flw moon innerscape
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「いのちをまもる智恵」が完成しました
昨年の秋口より、CSCD減災チームと一緒に作ってきた「いのちをまもる智恵-減災に挑む30の風景–」が完成しました。
これは全国各地で起こる地震や津波などの自然災害の中で人が培ってきた智恵を人々に届けるためのストーリーブックとして作り、地域の防災リーダーたちへ配られて行くためのものです。
今回、僕は30のストーリー制作と、全体アートディレクション、そして本そのものへの企画・構成・編集までを行いました。
非売品なので、欲しい方は数に限りがありますがご連絡いただけると幸いです。
世界はこんなにもドラマに満ち溢れているのに、調査報告書という形で出来事が語られてしまうことにいつもむなしさを感じる。そこで人々が感じた恐怖や憤りや悩み、愛や喜びや悲しみがどこかにすっぽりと抜け落ちてしまうのだ。「防災」というたった2文字でくくられてしまう事で、あまりにもたくさんの物語と温度を持った人の姿が隠れてしまっている。
“災わい”という文字と“防ぐ”という文字の間に隠れてしまった風景を描く事__。これは僕がするべき事として正しかったのだと今は感じている。
当初僕が依頼されたのは、アートディレクターあるいはグラフィックデザイナーとして報告書の体裁をビジュアル的に奇麗にまとめて見せられるものにしてほしいという程度だった。実際にそれ以上の事はあまり期待されていなかったのではないかと思う。
しかし日本全国へ出向き丹念に話を聞いて書かれた吉椿さんの報告書を読んだときに、そんな安易な表現ではそこで語られた事が要求するレベルにとてもついて行けないと感じた。そこでは小手先の“技術”でも、すぐに使える“情報”でも無く、まさに人がいかに生きるかという“智恵”そのものが語られていたからである。
人は大地を生き抜く中で様々な智恵を獲得してきたが、今とそしてこれからの“いのち”をまもるためにはそうした智恵が一人でも多くの人の手で未来へ紡がれる事が大切な事だと思った。そのためには智恵を「報告」という形で客観的に眺めるのではなく、もっと人の感情に近い方法、人の温度が抜け落ちないような方法で伝える必要がある。そんな想いで「物語」という形態を取り、ここで語られている事を「いのちをまもる智恵」というタイトルに込めた。それぞれの智恵の真意を丁寧に見つめ、その中に潜む普遍的なメッセージを拾い上げながら特定の地域だけではなく誰もが学べる智恵のタイトルとして表現する作業。そして最初に「伝えられる言葉を学ぶ」という智恵を、最後に「ずっと語り継ぐ」という智恵を持ってくることで過去から紡がれている智恵を未来へと届けて行くメッセージを構成にも持たせている。
幸いにも演技の経験が多少ある僕は脚本に触れる機会も多かったのだが、物語を書く事が果たしてデザイナーである僕の職能の範囲なのだろうかと悩んだりもした。
僕の専門はランドスケープデザインと呼ばれている。職業としては空間をデザインすることがほとんどである。しかし“ランドスケープ”の訳語である「風景」という言葉に立ち戻った時に、果たして空間を設計する事だけで風景は現れてくるのだろうかと疑問に思うことがある。
風景はいつも動かずにずっとそこに在るものではなく、もっと主観的で個人的で、ある瞬間にふっと立ち上がり、ある時にはまた消えている...。日々の生活の中で僕がリアルに感じるのはそうした風景だ。
そう考えた時に風景をデザインするという事は何も空間を設計する事だけではなく、その時に人がそう見た、そう感じたという私的な“物語を描く”という事であってもいいのではないかと今は思える。
だから「風景」という文字に“ストーリー”という読みを送った。
防災について全くの素人と言ってもいいぐらいだった僕は吉椿さんの報告書に加えて膨大な資料を読みながら、実際のそこでの状況を出来るだけ細かくイメージする必要があった。そこで浮かび上がってくる空気感とメッセージをイラストレーターの中村さんに伝えながら、描かれる風景に何が必要で、それがどう構成されているかを二人で丁寧に決めて行く作業はほとんど設計のプロセスと同じだった。物語を書き進める中で、現れてくる風景が見えなくなってしまうことも度々あった。そんな時は報告書を読み返し、最初に自分で表現した智恵のタイトルが正しかったかを一つ一つ問いかけながら、それを頼りに物語を描いて行くことを続けた。
物語の中では吉椿さんが取材した方々の名前や実話をもとにキャラクターと状況を設定しているものも中にはあるが、基本的には全て僕が想像力を膨らませて表現したフィクションなので、実際にはそんな会話は交わされていないと言う人が居るかも知れない。しかしそこで交わされた会話が「事実」であったかどうかは問題ではないと僕は思っている。大切なのはその場で人が何を感じて、そしてそこでどういう「風景」が立ち現れる可能性があったかを想像する事だと思うからだ。
今回描いた“災わい”と“防ぐ”との間に横たわる30の風景__。
悲しい風景や、楽しい風景、深刻な風景、涙の出る風景...。
ここでは語られなかったが、他にも人のいのちが確かに息づいた無数の風景がその間には広がっている。
情報や技術だけで語られる「防災」の二文字。その間に温度のある風景が吹き込まれる事で、はじめて“いのちをまもる智恵”として未来へ紡がれて行くのではないかと僕は信じている。
これは全国各地で起こる地震や津波などの自然災害の中で人が培ってきた智恵を人々に届けるためのストーリーブックとして作り、地域の防災リーダーたちへ配られて行くためのものです。
今回、僕は30のストーリー制作と、全体アートディレクション、そして本そのものへの企画・構成・編集までを行いました。
非売品なので、欲しい方は数に限りがありますがご連絡いただけると幸いです。
世界はこんなにもドラマに満ち溢れているのに、調査報告書という形で出来事が語られてしまうことにいつもむなしさを感じる。そこで人々が感じた恐怖や憤りや悩み、愛や喜びや悲しみがどこかにすっぽりと抜け落ちてしまうのだ。「防災」というたった2文字でくくられてしまう事で、あまりにもたくさんの物語と温度を持った人の姿が隠れてしまっている。
“災わい”という文字と“防ぐ”という文字の間に隠れてしまった風景を描く事__。これは僕がするべき事として正しかったのだと今は感じている。
当初僕が依頼されたのは、アートディレクターあるいはグラフィックデザイナーとして報告書の体裁をビジュアル的に奇麗にまとめて見せられるものにしてほしいという程度だった。実際にそれ以上の事はあまり期待されていなかったのではないかと思う。
しかし日本全国へ出向き丹念に話を聞いて書かれた吉椿さんの報告書を読んだときに、そんな安易な表現ではそこで語られた事が要求するレベルにとてもついて行けないと感じた。そこでは小手先の“技術”でも、すぐに使える“情報”でも無く、まさに人がいかに生きるかという“智恵”そのものが語られていたからである。
人は大地を生き抜く中で様々な智恵を獲得してきたが、今とそしてこれからの“いのち”をまもるためにはそうした智恵が一人でも多くの人の手で未来へ紡がれる事が大切な事だと思った。そのためには智恵を「報告」という形で客観的に眺めるのではなく、もっと人の感情に近い方法、人の温度が抜け落ちないような方法で伝える必要がある。そんな想いで「物語」という形態を取り、ここで語られている事を「いのちをまもる智恵」というタイトルに込めた。それぞれの智恵の真意を丁寧に見つめ、その中に潜む普遍的なメッセージを拾い上げながら特定の地域だけではなく誰もが学べる智恵のタイトルとして表現する作業。そして最初に「伝えられる言葉を学ぶ」という智恵を、最後に「ずっと語り継ぐ」という智恵を持ってくることで過去から紡がれている智恵を未来へと届けて行くメッセージを構成にも持たせている。
幸いにも演技の経験が多少ある僕は脚本に触れる機会も多かったのだが、物語を書く事が果たしてデザイナーである僕の職能の範囲なのだろうかと悩んだりもした。
僕の専門はランドスケープデザインと呼ばれている。職業としては空間をデザインすることがほとんどである。しかし“ランドスケープ”の訳語である「風景」という言葉に立ち戻った時に、果たして空間を設計する事だけで風景は現れてくるのだろうかと疑問に思うことがある。
風景はいつも動かずにずっとそこに在るものではなく、もっと主観的で個人的で、ある瞬間にふっと立ち上がり、ある時にはまた消えている...。日々の生活の中で僕がリアルに感じるのはそうした風景だ。
そう考えた時に風景をデザインするという事は何も空間を設計する事だけではなく、その時に人がそう見た、そう感じたという私的な“物語を描く”という事であってもいいのではないかと今は思える。
だから「風景」という文字に“ストーリー”という読みを送った。
防災について全くの素人と言ってもいいぐらいだった僕は吉椿さんの報告書に加えて膨大な資料を読みながら、実際のそこでの状況を出来るだけ細かくイメージする必要があった。そこで浮かび上がってくる空気感とメッセージをイラストレーターの中村さんに伝えながら、描かれる風景に何が必要で、それがどう構成されているかを二人で丁寧に決めて行く作業はほとんど設計のプロセスと同じだった。物語を書き進める中で、現れてくる風景が見えなくなってしまうことも度々あった。そんな時は報告書を読み返し、最初に自分で表現した智恵のタイトルが正しかったかを一つ一つ問いかけながら、それを頼りに物語を描いて行くことを続けた。
物語の中では吉椿さんが取材した方々の名前や実話をもとにキャラクターと状況を設定しているものも中にはあるが、基本的には全て僕が想像力を膨らませて表現したフィクションなので、実際にはそんな会話は交わされていないと言う人が居るかも知れない。しかしそこで交わされた会話が「事実」であったかどうかは問題ではないと僕は思っている。大切なのはその場で人が何を感じて、そしてそこでどういう「風景」が立ち現れる可能性があったかを想像する事だと思うからだ。
今回描いた“災わい”と“防ぐ”との間に横たわる30の風景__。
悲しい風景や、楽しい風景、深刻な風景、涙の出る風景...。
ここでは語られなかったが、他にも人のいのちが確かに息づいた無数の風景がその間には広がっている。
情報や技術だけで語られる「防災」の二文字。その間に温度のある風景が吹き込まれる事で、はじめて“いのちをまもる智恵”として未来へ紡がれて行くのではないかと僕は信じている。
by innerscape
| 2007-03-30 23:31
| インフォメーション
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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