flw moon innerscape
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13日の金曜日の都市計画話
午前中は、CSCDで環境アセスのスコーピングについての打ち合わせに出る。
環境省とNTTデータがここ2年ばかり行っていたのだが、今年はCSCDの協力も交えて進めていくことになった。地元千里のNPOの方も来られて話し合いをした。
環境アセスは開発の後押しのために行われることが多く、地域の意思がどこまで反映されるのかというところがいつも問われる。
こうした取り組みは開発があって始めて行うのではなく、常に地域の人々が自分の住む環境の事を意識して、それを何らかの形で表現しておく努力が必要だろう。
それをポテンシャルマップとして表現する方法をこれを機に考えればと思う。
会議後、伊丹空港より羽田へ飛び、東大で行われている造園学会へ出向く。
造園学会も80周年ということで、「ランドスケープの開発と保全」と銘打って開かれたシンポジウムには、日本の風土研究で有名なオギュスタン・ベルクも来ていた。
さすがに和辻哲郎などを研究するだけあって、日本語はとても堪能だった。
シンポジウム自体は、最後の1時間しか出席することが出来ず、内容はほとんど分からなかったが、会の終了後、3年ほど前に大阪の町を案内したことのあるMITの教授アン・スパーン女史を見つけたので、挨拶して少し話をした。
その後、シアトルから戻ってきていたランドスケープアーキテクトの小林氏を見つけたので、二人で市浦都市開発の事務所へ向かう。
市浦建築都市開発は市浦ハウジング&プランニングという名前に変更したようだが、個人的には変更前の固い名前の方が気に入っていたのだが。
事務所を後にして、本郷三丁目の交差点を歩いていると、以前中国の都市計画の仕事を一緒にしたことがある建築家・都市計画家の内藤氏に偶然出くわした。
どうやら内藤氏は大阪府立大学の加我先生と待ち合わせしていたようなので、そのままご一緒することにした。
その後、仕事を終えた市浦の方々が続々と合流してきて、都市計画話で大いに盛り上がる変な夜になった。
前々から聞いてみたかった彩都の開発や京阪奈の開発の是非について聞いてみた。
開発の計画を立てた当初ではリアリティのあったこれらの開発も、今の時代の必然性から言うとなかなか難しい事情があるようで、実務について開発を進めている彼らの中でも開発の是非については複雑な思いがあることを共有できた。
確かに、京阪奈で掲げられているように、日本の科学技術の発展のためには技術についての研究機関や企業、大学などの知が集積する必要があることに異論はない。
しかし、時代に応じた適正な規模があるのではないかと思う。
人口が減少の方向へ向かおうとする中、赤字を抱える財政の中、開発による環境破壊が叫ばれる中、コンパクトシティが唱えられる中、科学技術の集積という目的のために莫大な土地をさらに開発することに僕自身はそこまでリアリティが持てない。
環境アセスについて議論した朝から、大規模郊外開発の是非について議論した夜半まで13日の金曜日の都市計画話に程よく疲れながら過ごした一日だった。
環境省とNTTデータがここ2年ばかり行っていたのだが、今年はCSCDの協力も交えて進めていくことになった。地元千里のNPOの方も来られて話し合いをした。
環境アセスは開発の後押しのために行われることが多く、地域の意思がどこまで反映されるのかというところがいつも問われる。
こうした取り組みは開発があって始めて行うのではなく、常に地域の人々が自分の住む環境の事を意識して、それを何らかの形で表現しておく努力が必要だろう。
それをポテンシャルマップとして表現する方法をこれを機に考えればと思う。
会議後、伊丹空港より羽田へ飛び、東大で行われている造園学会へ出向く。
造園学会も80周年ということで、「ランドスケープの開発と保全」と銘打って開かれたシンポジウムには、日本の風土研究で有名なオギュスタン・ベルクも来ていた。
さすがに和辻哲郎などを研究するだけあって、日本語はとても堪能だった。
シンポジウム自体は、最後の1時間しか出席することが出来ず、内容はほとんど分からなかったが、会の終了後、3年ほど前に大阪の町を案内したことのあるMITの教授アン・スパーン女史を見つけたので、挨拶して少し話をした。
その後、シアトルから戻ってきていたランドスケープアーキテクトの小林氏を見つけたので、二人で市浦都市開発の事務所へ向かう。
市浦建築都市開発は市浦ハウジング&プランニングという名前に変更したようだが、個人的には変更前の固い名前の方が気に入っていたのだが。
事務所を後にして、本郷三丁目の交差点を歩いていると、以前中国の都市計画の仕事を一緒にしたことがある建築家・都市計画家の内藤氏に偶然出くわした。
どうやら内藤氏は大阪府立大学の加我先生と待ち合わせしていたようなので、そのままご一緒することにした。
その後、仕事を終えた市浦の方々が続々と合流してきて、都市計画話で大いに盛り上がる変な夜になった。
前々から聞いてみたかった彩都の開発や京阪奈の開発の是非について聞いてみた。
開発の計画を立てた当初ではリアリティのあったこれらの開発も、今の時代の必然性から言うとなかなか難しい事情があるようで、実務について開発を進めている彼らの中でも開発の是非については複雑な思いがあることを共有できた。
確かに、京阪奈で掲げられているように、日本の科学技術の発展のためには技術についての研究機関や企業、大学などの知が集積する必要があることに異論はない。
しかし、時代に応じた適正な規模があるのではないかと思う。
人口が減少の方向へ向かおうとする中、赤字を抱える財政の中、開発による環境破壊が叫ばれる中、コンパクトシティが唱えられる中、科学技術の集積という目的のために莫大な土地をさらに開発することに僕自身はそこまでリアリティが持てない。
環境アセスについて議論した朝から、大規模郊外開発の是非について議論した夜半まで13日の金曜日の都市計画話に程よく疲れながら過ごした一日だった。
by innerscape
| 2005-05-13 21:50
| 景観
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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