flw moon innerscape
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迷いの力
強き姿勢を持って何かに臨む姿を「見せる」事が力を持たなくなって来ているのではないかと最近特に感じる。
醒めた眼で見ている訳ではないが、どうもただのパフォーマンスに見えてしまうのだ。
政治家が街で熱弁を振るう姿はただの雑音として耳に響きそれに心を打たれた事も無いし、確固たる自分を持って発言や行動をしなさい的な強要もバカバカしく思えてしまう自分が居る。
どうも自分の周りを観察していると50代ぐらいの人を中心にそれを若い者へ強要するフシが見えて仕方ない。
熱意や信念が大切なことは言うまでもないし、そのことを否定するつもりは毛頭ない。
しかしそれをむき出しにして何かを訴えることしか表現手段がないという感性が窮屈だし残念に思える。
熱意や信念は心に抱くものである。
それを意識しむき出しにして行動に反映させなくても、自然とにじみ出てくる強さが本物であると思うし、パフォーマティブに演出するのであれば見抜かれないようにもっと上手に演技するべきだと思う。
人に何かを信じてもらう、そして想いを伝えるというのはもっと複雑な力学で動いているのだ。
僕自身は「迷い」をしっかり「迷い」として表現することの方がよほど豊かでリアルではないだろうかと思えてならない。
強さとは迷いを放棄した状態から立ち上がる。
それはある種何かの思考に囚われることから出発する力であり、それが通用する時代もあっただろう。
しかし、今の世相を見渡した時に必ずしもそうでは無いのではないかと思えて仕方ない。
迷うことは優柔不断な態度なのではない。
様々な物事の意味をより深く見つめ、思考し哲学する態度なのだ。
そして迷いの果てに得られたものこそがちゃんと力となるのではないか。
そんな風に思う。
様々な局面で強きリーダーシップを求める気持ちは分かる。
しかしその英雄像しかもてないのは少々無責任で想像力が貧困ではないだろうかと思うのだが。
醒めた眼で見ている訳ではないが、どうもただのパフォーマンスに見えてしまうのだ。
政治家が街で熱弁を振るう姿はただの雑音として耳に響きそれに心を打たれた事も無いし、確固たる自分を持って発言や行動をしなさい的な強要もバカバカしく思えてしまう自分が居る。
どうも自分の周りを観察していると50代ぐらいの人を中心にそれを若い者へ強要するフシが見えて仕方ない。
熱意や信念が大切なことは言うまでもないし、そのことを否定するつもりは毛頭ない。
しかしそれをむき出しにして何かを訴えることしか表現手段がないという感性が窮屈だし残念に思える。
熱意や信念は心に抱くものである。
それを意識しむき出しにして行動に反映させなくても、自然とにじみ出てくる強さが本物であると思うし、パフォーマティブに演出するのであれば見抜かれないようにもっと上手に演技するべきだと思う。
人に何かを信じてもらう、そして想いを伝えるというのはもっと複雑な力学で動いているのだ。
僕自身は「迷い」をしっかり「迷い」として表現することの方がよほど豊かでリアルではないだろうかと思えてならない。
強さとは迷いを放棄した状態から立ち上がる。
それはある種何かの思考に囚われることから出発する力であり、それが通用する時代もあっただろう。
しかし、今の世相を見渡した時に必ずしもそうでは無いのではないかと思えて仕方ない。
迷うことは優柔不断な態度なのではない。
様々な物事の意味をより深く見つめ、思考し哲学する態度なのだ。
そして迷いの果てに得られたものこそがちゃんと力となるのではないか。
そんな風に思う。
様々な局面で強きリーダーシップを求める気持ちは分かる。
しかしその英雄像しかもてないのは少々無責任で想像力が貧困ではないだろうかと思うのだが。
by innerscape
| 2011-04-05 21:23
| 未来の自分との対話
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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