだ。
今までは土日は病院側のスタッフも少なくなるのと予算の関係もあって実施を見送っていたが、今回はなぜかこの土日にしたいと自然と思えるようになったのだ。
お見舞いのご家族やご友人の方々ともこの風景を共有することが必要な気がしたのだ。
それと今回はサポーターの方々ともこの風景を共有したかったということもある。
実際に今日がこれまでの中で一番たくさんのサポーターが集まった。

毎回サポーターには16時に病院前の公園に集合してもらい。、そこでお名前の確認をした後、院内を皆で通って控え室へ向かう。
そこで40分間ほどのディスカッションの時間を事前に持つ事にしている。
そこでは自己紹介から始まり、趣旨とサポート内容の説明、そして30分の間のまなざしの向け方や注意事項などの説明を行う。
やってこられる方々は様々で、僕の講演を何度かお聞きになった方や、普段からよくご一緒させて頂いている方、そして初めて会う方など様々だ。
クラウドファンディング頂いている方には全員にサポーター参加の呼びかけをしているが、それでもわざわざこの病院まで時間を作って風景を見にやってきてくれるのはほんの一部だ。
こちらからいくら見て欲しいと思っていたとしても、結果的にこの風景を共有出来る人はご縁があったということなのだと思う。
いくら欲していてもご縁の無い方とは風景が共有出来ないし、別に望んでいなくてもたまたま共有してしまう人も居る。
人の縁とはつくづく不思議なものだと感じる。

現象は毎日変わるし、サポーターも毎日入れ替わる。
そして院内の人々の認識も変化していく。
毎日同じ時間に同じ空間で現象が起こるが、気流によって現象も異なれば、それを共有する人々も異なるし、見る人々のまなざしも異なる。
それは毎日起こる出来事なのだが、まるで違う風景なのだ。

現象が起こるライトコートに面していて一番人が集まりやすい談話室がメインの視点場になるのだが、普段はそこにあるテレビから何かの番組の映像が流れているので、それを院内の人々はぼぉっと眺めているようだ。
しかし17時になるとテレビが消されて、現象がスタートする。
そうすればそれまであまり人気がなかった談話室にそれぞれの病室から人が集まって来ていて、知らない間にいっぱいになっている。

テレビは受動的に目に入って来るが、ライトコートで起こる現象は「能動的なまなざし」になるという違いがある。自分から現象を追いかけないと現象そのものを捉える事は出来ない。ここにも僕は意味を見出している。
病院の中にいると、受動的になりがちなのではないかと思う。
治療してもらうということに身を任せることも大事なのだが、自分から治りにいくという構えが治癒する力を引き出すのではないかと信じているからだ。
そうしたまなざしを引き出すためには、現象そのものがショーやエンターテインメントのように何か具体的で分かりやすい意味を持って迫るのではなく、抽象的で自分から能動的に意味を探しにいかないと掴めないような一歩引いた表現をしている方がいいのではないかと考えている。

最終日の現象は素晴らしかった。
この一週間の中で僕が現象として素晴らしかったと考えているのは火曜日と水曜日だったが、それと同じぐらい今日の現象はとても豊かな動きをしていたように思える。
もちろん毎日気流が異なるので、日々違う表情を見せるのだが、今日は空気の動きが複雑でライトコートの中で縦と横の渦を巻いてまるで螺旋のように上昇と下降を繰り返すという風景が展開されていた。

現象の豊かさは単なるきっかけに過ぎない。
多くの人はこの「霧はれて光きたる春」という作品はライトコート内の現象だと思っているようだが、実は本質はそこではない。
現象に反応する人々が演じるドラマに実は本質があるのだ。
もちろん豊かな現象がそこに展開されれば、人々の反応も豊かにはなるかもしれない。
しかし毎日見に来ている人々の中には、まなざしがどんどん豊かになっていって、それほど派手な現象が起こっていなくても、微妙な空気の動きを敏感に感じ取れるように磨かれていく人もたくさん居る。
そして現象を前にして一人でたたずむ姿が美しかったり、また現象をきっかけに初めて言葉を交わす人々同士が生まれる事もドラマティックだ。
ドラマとは何もテレビや画面の中にあるのではなく、日常の何気ないワンシーンの中に見出されるものだと思う。
今回サポーターで参加した方々には最初にそういうまなざしのデザインを施してから現場に身を浸してもらっているので、帰って来ると口々に自分が見たドラマを語り出すのだ。
中には涙を浮かべながら語る人々もたくさんおられる。
自分の抱えている状況と重ね合わせて風景を見ているのだ。

僕は常々「風景の半分は想像力で出来ている」と主張している。
だからサポーターの皆さんが語り出す風景は、それぞれが心に抱いている想像力が生み出していると言えるだろう。
豊かな風景を語り出す人は豊かな心や想像力をもってその場にまなざしを向けている証かもしれない。
しかし一方でうまく言葉にできない人のまなざしが貧しいかというとそうではない。
その場でその時に言葉にできないこともあるし、むしろ言葉にしない方がその事をより深く見つめることが出来るという場合もあるのだ。

今日はあるサポーターは窓辺にたたずむおばあさんに話しかけたエピソードを語っておられた。
そのサポーターはおばあさんに毎日見に来ていますかと話しかけたら、おばあさんはこの作品が好きで毎日見に来ていると答えたそうだ。
それで会話は終わって、そのサポーターはおばあさんからこの風景のどこが好きだとか、どういいうふうに好きだとかは聞かなかったという。
しかしそれが逆に良かったと語っていた。
すぐに言葉にしなくてもいいこと、そして言葉にしなくても一緒に窓の方を向いてたたずんでいられることというのもそれは豊かな風景なのだと思う。

僕らはとかくすぐに言葉にしてみたり、すぐに成功か失敗か、正解か間違えかを判断したがる。しかし、それはすぐに何かに回収させてしまうことで豊かな意味が奪われてしまうことも時にはあるのだ。

この七日間、僕自身はこの「霧はれて光きたる春」という出来事を通じて大きく自分が成長出来た気がする。そしてそれは僕だけではなく、今回の事業に関わった仲間達やサポーターの皆さん、そしてひょっとしたら病院の中で過ごしている人々も何か掴んだかもしれない。
僕にとって芸術として表現をしたり作品をつくったりするということは、自分の思考を深め成長するためにあるのだと思っている。
過去2回この作品を行った時とは比べ物にならないぐらい今回は多くのことを学んだし、そのプロセスを多くの方々と共にすることで、一緒に認識を深めていけたのではないかと思う。
きっと後で映像アーカイブで振り返った時に分かるだろうが、初日の僕の語り口と最終日の僕の語り口は全く異なっていることだろう。
こういうと変な言い方になるが、「霧はれて光きたる春」は僕が作っているようで、実は僕が作っているわけではなく、僕は何かに突き動かされて”作らされている”ことを感じる。僕はシャーマンのように単なる純粋な媒体(メディウム)であり、それは僕を通じて何か大きな意思がそこに出現させた出来事なのだと思う。
そしてここでこの作品を共にした多くの仲間達や、支えてくれた人々との出会いも偶然ではなく、何かの必然が働いていることを感じるのだ。それら全てがこの場の風景を成り立たせている。
それら全ての状況に心より感謝の念が湧いてきて、僕はこの「霧はれて光きたる春」の最終日の最後の振り返りの締めくくりとして自分で書いた詩を朗読した。
こんな経験は初めてだったし、それはどの記録にも残っていない。
しかし何かの確信として自分の中で大切に出来ればと思う。



「霧はれて光きたる春」
作:ハナムラチカヒロ

病は霧の中を進むように
不安で前が見えず
足元もおぼつかない中
ただじっとしているよりほかないが
降りやまない雨がないように
昇らない陽がないように
霧もいつかははれるだろう
霧がはれた空からは
無数の光が降りそそぎ
その向こうにはたくさんの笑顔が見えるだろう
いつかその日が来ることを信じながら
春がくることを待つ

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# by innerscape | 2014-03-30 23:59 | アート

霧はれて光きたる春2014のレポート六日目

予報を見ると今日は夜から雨と出ていたが、朝目覚めてから見た空は快晴だった。
少し風もおさまって穏やかかと思っていたが、昼下がりになるにつれてだんだんと風が強まり始めた。

今回のライトコートの竪穴は13階分あり底面積も過去最大の大きさで気流はうまく読めない。
室外機がライトコート側にたくさん出ているので、そこから出る空気も竪穴内部の気流に当然影響を及ぼす。
いつも本番の一時間ほど前にはテストで機材を動かす。
大体は竪穴の底から見上げて落下してくるのをチェックするのだが、ゆっくり動いている雲の動きとは反してテストの時には雪もシャボン玉も奇麗に落下して来た。
これが夕方になるとまた流れが変わる。
時おり上昇気流がふいに生じることもある。
気流ばかりはどれだけやっても正確に読むのは難しいし、それ自体は見えないので何かを媒介させる必要がある。
今日の気流はとても複雑で、30分の間にも上昇気流が吹き上げたり、下降気流が一辺だけに下りたりとしていたので、とても変化に富んだ動きが展開されていた。
どちらかというと今日は上昇気流が豊かだったので、霧と底部のシャボン玉を多めに演出した。

こうして毎日気流や天候を読みながら作品を作っていると、自分がやっている表現は芸術というような領域の話ではなくシャーマニズムの一種なのだと改めて思えて来る。
ランドスケープアーティストは自己表現というようなものではなく、現代のシャーマンとして自然を読みながら、それに形を与えていくということだと僕は思っているが、霧や雪やシャボン玉というメディア(媒体)をこの場所に差し込む事で、僕は気流の動きを表現しようとしているのだと自己分析してみる。

ところで、世界中のあちこちの部族はそれぞれ何らかの雨乞いの儀式を持っているが、概ねそれは煙を炊き、水を撒き、太鼓を叩くということをするという。これは煙は空に立ち上る「雲」を表し、水は天からの「雨」を表し、太鼓の音は「雷」を表している。
こうして雨が降って来るプロセスやマテリアルを真似る事で、実際に雨を呼び起こそうという儀式なのだが、J・フレイザーによるとそれは“共感呪術”と言われる行為だという。
僕はこれは物理的にそのマテリアルが影響して天候が変化するということではなく、自然と類似したプロセスを作ることで生まれる空気感が重要で、それに感応する人々の心の力が雨を降らせるのかもしれないと考えている。それが共感呪術の本質なのではないかと思う。

僕のしていることがシャーマニズムであるとするならば、上から雪を降らせて下から霧を発生させることで肌寒い吹雪の風景をつくり、その後に空から光る珠が落ちて来る風景を作るというプロセスが、一体何を模倣し、何を呼び起こそうとしているのかというのは興味深い。
そしてそれが病院の人々のまなざしをどう変化させ何を祈らせるのかについて、考察する必要がある。

自分で表現しているものに対して、必ずしも自分が一番正確に把握しているとは限らないのだ。
むしろ自分が完全に把握しているものというのは逆につまらなくて、自分が無意識に選択しているものの中に創造性の本質があるようにさえ思えて来る。

僕はこの作品の意味は一体なんですかと聞かれる度に、一応の説明として「霧は闘病生活の不安を表し、シャボン玉はそれを抜けた後の希望を表現している」という答え方をするが、それは後から引いた意味付けの補助線であって、それを理由に自分がこの表現を思いついたわけではない。
常に原因は自分の無意識の領域の中にあり、後から結果として理由がやってくるのだ。
今回はそうしたことも検証したいと考えており、サポーターの皆さんのまなざしを借りて、人々の心の中での動きや祈りを読み解くことを試みている。

さて、本日聞いた中で興味深い話をいくつか紹介する。
6階の心臓外科の談話室に二人のおじいさんが座ってシャボン玉を見ていた。
その二人にこちらのアーカイブスタッフがカメラを向けた時に、その二人はカメラに向かってピースをしていたりした様子で楽しまれていたという。
その時に片方がもう片方に向かって「元気やな、今から手術やのに」と呟いたそうだ。
今から大きな手術を控えた方の様子ではなかったので報告してくれたサポーターは驚いたという。
他には7階に居た若いカップルは現象が始まっても全く見ずにテーブルについて話をしていたので、サポーターが話しかけて現象の存在を促したがあまり興味を示さなかった。
しかし、だんだんと談話室に人が増えて来て皆が窓の外に起こる現象を見て騒ぎ出しても、そのカップルは相変わらず窓の外を見ずにテーブルで会話していたが、その会話のトーンが先ほどとは明らかに違って、はしゃいでいる人々の高揚感に影響されていて白熱しているようだったとサポーターは感じたようだ。
現象そのものには心を動かされていなくても、それに心を動かされている人の心やそれに影響を受けている「空気」に反応するということがあるのは非常に興味深い。

空気とは物理的な気流の動きだけでなく、その空気の持っている情感や質というのがあるのだと思う。
霧と雪とシャボン玉というのはいずれも物理的な気流に反応するマテリアルとして挿入しているのだが、それだけではなく、このマテリアルが人々の心にどういう情感や質をもたらすメディアになっているのかという所が重要だ。
一つのマテリアルが複数の情感をもたらすことはあると思うが、それが総体としてその場所にどのような空気感を与えているのかということは研究の余地がある。
ひょっとするとその空気感に感応した人の心が、実際の何かの行為や現象を引き起こす可能性があるからだ。会話の白熱という行為はきっと現象に感応した人の心がもたらす空気感が引き起こした結果だろう。
現象だけがこの作品のマテリアルではなく、そこから派生する人間の心の動きもまた、別の人のマテリアルになっていくというのが面白いと個人的には思っている。

明日は最終日。
今夜から降り続ける雨は、きっと明日の本番の開始時刻までには降り止むと確信している。
雨上がる風景をイメージしながら祈るということも、また共感呪術となり実際の天候を導くかもしれない。
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# by innerscape | 2014-03-29 23:59 | アート

霧はれて光きたる春2014のレポート五日目

本日は平日の最終日。
空は快晴で温度も高い。
過去二回は、遅くても3月の第1週の開催だったのでもっと肌寒い冬だったが、今回はもう春がやってきている。
「霧はれて光きたる春」というタイトルは、冬の実施をイメージして名付けたが、春に行うとまた違った意味合いが出てきそうだ。

3月の頭と最後では全然条件が異なる。
まず気温が違うのと、後は日の入りの時刻が変わって来る。
夕方の凪の時間も微妙に違うので、そのあたりを毎日読みながらあれこれ試行錯誤する。
ランドスケープアートは自然を相手にするので、思い通りにいかない事が多い。
僕の演出は半分で、残り半分は自然が作る。
だから100%狙い通りにいくとは限らないし、逆に自分の予想を遥かに上回る風景が見られることもある。
安定した風景ではないのがいわゆるショーとは少し異なる所だ。

温度と湿度によって霧の消滅までの時間は変わって来るのと、後はライトコート内部の気流が変化する。
今日のような晴れた日よりも、少し曇っていて空気が停滞している日の方が面白い現象が見られることが多い。

理論値で行けば1分間に5000個のシャボン玉が吹き抜けに現れることになる。
しかし、それはほぼ不可能な数なのだが、僕はそれに近い状態を過去一度だけ見た事がある。
気持ち悪いぐらいの数の光の珠が空間いっぱいに満ちている風景。
「美しい」を通り越してかなりグロテスクな風景だった。

美しさと醜さというのは紙一重だと思う。
その危うい臨界が芸術の最も興味深い領域なのだ。
醜いと思われているものが美しく転じたり、美しいと思われているものが限界を超えると見にくく感じたり。
その間の臨界を揺らがせるのが芸術のある種の役割なのではないかと思う。

入院病棟のライトコートは普段は裏側にされている空間で、誰も目を向けない醜い風景だ。
そこがこの作品が出現する30分間だけは聖なる空間へと転生する。
しかし面白いのは、その聖性を生み出している美しいシャボン玉がある臨界点を超えた数になると、今度はまたグロテスクで醜い風景になるのだ。

そうやって反転を繰り返していくときっと人の心は豊かになっていくのではないかと思う。
それはまるで刀鍛冶が熱い火の中に鋼を入れた後で、冷水をかけて叩いていくことで鍛えていくことに似ているように思える。
同じ場所、同じ物に対して美しさと、醜さが交互に現れることで自分のまなざしは鍛えられて行く。
僕は芸術に役割があるとすればそういう心の中を鍛えていくことなのではないかと思っている。
今のところ今回の病院ではまだそういったグロテスクな風景とは出会っていない。
残り二日の間にそれは出現するだろうか。

流石に五日目にもなると、患者さん達の間ではこの時間帯にやってくるこの風景が日常化してきている。
毎日やってくる常連がたくさん居て、逆にこの現象を合図に皆が談話室へ集まって来るようにもなっている階があるようだ。
今日聞いたエピソードとしては、5階のプレイルームで子供がシャボン玉に向かってガラス越しにも関わらず息を吹きかけていたという風景が見られたようだ。
他には8階では、始まる前に一人のおばあさんが両目をティッシュペーパーで押さえてずっと泣いていた様子だったが、吹き抜けに雪が降り始めると、窓辺にやってきて現象を見始めた。
おばあさんの話によると弟さんが丁度手術中で辛い状態らしく、毎日この時刻に来て30分ずっと現象を見ているという。そのおばあさんは特に友達も居ないようだったのだが、30分の最後の方でやってきた別のおばあさんと会話をし始めたということが起こったようだ。

吹き抜けに起こる現象は単なるきっかけに過ぎない。
でも何かのきっかけがあれば人は誰かとコミュニケーションを図ったり、自分の力で歩き出したりするのだと思う。
その人間模様の風景が実はこの作品の本質なのだと思う。
そういう意味でこの作品は演劇ということも出来る。

ランドスケープアートは現象を見るということだけではなく、そこで人々が織りなす状況も同時に見るべき風景となる。
単に吹き抜けにインスタレーションを行うということだけではなく、それを眺める人のコミュニケーションとまなざしにまでアプローチしたいというのが僕の意図なのだが、さらにそれを外からサポーターのまなざしに今回は実験的に迫っているところもある。

ずっと悪態ついているお爺さんの言葉の中に、この現象への愛を感じることもあるだろうし、下を向いて現象とは無関心に本を読んでいる人がふと見上げる視線に何かの心の動きを見る事もあるだろう。
30分間その空間に身を浸すことで人々の振る舞いと心の動きとの間にある関係が見えて来るかもしれない。
それはこれまであまり意識しなかったことなのかもしれないが、そうやってまなざしが変化していくことは、きっと心の中を豊かに鍛えるレッスンなのかもしれない。
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# by innerscape | 2014-03-28 23:59 | アート

霧はれて光きたる春2014のレポート四日目

今日は実は僕の父の命日になる。
もう亡くなってから干支が2周した。
昨年は7つ年下の弟も亡くなったので、今頃はあっちで会っているかもしれない。
僕はいつも遺骨を二つ胸にぶら下げているので、今日の「霧はれて光きたる春」も二人は見ているだろう。

さて昨日の風景があまりに幻想的だったので、余韻に浸りたい所だがまた今日は今日の風が吹いている。
実際に今日は風が若干強い日だった。
この作品はやはり少し雲がかかっていて湿度があった方が豊かな風景になることが3回目にしてようやく分かって来た。
何も晴れ渡った空だけが風景を美しくするわけではないのだ。

夕方になって風が少し強くなり始めたので、今日はそれほどたくさんのシャボン玉は降り注がなかった。
しかしそれはそれで意味のあることだと思う。
一回しか起こらない出来事に意味があるのだ。
そしてそれは記録されようとそうでなかろうとその場に居た人が何か感じるものになるのだ。

毎回サポーターの皆さんにお越し頂いて目撃した風景を語ってもらうが、30分の間に繰り広げられる様々なドラマの内容が本当に興味深い。
サポーターの方々は本番中に様々な風景を目にするが、ほとんどの人は患者さんと会話して帰って来る。
その内容はかなり個人的なことにまで及ぶことが多い。
見ず知らずの人同士がそこまで深く個人的な話をするのかというような内容も時々耳にする。
風景異化には、異化された人々同士でコミュニケーションを行うという特徴があるのだ。

今日サポーターから聞いた中で僕が一番印象的だったのは8階のドラマだ。
母親の付き添いで点滴をした男の子が談話室へやってきてシャボン玉が落ちて来る窓辺の側で笑い声を上げながらニコニコと楽しげに立っていたそうだ。
途中でその母親が「あんた見えてんの?」と聞いたが、男の子は「見えていない」と答えた。
この様子を見ていたサポーターの方は、その言葉で男の子の目が見えていないことに気づいたという。
男の子が本当に見えていなかったのかどうかはサポーターには判断出来なかったようだが、それでもライトコートから聴こえて来る音楽であるとか、その場の他の人の空気などをその男の子は敏感に感じ取っていたのかもしれないと語っていた。

人の病が癒えるということについて、医学的な観点だけでは説明出来ないことというのはあるという。
結局は自分の身体は自分が癒していくのであり、医療はその自らを癒す力に手を貸すということなのだと思う。
そしてそれは薬物的なことや手術といったことに留まらず、その場の環境や風景、そして人の祈りや想いがそれに力を与えるということがあるのかもしれない。
昨日も開頭手術をしたばかりの人が一人で立ち上がって窓辺に寄りかかるという話を聞いたが、心が回復する事で身体にも力が湧いて来るということを少し信じてみたくなってきている。

他には、今日演出をつけていた7階の談話室から僕が実際に見た風景だが、一つ上の階の反対側の窓辺に看護士が4人べったりと張り付いていた風景だ。
4人とも窓辺の出っ張りに上って全身をガラス窓に押し付けて見ている姿に吹き出しそうになった。
終了2分前だったのだが、あまりに面白かったのでストップウォッチを見忘れて気がつくと終了時間を少し過ぎていた。

今日のサポーターの中には、イメージしていたものと違ったので残念だったという方も居られた。
それはそれで一つの感じ方なのだと思うし、風景の見方に正解など何も無いのだと思う。
しかし勿体ないと思うのは、あるフレームで風景を見ようとした時にそのフレームが余りに強いとその外側で起こっていることが見えなくなるということだ。
僕はそれを「まなざしの固定化」と呼んでいる。
まさにそのフレームを少しずらすことを「まなざしのデザイン」と呼んでいるのだが、今度は僕がずらしたフレームでそのまま固定化されてしまう人が居る。
映像や講演などを何度も見ている人の方がそういう堅いフレームを持った人がにひょっとすると多いのかもしれないが、そのあたりはもう少し研究の余地があると思う。
残りあと3日になってしまったが、サポーターとして来て頂ける方には既に案内を出しているかと思うので、良ければ風景になりに来てもらえれば嬉しい。

いずれにしても今日学んだのは、それぞれのサポーターが見て来る風景が豊かどうかというのは、その人のまなざしが柔らかいかどうかと関係しているということだ。
最終的には自分のまなざしは自分でデザイン出来るようになることが必要だ。
それはまるで自分の身体は自分が癒すということと重なっているように僕には思える。
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# by innerscape | 2014-03-27 23:59 | アート

霧はれて光きたる春2014のレポート三日目

昨夜から降り始めた雨が午後までずっと続いていた。
先週の予報では曇りだったのが、二日ほど前に雨マークに代わりそしてそれが昨日には確実に雨が降るという予報に変わった。
「霧はれて光きたる春」は天井の無い屋外のライトコート(光庭)で行うので、天候に大きく左右される。
屋上で吹く風が強くなればシャボン玉は全部上へ流されてしまうし、風向きを読みながらその日の状況に応じて演出を変えて行く。
しかし雨が降ると実施自体が怪しくなってしまう。
それは特殊効果の機材が雨に弱く故障する危険性が出て来るからだ。
だから土砂降りの大雨では絶対に実施する事は出来ない。
今日の雨は微妙な具合だった。

朝目覚めた時には雨が強く降っていたので、ひょっとすると今日は中止になるのではないかと予感していた。
しかしもし中止になったとしても、現場には出向いてそしてサポーターの方にも現場に来てもらって対話の時間が持てればと考えていた。
この作品は中止されることもその表現の一つなのだ。
昨日の風景があまりにも美しかったから、今日も窓辺にやってきていたが雨が降っていた。
それを見てもし雨で今日はその風景が見られないかもしれないとなった時の人々はどんな想いをするだろうかと想像してみる。
談話室で腰かけるご年配の方々の間では雨があがるかどうかの話題が飛び交うかもしれないし、残念そうに病室で一人でほおづえを突きながら空を見上げる人が居るかもしれない。
看護師さんもどこかそわそわと天気を気にしていたり、中には雨が上がるために祈りを捧げる人が居るかもしれない。
そうやって皆で雨が上がる事を待つという風景もこれは美しいものなのではないかと思う。
そして結局は見れなかったとして、その翌日に雨が上がった後でやってくる風景は一際待ち遠しいものになるだろう。
そうした様々な人々の想いやたたずまいも含めて全て作品の演出なのだと思っている。
本日のサポーターにも、雨で中止という事になっても現場で様々なものを感じて欲しいと説明をして集まってもらっていた。

開始時刻の30分前に実施を行うかどうかの判断が迫られるが、そこで奇跡は起こるのだ。
開始のぴったり1時間前には雨がほぼ降り止み、ぱらぱらと小雨の状態となっていた。
これならば実施出来ると判断し、慌てて機材をセッティングした。

いざ実施が始まったが、僕は雨の中のこの作品がこんなに美しいとは想像もしていなかった。
昨日の晴れた中での霧ではなく、湿度の高い中での霧は穏やかに拡散して、照明の光に奇麗に反応して行く。
湿度が高いと霧がなかなか消えずに高い所まで上って行くので、とても幻想的な風景が拡がるのだ。
そして雨が止む頃には空気の流れが弱いので、雪もシャボン玉も昨日以上にライトコートの中に入って行って、気がつくと空間一杯に満ちていた。
空気中の細かな水分によって音はいつも以上に遠くまで鳴り響き、途中で軽く降って来た雨が静けさを醸し出していた。
僕はこの作品を過去に何度も実施して来ているが、こんなにもしっとりとして艶やかな姿をこれまで見た事が無かった。

今日は患者さん達の反応も驚くぐらい良かった。
5階から12階の各階でサポーター達が出会った風景を後で毎回振り返って共有するのだが、それぞれの階での報告の中で、患者さん達が自分たちの居る階が一番いい風景が拡がっているとどの階も自慢し出すという報告が印象的だった。
毎日見に来ている人はその時間になると談話室の電気を消して暗い中で眺めているところもあるし、孫に見せたいとその場で携帯電話を手に取る方も居たという。
開頭手術を終えたばかりの患者さんが自分の足で立ち上がって窓辺に寄りかかる姿。
ゲームをしていた子供がふと眼を上げると降って来るシャボン玉に圧倒されてそのまま窓際に上ってしまう姿。
窓辺に30分釘付けになっていた二人のお爺さんは顔を見合わせながら、昨日の風景と今日の風景を比較していた。
どうやら実施の途中で小雨が降って来ていたようだったが、雨までが演出の一部のようだった。

ひょっとすると人が祈る力というのは天候を動かすのかもしれない。
今日はそんなことを信じたくなるような一日だった。
この作品は毎日変化して行く。
それは現象が変化して行くだけではなく、患者さんや医療従事者のまなざしも変化して行くのだ。
そして入れ替わりやってくるサポーターの方々のまなざしも不思議なことに変化して行く。
もちろん僕ら実施者のまなざしも。
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# by innerscape | 2014-03-26 23:59 | アート

霧はれて光きたる春2014のレポート二日目

昨日とは打って変わって奇跡的な風景が生まれた。
過去にも開催期間中には必ずどこかで奇跡的な風景に出会うのだが、こんなに早く出会えるとは思っていなかった。
昨日来られたサポーターの方々やマスメディアの方々には残念ながら、昨日とは比べ物にならないぐらい本日は素晴らしい風景だった。
見た方々はきっと一生忘れられない風景になったのではないかと思う。

昨日も書いたが、この作品は一期一会だ。
僕も結果をコントロール出来る訳ではないし、誰もそれをコントロール出来ない。
神様だけがそれを決める事が出来る。
だからそれが現れた時には全員が固唾をのんで空を見上げるのだ。
今日はそんな瞬間を多くの人々と共有した。

今回はクラウドファンディングやそれ以外で想いを具体的な支援に変えてくれた方々を中心に実施に際してのサポーターを募っている。
このサポーターとは特に何か難しいことをするわけではない。
この風景を一緒に作ってくれる人として、そしてこの風景の目撃者としてその場に居て頂く事が主な役割だ。
そしてそこで見て聞いた事を僕らに語ってもらうということを今回は行っている。
たった30分の出来事だが、その間に院内では本当に様々な出来事が起こっていて、様々なまなざしに満ちている。
そのまなざしを共有することが即ち「サポート」なのだ。
昨夜のサポーターの方々と本日のサポーターの方々ではきっとまるで違う風景を目撃している事だろう。
それは単に風向きによる現象の違いだけに留まらない。

昨日は初日だったのでテクニカルの事や制作周りで見えていないことなどがたくさんあったため、サポーターのまなざしのセッティングにまで気が回らなかったという反省がある。
だから今日は、最初にじっくりとサポーターとディスカッションする時間を持った。
作品の説明をしたりアンケートを配布するなどというのは二次的なことで、そこで何を感じて何を目撃したのかということを後で僕らに語ってもらい、まなざしを共有することが目的なのだということを確認する。
昨日はそれが出来なかったので、妙に何かをギブせねばならないと感じたり、問題点ばかりを見つけてくるようなまなざしになっていたのだろう。
それでは病院の方々と風景を共にする30分がとても残念な時間になる。
だから頭を空っぽにして風景に身を浸して感じてもらえるようなセッティングを最初にする会をもうけたのだ。

結果、彼らが見た風景は素晴らしかった。
実施前は全員がこれまで見聞きした風景のイメージを抱いて各階へ散って行くが、30分が過ぎて再び集まって振り返る時に出て来るストーリーの豊かさは、僕らの想像を絶するようなものだ。
その詳細はその場に居た人々と我々のアーカイブの中にしかない。
今日はマスメディアの方々は一社も来なかったので、きっとここで語っていることの真意は理解出来ないかもしれない。
一期一会のこの作品はどこで出会えるか分からないので、一部だけを切り取り編集するしかないマスメディアでの発信ではズレが生じる可能性がある。
そこに映されていることはほんの一部に過ぎず、その裏側では映されなかった多くのまなざしを掬い上げるのには時間と根気が必要だからだ。
だから我々は毎日様々な方法で出来るだけ多くのまなざしを拾い上げるのだ。

毎日この作品は変化して行く。
それは天候や気象によって現象が変化するだけではなくどこから見るのかによっても変わる。
この作品は各階によって見える現象が異なるだけではなく、病棟の違いによってそこに居る人々のたたずまいが異なる。
ここで僕が起こしている現象というのは単なるきっかけであり、その現象によってその場に居る人々がどのように振る舞い、どのようにまなざしが導かれるのかということがこの作品の本質だ。
天候や気象によって変化する移ろいやすい現象を初日に人々が体験することで、二日目、三日目の人々の反応はまるで異なって来るのだ。

明日は雨が降って中止になるかもしれない。
しかし今日の圧倒的なシャボン玉と雪の風景を見た人々はその雨へのまなざしも変化するだろう。
そしてもし雨が降って中止になったとしたら、その次の日に再び見る現象へのまなざしの意味はまるで変わる。
そうした微妙な人々のまなざしの変化を感じ取るためには、じっくりとその場に身を浸す必要があるのだ。
そのためには自分が何かをしてあげているなどという不遜な態度を取り去って、院内の人々とともに「風景になる」ということが大事なのだ。
今日のサポーターの方々は、見事にこの作品の風景となり、色々と感じて来てくれたことを語ってくれた。
それはとてもここには書ききれないぐらいたくさんの想いが詰まっている。

クラウドファンディングにご協力頂いた方々にはサポーターの案内を既にお送りしているが、やってくるのはほんの一部だ。
だからそれをこの期間中はずっと僕らはまなざしを向けて記録することにしている。
全て終わった後に僕らがこの出来事を語り直す時に、僕らが何を目撃してどのようなまなざしになっているのか、今はまるで検討がつかない。
しかしいずれにせよそれは何か大きな意味が潜んでいる事は間違いない予感として既に感じている。
明日は僕らは何を目撃するだろうか。
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# by innerscape | 2014-03-26 08:00

霧はれて光きたる春2014のレポート初日

本日より始まる。
2012年に赤十字病院で実施した時と同じ事を感じている。
本日のサポーターの方々のまなざしに多くの気づきを頂いた。

サポーターの方々は基本的には僕の講演を聞いたりこの作品を知っていてやってくる方々なので、既に何かの成功のイメージを持たれている事が多い。
しかし何かの正解をそこに求めることは、実はこの作品の本質から離れてしまうのだと思う。
この作品には何か正解や答えがあるわけではないし、感動を僕が提供するわけではない。
僕ら主催者やサポーターの方々は何か感動を与えねばならないと感じたり、何かを提供せねばならないという立場で臨むのは実は少し違うのだ。
僕らは、患者さんや医療従事者といった病院に居る方々と何ら変わりなく、ただ同じ高さのまなざしで奇跡が起こるのを待っているだけなのだ。
奇跡が起これば人はその瞬間に既に感動しているものだ。

ランドスケープアートは僕が作り上げるものではない。僕はきっかけを与えるだけに過ぎず、後は自然がそれを演じるのだ。僕の意図は半分しか介入出来ず、神様が奇跡を起こした時にその美しさは永遠に心に焼き付けられるものとなる。作家の意図などその前では無意味で、観客と一緒に奇跡を祈るだけだ。
だから毎日違う風景がそこに立ち現れる。昨日見た風景と明日見る風景は違うのだ。それはエンターテインメントと呼ぶような意図を持ったものではなく誰もコントロールし得ないからこそ奇跡的な風景であり、だからこそ一期一会のその出会いが貴重なのだ。
今日は現象としての奇跡は起きなかった。明日はどうだろうか。
ただ目の前に常に人が繰り広げる奇跡は満ちあふれている。

これは演出の意図がどうとか言う話ではない。雨が降るか風が吹くか光がさすかは我々人の手ではコントロール出来ないからだ。そのことを分かった上で何かを信じたり、期待を込めて眺めたりすることは、誰かに何か美しいものを与えられることよりも遥かに重要なことであるように僕には思える。
おそらく金さえかければ楽しませることは出来ると思う。しかし確実に成功することが分かっているような作品が必ずしも深い感動につながるとは限らないと思っている。
与える者と与えられる者がわかれることなく、誰も結果が分からず、誰もが成功を願う状況があるからこそ、それが成就出来た時に何か奇跡的な力や祈りの力を感じることが出来るのだ。
それは治療を施す者と治療を受ける者という区別を取り払う出来事だ。
そしてこうした取り組みを実施する者とそれを享受する者との区別を取り払う出来事なのだ。

だから明日は成功しないかもしれない。そして明後日や明々後日も成功しないかもしれない。そのまま成功を見ずに終えてしまうかもしれない。だがそれがどんなに無駄に終えることに見えようとも。奇跡を望むまなざしを捨ててはならない。その姿勢はまるで闘病や生きていることと同じではないのか。
奇跡を目にする人間はそれほど多くはない。しかし奇跡は目にした人の言葉を通じて目にしていない人の心に届けられる。この世のどこかに奇跡があると信じる心こそが人が生きる上で必要なことであり、それは誰かに仕組まれ、演出された風景とは似て非なるものだと感じる。
テレビメディアが数局来ているが、おそらくこの本質に気づいている局は無いのではないかと思っている。なぜならおそらく”病院の中にアートが必要だ”という局所的なメッセージとして報道されるだろうからだ。
本当に奇跡を待つのであればもっとじっくりとそこに身を浸す必要がある。その覚悟が予算的にも時間的にも限られているマスメディアにも問われるかもしれない。
だからそこで語られなかったことやプロセスを僕らは自分たちでちゃんと記録することにしている。
今回はその覚悟のある人たちと一緒に出来る事を心から感謝している。

僕はこの期間中に奇跡が起こる事を僕は信じている。
あなたはどうだろうか。
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# by innerscape | 2014-03-24 23:59 | アート

想いの結果が奇跡的な風景を生む

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急性期病院の入院病棟で「霧はれて光きたる春」を行うためには膨大な調整が必要だ。
何しろ24時間稼働中の大規模病院の真ん中で行う空間アートだからだ。
絵を書いて飾ったり、彫刻を設置したりするのとは規模が違って、全ての入院病棟を貫く吹き抜け空間で行う芸術表現なので、膨大な調整毎ととんでもない問題が発生する。
今回は前2回に比べて一番吹き抜けの規模が大きい。
それと比例して、困難な状況がたくさん起こってくるのだ。

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毎回必ず本番を実施するまでの期間に現場テストを行うのだが、今回の一番の問題は屋上の柵の問題だった。
屋上の四周の片側にある柵が邪魔でシャボン玉を発生させる装置を設置する場所が取れずに居たのだ。
この柵は簡単に取れない上に、3mもあり、撤去するにも一部を切断するにも膨大な費用がかかる。
そしてこれをかわす形で足場を設定して吹き抜け内部に作業スペースを確保するのにも膨大な費用がかかるので八方ふさがりだった。

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それだけではない。
病院の吹き抜けには大体、大きな吸気口が穴をあけている。
前回の赤十字の時には13階に吸気口があったため、下から上げる霧の影響はほぼ無くなるのでそれはクリアしていた。
しかし今回は4階に院内への吸気口があるため、霧の発生が問題になる可能性があるという指摘もあった。
中央の吸気口なので手術室に霧が入っていき真っ白になるとオペに支障が出るからだ。
成分的には何の問題もないが、視界が遮られるのは問題だ。

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そうした問題を一つずつ丁寧にコミュニケーションをはかり、表現を微妙に変更しながらクリアしていく。
僕ら作り手だけでなく、病院の職員の方々も一緒になってその問題の解決に向けて調整をしていくのだ。
僕はこのプロセスに意味があると思っている。

最初は僕がイメージした風景なのだが、それが途中から全員が共有する未来の風景になるのだ。
僕が想像したことが僕だけの想像ではなく、職員やテクニカルスタッフ含めて全員が想像する未来の風景になるというこのプロセスの中に、共同である一つのランドスケープを作るという本質があるように思える。

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これは何も現場で作っている人間だけではない。
今回はこの風景を作るための資金集めの段階から、多くの方々とともにしている。
毎日毎日、多くの方々がクラウドファンディングに支援して頂き、そしてクレジットカードを持っていない方は送金してくれる方もたくさん居た。
資金面で援助は出来ないけど、情報拡散にお手伝い頂いた方もたくさん居たし、応援メッセージもたくさん頂いた。
この数年の間、どんな小さな講演会や勉強会でも断らずに出向いて行って話をしていたが、そこで出会った心あるたくさんの方々から頂いたご協力の申し出は、みんなで一つの奇跡的な風景を作るプロセスなのだ。
風景というのは、ある日突然出来るわけではない。

僕の想い、そして皆さんの想いという原因があり、その結果として風景が表現されていくのだ。
この風景が出来る原因は僕も含めた多くの人々の想いだ。
形や表現は結果に過ぎない。

想いを形にするクラウドファンディングの仕組みはあと10日
10日の間にある一定の想いがそこに集まらなければ、皆が思い描いている風景は現れないかもしれない。
この仕組みでは、3月20日の23時までに目標金額に達成しないと決済が不成立になりこれまでのご支援も全て返却されることになるからだ。
だから今回は目指している総予算の半分以下としてクラウドファンディングの目標金額を設定している。
あまりに金額が高いと達成出来ない可能性があるからだ。

もしこうした風景に可能性を少しでも感じて頂けるのであれば、是非とも想いを風景に出来るようにご協力いただければと思う。
そしてそうした方々が増えていけば、いつか医療現場においてこうした芸術が見られることが当たり前の世の中になるのだと思う。
僕らがそうした未来を選択するかどうかは、僕らの想いにかかっているのだ。


医療の現場で空間アート「霧はれて光きたる春」を開催したい!
クラウドファンディングサイトREADY FOR?

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# by innerscape | 2014-03-09 23:25 | アート

医療と芸術の未来を考える

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3月2日に「医療と芸術の未来を考える」というイベントを行った。
場所は大阪府の江之子島文化芸術創造センターの4階でそれほど大きな部屋ではない。
このイベントを開いたのは、今度大阪府下の急性期病院で実施しようといている拙作のインスタレーション「霧はれて光きたる春」を行う前に、この作品をなぜやるのか、そしてどこに向かうべきなのかという方向性について多くの人と共有や確認をしておきたかったというのが理由だ。

当日イベントの内容としては、18時からメディア向けに記者会見を行い、19時からは前回の大阪赤十字病院での同作品の取り組みの記録映画を上映した。
そして19時半からは大阪市立大学医学部付属病院に努める山口悦子先生との対談を1時間弱行った。
イベントの告知期間はおそらく1週間ぐらいしか無かったと思う。
でも50名近くの人々がやってきてくれて、会場は立ち見が出るほどの満員だった。
テレビメディアも含めて、こうして皆さんがご関心を寄せて頂いているという事実に驚いていると同時に、こうした取り組みの可能性について気づかされる事が多い。

元々僕はランドスケープデザインを専門にしていたため、他の多くのアーティストのようにアトリエの中で作ることがあんまり無い。むしろ様々な現場の中で問題を発見しながら、その場に応じた素材や手法で風景(ランドスケープ)として表現していくのが仕事だ。
だからどのような現場でもその表現を見つけて行く事は出来るし、逆に言えば一度した表現が他の現場で通用するとは限らない。
なぜならば現場ごとに“問い”が違うからだ。

この作品は元々は大阪市立大学医学部付属病院のために2010年に僕が作った作品だ。
その以前から、市大病院の依頼でアーティストとして院内でアート作品を作ることを依頼されていたが、3つ目に作った作品だ。
2007〜2008年は小児科病棟待ち合いで作った「タングラムスケープ」、2008〜2009年は入院病棟の患者さんが訪れる院内6階の空中庭園で作った「メッセージオブウインド」、そして2009〜2010年にこの「霧はれて光きたる春」という順番だ。
この作品は10階分ほどの吹き抜け空間に霧やシャボン玉という現象を出現させて、人々のコミュニケーションがある風景を作るという単純な手法だが、これはこれでなかなか試行錯誤を経て作っている。
元々は患者さんに向けて作っているというのが出発点なのだが、そこからずっと掘り下げる中で見えてくる問いがあるのだ。

僕はその場所で風景を作っているという表現の性格上、同じ作品を別の場所で再び試みるという機会はほとんど無い。
しかしこの作品は継続してもう気がつけば3回目を行おうとしている。
なぜ継続するのかというと、どこの医療現場を見てみても、その風景には同じような課題を抱えていることが現れているからだ。
その問題をずっと考え続けている。
そして今回はそれを多くの人と一緒に考えたいと思っている。

今回はクラウドファンディングという形で多くの方にサポートして頂いている。
それは単に資金としてサポート頂いているということ以上の意味合いを持っている。
こうしたサポーター達は、この作品を通して「医療と芸術との未来」を考えている一人の主体なのだ。

僕らは全員が入院患者なる可能性を持っている。
そして、自分の家族が入院患者になる可能性もある。
そんな大変な状況になった時に、どういう風景と出会いたいのだろうか。
どういう風景が救いになるのだろうか。
そうした風景をつくることに芸術からどのような手を差し伸べられるだろうか。

この取り組みを通じて、そんなことを一緒になって考えてくれる主体として僕はサポートしてくれる人を捉えている。
あと2週間ほどで、このクラウドファンディングの仕組みを利用したサポートは終了する。
システム上、定められた3月20日という期間内に目標金額まで達しない場合には、このサイトでのプロジェクトは不成立ということになる。
そうなれば実施は非常に厳しい状況に陥る事になる。

あと2週間を前に、ようやく半分まで来て、現在88名の方々がメッセージとともに具体的な形でこうした未来を選択している。
その事実に僕は感動している。
ひょっとすると期日内に目標金額に達せずにいて、このプロジェクトは二度と日の目を見る事はないかもしれない。
しかし、こうして具体的にサポートすることを通じて多くの方々と繋がれたという事実は消えない。

この取り組みを今回僕は自分だけの表現行為ということから、こうしてサポートしてくれる方々と一緒になって作って行く風景に変えたいと考えている。
だからこのプロジェクトがもし実現すれば、サポーターの皆さんは胸を張って自分が生み出した風景だと思ってもらいたい。
あと2週間、この仕組みを通じて仲間が増えてくれる事を願っている。

READY FOR?
医療の現場で空間アート「霧はれて光きたる春」を開催したい!

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# by innerscape | 2014-03-02 19:00 | アート

神戸のバイオライン研究所で話します

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ハナムラが非常に影響を受け、お世話になっている冨田哲秀先生のバイオライン研究所で講演させて頂きます。
ここの冨田哲秀先生は本当に面白い先生で、食養学の第一人者です。
食べること、立つことから、生きることまで一貫した哲学がそこにあり、僕も合う度に勉強させて頂いています。
冨田先生との所には少し顔出して話し込むと、気がつけば3時間とかすぐに経ってしまっているぐらい対話の相手として非常に刺激を頂いております。
歳の差にすると25以上離れていますが、これほど柔軟に哲学し、食と身体と生命についての知識が豊富で、クリエイティビティ溢れる市井の賢者を僕はあまり見た事がありません。
この日は僕の話は半分ぐらいにしておいて、冨田先生とのディスカッションを是非とも楽しんで頂ければと思います。
僕の講演を聴いた事の無い方は、前半の僕の講演もお聴き頂けますが、それ以上に冨田先生との対話を通じて、彼の知識や哲学を聞くだけでも価値があると思います。
食に関心のある方、身体に関心のある方、自分の性格の傾向を見つめたい方、食と身体と精神との関係に関心のある方には是非お越し頂きたい場所です。
ウェブサイトは宗教がかっていて怪しそうですが、全く大丈夫です(笑)。
おいしい玄米が食べれるカフェも併設されておりますので、来られた事の無い方は是非お越し下さい。
下記、BL研究所の案内貼付けておきます。

「人間観察研究会」 
ハナムラチカヒロ&冨田哲秀 (参加費2000円)
2月27日(木)
☆19:00~22:00


場所: BL研究所
〒650-0021兵庫県神戸市中央区三宮町3-9-19

以下冨田先生のご案内です。

さまざまな顔を持つ(ピカソの人物画みたいです)ハナムラチカヒロさんをお招きして、興味津々のお話会です。

※風景のアート・デザイン作家・イケメン役者・大阪府大准教授・
もしかしたら私(冨田哲秀)との対談もあるかも?

※参加費を、2000円といたしました。
(ふだんより安いです。できるだけ多くの人に参加していただきたいです)

※ハナムラチカヒロ(花村周寛氏参考記事は、当あすなろ日記、1月7日、1月13日の記事でもお読みいただけます)

冨田哲秀先生の「あすなろ日記」
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# by innerscape | 2014-02-27 16:48 | インフォメーション

FMOSAKA85.1"REALIZE!"に出演します

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以前にもお世話になりましたラジオ番組 FMOSAKA 85.1"REALIZE!"にゲストで出演します。
DJの森裕子さんとは二回目ですが、非常にキュートで、聞き上手な方なので収録時もどんどん引き出して頂きました。

今回は一般社団法人ブリコラージュ・ファウンデーションの代表理事として出演して、「霧はれて光きたる春」の話を行います。
オンエアは2月27日(木)16:40頃、"REAL TALK"のコーナーです。

次で3回目になる大阪の大規模急性期病院入院病棟でのアートインスタレーション「霧はれて光きたる春」ですが今回は社会化がテーマで、資金集めの段階から多くの方々とご一緒することで、医療に対して芸術が手を差し伸べられる可能性について一緒に考えて可能性を共有していければとの想いです。
誰もが患者になる可能性のある病院という場所において、心の救いになれるような風景を目にしたり、立場や役割を越えて誰かとコミュニケーション出来ることはきっと入院生活において何か意義深いものになるのではないかと信じています。
こうした医療現場を始め様々な社会の中で芸術が果たせる役割や生み出せる価値について一緒に考えてくれる仲間を募っています。
もしご関心お寄せの方は、是非クラウドファンディングサイトREADY FOR?にてご支援にご協力頂ければ嬉しく思います。
金額の大きさの問題ではなく、未来を選択する一人の主体としてより多くの方々と一緒に共有出来ればと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
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# by innerscape | 2014-02-27 16:40 | インフォメーション

想いと表現

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何かの想いを人に伝えるというのは本当に難しい。
人の心の中は直接見えるものではないし、自分の心の中も誰かに触ってもらうことも出来ないからだ。
だから人は言葉や言葉ではないものや身体を使ってあらゆる方法で自分の想いを伝えようとする。
その表現行為そのものが文化と呼ばれるものだろうし、その表現が誰かの心をふるわせるのであればそれは芸術と呼ばれるのかも知れない。
しかしそれが芸術たりえるかどうかというのは結果であって、それを目的にすることは本質から外れた行為だと本当は思う。
人と人とは心を直接交換することが出来ないから、そこに断絶と大きな哀しみが横たわっている。
だからほんの一瞬でも誰かと心が繋がった瞬間に人は幸福を感じるのだろう。
そういう風景を僕は美しいと思う。
それが芸術と呼ばれようとそうでなかろうと、そこには尊い何かが流れているのだ。
僕は表現の力がその尊い何かを生み出すのではないかと信じているし、その表現というのは何も自分だけで出来るとは全く思っていない。
表現というのはその人が心の中に抱いている想いの結果であって、心の中が貧しければその表現は結果として貧しいものになるのだろう。
だから何かを表現する人にとって心の中を常に磨いておくことはとても大切なことだと思っている。
今僕は大きなことにチャレンジしようとしている。
それは自分の想いだけでは出来ず、多くの人々の想いを共にすることで実現する。
だからこそみんなが寄り添える想いとして自分の心の中を磨いていくことがとても大切だ。
何かの想いを人に伝えるというのは本当に難しい。
でも多くの人が同じ方向にまなざしを向けた時に、その想いは他の多くの人々の伝わるのではないかと信じている。

もしその想いに共感して頂けるようであればどうぞよろしくお願い致します。



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# by innerscape | 2014-02-22 11:17 | アート

まなざしの曇り

目的のために手段を選ばないという考え方にある種の正しさや諦めを帯びていたのは20世紀の考え方である。
世の陰謀や洗脳やその他人間の悪知恵のほとんどが暴かれ共有されつつある21世紀においては表面上の目的だけ達成出来ればそれで良しという態度はもう通用しないと思う。
目的のために人を不当に傷つけたり、裏で調整と称した政治を働いて事実をねじ曲げるのであれば、そもそもその目的が汚れていたりすり替えられていることを疑った方がいいかもしれない。
結局は己が他人よりも有利な立場に立ちたい、利を得たい、評価されたいという欲望に囚われるあまり、心を磨いたり己が成長するチャンスを自ら絶っていることに気づけていないからだ。
我々は簡単に何かに囚われる。お金に囚われる、欲望に囚われる。概念やイメージや思想や理想に囚われる。そうやって色んなもので自分を不自由にしていくことで心は気づかない間に曇っていくのだ。
何かの出来事があった時にそれに対する心の有り様に丁寧に向き合っていく結果が方向性を決めて行くというのが正しい順序だと思う。先に何か目的を立ててそれを達成するために心の有り様や出来事や事実を合わせに行くというのは、原因と結果がまるで反転してしまっている。
何かの「結果」というのは人間にとって強烈な誘惑である。目に見えて分かりやすく、誰でも評価や共有しやすいからだ。しかし、その結果ばかりに目を奪われると心が汚れていく。心が汚れていくと、その結果を生み出す元となった「原因」に目がいかなくなる。
逆に結果を生み出すために原因を捻じ曲げようとするように頭が働くのだ。
ずっとそういう頭の働かせ方を繰り返していると、心が感じている違和感が封殺されてしまい、遂に辻褄を合わせるために心が捻じ曲げられる。
僕はそれを「まなざしの曇り」と呼んでいる。「呪い」言ってもいいかもしれない。
一度呪いにかかると解くのが大変だ。長い間まなざしが曇った状態が続くと、曇った状態が正常だと思い込んでしまう。曇っていない周りが異常だと思い込んでしまうのだ。そうなってしまうと簡単には救われない。そしていつ自分がそういう呪いにかかるのか分からないということは意識しておかねばならない。だから曇らないように磨き続ける必要があると思うのだ。
政治の世界にそういう呪われた人が多いというのは、目的ありきの世界だからだ。勝ち負けが絡むことは得てして呪いが強くなる。
もともと「政治」という言葉は"まつりごとをおさめる"という意味だったのかもしれないが、僕らが市井で「あの人は政治を働く」という時に使う場合、己の利や目的のために人や結果を操作するという意味で使う。
しかし情報技術の進歩で人間の精神の光と闇の共有の速度が一気に加速したこの21世紀には、心の有り様が問われる世になるような気がしている。
物事の原因にちゃんと目を向けて、それに向き合って行く中で自然と結果が生まれてくる。結果だけ切り出してみて評価する態度は非常に浅はかで、それが生まれてきた原因や生み出した人やその周りの人々の心のプロセスと共に評価することが多分重要になってくる。
そうでないときっとそれは砂上の楼閣であり、すぐに倒れてしまう結果になるだろう。成熟化へ向かう社会の中でそうした子供だましはもう通用しない。
ブランディングやプロデュースという言葉ですぐに結果が生産されがちな社会だ。その結果をディスプレイするために、事実や原因まで捏造されてしまっていないか。その心は浅ましい損得勘定や自意識の充足に満たされたものではないのか。これからの時代、表面化してくる「結果」に対して我々の心の目が試される時代になるのかもしれない。

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# by innerscape | 2014-02-10 08:00 | 未来の自分との対話

奈良のたんぽぽの家で講演します

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奈良の「たんぽぽの家」で行われる「福祉を変えるアート化セミナー」で講演をします。
たんぽぽの家は芸術によるソーシャルインクルージョン(社会的包摂)をテーマにもう数十年活動されている団体です。

以前僕の講演を聴いてくれた代表の播磨さんが、講演でいつも話す「アートはクエスチョン、デザインはソリューション」という僕のフレーズを非常に気に入られて、それをそのままセミナーのタイトルにしてくれました。
2月8日、9日の二日間ですが、僕は一番始めの講演を務めさせて頂きます。
非常に内容の詰まった二日間になると思いますので、ご関心お寄せの方は是非ともご参加頂ければと思います。



日 時2014年28日(土)ー9日(日)※申込締切:2014年1月31日

会 場:たんぽぽの家アートセンターHANA(奈良市六条西3-25-4)

参加費:一般15,000円 学生/メンター会員10,000円 

    *奈良県内に在住・在勤・在学の人に限り、参加費無料

定 員:各日100名[申込先着順] 

お申し込みフォーム →◎奈良県内に在住・在勤・在学の方 ◎奈良県外の方

※お申し込みに関する詳細はこちら

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

私たちは2002年から「アートを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、すべての人の権利」という考えのもと、「福祉をかえる『アート化』セミナー」を開催してきました。そして、福祉の現場や関係性をクリエイティブなものに変革していくこと、また障害のある人の表現を社会へとつなぎ、社会そのものを豊かなものにしていくことをめざしてきました。

今回のセミナーでは、改めてアートやデザインの力を問い直し、生活を豊かにすること、仕事につなげることを考えます。制度や従来の方法にとらわれず、異分野と連携しクリエイティブな活動を展開する、全国の先駆的な事例を通して学び合い、共有する場をつくります。みなさまのご参加をお待ちしています。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -  

   8th.jpg12:30〜13:30 受付
13:30開始 あいさつ:播磨靖夫(財団法人たんぽぽの家理事長)

オリエンテーション

13:50〜14:50[60分] 講演1「アートの役割とまなざしのデザイン」
「アートは問いをなげかけ気づきを促すもの、デザインは解を導きだすもの」との考えのもと、社会のさまざまな垣根を横断し、プロジェクトを行ってきたアーティストとしての実践から、今の社会におけるアートとデザインの役割を考えます。
hanamura.jpg花村周寛(ランドスケープデザイナー/大阪)

アーティスト、役者、大阪府立大学21世紀科学研究機構准教授、大阪大学工学部建築学科非常勤講師。ランドスケープデザインや建築、コミュニケーションデザインを行う一方で、公共空間でインスタレーションなどのアート作品の制作も行う。

15:00〜16:00[60分] 講演2「今、デザインにできること」
「日常を楽しもう!」をコンセプトにさまざまなモノや事をクリエイトするヒッコリースリートラベラーズ。人と人のつながりを大切にする、地域を豊かにするデザインについて考えます。
sako201b.jpg迫 一成(ヒッコリースリートラベラーズ代表/新潟)

2001年クリエイト集団ヒッコリースリートラベラーズを結成。新潟市上古町の店舗でオリジナル衣類、雑貨等のデザイン・制作・販売を行うほか、新潟市美術館ミュージアムショップの運営も行う。

16:00〜16:30[30分] ディスカッション
コーディネーター:播磨靖夫(財団法人たんぽぽの家理事長)
16:45〜17:45[60分]*オプション(1)アートセンターHANA見学ツアー
たんぽぽの家施設長とメンバーがアトリエやショップ&ギャラリーのほか、バックヤードである倉庫も含めてご案内します。
  *オプション(2)ダンスワークショップ研究会「アリとコスモス」 映像+ディスカッション
dance.jpg2010年からたんぽぽの家で開催しているダンスプログラム。重度の身体障害のある人、知的障害のある人、そしてスタッフなどさまざまな人が参加しています。ダンサーの佐久間新さんとともに映像を見ながら、ダンスを通して人間の可能性を探ります。

進行:渡邊弥生(たんぽぽの家アートセンターHANAスタッフ)

18:00〜20:00[120分] 交流会
全国から来る講師・参加者とおいしい料理を食べてたくさん話しましょう。名刺をご用意ください!

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# by innerscape | 2014-02-08 13:00 | インフォメーション

大阪産業創造館で講演します

久しぶりに大阪で講演します。
僕の話をまだ一度も聞いて事が無い方は是非お越し下さい。
今回は昨年7月に札幌のモエレ沼公園で行ったフェィスティバルの作品と、11月からベンガル湾で行っているランドアートの作品の二つも追加してお話します。
会場でお待ちしておりますので是非。


協力:大阪産業創造館
日時:2014年1月14日(火)18時30分~20時30分 交流会20:30~21:30
場所:大阪産業創造館 17階交流スペース(アクセスマップ)
会費:2000円(勉強会&交流会)
募集人数:50名

2014年初のウズウズはハナムラチカヒロさんをお迎えします。

ランドスケープデザインは,通常公園や緑地などの外部空間の設計やデザインを行う領域を指します。
ハナムラさんの専門はランドスケープデザインをさらに進化させた「風景異化」という独自の領域です。風景を変えるために木を植えたり道を作るのではなく、「場所に立つ人がこれまでと異なる見方を持てば、その人の中で新しい風景(landscape)が生み出される」というものです。
日常の繰り返しの中で固定概念や偏見がうまれ、本来見えていた大切なものが見落とされる事が多い今、場を違った角度から見つめ直す「まなざしのデザイン」を実践することが重要です。

私たち経営者は厳しい社会情勢に置かれています。
会社をとりまくさまざまな外部要因の変化を敏感に察知し柔軟に対応し、自ら変化し続けていくことが求められています。
しかし実際は偏見や常識に縛られたり、日常の繰り返しの中でものの見方が固定化され本来見えるべきもの、大切な何かを見落としてしまいがちです。
今回はハナムラさんの提唱される「風景異化」を知り、目の前の事象と自分の関係を自らデザインし主体的に乗り越えていく方法を共有して頂きたいと思います。


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# by innerscape | 2014-01-14 18:30 | インフォメーション

呼吸法のレッスンがバイオライン研究所で開催されます

神戸でお世話になっている食養学の冨田先生がおられるBL(バイオライン)研究所で呼吸法のレッスンがあるようです。
http://inyan.seesaa.net/

この先生のブログには僕も度々登場しますが、僕が敬愛して止まない先生の一人。
2月末に一度対談をする予定です。
呼吸は僕らが意識的にコントロール出来る方法で、血流や神経系統といった外から調整しにくいものへアクセス出来る方法かと思います。

身体の調子が整わない人や、人に説得力のある声で話したい、歌がうまくなりたい人などにはお薦めです。
身体的な技法のレッスンから、その呼吸や声が人生においてどう意味を持ってくるのかというところまで考察するクラスになると思います。
いつか♭でもやろうかと考えていますが、4回通して参加されるのがお薦めですので是非一度御試し下さい。


(以下転送)

呼吸法と声のレッスンのご案内

私たちが日々何気なくしている呼吸。しかし日々のストレスや、姿勢の悪さによって呼吸は浅くなり、その質は低下している傾向にあります。
浅い呼吸は更なる心や体の緊張を呼び、ストレスの悪循環につながります。

いい呼吸とは、本来楽なもの。柔らかいもの。優しいもの。
身体を中から活性させるエネルギーの元。深い呼吸をすると、心身は喜ぶ。
そして、その呼吸にのって生まれる声が、あなたの本来の声です。

息をするのは、生きること。

ゆったりとした深い呼吸で、穏やかなひとときを味わってみませんか。
全身に満ちる柔らかな息で、体の内側から美しくなりませんか。
あなたの本当の声に、あなた自身に出会いませんか。

………………………………………………………………………………

当呼吸法講座では、呼吸や声の話を交えながら実践(ワーク)を中心に、良い呼吸のための姿勢、負担のない柔らかい身体の使い方など基本的なことから、呼吸がともなった本来の声の出し方へ繋げていきます。
どなたでも、お気軽にご参加ください!


呼吸法は脳幹のパワーを引き出すことで潜在パワーを引き出し、自然治癒能力を高めます。
さらに、呼吸法は全身リラックスに導き本来のあなたの声を戻してくれるのです。
緊張した声から豊かな柔らかい豊かな声へと導き、それが対人関係の緊張をほどいてくれます。
気が付いたら歌まで上手になっています。

今回の4回のレッスンは基礎コースで指導者コースへの土台になっています。

日時:
第1回 1月11日(土)
第2回 1月25日(土)
第3回 2月8日(土)
第4回 2月22日(土)
いずれも17:00−18:30

※1回から参加出来ますが4回受講される方が効果的です。

参加費:1回2500円 4回セットで9000円
講師:高村聡子
問い合わせ:BL研究所078-334-0623 または breathandvoice@live.jpまで

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# by innerscape | 2014-01-11 18:24 | インフォメーション

2013年のレビューと2014年の展望

2013年は僕にとって試練の年だった。
落ち着いた時間が取れなかったのだが、ログとして2013年に印象深かったいくつかのことを振り返って整理してみる。 

1月 
アムステルダムからパフォーマーMelih Gençboyaciが♭へレジデンスに来る

2月 
岩手の神楽と聖地のフィールドワーク

3月 
関西テレビ「スーパーニュースアンカー」で活動が紹介される
スタンフォード大学で行われたAAAI(国際人工知能学会)で風景異化論を研究発表
アリゾナの聖地のフィールドワーク 

4月 
大阪府立大学社会人大学院の開校
モエレ沼公園のフィールドワーク
♭にて「シネパラードvol.2」開催

5月
映画WS「キネミカルヴァーチューズ」
ソウルの国際会議「芸術と教育」に登壇
ジャパンデザインプロデューサーズユニオンにて基調講演
「風景異化論」を造園学会にて発表
花火の演出打ち合わせ

6月
「見立て研究」を人工知能学会にて発表
弟の花村勝寛がトロントにて逝去、死因の調査へ渡航
クリエイティブツーリズムの代表の交代劇
社会人大学院にて「地域デザイン論」の開講
♭にて伊藤俊治先生還暦パーティ

7月
母がニューヨークへ静養に行く
大阪ディスプレイデザイン協会にて講演
アイヌの聖地のフィールドワーク

8月
DSA名古屋支部にて講演
活版印刷工場を舞台にした映画の稽古
大阪府立大学学長懸賞受賞
♭にて「映画侠区」開催
医療福祉の展示会にて講演

9月
韓国のアーティストLee Daeilが♭へレジデンス
浦山監督の「株式会社恋文印刷所」の撮影
社会人大学院「都市文化デザイン演習」開講
いじめ問題について友人から相談を受ける
実家の荷物整理

10月
都市文化デザイン演習にて「まなざしのデザインガイドブック」の制作指導
堺市シティプロモーション事業アドバイザー就任
日本空間デザイン大賞贈賞式

11月
奈良リバースツーリズムでナビゲーター役
Springer社発刊のジャーナルへの英語論文投稿
都市文化デザイン演習「まなざしのデザインガイドブック」の成果報告会
バングラデシュFloating Peersへ参加、ランドアート「ベンガルの赤い蛇」を制作
大阪府農林環境水産研究所と大阪府立大学共同セミナーにて基調講演

12月
大阪府下大規模吹き抜け病院のフィールドワーク
建築と社会へ論考寄稿
社会人大学院修士論文の指導
東京芸大先端芸術研究科で講演
東京大学i.schoolで講演
東京都立現代美術館FCCにて講演
greenz取材
♭望年会

2013年も駆け抜けてきたが、最も大きな出来事は弟が亡くなったことだ。
僕の人生の価値観をガラリと変えてしまう出来事だったし、今でもまだ心も身体も癒えていない。
個人的な出来事や経験は必ず自分の社会的な活動へ影響を与える。
弟の死については一度8月に作品として整理をつけることで、自分の中では一度忘れることにしている。向き合うには余りにも大きな出来事だった。しかし記憶が風化することも避けねばならなかったので、耐えられなかった時間だったが作品としてとどめておくしか無かった。
弟の死を巡って様々な人間模様も見れた。
力強く支えてくれる人、優しく見守ってくれる人、哀しみを共有してくれる人もいた。こうした人々が居たからこそ自分は正気を保っていられる。
そして反対に、自分の哀しみにしか心を傾けない人、命の価値ではなく具体的な利益に目が向く人、哀しみに付け入り己の利を得ようとする人もいた。
弟の死の哀しみだけでも辛かったが、仕事においてもその哀しみの隙に乗じる形で有利に事を運ぼうとする心なき人々の振る舞いに対して絶望も感じた。密室で行われる表面化しない透き通った悪の形に恐れ戦いたが、しかし今ではその経験も全て自分の成長や学びのためにあったのだと思えるように、少しずつ立ち直り始めている。

アートの作品としては前半期最も大きかったのは「モエレサマーフェスティバル2013」の演出物語花火「モエレ星の伝説」で、1万人で行うインスタレーションをしたこと。
札幌と上海のプロデューサーと毎日のように対話しながら最後の最後までどうなるか分からなかった作品。
全力を尽くしたし、1万個の光が灯った時に上がった歓声は今でも忘れられない。
ここでは祭りの意味、地球規模のスケールへ思いを馳せる事の意味、現象デザインの可能性など多くを学んだ。
目下今年の前半はこの作品のアーカイブに力を入れねば。
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後半期に最も印象深かったのは、バングラデシュでの取り組みだ。
当初は何もアイデア無しで現地入りしたが、そこで洪水にあえぐ貧困コミュニティを見て芸術に何が出来るのかを自分なりに考えた。
4日で調査をし、3日でプランを立て、4日で工事をして最終的には村を守る防波堤を巨大な蛇のランドアートとして再生させる作品としてそれを投げかけたつもりだ。そしてこのプロジェクトはまだ続いている。
命をまもるための芸術の在り方とは何か、1000年続く聖地のランドスケープデザインはいかなるプロセスで生まれるのか、イスラムとヒンズーという宗教対立は乗り越えられるのか、そして最貧国に見つけた豊かさとは何か。
ここでも多くを学んだ。
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今年一年は、この半年通常ではない精神状態で走って来たために傷んでしまった身体をちゃんと整えながら、2013年までにしてきた自分の取り組みをちゃんと確認して意味付けをして発信して社会化するということに力を注ぎたい。

♭という場所についてはメンバーの中でも何人かは熟して来た感があるので、自分の手を離しつつ上手に見守りたいと考えている。しかし6月以降、民主主義という考え方に少し失望を覚えていることもあり、ここではもう少し掘り下げて「共異体」という人の集まり方を実験してみたい。

振り返ってみると活動の多様性は相変わらずで、人からは何をやっているのか分かりにくいといつも言われるが、自分としては一つのことをしているつもりだし、分かりやすさを求めるがあまりに豊かな意味がこぼれ落ちてしまうことの方が僕としては残念だと思っている。

メディアへは失望していたが、2013年にはいくつかの良き出会いがあってマスメディアも含めて少しだけメディアの力を見直している。
良き活動、良き思想を良き形で伝えてくれるメディアとの邂逅は喜ばしいことだが、それを受け取る人々が良き受信へと至るためには何かまだ必要な気がする。
そのあたりが今年の哲学のスタートかと。

今年からのテーマは「生命芸術」だと考えている。
4月までに、病院という命を救う場での大規模なインスタレーション、ベンガル湾で命を守るためのランドアート、命を救う男の役を頂いた映画の撮影という大きな活動が3つが動く。
弟の死をもって考えた命を失うことの意味も映画作品としていつかちゃんと社会化させる。
研究でも実践でも生命と芸術をテーマにし、またそれを一般社団法人を通じて事業化していくことも考えねばならない。
それらも含めてちゃんと言葉や文字としてもそして、言葉以外の媒体でも発信していくことを今年はちゃんと考えたい。

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# by innerscape | 2014-01-07 16:23 | 未来の自分との対話

東大i.schoolで講演します

12月18日に東大のi.schoolにて講演します。
今回は人数限定の講演ですが、もし関心お持ちで今まで僕の講演を聴いた事が無い方は一度お問いあわせ下さい。

詳細はこちら



まなざしのデザインと創造性共有社会

少人数でレクチャーとディスカッションを楽しむイベント<イノトーク>今回はゲストスピーカーに、ハナムラチカヒロ(花村周寛)さんをお迎えします。

ランドスケープデザインからキャリアをスタートしたハナムラさんの根本的な問いは、私達を日々取り巻いている風景(ランドスケープ)はいかにしてデザインされるのか、ということです。これまでのランドスケープデザインはハードをデザインすることで場所を作ってきましたが、それで本当に風景がデザインされたと言えるのでしょうか。風景には空間だけではなく、人が織りなす状況や自然現象など様々な要素がある上に、人々が向ける“まなざし”が無ければそもそも成立しません。今回のイノトークでは、「風景を異化する」という観点から行っているハナムラさんの研究と実践についてお話いただきます。

ハナムラさんは街中や病院といった公共空間でインスタレーションなどのアート作品の制作を行っています。街や駅や病院の風景をどのように一変させるのか。作品のプレゼンを通して、取り組みの一端を体感させていただきます。また、アートとデザインが社会的に果たす役割の違いなどについてもディスカッションが及ぶかもしれません。

最近のハナムラさんの活動には、バングラデシュでのアート制作や、大阪を拠点にしたクリエイティブシェアの展開も含まれます。創造性を共有する社会をどうデザインするか、というテーマについても議論します。

日時>
2013年12月18日(水)
開場:18:10
本編:1830-2030
*終了後、簡単な懇親会のご用意がございます。

会場>
東京大学本郷キャンパス工学部2号館2F<展示室>(レストラン松本楼隣り) →Map
ゲストスピーカー>ハナムラチカヒロ(花村周寛)さん、ランドスケープアーチスト

定員>30名程度

参加>
本イノトークはi.school2013年度通年生、東京大学在籍中の学生(大学院生含む)、教職員、およびご招待企業を主な対象としています。
参加料は無料です。

ハナムラチカヒロ(花村周寛)
ランドスケープデザイナー/アーティスト/研究者/俳優。 1976年大阪生まれ。大阪府立大学農学部地域環境科学科卒業、同大学生命科学研究科修士課程修了。ランドスケープデザインオフィスにて国内外のプロジェクトに関わった後、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターにて、京阪電鉄と共同で行った中之島コミュニケーションカフェ2006/2007にて企画運営及び空間ディレクションなどに携わる。2006年度より船場アートカフェのディレクター兼アーティストとして、大阪市立大学病院アートプロジェクトに継続的に関わり、2010年3月に同病院の50mの吹き抜け空間にて自身が制作した作品「霧はれて光きたる春」はメディアにも大きく取り上げられた。2012年に大阪赤十字病院で取り組んだ同作品が、世界最大規模の空間環境系デザインアワードの『DSA Design Award 2012』で大賞を受賞した。日本経済新聞社賞も 同時受賞。大阪府立大学21世紀科学研究機構観光産業戦略研究所・准教授。大阪市立大学都市研究プラザ特任研究員。大阪大学工学研究科建築学科非常勤講師。一般社団法人 ブリコラージュ・ファウンデーション代表理事。
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# by innerscape | 2013-12-18 18:00 | インフォメーション

♭の活版印刷機と共演した

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この連休は久しぶりの映画撮影。
随分と芝居していないので、久しぶりの現場の空気感を堪能した。
今回は浦山陽子さんという女性監督とご一緒させて頂いた。

この方は脚本家としてデビューされてから、冨樫森監督や、熊沢尚人監督などの商業映画の脚本を書いておられた方。
10年ほど前に身体を壊されてから静養されていたが、今回は自主制作映画の監督としてこの♭で「株式会社恋文印刷所」を作られることになった。
僕が割と自主制作映画に希望を失いかけていた半年前にお知り合いになったが、非常に感性の鋭い方で自主制作映画監督の中にもこうした感性の方が居られるかと少し光が挿して来た。
僕は単なるキャストとしてではなく、まずは人物や表現についてのディスカッションを重ねる所から作品作りがスタートした。
僕自身は自分自身のアートの表現の時にも同じ事をクライアントに求めるがが、監督と俳優とが共犯関係を結べるスタイルの方が好きだ。
商業映画もやってはみたいが、既にイメージが固まった脚本に単にキャストとしてだけ呼ばれるのはどうも表現を掘り下げるのが難しいといつも感じるからだが、それは己の未熟さの言い訳に過ぎないかもしれない。

今回は短編という事もあり、2日間の早撮りだったが、現場は驚くぐらいスムーズに撮影が進んだ。
一日経ってようやく自分の役がクランクアップした実感が湧いて来た。
この映画では不思議とほとんど役作りはしていないし、1年ぶりの撮影現場とブランクがあったので自分の芝居もどうなるか分からなかったが、現場の空気がとても良くて演技に集中することが出来た。
上の2枚の写真は一番うまく表現出来たであろうシーン19のワンカット。
8分の長回しの1テイクのみの真剣勝負のショットだった。
フォーカスなどの技術的な問題はあるにせよ、演技としてはかなりうまく行ったと思う。
もちろん台詞や段取りもある演技としてやっているが、そこに現れてる感情がフィクションであってはならないといつも思っている。
俳優というのは因果なもので、自分の頭と身体を素材にして心や感情をデザインせねばならない。
普段からいつでもこうした感情を取りだせるように日々訓練しているが、コントロールを誤るとアイデンティティが脅かされる状況にもなる。
僕は割と突き放して考える事が出来るようになってきたが、相手役を追いこんでしまうようならば途中で止めようかとも考えていたシーン。
だがギリギリのところで踏みとどまって良いシーンになったのは、相手役の精神力を信じたという事と、現場の暖かい空気の賜物だと思う。

下の写真は印刷機を前にしたシーン。
特に活版印刷機を題材にした映画は前々から作ってみたかったが、♭の一階にある上田印刷所さんのご協力もあって、撮影も順調に進んだ。
印刷機と向き合うシーンは自分としても一番思い入れのあるシーンだったので、忘れられないショットになりそうだ。
5年前に♭を始めたときには何の関心も無かった活版印刷機。
たまたま見つけたスペースの一階に入っていただけの邪魔な機械だった。
しかしそこで働く活版印刷職人の上田さんとほぼ毎日のように対話をして、色々と話を聞くうちに、活版印刷機というものの価値に気づき、メディア史の中でもかなり重要なものだと知ってから、ここをどうやって守ろうかと考えていた。
もう出会ってから5年経つので上田さんも77歳になる。
今回は僕が印刷機を動かす職人の役をやらせてもらったが、このシーンはかなり切ない感情がわいて来た。
いつか自分もここを立ち去らねばならない時にきっと同じような気持ちになるのかと今からシミュレーションする。

この♭を巡ってもう5年色んな映画監督と短編映画を撮影しているが、既に4本溜まった。
この印刷工場を題材にしたのは初めてだったが、一際自分の中では思い入れの強い作品になりそうだ。
撮影は10月に入ってからも一部続くようだが完成が楽しみだ。

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# by innerscape | 2013-09-22 22:00 | 映画と演劇

弟の死についての手記の朗読をします

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次の日曜日の8月11日は私の実弟が亡くなって丁度二ヶ月になります。
「七墓巡り」という場において表現する機会を頂く事が出来ましたので、誠に個人的ではありますが18時より♭にて皆さまの前で弟の二ヶ月の弔いを表現させて頂ければと想います。
当日にうまく気持ちが整理出来るかどうか次第ですが、現在考えておりますのは二つです。非常に個人的でしかも重たい出来事ですので、表現内容に気分を害される方が中には居られるかもしれません。
少しだけ表現について事前にアナウンスをさせて頂きますので、内容ご理解頂いた上でご参加をご検討頂ければと想います。

一つは弟の訃報を受けてから葬儀を執り行うまでの10日間を克明に記した手記「弟と過ごした最後の10日間」の一部の朗読をすることを考えております。
この手記には兄が弟の死をどう受け止めているのかという極めて個人的な想いが書かれています。
弟の死とそれを巡った様々な気持ちのやりとりをお集りの皆さんと共有出来ればとの想いで読み上げますが、その中では自ずと宗教や結婚や文化の違いなどについて触れる事になります。
ただあくまでも表現者個人のまなざしの開示であることご理解頂ければありがたいです。

もう一つは分骨し手元供養の準備をするために、父と弟の遺骨を皆さまの前にお見せすることになるのではないかと思います。
粉砕されてはいますが、人間の骨を目にするというショッキングな風景になると思いますので、事前にアナウンスさせて頂ければと考えております。

その後「七墓巡り」として陸奥さんのご案内で梅田墓跡へ行く事を考えています。

このような機会をお借りして、私と実弟に対する誠に個人的な弔いの場とさせて頂くのは身勝手かと存じますが、個人的なまなざしから何か皆さんと共有出来るものを問いかける機会になればとの想いで執り行う事を考えております。
どうぞ上記ご理解頂ける方のみご参加頂ければ幸いです。

ハナムラチカヒロ

イベントのご参加は以下からよろしくお願い致します。↓
https://www.facebook.com/events/206154612872998/
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# by innerscape | 2013-08-11 18:00 | インフォメーション

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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