flw moon innerscape
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「ガキ帝国」と暴力の閾値について
土曜日の極東EX第11区工作活動の後はキネスケープ研究会。
映画の中に切り取られた風景に学び、逆に風景を映画として切り取る事で実際の風景の見え方をデザイン出来ないかという試みで僕が始めた研究会だ。
土曜日は極東EXプロジェクトの工作部隊である第11区のメンバーが集まるので、そこからも半分ほど参加したが、みんなかなり刺激を受けていたようだった。
映画製作する人々と建築や経営の学生が会った事もないので、それだけでも刺激的。
うちのアトリエでしている様々な活動にちょっとした交錯点を設ける事で、世代を超えて対話が出来る場がだんだん醸成されて行きそうな予感がする。CSCDに居た時に出来なかったことを、自分のアトリエを通じて一つづつ実践していっている。パブリックセクターで出来ることとプライベートで出来る事の違いもある。
さて本日のキネスケープ研究会の上映作品は井筒さんの「ガキ帝国」。
1981年製作だが、1967年が舞台で、当時の大阪の一面を確実に描いているように思えた。
木下ほうかが出ていたようだ。どこに居たのか分からなかったが...。彼は実は僕の従兄弟で、撮影当時は確か隣に住んでいた時だったと思う。役者としても大先輩。
第11区の学生達は半分以上理解不能な感じだったが、そこに世代による温度差を感じる。彼らに取っては1967年の大阪の空気はどこか遠い外国で起こっている戦争のようなリアリティを欠いたものなのだろう。しかし、10年前の自分が見ていたとしても同じような感想を持っていたに違いない。
知識や経験を積み重ねて行く事で、その断片から想像出来る世界や時代のムードがある。直接的に経験していなくても、かすかな経験の残り香が開く感覚というのがある。理解出来ない事をシャットアウトするのではなく、そこに対して想像力を働かせることで学べることはあるのだ。
81年の大阪と67年の大阪では万博を挟んでいるはずなので、おそらく随分と風景が違っているだろうにそれがほとんど感じられなかったのはやはり切り取り方なのだと感じる。それというランドマークも道頓堀以外ほぼ写っていなかった。
もう一つは在日コミュニティとの関わりに対して井筒監督が持っているこだわりのようなものだ。僕にとっては人ごとではないのだが、万博推進の裏側で語られなかった歴史に光が当てられている作品のように感じた。
演技的にも非常に興味深いことがいくつか発見出来る。不良の演技はリアルとそうでないものとの区別がつきにくい。実際においても不良とは演じられるものであるという事がリアルさをコーティングしているからだ。後は不良の演じ方が板についているかどうかの勝負になるのかもしれない。
後、印象的だったのはケンカの描写。全然痛そうに見えないのと、ものすごく格好悪く立ち回る。実はこれがかなりのリアリティを出している。今の日本映画やハリウッドを見慣れた世代には随分と不親切だし、刺激が少ないのだろうなとは思うが、実はそれがシュミラクルなのだと改めて感じる。
前回見た「お父さんのバックドロップ」よりも全然大阪の一部の空気を描いているのは間違いない。もちろん描かれている時代背景が違うので空気感が違うのは仕方ないが、大阪という都市やそこでの人の気質についての捉え方の差が2作品見る事で見え隠れしているような気がした。
初回で見た「秋深き」については、そういう意味では全く大阪の空気を感じなかった。舞台となる場所は大阪だが、別に大阪でなくても構わないと言うような印象。しかし「ガキ帝国」は大阪でないと成立しないような気がする。物語先行型なのか、空気先行型なのかの違いかと思う。
今の大阪にはもちろん「ガキ帝国」のような空気は無い。表面的な暴力の規制の結果、暴力が見えなくなってしまったからだ。僕の子供の頃はまだその残り香があったが、今はどうだろうか。その蓄積されたヒストリーの違いが映画へリアリティを感じるかどうかを左右する。
リアルに喧嘩の仕方を知らなくなったというのを感じる。昔の喧嘩はある種スポ―ツみたいなもので、どこを殴れば致命的にならないか、どこで止めれば安全かを知っていたが、今はどうだろうか。街中で喧嘩も見かけなくなった。社会全体が表面上は大人化しているようにも見えるが、果たしてそうなのか。
一旦喧嘩が始まると死ぬまで殴り続けると言うのは、もはや喧嘩ではない。喧嘩がメディアの向こう側に行ってしまい非日常化してしまっているので、加減が分からないのだろう。喧嘩を抑圧することで、噴出した時に本当の暴力になってしまうことが怖い。
社会の中で暴力の閾値が下がっていることは問題かもしれない。
ちょっとした事を暴力と言って抑圧する事で、本当の暴力が見えなくなってしまう事が恐ろしい。今のクレーマーやモンスターペアレンツの話にも通じる。
再び「ガキ帝国」について。
登場人物の滑舌の悪さが非常に良い。何を言っているか分からない早口で滑舌の悪いことは日常的によくあることで(特に大阪では?)、世界観や空気感を表現するために全部の台詞がクリアに聞こえる必要は無いと思う。台詞は内容を伝えるためだけにあるわけではないのだ。
後、登場人物が全員格好悪いというのが素晴らしい。逆説的だがあの格好悪さの中に格好良さがあるというのがある種の大阪的な空気を作るのだが、それが理解出来ない感性が大阪でも主流になりつつあるような気もする。格好つけていないから格好いいし、格好付けようともがくのが格好いいという矛盾。
お洒落な事が逆に格好悪いという価値観がそこに流れている。
これはひょっとするとデザインの連中には分からないかも知れない感性で、他者を意識せずなりふり構わない事の格好良さは基本的に他者を意識するデザイン行為とは相容れないかもしれない。
格好悪いことが格好いいという一週回った格好良さというのがあるような気がする。
市民権は得にくいかもしれないが、前衛とはそういうものだろう。そのバランスが重要。
映画の中に切り取られた風景に学び、逆に風景を映画として切り取る事で実際の風景の見え方をデザイン出来ないかという試みで僕が始めた研究会だ。
土曜日は極東EXプロジェクトの工作部隊である第11区のメンバーが集まるので、そこからも半分ほど参加したが、みんなかなり刺激を受けていたようだった。
映画製作する人々と建築や経営の学生が会った事もないので、それだけでも刺激的。
うちのアトリエでしている様々な活動にちょっとした交錯点を設ける事で、世代を超えて対話が出来る場がだんだん醸成されて行きそうな予感がする。CSCDに居た時に出来なかったことを、自分のアトリエを通じて一つづつ実践していっている。パブリックセクターで出来ることとプライベートで出来る事の違いもある。
さて本日のキネスケープ研究会の上映作品は井筒さんの「ガキ帝国」。
1981年製作だが、1967年が舞台で、当時の大阪の一面を確実に描いているように思えた。
木下ほうかが出ていたようだ。どこに居たのか分からなかったが...。彼は実は僕の従兄弟で、撮影当時は確か隣に住んでいた時だったと思う。役者としても大先輩。
第11区の学生達は半分以上理解不能な感じだったが、そこに世代による温度差を感じる。彼らに取っては1967年の大阪の空気はどこか遠い外国で起こっている戦争のようなリアリティを欠いたものなのだろう。しかし、10年前の自分が見ていたとしても同じような感想を持っていたに違いない。
知識や経験を積み重ねて行く事で、その断片から想像出来る世界や時代のムードがある。直接的に経験していなくても、かすかな経験の残り香が開く感覚というのがある。理解出来ない事をシャットアウトするのではなく、そこに対して想像力を働かせることで学べることはあるのだ。
81年の大阪と67年の大阪では万博を挟んでいるはずなので、おそらく随分と風景が違っているだろうにそれがほとんど感じられなかったのはやはり切り取り方なのだと感じる。それというランドマークも道頓堀以外ほぼ写っていなかった。
もう一つは在日コミュニティとの関わりに対して井筒監督が持っているこだわりのようなものだ。僕にとっては人ごとではないのだが、万博推進の裏側で語られなかった歴史に光が当てられている作品のように感じた。
演技的にも非常に興味深いことがいくつか発見出来る。不良の演技はリアルとそうでないものとの区別がつきにくい。実際においても不良とは演じられるものであるという事がリアルさをコーティングしているからだ。後は不良の演じ方が板についているかどうかの勝負になるのかもしれない。
後、印象的だったのはケンカの描写。全然痛そうに見えないのと、ものすごく格好悪く立ち回る。実はこれがかなりのリアリティを出している。今の日本映画やハリウッドを見慣れた世代には随分と不親切だし、刺激が少ないのだろうなとは思うが、実はそれがシュミラクルなのだと改めて感じる。
前回見た「お父さんのバックドロップ」よりも全然大阪の一部の空気を描いているのは間違いない。もちろん描かれている時代背景が違うので空気感が違うのは仕方ないが、大阪という都市やそこでの人の気質についての捉え方の差が2作品見る事で見え隠れしているような気がした。
初回で見た「秋深き」については、そういう意味では全く大阪の空気を感じなかった。舞台となる場所は大阪だが、別に大阪でなくても構わないと言うような印象。しかし「ガキ帝国」は大阪でないと成立しないような気がする。物語先行型なのか、空気先行型なのかの違いかと思う。
今の大阪にはもちろん「ガキ帝国」のような空気は無い。表面的な暴力の規制の結果、暴力が見えなくなってしまったからだ。僕の子供の頃はまだその残り香があったが、今はどうだろうか。その蓄積されたヒストリーの違いが映画へリアリティを感じるかどうかを左右する。
リアルに喧嘩の仕方を知らなくなったというのを感じる。昔の喧嘩はある種スポ―ツみたいなもので、どこを殴れば致命的にならないか、どこで止めれば安全かを知っていたが、今はどうだろうか。街中で喧嘩も見かけなくなった。社会全体が表面上は大人化しているようにも見えるが、果たしてそうなのか。
一旦喧嘩が始まると死ぬまで殴り続けると言うのは、もはや喧嘩ではない。喧嘩がメディアの向こう側に行ってしまい非日常化してしまっているので、加減が分からないのだろう。喧嘩を抑圧することで、噴出した時に本当の暴力になってしまうことが怖い。
社会の中で暴力の閾値が下がっていることは問題かもしれない。
ちょっとした事を暴力と言って抑圧する事で、本当の暴力が見えなくなってしまう事が恐ろしい。今のクレーマーやモンスターペアレンツの話にも通じる。
再び「ガキ帝国」について。
登場人物の滑舌の悪さが非常に良い。何を言っているか分からない早口で滑舌の悪いことは日常的によくあることで(特に大阪では?)、世界観や空気感を表現するために全部の台詞がクリアに聞こえる必要は無いと思う。台詞は内容を伝えるためだけにあるわけではないのだ。
後、登場人物が全員格好悪いというのが素晴らしい。逆説的だがあの格好悪さの中に格好良さがあるというのがある種の大阪的な空気を作るのだが、それが理解出来ない感性が大阪でも主流になりつつあるような気もする。格好つけていないから格好いいし、格好付けようともがくのが格好いいという矛盾。
お洒落な事が逆に格好悪いという価値観がそこに流れている。
これはひょっとするとデザインの連中には分からないかも知れない感性で、他者を意識せずなりふり構わない事の格好良さは基本的に他者を意識するデザイン行為とは相容れないかもしれない。
格好悪いことが格好いいという一週回った格好良さというのがあるような気がする。
市民権は得にくいかもしれないが、前衛とはそういうものだろう。そのバランスが重要。
by innerscape
| 2011-07-16 23:53
| キネスケープ
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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