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私的風景の電脳記録
by innerscape

「After the shift」の展覧会をソウルでします




4月に♭を中心に立ち上げたクリエイティブシェアを実践する「Bricolage Foundation」 がオオサカとソウルとの共同で行う展覧会企画「Asia Art Bricolage」 のvol.001をソウルのカフェ「옆」でやります。

今回のvol.001はBRFオオサカとソウルの共同企画で、ランドスケープアーティストのハナムラチカヒロとアニメーターの吉田徹のコラボレーションユニット「第7区」の新作“After The Shift”です。

2010年にオオサカの♭とソウルのテレビジョン12でproject HOUSEとして行った展覧会をきっかけとして、アジアのアーティストをネットワークしていく企画として拡げていければとの想いです。

今回は大変短い期間での展覧会ですが、もしその期間中にソウルに居られる方がいましたら是非お越し下さい。
# by innerscape | 2012-04-28 08:27 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

大阪赤十字病院での「霧はれて光きたる春」の報道





おおさかカンヴァス事業に助成してもらい、大阪赤十字病院で行いました「霧はれて光きたる春」が新聞2社に報道されました。

日経新聞 3月6日
神戸新聞 3月31日


テレビメディアの報道はありませんが、先日オープンしました江之子島芸術文化創造センターで本年度のおおさかカンヴァス事業の募集イベントにて、少しだけトークに出ました。
その様子が関西ウォーカーTVでご覧頂けます。

http://www.ustream.tv/recorded/21827050

開始52分頃から10分ぐらい話しています。
ご興味ある方は是非ご覧下さい。

ちなみに隣は、久しぶりに再開したベルリン在住のアーティスト西野達さん。
夜の大阪を二人して闊歩していたのが懐かしい。
このイベント終了後に、僕のアトリエへ一緒に行って色々と今後の話を練ったりした。







# by innerscape | 2012-04-15 19:38 | アート | Trackback | Comments(0)

江之子島芸術文化創造センターで少しだけ話します

直前の告知ですが、明日、江之子島芸術文化創造センターにて少しだけ話します。
1月、2月におおさかカンヴァス事業として行った拙作「霧はれて光きたる春」について一言だけコメントする感じになりそうです。

基本は今年度の作家募集のための会なので、告知チラシには名前も乗ってませんし、持ち時間も4分ほどなのでわざわざお超し頂くのもなんですが、ひとまず告知だけしておきます。

ustream中継もされるようなのでそちらでもご興味あれば是非。


都市×ART ワークショップ

□4月14日(土)
□場所:カフェスペース(B1)
□参加無料
□定員:各50名(当日先着順受付)

□第Ⅰ部「おおさかカンヴァス推進事業2012」作品募集発表

□時間:13:00〜15:00

大阪のまち全体をアーティストの発表の場として「カンヴァス」に見立て、大阪の新たな都市魅力を創造・発信する「おおさかカンヴァス推進事業」。2012年度の作品募集を、ここ江之子島文化芸術創造センターで発表します。審査員や参加アーティストを交えたトークも。今年はどんな都市×ARTが出現するでしょうか。

□出演者:
 忽那 裕樹(ランドスケープ・デザイナー)
 玉置 泰紀(関西ウォーカー編集部 編集長)
 ヤノベ ケンジ(京都造形芸術大学教授/現代美術作家)
 ハナムラチカヒロ(おおさかカンヴァス推進事業参加アーティスト)
 森野晋次(気流部代表/おおさかカンヴァス推進事業参加アーティスト)
 MOT8 Design Studio(おおさかカンヴァス推進事業参加アーティスト)



江之子島芸術文化創造センター
# by innerscape | 2012-04-13 23:59 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

「中央区から神戸の未来を語ろう会SP」で話します

ソウルなどの視察でご一緒した樫野さんのお誘いで、今度は神戸で話します。
神戸方面の方で講演をお聞きになったことが無い方は是非来て頂ければ嬉しいです。


中央区から神戸の未来を語ろう会SP
「都市を異化するまなざしのデザイン」


中央区から神戸の未来を語ろう会SPのお知らせ
「都市を異化するまなざしのデザイン」

2012年03月12日

今回は大阪府立大学准教授であり、ランドスケープデザイナーでもあり、役者でもあるハナムラチカヒロさんをお迎えして、「都市を異化するまなざしのデザイン」について講演会を行います。一昨年、一緒に韓国デザイン首都ツアーに行ったハナムラさんの話はとてもユニークで、気づきを与えてくれます。
終了後には懇親会もご用意していますので、ふるってご参加ください。
神戸がデザイン都市を目指すにあたり必聴の講義です。


講師  ハナムラチカヒロ 氏
日時:平成24年3月23日(金) 19:00~20:30
場所:神戸市勤労会館403号
※21:00頃より、居酒屋懇親会
お申し込みは、info@kashino.net
までお願いします。


【演題】
「都市を異化するまなざしのデザイン」

【内容】
都市風景は様々な要素から成り立っていますが、都市をどのようなまなざしで
眺められるのかによって見えてくる風景は異なります。
また我々が普段見過ごしているものや、価値が無いと思っているものであっても、見方を少しずらすことで急に価値を帯びることがあります。
この講演では異化という切り口から我々の風景へのまなざしをずらすことで、見てはいるが見えていない風景を見えるようにするための方法を、自作を交えてお話しします。
その上で都市の魅力を上げるために創造性をどのように共有すればよいのかという方法について一緒に考える機会を持てればと思います。

【略歴】
ランドスケープデザイナー/アーティスト/極東EX主宰/役者
/大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所・准教授。

1976 年大阪生まれ。ソウル 生まれの母と京都生まれの父の間に生まれる。
「まなざしのデ ザイン」をテーマに建築やオープンスペースなどの空間デザインや自然現象デザイン、また人と人とのコミュニケーションデ ザインなどを通じて、風景の異化や、見方の変革を目指す。社会の中でこそ芸術表現が必要であるという考えのもと、病院などのパブリックスペースでイン スタレーションなども行う。
また「風景になる」という観点 から、映画や演劇などにおいて俳優もつとめながら、街中で非日常風景を探る状況的パフォーマンスなども展開している。 その領域横断的な表現活動の拠点として2008年から緑橋(大 阪東成区)にある古い活版印刷工場を自身のアトリエとし、「クリエイティブシェア」をコンセプトに創造性をいかに共有できるのかを様々な表現者とともに実践するプロジェクトを行っている。
大阪大学工学研究科建築学科非 常勤講師。大阪市立大学文学部 非常勤講師。
船場アートカフェ ディレクター。
# by innerscape | 2012-03-23 15:48 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

「まちライブラリー」がアトリエで行われます




「大阪まち塾@まちライブラリー」というイベントが僕のアトリエの“♭”で行われます。
本をテーマにコミュニケーションを考えるイベントです。

ご興味のある方は是非。

「大阪まち塾@まちライブラリー」
緑橋の文化拠点フラット「まちライブラリー」
2012年3月19日(月) 19時~ 大阪市東成区緑橋 「♭(フラット)」

緑橋から文化発信!『♭ まちライブラリー』が誕生します。
「空間」価値を替える楽しみ」を学ぶ
大阪市東成区緑橋にある「♭(フラット)」は、ランドスケイプデザイナーで映画俳優、そして大 阪府立大学准教授をされている花村周寛さんと仲間が手作りの改装をしてつくられた協創的 文化拠点です。古い印刷工場をBAR、イベントスペース、本棚、事務所兼自宅にされていま す。現在もカフェとゲストハウスを兼ねた場所をつくるべく改築の間最中! 今回は、この「♭(フラット)」にお邪魔して花村さんの空間づくり&空間演出に掛ける情熱はど こからうまれているのかをお聞きします。この「♭」にも「まちライブラリー」誕生です!


<当日の流れ>
ご参加の皆さんには、 「♭ まちライブライリー」に配架したい本をお持ちいただきます。 その「本」を皆さんにそれぞれご紹介いただき、メッセージを付けてお互いに交 換します。
その後、 花村さんのお話を伺い、自らの手で改装しつづけている「♭」の目的、 公共空間に価値変化を与えるデザインとは何かについて語っていただきます。 (聴き手 礒井純充)
その後、皆さんと、「♭ まちライブラリー」を使って何ができるか、何をした
いかをアイデア出して発表しあい、実施計画に繋げましょう!
活版印刷部材を利用したアート
19時 19時半 20時15分 20時45分
本の紹介開始
花村さんの お話(本木トーク) モデレーター 礒井
皆さんのグループ討議 アイデア発表&本の交換後、閉会



# by innerscape | 2012-03-19 15:38 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

「おおさかカンヴァス」でのインタビュー




2月24日に大阪赤十字病院にて終了した拙作「霧はれて光きたる春」のインタビュー映像が「おおさか
カンヴァス」のウェブサイトのアップされています。

以下リンクです。


ハナムラチカヒロインタビュー映像


作品の制作途中の裏話や葛藤などを赤裸々に語っておりますので、是非ご覧下さい。

# by innerscape | 2012-02-27 15:54 | アート | Trackback | Comments(0)

内外の一致と不一致についての覚書

自分の言動が人を苛立たせた時は自分が変われるチャンスでもある。その人は何に苛立ちを感じたのか。それは自分に正すべきところがあるのか。それとも相手の認識に正すべきところがあるのか。ただムシの居どころが悪かったのか。数多くの問いが自分の中に立つ。そうやって自分の言動の修正をして行く。

相手が苛立つ時の反応が、ある特定の人だけではなく複数の人にも見られるのであれば、それはおそらく何か自分に問題があるのではないかと思った方がいいのではないかと自分に言い聞かせている。無意識に何か苛立たせる原因となる言動をとっているかみしれないからだ。

無意識の言動というのは無意識というだけあって、意識出来ないからやっかいだ。だがそれは相手の反応をチャンスに意識化出来る可能性があり、意識化出来たことと向き合えるかどうかで己が成長できるかどうかが決まるような気がする。まだまだ変われる余地はあるし、そうやって成熟していくんだろうな。

内側から見ている自分の言動や姿というのは、外から人が見ている風景と一致しないことがある。演技の難しいところはそこであるし、それはコミュニケーションの問題にそのまま繋がるように思える。そのつもりで行動していても、そうは見えないということがある。その調整をするのが演出という行為か。

己を己で演出するという視点を持つ事でコミュニケーションはうまくなるのだろうが、一方で演出され、何かの意図のもとに制御されたコミュニケーションに気味悪さを感じたりすることがあるから難しい。いわゆる営業トークの芝居がかった薄気味悪さもそうだし、器用さが鼻につくというのも同じかも。

テクニックとして己の演出方法を覚えてしまうことと、腑に落ちるまで考えて言動を正すのは根本的に違うマインドなのだろう。基本的に演技も腑に落ちるまで考え感じて、かくあるという方が佇まいがリアルなのだろうが、精神が持たなくなる時がある。

だから演技をするというのは人にとって本質的であると同時に、とても危険な行為とも言え、アイデンティティ崩壊と隣り合わせになる可能性もはらんでいる。嘘から出た誠ではないが、フリをしていることが繰り返されるうちに本当にマインドを作ってしまう可能性は多いにあるからだ。
# by innerscape | 2012-02-25 01:52 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

「霧はれて光きたる春」をバリアフリーラボで話しました



現在実施中の拙作インスタレーション「霧はれて光きたる春」について、ソーシャルネットワーク大阪の「バリアフリーラボ」で話してきました。
実施中に自作について語るという希有な体験をいただき本当に感謝。
やはりやっている最中なので、語りに熱が入ってしまった。

普段は聞くことが出来ない裏話などもしてますので、ご興味在る方は是非。
http://www.ustream.tv/recorded/20619385

本日は雨模様だったが、また奇跡が起こった。
開始15分前まで降っていた雨が、開始時間にはピタリと止んで、滞り無く実施することができたのだが、その話は今日は語っていないのでまた別の機会で。

「独白する不純物」のことや風景異化のことなども話してます。

詳しくはこちらで。

バリアフリーラボ


# by innerscape | 2012-02-22 23:51 | アート | Trackback | Comments(0)

消費と投資についての覚書

資本主義と市場主義は分けて考えられねばならないが、議論として混同されがちな感がある。市場経済は「消費」を根底に需要と供給のバランスの中でモノを効率的に分配するための仕組み。資本主義は今ではなく将来的な利益を得るための「投資」が基本にある。つまり時間差がある事がポイント。

この消費と投資の両方へのまなざしが重要で、一方だけを見ていると罠に陥りそうだ。僕が唱えるクリエイティブシェアは消費を抑えるという単なる低成長論であってはならず、個人の消費を削減して共同体の将来のために投資をするとあう考え方を持たねばならないのだなと改めて思う。

デフレが進むと消費が落ち込むだけではなく、将来への投資も落ち込む。どつしても近視眼的なものの捉え方になるのが問題で、今の自分の世代だけの議論になりがちだ。しかし我々が今こうして豊かに暮らすのは前の世代が今の我々に投資をしてくれたからだということを忘れてはならない。

今の我々が将来の社会に何を投資出来るか、子供たちが大人になった時に食べていくための産業も今から投資として仕込んでおかねばならない。文化や観光というのは橋や道路のように、そういう長期的な視点の中で捉えられるべきインフラなのだろう。もちろん芸術もその範囲に入ることは間違いない。
# by innerscape | 2012-02-22 12:28 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

なぜ病院での芸術は報道されないのか

マスメディアの嗅覚の悪さにはいい加減うんざりする。僕らがやっている取り組みに意義を感じる感性も持たず、他の下らないイベントを追いかけるのに忙しいからと取材にもこれず、誰にも知られること無くひっそりと僕らの取り組みは終わって行く。

社会の中での新しい可能性を世に発信して、多くの人に勇気を与え、社会を批判的に見据えるのがマスメディアの役割だと考えていたのだが、その気概はどこにも見えない。僕らの取り組みは今回が終われば次はもうないのかもしれない。気がついた時にはもう世は変わっているのだ。

数ヶ月前から交渉している新聞社やテレビ局も反応が鈍い。いつからマスメディアはこんなに嗅覚が鈍くなってしまったのか。非公開とはいえ、我々の取り組みに辿り着けないマスメディアの体制と感覚の悪さには辟易する。他に優先して取材したものは一体どれほどの価値を持った情報なのだろうか。

僕らの取り組みは今日、社会化しないと明日はもう出来ないかもしれない。まだ誰も評価していないからこそマスコミが発信する価値があり、誰かが既に評価してことに対して群がって来ても、それは何ら先見性があるとは言えない。マスコミには失望ばかりだ。

本当は数ヶ月前の交渉の段階からプロセスを取材して欲しかった。作品だけ見てもそのプロセスが全く分からないからだ。病院の中であの規模の芸術作品を成立させることがどれほど苦労を伴うのか。しかしそうやって数々の難問を乗り越えて実現した作品の様子ですら取材に来ようとしない。あきれてしまう。

簡単に行くとでも思っているんだろうか。院内の規制の話や必要性への懐疑をくぐり抜け、電源や搬入路や無菌室への影響なども全てクリアし、到底出来ないような予算で人を説得し、なおかつ天候によっては出来なかったりするリスクまで背負いながら、己のためだけにやっていると思っているんだろうか。

誰からも取り組みの意義を認めてもらえず、誰からもそんなこと出来ないと言われながらようやくこぎ着けた極みだとしても、世に発信されねば届かないのだ。何ヶ月も前からそのことを伝えているのにマスコミは他のイベントを追いかけるのに忙しく、こちらで起こっている奇跡には見向きもしない。

後から来てももう二度と同じことはできない。僕はいつでも一期一会なので二度と同じことはしないし、僕が同じことをしたとしても自然現象や現場状況がそれを許さない。今を伝えるのが報道の役割だと信じていたが、全く愚かになってしまったことを嘆く。
# by innerscape | 2012-02-21 12:03 | 崩壊のロジック | Trackback | Comments(0)

奇跡を見た



誕生日のお祝いメッセージがこんなにたくさんの方々から寄せられることに本当に驚きとともに感謝が尽きない。僕は自分の誕生日をこんなに多くの方々に祝ってもらったことはこれまで無かったのでふと目頭が熱くなる。見てもらうというだけでも多くの方々に支えて頂いているんだと実感する。精進せねば。

それに加えて、今日は神様からの最高のプレゼントをいただいた。快晴な天気と穏やかな風が作り出した奇跡的な風景は自分の作品の最高傑作というだけでなく、これまで僕が見た風景の中で最も美しいものだった。惜しむらくは記録がなされていないことだが、心の中に焼き付け生涯忘れることはないだろう。

ランドスケープアートは僕が作り上げるものではない。僕はきっかけを与えるだけに過ぎず、後は自然がそれを演じるのだ。僕の意図は半分しか介入出来ず、神様が奇跡を起こした時にその美しさは永遠に心に焼き付けられるものとなる。作家の意図などその前では無意味で、観客と一緒に奇跡を祈るだけだ。

だから毎日違う風景がそこに立ち現れる。昨日見た風景と明日見る風景は違うのだ。それはエンターテインメントと呼ぶような意図を持ったものではなく誰もコントロールし得ないからこそ奇跡的な風景であり、だからこそ一期一会のその出会いが貴重なのだ。今日は最高の日だった。明日はどうなるだろうか。

これは演出の意図がどうとか言う話ではない。雨が降るか風が吹くか光がさすかは我々人の手ではコントロール出来ないからだ。そのことを分かった上で何かを信じたり、期待を込めて眺めたりすることは、誰かに何か美しいものを与えられることよりも遥かに重要なことであるように僕には思える。

おそらく金さえかければ楽しませることは出来ると思う。しかし確実に成功することが分かっているような作品が必ずしも深い感動につながるとは限らないと思っている。誰も結果が分からず、誰もが成功を願う状況があるからこそ、それが成就出来た時に何か奇跡的な力や祈りの力を感じることが出来るのだ。

だから明日は成功しないかもしれない。そして明後日や明々後日も成功しないかもしれない。そのまま成功を見ずに終えてしまうかもしれない。だがそれがどんなに無駄に終えることに見えようとも。奇跡を望むまなざしを捨ててはならない。その姿勢はまるで闘病や生きていることと同じではないのか。

奇跡を目にする人間はそれほど多くはない。しかし奇跡は目にした人の言葉を通じて目にしていない人の心に届けられる。この世のどこかに奇跡があると信じる心こそが人が生きる上で必要なことであり、それは誰かに仕組まれ、演出された風景とは似て非なるものだと感じる。

奇しくも今日自分の誕生日に僕は奇跡を目にした。もちろん自分が仕組んだランドスケープアートだが、それは僕の意図を越えた奇跡的な風景を生んだ。おそらく僕は生涯この風景を忘れることはないだろう。願わくば僕と一緒にこの風景を見た多くの人々が、同じように心に奇跡として焼き付けれるように。

# by innerscape | 2012-02-20 00:58 | 自然について | Trackback | Comments(0)

物語と語りについての覚書

物語と語りは少し違う。物語を大切にする演劇と語りを大切にする演劇では自ずと手法も変わってくるだろうさ。演ずる方も同じで、物語を演ずるのと、語りを演ずるのとでは振る舞いの意識が違う。

歴史的に人の振る舞いで風景を作ってきた演劇には、場所に人のアクティビティを導く手法が山ほどある。都市計画や建築やランドスケープでアクティビティの誘発云々を考えている人は演劇をもっと勉強したほうがいいと思う。
# by innerscape | 2012-02-20 00:08 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

ギブとテイクに関する覚書

ここのところ強く思うのだが、僕でなくても出来ることは他の人に頼んで欲しいということ。もちろん余裕があれば僕がやってもいいのだが、本当に物理的に時間が無くなって来たので、僕にしか出来ないことを頼む人の仕事か、僕がしたいと思っている作業を優先したい。

金をもらうというのはモチベーションの一つの形に過ぎない。金など無くても僕がその作業に何らかのメリットを感じるものを提供してくれれば、そこでギブとテイクが成立するからだ。僕だけギブして相手は何もテイク出来る物をギブしてくれないか、あるいはギブの軸がずれているのではフェアではない。

昔はもうちょっと無邪気だったので、長期的にテイク出来るものがあると信じてギブし続けてひどい目にあったこともある。しかしこちらのギブに対してちゃんとギブで返そうとしてくれないスタンスの人や、ギブのレベルが合わない人とはフェアな何かが出来るというように最近では思わなくなってきた。

年齢や社会的立場とともにギブとテイクのバランスというのが刻一刻と変遷している。ギブとテイクの収支を事細かにカウントする気もないし、自分に余裕があり社会的意義を感じることに何かをギブすることは構わないのだが、今の状況をにらんだ中でバランス感覚を持つことの重要性を再び噛み締める。

まずはギブを出し合って、その束の中からテイク出来るものを探して行くというスタンスが好きなのだが、どこに束が置かれているのかを見極めるのはとっても重要だと感じる。そのギブや善意が社会的に無駄に終わることが無いような場所に束が置かれるべきだろう。
# by innerscape | 2012-02-19 23:43 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

演じることとアイデンティティについての覚書

昔からなぜか人の心の中を分析してしまう癖があり、精神科医になりたいと思っていた時期があった。今でもそれはあまり変わらずに、むしろ他者の心の観察と分析の精度が上がってきているように思える。己に対しても分析の眼を向けるという意味では役者として「何かを演じる」というのは良い訓練になる。

ここでポイントになるのは「誰かを演じる」のではなく「何かを演じる」ということ。想定したキャラクターを演じるという事ではリアリティは生まれないように思える。借りてきた振る舞いを演じるのではなく、その根元にある感情をいつでも取り出せるようにしておくのが役者の仕事なのだと思う。

人は誰でも「何かを演じている」というのが僕の基本的なスタンスだ。それはカメラの前や舞台の上だけではなく、日常の中に演技は溢れている。状況が演技を作る事もあれば、経験の中で演技の方向性が培われることもある。演じているうちにそれがアイデンティティになってしまうこともある。

知らずのうちにその演技している自分が自分らしいと感じてしまい、そこから外れた自分に違和感を覚えるようになってしまうのは、演じ方にアイデンティティを覚えるからなのだろう。だから演じ方が揺らいだ瞬間に変われるチャンスがやって来る。しかしその時は成長と同時に危うい瞬間でもある。

これまでの演じ方に指摘と否定を加え、アイデンティティの揺らぎを起こすことで取り込もうとするのがカルトの手口だ。コミュニティが共有する宗教や倫理の基盤がしっかりしている時にはそう簡単に揺らぎはこなかったのかも知れないが、基盤が崩れている今は危ない状態でもあると感じる。

もっとも見せかけの安心感をつくろうことで、何も揺らぎなどないような錯覚の中に漂わせるという罠も巧妙に仕掛けられていることに気づかねばならない。ある年齢まで来るとアイデンティティを揺らがされたくはないものだからそうした罠に疑いの眼を向けたくなくなる気持ちがあるのだろうが。

アイデンティティと社会を巡る問題はメディアの発達とともにますます複雑になっているし、演劇や演技のあり方の変化を通じてそれが透けて見えることもある。そのあたりを少し問いたいとは考えているのだが。さてうまくいくのだろうか。
# by innerscape | 2012-02-19 23:41 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

RIFTIイベント「似顔絵フォーラムin堺」 開催




僕が研究員を務めるRIFTI(大阪府立大学観光産業戦略研究所)主催のイベントが明日、堺市役所で行われます。

「似顔絵フォーラムin堺」ということで、似顔絵アーティストが集まり、パフォーマンスとフォーラムを行います。
ご興味ある方は是非お越し下さい。


「似顔絵フォーラムin堺」


日時:2月17日 10:00−17:00
場所:堺市役所
主催:大阪府立大学観光産業戦略研究所

開催趣旨
 わが国の「似顔絵」は、ふるくは鳥羽絵や浮世絵の美人画・役者絵に遡ります。近年は漫画やアニメの影響も受けつつ独自の発展をみました。諸外国の専門家のあいだでも「NIGAOE 」は、西欧の戯画(カリカチュア)とは異なる日本固有の文化であると認識されつつあるようです。
 私たち大阪府立大学 21世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所では、国際似顔絵協会日本支部との連携のもと、「NIGAOE」の国際化をはかるべく活動を継続しています。
 今回のフォーラムでは、『2011 ANNUAL ISCA CONVENTION(似顔絵世界大会)」の優勝者である世界的な似顔絵アーティスト田畑伴和さん、似顔絵セラピーの実践で知られる村岡ケンイチさんのほか、日本を代表する似顔絵アーティストをお迎えして、「NIGAOEを堺から世界へ」をテーマに対談・パネルディスカッションを実施し、堺から「NIGAOE文化」「NIGAOE芸術」を世界に発信する可能性を探ります。
 このフォーラムが大阪・堺の地域魅力創造に寄与することができれば幸いです。多数の皆様のご参加をお待ちしております。
橋爪紳也

10:00-17:00
似顔絵パフォーマンス
堺市役所 「高層館1階ロビー」にて


2011年度世界大会優勝者を含む日本を代表する似顔絵アーティストが集合し、似顔絵のパフォーマンスを行います。(*材料費として1人500円) 
また、似顔絵ブースにて似顔絵アーティストの作品を展示します。


14:00-16:00
似顔絵フォーラム「NIGAOEを堺から世界へ」
堺市役所 「本館地下1階大会議室」にて


司会及びパネルディスカッション進行役 橋爪 紳也(RIFTI)

13:30開場
14:00~14:05 ごあいさつ  奥野武俊 大阪府立大学 学長 
14:05~15:00 対談 「NIGAOE 芸術の可能性 -NIGAOEフェスティバルの報告と今後の展開-」
パネリスト
田畑伴和(似顔絵アーティスト、2011年度似顔絵世界大会優勝)
高橋悦子(似顔絵アーティスト、ISCA日本支部役員)
橋爪紳也(大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所長・教授)


15:10-16:00  「パネルディスカッション 「似顔絵セラピーの可能性」
パネリスト
村岡ケンイチ(似顔絵セラピスト)
川出英行(愛知厚生連 海南病院 臨床心理士)

■お申し込み・お問い合わせ
株式会社インプリージョン
〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋2丁目
4-48金村ビル3階
TEL:06-6624-8555 
FAX:06-6624-8505
e-mail:info@impregion.jp
担当:重村(しげむら)
橋爪紳也(府立大観光産業戦略研究所教授)


# by innerscape | 2012-02-17 12:41 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

科学についてのつぶやき

「科学的である」ということはどういうことかを考えている。一つには印象や感覚ではなく、他者によって再現可能な方法によって結果が示されているということではないか。職人的な芸術はどちらかというと他者には簡単に再現不可能な方法と結果によって生まれてくることが多い。

他者にも再現可能ということが重要であり、科学とは一人ではなし得るものではない。他者とコミュニケーションの中で検証され磨き上げられ、より確からしいことを求めるのが科学的な態度であり、そのために共有素材として数値や実験というものがあるのだと思う。

この大勢で検証するということが科学を科学足らしめていることである。科学が指し示すものだけが真実ではないという科学批判を聞くことがあるが、それはその通りだと思うし、おそらく科学者も自分たちが真実を口にしているのではないという認識なのではないか。より「確からしい」と言えるだけなのだ。

だから科学が示した結果が後々に正しくなかったということも当然起こってくる。それはある意味では仕方の無いことであり、科学者がそのことを一番よく理解しているから厳密な方法で進めようと努力するのだ。それをすっ飛ばして結果だけ早く教えろと科学者に迫るのは少し違うようにも思える。

科学の恩恵にあずかりながら暮らす我々は、科学者でなくても少なからず科学について知るべきだろうし、それを複雑すぎて無理と放棄するのであれば、科学者を批判してはならないだろう。その研究や科学が有用かどうかということを早急に求める議論も同じだろう。時間が経たねば分からないこともある。

科学の暴走などという批判もあるのだが、どちらこというと科学よりも経済が暴走していることの方が問題としては大きく、それが科学の暴走とすり替えられている可能性が高い。今のところ科学以上に世の現象を正確に把握出来る方法などないし、我々が社会的に構成して来た重要なルールの一つだ。

つまり文明の恩恵に預かっている以上、望まなかったとしても科学として構成されたものを我々全員は認めているのであり、たくさんの人間によってより確からしさを検証し追求して行く科学的態度が必要なのであると思う。しかし、それら全部を踏まえた上であえて思うのは一人の人間の直感が持つ力である。
# by innerscape | 2012-02-15 15:20 | 自然について | Trackback | Comments(0)

「独白する不純物」実験配信中




4月からUstream配信予定の独り芝居「独白する不純物」を現在実験配信している。

「独白する不純物」



劇団France_panの演出家/劇作家の伊藤拓と僕とでタッグを組んで行っているが、様々な方の協力をいただいている。
2月9日から2月13日までは実験期間として毎晩12時半から15分の独り芝居と、24時間の日常配信との組合せで行っており、昨夜の配信で折り返しに来た。

昨夜の配信をリアルタイムで見て頂いた方は分かると思うが、僕自身もどういう結末になるのかはその時になるまで分からず、まさに今実験的に作っていっている段階である。
昨夜が最も困難なミッションとカタルシスという山場だったが、あと二日残っており、最後までやりきってからフィードバックする予定をしている。

部屋の様子は24時間流れていて、芝居終了後にアフタートークもするのだが、まったくどうなるか予想がつかない。
ネット時代の演劇や物語のあり方、果ては自分のしている風景異化研究まで、文字通り等身大で実験しているのでご興味ある方は是非。
# by innerscape | 2012-02-12 16:07 | 映画と演劇 | Trackback | Comments(0)

自意識と権力についての覚書

ここ数ヶ月で大阪を巡る状況が二転三転しており、意見交換しているうちに、かなり立ち入った話となる。色々と状況把握に苦労されている感もあったので、僕の観察の結果と印象と感じていることと考えていること、心配していることをとりあえず伝えたつもり。

気をつけねばならないことはたくさんあり、知らないうちに陥りがちなこともたくさんあるので、それを進言するのが僕の役割だと思っている。対話ができそうな人には伝えることが出来るので時間がかかっても精一杯伝えねばならない。

変わることや動くことというのはそれだけでとても魅力的で、やもすれば自分が状況を変えていることに陶酔するという罠に陥る。しかし重要なのは変わることではなく、より良き方向に変わることであり、そこへの追求と忠誠を無くせばそれはただの逃避か破壊にとどまってしまう。それを伝えたかった。

もちろん変わることへの恐怖から足を引っ張るものも居るだろうし、これまで動いてこなかった現状があるのは間違いない。ただ、変えなければならないということに囚われ過ぎて、本質的な事を保留して変わることへ邁進するという誘惑とは戦わねばならないのではないか。

変わることには賛成だ。しかし変わり方へ変わった先に何があるのかは吟味する必要はある。そして何のために変わるのかということを忘れてしまってはただ変わることに疲弊するだけになる。子供でも言える当たり前のことではあるが、それゆえに本質的で重要なことだと思う。

現実的に今すぐ解決せねばならないことが山積みなのがリアルな状況だということもよく分かるし「子供のように甘くぬるいことを」と言いたくなる気持ちも良くわかる。足を引っ張るつもりもないし願わくば応援したいと思っている。しかし自戒も込めて人は簡単に陥ってしまうことを肝に命じねばならない。

自分の袖の一振りが多くの状況を変えるという魅力は強烈なものだ。そういう立場に立ち、実際に力が振るえることが分かれば、どれだけ聡明で客観視に優れた者でも、自意識の赴くまま思う存分に力を振るうことの魅力に取り憑かれる。自分を否定する者に目にもの見せてやるという気持ちに囚われるのだ。

自意識と権力とが本質を見失わせることがある。これはどれだけ聡明な者であってもやってくる誘惑なのだと思う。全ての人々が幸福になれるような解決方法などないのかもしれず、何かを選択せねばならないのは仕方が無いことだ。しかしもし理想を願うのならば相手の言葉にも耳を傾ける態度が必要だ。

相手を論破する議論ではなく、相手を理解するための対話ができる状況であれば陥ったとしても救いはある。しかし対話などしている暇は無いという態度であれば危ないと思う。我々は戦うためにしているのではなく、共によりよく生きるためにそれをしているのだということを忘れてはならない。
# by innerscape | 2012-02-10 01:11 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

監視と演技についての覚書

♭へ帰還。これから「独白する不純物」のカメラセッティングとミーティング。今日からは監視カメラの元で24時間過ごさねばならないとは。もはや役者の仕事ではないだろうというレベルだが、ネット時代のアイデンティティを探る大事なプロジェクトのために身を捧げる…のか?大丈夫かな…

クリエイティブシェア時代のアイデンティティの行方を探して旅をせねばならない。生のコミュニケーションは怖いけど、画面越しになら誰かと繋がりたいという欲求がニコ生という現象を生んでいるという前提に立つが、日常の演劇性や演じることとは何かということにどれだけ迫れるのだろうか。

何か出来事が起こることを期待しているんだろうが、そうはいかない。日常というのは淡々と流れる。
言葉を発するからと言って、語りかけてくる物があるかというと必ずしもそうではないだろう。無言でも伝わってくるものがある。風景とはそういうものだと思う。
僕のアトリエは24時間みなさんの監視の目にさらされている。これが一体何を生むのかというのは終わってみないと分からない。記録されているのはほんの一部で目撃出来るのはリアルタイムに見ている者だけだ。

「人が居ればそこに演劇が生まれる」という定義をしている演出家がいる。役者である僕としては「人が演じるのではなく、演じるのが人なのだ」という定義をしてみたい。

何か出来事が起こることを期待するかもしれないが、実は既に出来事はそこにあるのだと思う。問題はそれを出来事だと認識出来るまなざしがあるかどうか。ジョン・ケージみたいだが。

エンターテインメントを見るまなざしと、風景をみるまなざしの違い。誰かが何かを与えてくれるのを待っているのが前者。自ら何かを見出そうとするのが後者だ。
# by innerscape | 2012-02-08 01:13 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

文化政策とプロデュースについての覚書

韓国では90年代以降に文化政策と観光政策が一体的に行われて来た経緯がある。1990年に体育関係を含め文化・芸術政策を担当する文化体育部と,観光政策を担当する交通部が統合して、「文化観光部」(現「文化体育観光部」)が設立され文化政策と観光政策を一体的にとなっているのが特徴。

特に1998 年の金大中大統領による「文化大統領宣言」を受けて、文化産業を21世紀の国家基幹産業として育成することが目指されてからは、ゲーム、アニメ、音楽、 キャラクター、映画などの文化コンテンツについて重点的に取り組むべき課題とされている。このあたりがポイントだな。

韓流ブームの裏側にどういう背景があるのかを理解せずに、単に作家や表現者の能力の問題に帰着するのは短絡的な読みだろう。一表現者としてはそれでも構わないが、研究者としての身体も持っている以上はそれではいただけないと自覚せねばならないか。

表現者が陥りがちな傾向として、才能論への帰着がある。もちろん優れたコンテンツや表現を「生産」する仕組みというのは重要なのだが、それは単独で成立しているのではなく、「流通」サイドの仕組みとの関連で見て行かねば無駄になるかもしれない。企業における「技術」と「営業」の関係に近い。

あとは、クリエイティビティを技術論だけに限定するのも問題かと。表現者の職人的な技術が持つクリエイティビティには敬意を払ってしかるべきであるが、それをプロデュースする能力にもクリエイティビティが要求されるし、そこに敬意を払うことも重要。

一番いかんのは、虎の威を借りる狐的なプロデュースだろう。表現者のクリエイティビティを搾取することがプロデュースなのではなく、そのクリエイティビティを最大限発揮出来るように方向付けするのがプロデュースの本質かと。ブローカーと異なり表現者と対等なクリエイティビティが要求される。

自分で自分をプロデュースせざるを得ない身としては、プロデューサーとしての身体と、クリエイターとしての身体の両方を使い分けるのは大変だが、おかげで搾取型プロデューサーの傾向が何となく見えて来た。観察していると、威張り散らすだけで大した意思もチャレンジ精神も無いのが特徴。

だからちゃんとしたプロデューサーに出会うと、優れたクリエイター以上に敬意を持って接したいと思う。

日本においてはなぜか文化庁の政策と観光庁の政策が一体的に行われない。このあたりが韓国に差を付けられている要因かと思うのだが。韓国は1990年に既に文化観光部が出来ているが、日本では2008年にようやく観光庁が出来たのだから、これだけ見ても約18年遅れていると言えるのだが、さらに。

文化と観光とコミュニティとエコロジーと教育学習と愛着醸成のクロスオーバーとして僕が出した概念として「クリエイティブシェア」があるのだが。広義はyoutubeなどから、狭義はうちのアトリエで実践しているコミュニケーションデザインまで。もうちょっと概念整理が必要なのだが、ぼちぼちと。
# by innerscape | 2012-02-08 00:13 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

風景の補助線についての覚書1

韓国との共同研究の内容をあれこれと思案中。観光と文化コンテンツ産業との関係性について色々と見て行かねばならないのは確か。その中にいかに「風景の補助線のブランディング」と「まなざしのデザイン」を入れこんでいくかが課題。孤独な戦いになりそうだ。

幸い、先方の先生で風水の専門家が居るので、その方と何か出来ればと考えている。
風水については信じている、信じていないというレベルの話ではなく、アジア型の風景の補助線の一つとして理解している。アジア都市の形成原理や共有されている習俗についての一定の補助線のためにあるという方が科学的であるように思える。先方の共同研究者に風水の先生が居たから出来る研究かと。

元々、高校生ぐらいから風水と陰陽五行と東洋医学に興味があったので、細々と勉強していた時期があった。大学進学の方向性がランドスケープに方向転換してから、近代合理的なランドスケープ論を学んだこともあり、最近はとんとご無沙汰していたのだが。

映画や演劇やアートも風水と同様に風景の補助線というレベルで理解している。僕の中では違いはさほどないのだが、人には振れ幅が大きいように思えるらしい。まぁ、それこそ補助線のない人には節操無く色々と手を出していて一貫性が無く流されているように見えるのだろうなとは理解する。

何がやりたいのか分からんという批判をたまに浴びせられるのだが、ナンセンスに思えることがあって残念だ。何かやりたいことを頑に追求するのも僕自身素晴らしいと評価するが、一方でどんなことでもやりたいことに変えれる創造性とそこから問いを発する抽象度を持つことも評価に値するのではないか。
何がやりたいのか分からんという批判を浴びせる人に限って、僕の行動の中に自分の鏡として不安要素を見つけようとしているだけに過ぎないと思うことがある。追求し続ける強い意志も持てず、柔軟に対応する抽象度も持ち得ない自分が不安で仕方無いのだろうというケースがほとんどだ。

しかし何かを表現をする時に感覚的であると同時に論理的でなければならないと常々思う。天才ならばいざ知らず、ほとんどは天才では無いのだから、論理的思考力でカバーせねばならない部分が大きいだろう。色んな問いの立て方を知っていなければ答えなど導けないように思える。
# by innerscape | 2012-02-07 00:07 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

イノベーションについてのつぶやき

誰かに与えられた社会問題のために何かをするというよりも、顔の見える誰かと自分とが共により良く生きるためには社会問題へ向き合わねばならないというモチベーションの方が僕にとっては嘘が無くリアルだ。その顔の見える誰かの幅が広がるほど問題も大きくはなっていくのだが抽象的な出発点ではない。

僕一人が社会に出来ることなどそれほど大きくはないだろうし、大きい方が良いということもないだろう。社会に何か足りていなと自分が感じることがあればそういう問いを立てれば良いし、誰かが既にその問いを立て取り組んでいるならば、それを応援すればいい。皆で補いあって生きればいいのだろう。

自分が何かを成し遂げたという感覚を得たいが故に、何かの大義を借りてくるのは出発点が逆なのだと思う。それはただ自分が何者であるのかという肯定感を得たいだけであり、ひとつ間違えればとんでもない罪につながる。問いがそこにないのに答えだけを出したがるのは愚かな行為ではないかと感じる。

だから問いを立てることがとても重要なのだと思う。問いを立てるということは評価が定められた物事を疑うということであり、評価が定まっていないものをちゃんと見つめるということだ。これは時としてビジネスと非常に相性が悪いことがある。ビジネスになるのは評価が一般に浸透せねばならないからだ。

本来的なビジネスは人が必要としているものを提供するから成立するのではあるが、どうもマッチポンプ的なビジネスや我田引水的なビジネスが多いように感じてしまうので、僕自身はビジネスマンとは相性が悪いと思っている。まともなビジネスはちゃんと価値あるものを正当に評価することだろう。

イノベーションという言葉が良いのかどうかは分からないが、僕が考える変革とは「誰もが望むことを、誰も考えなかった方法で、誰でもが享受出来るようなった状態」なのだと思う。しかし今は誰も望まないことを、誰も考えないようにさせて、誰でもが享受出来るわけではないことがビジネスになっている。
# by innerscape | 2012-01-31 15:27 | 未来の自分との対話 | Trackback | Comments(0)

霧はれて光きたる春の制作後の覚書

途中様々な課題があったが、「霧はれて光きたる春」をひとまず終える。多くの患者さん達がたった30分間だけだが、希望に満ちた表情に変わるのを見ていると、涙が出そうになる。僕自身とてこの風景の前で特権的な立場ではなく、それを享受し希望に満ちた表情に変わる一人なのだと言うことを知る。

演出に対していくつか意見をいただいたが、そもそも「演出された何か」というまなざしでこの風景を見つめること自体が間違っていると途中で気づいた。もちろん仕組んではいるのだが、誰かに仕組まれ、楽しまされるのを享受するという枠組み自体が不毛で、わざと過剰な演出を止めている。

演出がどうこうという視線で人はすぐに評論をしたがる。そこで起こっている現象をただ「感じる」というまなざしを忘れて、すぐに解釈したがるのだ。特にこの作品について何らかのイメージを最初から持っている人はこれを記号として受け止める。そうしたまなざしでは何ら発見も異化もないだろう。

記号化された段階で、おそらくこの取り組みは異化の賞味期限を失う。そうなれば、ひょっとすると次はもう無いのかもしれない。風景とは一期一会である。これが起こることを期待するようになれば、それは奇跡ではなくただのエンターテインメントになってしまう。

パラドックスがあるのだが、多くの人がこの取り組みを知れば知るほど、そして社会的に評価されればされるほど、この取り組みを継続して行くことは力を失うのではないかと思っている。まだしばらくは必要だろう。それにまだまだ社会にこの視座が足りていないことは間違いないのだから。

結果や形にすぐに人は何かを求めたがる。しかしまたその形を再現しようとすることでその本質的な問いを忘れてしまうことがあるのではないかと、今回も再認識させられた。そのことに気づけたのが、今回の僕にとっての最大の収穫だ。もちろん患者さんや病院の職員さんたちの笑顔の収穫とは別として。

今回の「おおさかカンヴァス」に選出されたアーティストの中で僕の作品だけが非公開だ。それは実はとても重要な意味を持っているように思える。この作品は見たいと思っている人たちに届ける作品ではなく、そんなことを考えもしなかった人々と一緒に僕が見たかった風景なのだ。

この風景を目撃した人は限られているかもしれない。しかしきっと記憶に残って行くだろう。いつか忘れたり薄れたりするかもしれないが、こういう風景を見たことがあるというのは、生きて行く上で何かとても大切なことのような気がする。何か刺激を与えられ消費されてしまうようなものではないと思う。

刺激を演出し、記号化し、消費出来る構造に乗せればそれはビジネスになる。しかし、それはすぐに新しい刺激に上書かれてしまいきっと人の記憶には残って行きにくいだろう。演出するということはその危険性がつきまとう。初日と二日目の反応で僕が気づいたのはそのことだ。危うく囚われるところだった。

この取り組みにおいて僕はマスとして人を扱うエンターテインメントをしたかったわけではない。患者さんはそれぞれ病状も違えば悩みも違うのだ。何かを届けるのではなく、一人一人が何かをつかみに行くような風景のあり方が重要であり、それはこちらから何かを与えるという不遜な態度ではダメだと思う。
# by innerscape | 2012-01-27 00:21 | アート | Trackback | Comments(0)

表現の最中に考えている

自分の風景異化の取り組みの中で重要なテーマの一つに「奇跡」というのがある。人はいかなる風景に奇跡的なものを感じ、神聖で厳かなものを感じるのかということは生涯かけて追求すべきテーマのように思える。まさにこのインスタレーションの最中でもそれは考え続けているため、毎日進化している。

例えどれほど醜悪な環境であったとしても、そこに奇跡を見出せる瞬間があるのではないかと考えていて、それはいかなる条件が整えば出現するのかということが風景異化の根本的なテーマの一つとして据えられている。ほとんど宗教に近い問いであり、宗教や信仰の中にそのヒントがあるのだろうと感じる。

今の世は我々が信じるに足るものを見失っている。かつてはそれが幻想であったとしても信じていたことがあったはずだが、近代がそれをそっくりと上書き今も進行しているのではないかと僕は見ている。異化とは単なる相対化であっては意味が無く、より我々が幸せに生きるための補助線でなければならない。

いままさに取り組んでいる作品を通じて、毎日学びや気づきがあり、考えが深まっているのが分かる。役者にとって舞台の上やカメラの前が最大の学びのチャンスであると同様に、アーティストにとって制作現場というのが最良の学びの場だ。しかしそういうチャンスはそう何度もやってこない。

良い評価にも悪い評価にも流されず、自分が感じている違和感を丁寧に見つめながら、深く思考していくことを怠れば、何も学ぶことはできない。特に僕のように自然現象を相手に格闘する表現を行うということはより冷静に状況を見つめねばならないのだ。

今日はセッティングが不完全だったに関わらず、確実にその場所に神聖さが宿っている手応えがあった。今日見た人は昨日見た人とは全く違う風景を見ていただろう。おそらく昨日のアンケートと本日のアンケートは確実に違うものになっているはずだ。舞台のように同じ風景は二度と見ることが出来ない。

表現者の心のコンディションが、ここまで風景に影響するのかと自分でも驚いた。迷いがあったり、心持ちがひけていたりすると、それは表現に素直に反映される。いかに自分を信じるか、そして信じられるまで沈思黙考するかがとても重要なことだ。それはとてもとても孤独な時間を過ごさねばならない。

今日の成功が、明日の保証にはならない。明日はまた違う風景なのだから。だから一期一会を大切にしたい。それは人も同じだ。この人とは二度と何か一緒に出来ないかもしれないと思うからこそ、大事に出来るのだ。

このあたりが自分のルーツの一つにもなっている農学の感性の一つなのだろう。かっちりと何かを作るという工学の感性と、偶然性や一期一会を最初から許容する農学の感性とではおのずと表現方法も変わってくる。風を読み、水を操るというのは「形」(かたち)ではなく「象」(かたち)への感性が重要だ。

これについては2年ほど前に現象デザイン研究会で取り組んでいたテーマ。複雑系にそのあたりのヒントがあると考え、菊地誠さんなどと対談させてもらったが、中途半端に終わってしまった。またいつか再開してやろうというネタだが、風景異化とだんだん融合してきた手応えが自分の中にある。

昨日と明日の間に生きている我々は、ただ生きるために生きているのであり、生きるという意味においては目的などないのだ。目的型思考の20世紀型の時代を乗り越えて、我々が共に生きる方法を模索するために何が必要なのかを表現においても言説においても考え続けているのだがなかなか答えは見えない。
# by innerscape | 2012-01-26 01:07 | 未来の自分との対話 | Trackback | Comments(0)

作品制作途中で悩んだことの覚書

抽象的なことがらを理解出来ないとすぐにしてしまう態度が嫌い。そんなにすぐに理解せねばならないのかと思うし、理解出来ないことを許容出来ない感性の方が貧困だと思う。時に理解するよりも感じてみようとすることの方が重要なこともある。

意義が感じられないのは自分の感性に問題がないかどうか疑ってみる態度を持ちたいし、誰かが命をかけて取り組んでいることを、意義が感じられないと簡単に片付けてしまうような浅はかな態度を僕ならば取りたくはないのだが。まさに想像力の欠如がもたらしている罠だな。

一晩熟考したら、だんだんと原因がわかって来た。技術的な問題ではなくマインドセットの問題だな。何として見るのかという構えを問題にせねばならないのだな。風景異化とか研究しているのに何たる落とし穴。まだまだ修業が足りない。

何かエンターテイメントのようなものを期待しているマインドを切り崩さねばならない。これはとても本質的なところだ。

戦いと争いは似て非なるものだ。誰とも争わずに戦う方法はあるはずだと思う。本当の戦いとは「争い」に対して向けられるべきである。

全て終わってからの総括が必要だが、いくつかのコメントから察するに、今回の取り組みも、既に何かの記号に回収されかけていることに危機感を覚える。記号を解体するはずの取り組みが記号として回収されるとは何とも情けない話しかもしれない。

一方でその記号を破壊するためにはある種の力が必要だ。現代において共有されている力とは資本の事であり、資本の大きさに応じて力の大きさが決まる。ここに矛盾があるのが、記号を解体するための力を得るためには記号化されねばならない。記号化したフリをして解体するという本質を思い出さねば。

そうでなければ「戦う」ために「争う」という構図にまた陥ってしまう。争いを通過せねば戦えないという理屈は20世紀で終わりにするべきである。

我々が戦うべき相手とは誰か他の人ではないのだ。他者と戦うマインドを持つので争いが生まれるのだと思う。争うことに対して仕向けられる様々な誘惑と戦うことが本当の戦いかもしれない。

我々のマインドは簡単に書き換えられてしまう。その書き換えられたマインドが風景の見え方を変化させるのだ。我々が信じるに足るべきものを失い、長年に渡って書き換えられ、今もそれが持続するように上書かれているマインドをどうずらしていくのか。異化の戦いとはそういうものかもしれない。
# by innerscape | 2012-01-25 00:26 | アート | Trackback | Comments(0)

批判と愛についての覚書

観客や消費者というのが下す評価はシビアだ。プロセスを共有すればするほど、自分事として考えられるので、事情を斟酌して評価が甘くなりがちだが、外から飛んでくる評価は結果しか見ないので結果が全てである。とはいえ評価される方程式が分かっている所にさほどチャレンジはないと思う。

自分の苦労をいかに自分が知っていようと、一旦そこから切り離して批判的に自分の表現を眺めねばならないことがある。昨日、伝書鳩で話した愛の深度の話しと一見矛盾して聞こえるかもしれないが、より深く愛するために一度突き放さねばならないこともあるということ。厳しいね。

だから自分が感じておらず、考えてもいなかったような角度から来る批判には真摯に耳を傾けねばならない。想定内の批判であれば、一度チェックしているわけだから構わないが、想定外の批判は要注意だ。

しかし注意せねばならないのは、批判することが目的になっている場合があることだ。想定外のことであったとしても意義が見出せないような批判には耳を傾けるべきではない。そういう批判は多くの場合は愛が感じられない批判だ。

批判することはある種の快楽を伴うことであり、相手の想定外のことを指摘することで己の能力の高さを証明しようとする自意識が働いている場合がある。それが何かの意義を共有出来るような批判であればよいのだが、単に自意識への報酬が欲しいだけの批判に対しては憐れみのまなざしを向けるのがいい。

愛がそこにあるかどうかというのは抽象的でも何でもなく、重要な要因だ。愛についてはこれまでずっと考えて続けて来たし、これからも考えて行くテーマだが、奇しくも昨日の伝書鳩フォーラムで小山田さんからもそのキーワードが出て来たことに共時性を感じる。もうちょっと掘り下げたかったのだがな。


宗教家のようなことを言うかもしれないが、人は愛し、愛されねば生きてはいけない生き物なのだと想う。世にこれほどまでに愛の詩が満ちあふれていることがその証拠ではないか。批判する自意識の問題も、孤独の問題も突き詰めれば愛の問題に行き着く。そのことに目を背けて何が批判かと思うが。

末梢神経の反射のごとく消費されてしまうようなものは愛とは思わない。時間をかけて付き合い、発見を重ねるうちに愛は育まれていくのだと思うのだが、その時間に耐える忍耐力が時代とともに失われていっているような気がする。もちろんそれは自分にも例外ではなく、忍耐力が無いことが多々ある。

自分が男性だからだと思うが、最近の特に女子を見ていると愛の貪りがはびこっていることにある種の絶望感を感じる。愛されたい願望はよく分かるのだが、愛したいとは思わないのだろうか。愛されたいだけの女性を見るにどうにも哀しくなるのは勝手な思い込みだろうか。

深すぎる愛が困りものだという考えもあるのだろうが、その深さと呼ばれるものには想像力の欠如がセットになっていて、それが愛を自分勝手にしているのだろうと推測する。愛と一緒に持ちたいのは思いやりなのだなと自分にも言い聞かせねばならない。
# by innerscape | 2012-01-23 00:48 | 覚書 | Trackback | Comments(0)

表現とアイデンティティについての覚書

昨夜の「独白する不純物」の打ち合わせは昼間のインスタレーションの影響もあり、少し掘り下げれた気がする。音の調整やりながらだったから集中は出来なかったが、伝書鳩での僕のプレゼン聞いてもらったので狙いを共有出来たことが随分と大きい。

しかし伝書鳩での自分のプレゼンの出来は「公演」としてはいまいちだった。やっぱり時間がネックだな。前の人達の時間が延びたので、気になってパフォーマンスが落ちた。内容的には薄くなるが20分ぐらいでコンパクトに話せるようなものも必要かとは思うがテーマがシャープならそれも可能だな。

社会の中で何かの表現に取り組むというのは色んな批判の眼にさらされることになる。特にそこに利益や害悪が絡むと余計にシビアな意見が飛んでくることは覚悟せねばならないし、一度自分を突き放さねば成長出来ないことも多い。ある枠組みにあぐらをかいていては見えない成長があるように思える。

年齢によらずアイデンティティと自己肯定感の問題は常につきまとっている。しかし自分の成長と成熟のためには一度それを突き放してセルフイメージを更新する必要がある。更新しても更新しても消えない部分に本当のアイデンティティと業が見え隠れしているのだと思う。

自分を否定するのはとっても難しいことだが、それが出来ないようになれば考えが深まることはないのだと思う。人に否定してもらってもよいが、下手なやり方だと壊れてしまうか防衛本能が働いてしまうので、出来れば自分で出来た方が良い。否定しても否定しきれない自分の良さが分かれば強くなれる。
# by innerscape | 2012-01-23 00:46 | アート | Trackback | Comments(0)

『「シェア」からつながるまちのコミュニティ』やります




緑橋×町家再生×シェアハウスというテーマでトークセッションをうちのアトリエで行います。
朝は大阪市役所ロビーで伝書鳩フォーラムですが、すぐにすっとんで帰ってこちらのフォーラムです。

シェアに興味のある方は是非お越し下さい。


「シェア」からつながるまちのコミュニティ

日時:1月22日(日)
時間:
14:00〜15:30(第1部) トークセッション+緑橋まち歩き&再生町家見学・説明会
17:30〜(第2部)懇親会

場所:
第1部
♭ (フラット) 大阪市東成区中本3丁目10-2
第2部
町家再生複合施設「燈」

トークゲスト
六波羅雅一(建築家/六波羅真建築研究室代表)
永瀬泰子(有限会社Come on up代表取締役)
ハナムラチカヒロ(ランドスケープデザイナー/アーティスト/極東EX主宰/役者/大阪府立大学準教授)

コーディネーター
早川厚志

参加費:500円

予約・お問い合わせ
有限会社Come on up
TEL/FAX 03-3760-1392
mail: info@comeonup-house.com


# by innerscape | 2012-01-22 22:47 | インフォメーション | Trackback | Comments(3)

伝書鳩フォーラムで話します



大阪市役所のロビーで行われる「伝書鳩フォーラムvol.02」で話します。
前回はトークイベントを拝見する立場でしたが、今回はお声がかかったので、壇上から失礼致します。

うちのアトリエで2年前にした「住み開きシンポジウム」でもご一緒した小山田徹さんと、別府アートプロジェクトの山出淳也さんと一緒に基調講演とクロストークです。
会場は友人のドットアーキテクツによるデザイン、午後からは関西の若手アーティストによるプレゼンテーションがたくさんありますので、ご興味ある方は是非お越し下さい。

伝書鳩フォーラムvol.2
基調講演「表現を考える」。大阪を中心に様々な「立場」「現場」で活躍する6組の表現者の方々をお招きして、その先進的な活動を伺うと共に、特に大阪の表現活動の「未来について」自由に対談して頂きます。

場所:大阪市役所ロビー

2012年
1月21日(土)
10:00-10:20 基調講演1 新聞女氏
10:20-10:40 基調講演2 三村康仁氏
10:40-11:00 基調講演3 樋口ヒロユキ氏
11:00-12:00 クロストーク 「大阪の表現を考える」フリー対談

1月22日(日)
10:00-10:20 基調講演1 小山田徹氏
10:20-10:40 基調講演2 山出淳也氏
10:40-11:00 基調講演3 ハナムラチカヒロ氏
11:00-12:00 クロストーク 「大阪の表現を考える」フリー対談

【伝書鳩とは?】
 『伝書鳩』とは、大阪市の芸術創造活動支援事業の1つとして、表現活動を通じて、未来を『よりよい方向に変えていこう』と様々な現場で活躍している『若手表現者達』にスポットをあて、まるで『伝書鳩のように』正確に伝えていく事にポイントを置いている2つのプログラム、2011年6月~11月に月 1回、計6回、中之島4117をメイン会場にして開催する『伝書鳩トーク』そして、2012年1月21日、22日の2日間、大阪市役所玄関ロビーを会場にして開催する『伝書鳩フォーラム』の総称です。
 長引く経済不況、急激に変化する社会情勢。ともすれば私たちは、昨日まで信じていた『今』を信じる事が出来ず、未来に対して容易に不安になってしまう時代に生きているのでは?とかんじています。だからこそ、彼らが社会に対して、それぞれの表現活動を通じて向き合っている『今』を『メディアなどの編集を通さず、自分たちなりに正確に知る事』また『その知る機会自体を参加者同士で共有する事』は今の時代に生きる私たちにとっての何かしらの気づき、もしくは指針の1つになるものだと考え、本企画を開催させていただいていおります。

 前回に続き、第2回目の開催となる今回は2011年6月から11月まで月1回、各2組、計12組のゲストを、表現活動を広義な意味で人(表現者)場所(スペース運営)事(プロジェクト)の3つに分類して、それぞれの活動を紹介していただく事で、表現活動を始める人の“きっかけづくり”になる事を目指すと同時に、来場者を交えて、それぞれに共有する想いを考えていく『伝書鳩トーク きっかけづくり“ヒト、バショ、コト”』を新たにシリーズ企画として実施した後、翌2012年1月21日、22日の2日間開催の『伝書鳩フォーラムvol2〜未来を考える〜』においては、ジャンルや活動領域こそ違うものの、ただ1つ『未来をよりよい方向に変えて行く為に』『社会に対して表現活動を行っている』という共通点をもつ表現者達が前回の2倍である34組『大阪の真ん中』大阪市役所玄関ロビーに集結し、それぞれの活動を発表します。

 そして、その事がそれぞれの多様性を包括したまま、大阪、そして全国に『伝書鳩』のように『正確に』発信される事で、来場者の皆様それぞれにとっての『未来を考える』きっかけの1つになれば。それが勝手ながら企画委員としての私たちの願いです。




# by innerscape | 2012-01-22 19:22 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

ラディカルと許しについての覚書

6対4で勝てると踏んだら全面戦争、5対5だと勝負に出ないというスタンスは多数決で決まる民主主義での生き残り戦略かも知れんが、負けた4を皆殺しにするのはどう考えても倫理的に正しいとは思えないし、も合理的にも得だと思わない。負けた4を活かす方が得だろうに。
革命の怖さは負けると皆殺しという所だろう。相手を赦すという考えを持つ革命家や為政者の方が信じられると思うのだが。相手赦す方が一周回ってよほどラディカルだと感じる。
どちらかが生き残るための戦いと、共に生きるための戦いは、同じ戦いでも似て非なるものなのだろう。
# by innerscape | 2012-01-20 01:20 | 覚書 | Trackback | Comments(0)
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私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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