flw moon innerscape
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
目的と旅人
目標や目的を持って生きることの重要性はよく理解しているつもりだ。
何かを行う時には目標があって、それに向かって計画を立てて事を進めて行くというのは、ごく当たり前の事で大抵何かの仕事はそうやって行われている。
何かを行う時に目標も目的も持たずに飛び込むのはある種愚かな行為だとされることは理解しているし、そうすることで無意味な時間を過ごしてしまうということもある意味正しいとも思う。
しかし、心のどこかでそういった考え方に虚しさを覚える時がある。
もちろん時と場合にはよるのだが、何かのゴールを立ててその達成以外を無意味だとすることで多くの豊かな出来事や感情に意味を見出せないことはある意味20世紀的な目的主義の病理のような気もしているのだ。
AからBへいかに合理的に、無駄がなく最小限の努力で進むのか。
近代はそうやって進んで来たし、それで得られる達成感は大きな意義もあり気持ち良いものなのだと思う。
しかしAから出てBまで最短で合理的にいけることが分かってしまった今、まずAを出て進むプロセスを迷いながら結果到達する所がBなのかCなのかをその中で見出して行く姿勢の中にひょっとすると豊かさがあるのではないかというのは僕だけが持つおかしな感覚なのだろうか。
もちろん目標や目的が明確な時があるのは間違いないし、それを全て否定するつもりは毛頭ないが、合目的化というある種の罠に自分からはまって生きてしまっている時があることも否めない。
ちなみに目標と目的の違いもよく言われる事としては、前者は行為の達成点や物理的な到達点に対して、後者はそれがもたらす意味や意義というのが含まれている。
そう考えると、目標を持たない行為の中にでも意味や意義を見出せればそれは行為そのものが目的化しているとも言える。
例えば遊びやコミュニケーションや信仰に代表される行為がそういうものだと思うのだが、それは人が生きて行く上で精神的に欠かせないものなのではないかと思う。
僕自身はおそらく目標の無い旅人なのだと思うが、何かの目標を持った旅行者との違いがそこにあるような気もしている。かといってそこに目的がないわけではなく旅人は旅人になるという目的がそこにちゃんと存在するし、そこに社会的な意義があると信じている。
しかしその旅にはあんまり多くの人を巻き込む訳にはいかないので、いつも一人でこっそりと出かけるのだ。ある種それは仲間を見つけて定着し社会化していくこととは無縁のことかもしれない。
しかし、それを一緒に楽しめる感覚のある人とは旅団として行けるかもしれないなとも思い始めている。
何かを行う時には目標があって、それに向かって計画を立てて事を進めて行くというのは、ごく当たり前の事で大抵何かの仕事はそうやって行われている。
何かを行う時に目標も目的も持たずに飛び込むのはある種愚かな行為だとされることは理解しているし、そうすることで無意味な時間を過ごしてしまうということもある意味正しいとも思う。
しかし、心のどこかでそういった考え方に虚しさを覚える時がある。
もちろん時と場合にはよるのだが、何かのゴールを立ててその達成以外を無意味だとすることで多くの豊かな出来事や感情に意味を見出せないことはある意味20世紀的な目的主義の病理のような気もしているのだ。
AからBへいかに合理的に、無駄がなく最小限の努力で進むのか。
近代はそうやって進んで来たし、それで得られる達成感は大きな意義もあり気持ち良いものなのだと思う。
しかしAから出てBまで最短で合理的にいけることが分かってしまった今、まずAを出て進むプロセスを迷いながら結果到達する所がBなのかCなのかをその中で見出して行く姿勢の中にひょっとすると豊かさがあるのではないかというのは僕だけが持つおかしな感覚なのだろうか。
もちろん目標や目的が明確な時があるのは間違いないし、それを全て否定するつもりは毛頭ないが、合目的化というある種の罠に自分からはまって生きてしまっている時があることも否めない。
ちなみに目標と目的の違いもよく言われる事としては、前者は行為の達成点や物理的な到達点に対して、後者はそれがもたらす意味や意義というのが含まれている。
そう考えると、目標を持たない行為の中にでも意味や意義を見出せればそれは行為そのものが目的化しているとも言える。
例えば遊びやコミュニケーションや信仰に代表される行為がそういうものだと思うのだが、それは人が生きて行く上で精神的に欠かせないものなのではないかと思う。
僕自身はおそらく目標の無い旅人なのだと思うが、何かの目標を持った旅行者との違いがそこにあるような気もしている。かといってそこに目的がないわけではなく旅人は旅人になるという目的がそこにちゃんと存在するし、そこに社会的な意義があると信じている。
しかしその旅にはあんまり多くの人を巻き込む訳にはいかないので、いつも一人でこっそりと出かけるのだ。ある種それは仲間を見つけて定着し社会化していくこととは無縁のことかもしれない。
しかし、それを一緒に楽しめる感覚のある人とは旅団として行けるかもしれないなとも思い始めている。
by innerscape
| 2011-05-01 01:19
| 未来の自分との対話
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
カテゴリ
全体インフォメーション
日常
アート
コミュニケーションデザイン
ランドスケープデザイン
プロダクトデザイン
映画と演劇
観光ターム
情報デザインと風景
崩壊のロジック
景観
装置と風景
音楽
自然について
出来事の風景
キネスケープ
私的詩
マゾヒスティックランドスケープ
覚書
未来の自分との対話
旅
居場所の獲得
極東EX
身体技法
現象デザイン
聖地創造論
以前の記事
2018年 06月2017年 02月
2015年 12月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 06月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月