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私的風景の電脳記録
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ツイッターメモ

ツイッターが意外と思考整理に役立つが、消えて行ってしまうのでブログに整理する。

■「建築と都市計画と美術と造園の間に、そのどれでもない領域が見出せれは非常に有効なサジェスチョンになるだろう。」八束はじめ それがランドスケープという領域だと思いたい。以上、造園とランドスケープの違いを巡ってのメモ。 かなり今更な説明だが。


■しかし気をつけねばならないのは、こちらがリベラルな空気を出していることにつけ込んで、かなり失礼な態度を取ってくる者が居ることだ。権威や権力を使ってねじ伏せる態度は大嫌いだが、逆に権威が無いという所に付けこんで相手に敬意を持って接する態度が持てないのも同じ罠にはまっている。

■僕にとって詩を書くとは漂っている言葉をうまく捕まえるという行為のように思える。何かを捏造したり、何かを虚飾するような事とは違う感覚がある。

■権力で従う人の力よりも、誠意に打たれて動く人の力の方が尊いものだと思う。

■国会が演劇の舞台にしか見えない。 ゲームか何かをしているようで、リアルなやりとりに見えないのはなぜだろうか。

■キャナルシティ博多はジョーンジャーディのデザイン。六本木ヒルズ、なんばパークスと同じデザイナーで空間性もほとんど一緒なのだが、楽しげなのはやっぱり水がふんだんに使われているところかと。

■ジャーディ建築は周辺環境に対してほとんど関心がなく、中に設けられたラビーン(谷)によって自己完結的に空間演出されていることかと。いわばテーマパークの一種ではあるが、少しだけ違うのは土地のコンテクストは反映されていること。

■ヒルズは建築的にもアップダウンが設けられた丘(ヒル)になっているし、なんばパークスは大阪球場の跡地としてスタジアムの形状を踏襲する形になっている。キャナルシティは川縁にあることから水のイメージで繋がれている。外部環境への眺望や視覚的なつながりはあんまり持たないが文脈的連関がある。

■副首都の候補地として超党派議連から関西圏が上がっているが、当然議論の中に福岡はじめ北九州というのも挙げられているだろう。新幹線開通も含め、韓国やその他アジア諸国としてのゲートウェイ機能もある場所なので、ポテンシャルは高いはず。マルチリンガルも大阪より進んでいる気がする。

■博多ラーメンはもはや博多だけの文化ではなくなったな。長崎チャンポンが全国に広まったのと同じか。食のグローバリズム(というほどでもないが...)は嬉しい反面、その土地ならではのモノって感覚が薄くなっていく。博多にある屋台システムは空間装置として土地性が担保されている。


■問題に対してシリアスに向き合うのではなく、ユーモアを持って闘いたいと常々思う。

■ポストモダンの人工楽園。テーマパークとの違いは無料で自由にアクセス出来ること

■人工楽園にかかるメンテナンスコストは膨大だ。しかもそれで聖性が獲得されているとは思いにくい。楽園を支える公共性は協働ではなく資本という形で担保されている。

■どんな楽園もずっと居続けられるものではないように思える。楽園の選択性と回遊性が重要か。そのあたりが観光と結びつく部分。 http://instagr.am/p/IMzuU/


■表現の好みの問題をさも普遍的な理屈があるように語る口調はどうも好きになれない。建築家に多いような気がするが(偏見かも)全部説明しないと気が済まないというのは何かに怯えているようにも見えて可哀想に思えて来る。


■バスというメゾスケールのシステムは旅行者には使いづらい。鉄道、飛行機というマクロシステムとタクシーというミクロシステムの組み合わせで都市内であれば大体行ける。都市内バスは主に都市のヘビーユーザーのものなのだろうな。

■何だかんだ言ってもそろそろポストモダンを見直す時期に来ている気がするんだけどな。市内にこれだからね

■天神中央公園の特徴は三方を高い建物に囲まれていることか。アクロスの目の前に済生会病院があり格好の視点場に。でもここでは霧はれては出来ない。芝の管理がかなり行き届いている。ランドスケープは余計なこと考えずにこれだけで十分なんじゃ

■寝そべれるというアフォーダンスだけ提供すればいいんじゃないかとも思う。 http://instagr.am/p/IM9as/

■で中はこうなのね。外は自然で中は人工的。外見は羊で実は狼的な... http://instagr.am/p/IM-UI/

■ポストモダンの作家ってどうしてシマシマ好きなんだろう。建築もランドスケープも皆一様にシマシマ。多様なはずのポストモダンって実は一様なのかも。 http://instagr.am/p/IM-zl/
7月22日

■コミュニティ再生って騒ぎすぎだろうとも思う。強制的に再生させねばならないものでもないような気も一方でしている。 気負わずとも、もっと自然で緩やかに形成される方法はないのだろうか。

■セグウェイジャパンの大塚さんプレゼン。モビリティ社会の中で有効な乗り物になりそうだ。一回の充電で約40キロ走れる。日本では道路交通法の関係で走れない。全世界で日本とイギリスだけが走れない社会になっている。やはり問題多いな日本の道路交通法。

■世界ではポリス&セキュリティで最も利用されている。後は空港とテーマパークでの利用が多い。 セグウェイツアーとしてハウステンボス、十勝公園、中部空港などで活用。

■モビリティ社会の中で本当に車のようなパーソナル交通手段が最適かと いうとそうではないという問い。 自転車よりも面積を取らずその場でも回転出来るセグウェイは移動手段としての可能性は高い。

■今年、つくば市でモビリティ特区が取れ、道路に本格的にセグウェイが走れるようになる。確かにこれが普及すればパーソナルモビリティが変革するかも知れない。 乗り捨て出来るセグウェイシェアリングなども可能になる。

■一方で今オムロンとしようとしている「歩く文化」の再生はこのセグウェイのモビリティとは少し違った方向性か。 セグウェイが歩くという身体感覚に近づくほど、歩くことを放棄する社会になるのではないかという危機感もある。 自転車の代わりになるモビリティツールとしての代替が妥当な所か。

■医療現場、警備の現場のようにすぐに駆けつけねばならない状況で非常に有効な乗り物だろう。自転車では入れないようなエレベーターなどにも入れるのでアクセスタイムが早まる。

■モーダルミックスの一つのチョイスとして有効だと思う。 後は使用感が非常に心地よいのでエンターテインメントやスポーツ的に使用できるのも特徴の一つだ。
7月23

■日本ではやはり街乗りが法的に難しいのが一番の難点。 後は段差を乗り越えれる仕組みさえあれば爆発的に普及するのではないか。

■自動車はEVの流れもあって小型化の傾向にある一方でセグウェイを大型化するのは容易。上海万博では二人乗りセグウェイが導入されたが、考え方は体重移動で操縦という考え方はそのまま。

■ディシプリンから外れた人をキワモノとして扱うのは簡単だが、その質やレベルはちゃんと見極めた方がいいのだろう。 ただのキワモノか革新者かの判断を自分が正しくできているかどうかが問われる。

■同じ事をしていてもただ己の為にある業界を搾取しようとするのか、それともその業界の可能性を開こうとするのかというスタンスの違いがある。ビジネスと称して弱い立場の者から搾取しようとするヤツは何人も見てきた。

■きっちりと説明して伝え理解と共感を得るというコミュニケーションの重要性が唱えられる一方で、はっきり断定せず曖昧にほのめかすことでより多くを感じてもらうというコミュニケーションの重要性も言われる。答えを一つにするのではなく適材適所なんだろうな。

■トリイホールを後に♭へ。 鳥居さんのお話はなかなか含蓄が深かった。宗教と街の成り立ち信仰心の崩壊による街の乱れについては思うところが色々とある。都市の霊性があまりにも軽んじられていることへの警鐘とも受け取れるが、学生にはちんぷんかんぷんの空気が流れてた。それを埋めるのが僕の仕事。

■そりゃミナミ活性化とか期待して来た学生にいきなり霊とか神とか宗教とか言われると引くのも無理はないだろう。 でも実は芸能や文化とは切れない関係にあるのだよ。

■宗教とか言うと途端に胡散臭くなってしまう空気が既にデフォルトの社会なのでズレがあるのも当然。 それよりもズレを感じているならば感じているとちゃんと言うべきだし、言えない空気が対話の場にあることの方がよほど問題かと。

■そこをちゃんと相対化するのが僕の役目。他の人は歳取って偉くなりすぎているので、ある種神格化か無視の対象になる。 年齢や感覚の近さって重要だし、その感覚をちゃんと届く言葉にすることも重要だと感じる。

■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。

■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。

■勝ち馬に乗ろうと取り入る様子は見るに耐えない。なぜ自らが勝ち馬になろうと足掻かないのか。


■自分はまだまだ常識にとらわれすぎているのかと改めて反省。 常識とは従うものではなく、観察すべき対象なのだ。

■世の中には山ほど天才が居て、大体そういう人々は常識など疑ってかかっている。だからといって常識を知らないのではなく、それを観察する対象として捉えていると思う。
7月30日 お気に入り 返信 削除

■常識を疑うためにはたくさん常識を知らねばならない。まだまだ自分には知識が足りない。学問知も世間知も。

■学問知だけある者社会の中での人間関係の機微が分からないことが多い。世間知だけある者は世間の枠の中でしか捉えられないことが多い。 どちらもバランス良く伸ばしていくためには両方を同時に進めていく必要がある。

■若い者の方が発想が豊かだなんてとんでもない。若いヤツはものを知らないので発想が年寄りと違うだけで、本当に豊かな発想とはモノを知った上でそれを乗り越えられるかどうかだ。 若いか歳くっているかで判断するべきではないと若い頃から思っていた。

■僕が今まで見て来た学生で僕よりも発想が豊かだと感じたのは少なかった。だから年齢ではないのだろうなと感じる。 ただ豊かな発想だけが全てではない。

■しかし、若いヤツは年寄りを乗り越えねばならない。そうでないと文化や文明は進んで行かないからだ。 年寄りはすぐに潰そうとしてくるから、それを凌駕する力で向き合わねばならない。ただ単に若さを振りかざすのではなく、ちゃんと向き合う重要性を感じる。


■我々の抱く大阪のイメージがいかに東京のメディアによって作られているかが分かる。 それを笑ってすませる器量の大きさも良いが、反対に貶められてしまっている感もある。 タコ焼き、吉本、タイガースだけではないだろう。

■だからといって逆にお洒落になろうと無理する必死な大阪も違う気がする。その論理に絡め取られると東京とか他の都市と変わらないじゃないのか。

■アンチを唱えて突っ張るのも、無理して真似るのも両方同じ理屈だ。 そうではないやり方がたくさん沸き起こってくる必要がある。

■面白かったのは大阪出身の今の大学生の意識の中にも、根拠のない大阪人としての誇りが強くある事だ。 頼もしくも思うし、旅人としては羨ましくも思う。 しかし、問題は彼らに大阪の良さを説明できる材料が乏しい事だ。 それを提供する何かが必要だろう。まさにシビックプライド

■東京との差違として捉えられるためには東京に学んでいてはダメだろうと感じる。ソウルや釜山、シンガポール、上海、北京、クアラルンプールなど学ぶべき場所は山ほどあるはずだ。 東京にアンチなど唱えている場合ではないのではないだろうか。

■しかし、どうも大阪の動きを見ていると東京を意識しすぎか、売れればすぐに勝ち馬に乗って東京へ行ってしまう構図しかないように思える。

■ソウル人でも大阪人でも無い自分はかろうじて外なる視点を確保できているが、実は大阪人の方がその問題に目が向いていない気がする。

■昨夜のキネスケープは工藤栄一監督の1982年の作品「野獣刑事」。 出演、緒形拳、石田あゆみ、泉谷しげる。前回のガキ帝国同様、かなり殺伐とした話だったが、大阪の風景切り取り方が素晴らしい。 ランドマークもいくつか写っているのだが神崎川などの何気ない風景の撮り方が素晴らしい。

■和製カトリーヌドヌーブ、いしだあゆみさんが綺麗な上に役どころが可愛いく切ない。泉谷しげるさんもいい芝居で改めて工藤監督の役者との関係性の作り方の確かさを感じる。 あまり注目されていないがいい演技しているのが実は益岡徹さん。

■工藤監督の切り取りの構図は前衛写真家のようで楽しい。 津守という設定(実際は武庫川団地か?)で切り取った団地などはロシアか東欧風景のようでタルコフスキーみたいだという意見も。 反射を利用した構図や、窓の外からのロングとかも面白い。そのシーン長回しでやってしまうという?のもいくつか

■しかし、ガキ帝国との違いとしては、このシナリオは特別大阪でなくても成立するというように感じる事だ。ガキ帝国は韓国人との関係性など含めて大阪でする必然性があるが、野獣刑事はシナリオ上は大都市であればどこでも成立する。 いしだあゆみの大阪弁はかなり可愛いけど

■原稿ようやく出口が見えて来た....。単なる事実だけ述べても意味がなく、その事実を元に何を言うのかが重要だと感じる。言いたい事はリアルタイムとして全部ツイッターで呟いてしまっているのだが、活字にした時に急にリアリティが持てなくなることがあるから不思議だ。

■メディアのタイムラグについて再び想いを馳せる。ツイッターは感覚を伝えるのには良いメディアだが、何かの考えを深く伝えるのには向いていないかも知れない。反射的なつぶやきはその時にリアルな感覚だとしても、賞味期限がどこまであるのかが分からない。

■本日は維新派の稽古にて「第五福竜丸」を見る。 次回犬島公演での船の動きや波の表敬の参考に。

■「第五福竜丸」の後、松本雄吉さんが持ってきた「裸の島」を維新派と一緒に見る。 セリフは一切なしで、半分以上が水を運ぶシーンだったにも関わらず見入ってしまった。生きるとは何かという事を改めて考えさせられる。新藤兼人監督の凄さがここにも表現されている。

■この映画はほぼ農業映画と言ってもいい。実際にあの島に作物が育つかどうかをスタッフがかなりの年月をかけて実験したらしい。 当時は撮影技術もそれほど高くなかった時代に空撮なども綺麗に撮れている。無言劇もかなりの実験だったのではないか。

■維新派にも若い役者さんがたくさん居るがどう響いているか興味深い。 ハリウッド映画に慣れた若い人々にはかなり退屈な映画かも知れないが、無意味に見える時間の積み上げがあるからこそ最後のシーンに意味が出てくる。地と図の関係。
21時間前

■雄吉さんが伝えたかったのはあの船を漕ぐ動き。 手首のスナップ、腰の動き、大腿の踏ん張りなどは実際に櫂を漕ぐのを見ていなければリアルに身体を統合出来ない。マイムにも通ずるが、身体はそれに関わる環境によって形が決まる。舞台は虚構の環境なので、身体の動きでイメージさせねばならない。

■地頭の良さと偏差値はますます違うになってきたような気がする。
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by innerscape | 2011-08-02 18:47 | 覚書

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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