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私的風景の電脳記録
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日常と非日常の接点

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4日間神戸アートビレッジセンターで行われたKavcaap2005未来のドキュメントが終了した。
最終日には、『S/N』の公演をダイジェストにまとめた作品の上映とトークセッション、そして『木村さん』の上映とトークセッションがあった。
『S/N』の方は総合プロデューサーのブブ・ド・ラ・マドレーヌ氏を中心に浅田彰氏、ダムタイプ高谷史郎氏、ジェンダー論の溝口彰子氏が語り合う。
僕は今回のこの仕事に関わるまでは『S/N』と言う作品もダムタイプというアーティストグループも知らなかった。
これは後になってブブさんから聞いた話しなのだが、実行委員会側からは逆に『s/n』やダムタイプについて何の偏見も予備知識もないような僕のようなクリエイターが今回の展示に関わることを重要に感じていたようである。
ダムタイプは様々なパフォーマンスを行っているが、その中でもこの『S/N』に関しては世間での扱いが特別に感じる。
それは単なるショーや表現としての価値を超えて、エイズやジェンダーやセクシュアリティやマイノリティの問題を問い直したからだと言われている。
通常のショーは見ている分には安全である。
全てが演出であることを前提に見ていて、自分のアイデンティティが脅かされることはない。しかし『S/N』はHIV感染者や障害者、外国人、ホモセクシュアルなどが演出の中で本当のカミングアウトを行うので、見ている側からすると、どこから現実で、どこからが演出なのか分からずに翻弄される。
カミングアウトするということはアイデンティティの問題にもつながるが、彼らは問いかける。観客として座っているあなたは何なのかと。
そんな現実を突きつけられる怖さを持った作品だと思う。
しかし純粋にショーとして楽しめないかというと決してそんなことはなく、幻想的なステージで繰り広げられるパフォーマンスは僕たちを日常から連れ出してくれる。
舞台には高くそびえる横長の壁が立っている。その壁の上で次々とスピーディに出来事は展開され、壁は演じるためのステージであると同時に、映像を映し出すスクリーンにもなっている。
ハイテクなイメージの音と光の中、演者が次々と壁の反対側へ倒れていくパフォーマンスは10年たった今見ても色あせることはない。
非日常なショーを出発点に日常の僕達の問題を照らし出している作品だと感じた。

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一方で『木村さん』の方は木村さんという個人とアーティストの高峰氏の間にある日常を映し出しているが、それは非日常でドラスティックな問いかけを含んでいる。
『木村さん』は森永砒素ミルク事件で障害者となった方への性的介護の話である。
アーティストである高峰氏は障害者の木村さんを介護するのだが、彼の性的介護まで引き受けている。その一部始終を記録した映像を使ってパフォーマンスをする作品である。作品では背後に二つのスクリーンがあり、そこに木村さんと高峰氏の手や眼が映し出されている。その映像を前に時折、高峰氏が頭でガラスを割っていくというパフォーマンスである。
この作品は内容がドラスティックなだけに色んな見解が飛んでいるが、僕自身はこの作品について自分の中でうまく整理できていないので、書きながら整理していければと思う。
まずこれは高嶺氏が木村さんを普段のように介護している中で、たまたま切り取られて作品化されたものである。
高峰さんがこのビデオを撮影したのはほんの偶然で、そこに映し出された映像が彼にとって何ともいえない良い感じだったことにこの作品の出発点はある。
彼がこのビデオを撮影してから世間に発表するまでの間、3年の期間を置いているのだが、きっとそこには色んな想いがあったに違いない。
たとえ最初の動機がビデオの持つ空気感を多くの人と共有したいという想いであったにせよ、障害者である木村さんをネタに、高峰氏が作品を作って発表することは、ある種の搾取と受け取ることも出来る。

彼はパフォーマンスの中で映像を硬質な感じにしようと述べているがどうしてなのだろうか。
生々しいリアルな現実では作品にならないからなのだろうか。それとも世間への言い訳や木村さんへの罪悪感が、作品の質感をクールにすることで果たされると、そう感じたからだろうか。頭でガラスを割るパフォーマンスは彼への贖罪なのだろうか。

木村さんはこのビデオを公開することを快く認めてくれたと作品の最後で述べられている。
何となくそれが僕は分かる気がした。
高峰氏と木村さんの間には二人にしか分からないプライベートな気持ちのやり取りがあるのかどうかは僕には知る術がない。しかしひょっとすると高嶺氏と木村さんの間に流れているのは、二人が過ごしている日常とは少し違う空気があるのかも知れない。
高峰氏は“ただの手”の役目を担わされているだけの可能性があるからだ。
木村さんにとっては、自分の感覚を刺激してくれるのは別段、高峰氏の手でなくても良かったのではないかという理解である。

無名の手__________________________________。
奉仕してくれる手としてあればいい。
それは『木村さん』の最後の高笑いにそれは象徴されている。
ラストシーンで高らかに笑う木村さんの顔には、高峰氏の心中などを気遣う様子などみじんも見えないように僕には感じられた。それはただ絶頂を楽しむエゴイスティックな欲望が漂うだけである。
もしそうだとするなら、高峰氏が『木村さん』を公表し、木村さんをネタに搾取することの何がいけないのだろうか。
互いにエゴイスティックな欲望でつながっている二人の関係をプライベートと呼べないのだろうか。
木村さんはそれを知っていたから許してくれたのではないだろうかと僕は思う。
いつも繰り返される日常的な事柄の背後には実は非日常な関係性がとぐろを巻いている可能性が垣間見える。

非日常を出発点とした日常への問いかけと、日常を出発点とした非日常の覗き見。
二つの作品から感じるのは日常と非日常の接点は実に危ういということで、その接点にこそアートの可能性があるように思う。
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by innerscape | 2005-07-03 00:46 | アート

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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