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私的風景の電脳記録
by innerscape
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図の職能、地の職能

図の職能、地の職能_a0091712_5432767.jpg今日はアーキフォーラムで千葉学氏を招いて話しを聞いた。
千葉氏は東京大学の建築学科で助教授をされていると同時にご自身で建築事務所もされており、少し前まではランドスケープアーキテクトのナンシー・フィンレイ氏と共同で事務所もされていた方である。

千葉氏は都市のスキマやヴォイドに昔から興味があるということで、作品の説明の中にも建物のヴォリューム配置でオープンスペースのヴォリュームを作っていくという手法が何度も見られる。その時の建物と屋外空間とのヴォリュームバランスは周辺の街のコンテクストから引用されることが多い。
千葉氏の作品から感じたのは屋外空間を作る際にヴォリュームが非常に重視されていて、表面のテクスチュアや装飾という部分に対してはほとんど興味がないようなレベルで捉えられていることだ。
確かに空間はほとんどヴォリュームが支配しているといってもいいのだが、そこにどのような質を与えるのかという部分に千葉氏は触れようとはしておらず、そのことが庭の手法でオープンスペースのデザインを展開する今のランドスケープアーキテクトとは一線を画するところだろう。建物という『図』のあり方が、屋外空間という『地』のあり方を決めるという、この手法には僕も非常に共感を覚える部分もある。


図の職能、地の職能_a0091712_5435059.jpgしかし一方で、千葉氏のそうした試みは敷地の中のオープンスペースのあり方という部分で完結しているように僕には感じた。
都市活動を読み取り、それを敷地の中へ持ち込む、あるいは都市の空間量の読み取りから敷地内の建物とオープンスペースのあり方を決めていくという志向性は、やはり都市⇒敷地へのベクトルである。
反対のベクトルつまり敷地⇒都市というように、操作した建物や敷地内のオープンスペースのあり方が都市の方向性を示唆しはじめるという内から外へのベクトルについてはやはり見ることは出来ないように思える。

そこにはやはり職能としてどの場所へ意識を向けるかということへの差異があるのだろうか、建築家の意識が都市の『地』をつくることへ向けられていると感じることが少ない。
そこに建築家の限界性があるのは、きっと操作する対象として、建築本体とその周辺の敷地内が意識されているからで、もし大きくまとまった都市スケールの開発で複数の建物とオープンスペースが操作対象として与えられたときに、千葉氏を始めこのシリーズでお呼びしている建築家の方々がどういう計画をするのか非常に興味をそそられる。
by innerscape | 2005-10-29 05:39 | マゾヒスティックランドスケープ

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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