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私的風景の電脳記録
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貧困と豊かさの狭間の風景

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CSCDの共催プロジェクトの一つとして、7月26日から倉敷で国際フォーラム『芸術と福祉』を行う。
そのフォーラムでお話くださるパネラーの一人『わかくさ保育園』の園長小椋氏へ会いに行ってきた。

『わかくさ保育園』は日本でも有数のホームレスの集まる街、西成区の釜ヶ崎のど真ん中にある保育園である。
たどり着く道中にも、見かける公園は居住者の青テントであふれかえり、道端にはあきらかに道路交通法違反の屋台が立ち並ぶ光景があちらこちらにある。
ドヤ(安宿の意味)の看板を見てみると、一泊800円という値段が書いてあったり、店先で売っているものも通常の街で見かけるものよりも2~3割は安い価格がついている。
夕刻なので、日雇いを終えたホームレスの方々があちらこちらをウロウロしていて、店先や道端で車座になりながら安酒をひっかけていたり、ちょっとしたスペースを見つけて寝そべっていたり、大声で笑いながら屋台からはみだしていたり、自転車で空き缶を集めていたりするという凄まじい風景の中、僕達は保育園へ向かった。
こうした風景を見ていると、ソウルの鐘路のあたりや北京の裏通りの風景を思い出す。
北京やソウルでも特に低所得者層の住む住居内の快適性が低いが故に、結果として人々は皆屋外へ出てきて過ごしているので、街のあちこちに人が居る状態が出来上がっている。その人の居方とすごく似ているのである。少し違うのは居る人々が全て中年の男性という点である。北京やソウルでは女性も子供も多い。

普段は街歩きをしている中で、人々が場所を使いこなしている例があれば写真に収めて嬉々としているのだが、この場所ではそんな行為が馬鹿らしく思えるほど、これみよがしに屋外空間が使いこなされている風景がある。
人々の顔を眺めてみると、決して悲観的な様子は無いのだが、これを豊かな風景だと手放しで喜べるわけではなく、やはり経済的な事情から結果として屋外空間を使いこなさざるを得ない状況がそこでは浮き彫りにされている。
女性はとても歩けないような場所だし、衛生状態も決して良くは無い。
出来ることなら彼らも野宿ではなく屋内で過ごしたいと考えているはずである。
しかし極端な例とはいえ、ここには屋外空間を違った意味で豊かに使う可能性が提示されているような気がしながら保育園にたどり着いた。

園内は一変して、子供のオンパレードである。
まるで動物園のような奇声があちこちで聞こえてきて、そこらかしこを子供が走り回っている。
少し子供の相手をしていたのだが、さすがにエネルギーをすぐに奪われてしまった。

こんな釜ヶ崎あいりん地区に小椋園長は26年前にやってきたという。
『わかくさ保育園』は日本の福祉事業の先駆者石井十次の意思を受け継いだ大原孫三郎という当時の倉敷紡績の社長の手によって創立された社会福祉法人石井記念愛染園の施設の一つである。
保育園自体の定員は60名であるが、事情により住民票がなく手続きの出来ない家庭やオーバーステイした外国人、サラ金に追われているような家庭に居る児童達を受け入れる青空保育の人数も含めると90名近くの子供達を抱えていることになる。

ここでの試みで素晴らしいのは、ただ園内にいて子供が来るのを待っているのではなく、職員自らが街を巡回して、ドヤを尋ね、また木賃アパートを訪ねて子供を捜すことをしている点である。
子供の中には、親のネグレクトで2年以上も部屋から出たことが無いため、肌は真っ白で発育が遅れているような子も居る。
そうした子を『わかくさ保育園』では保育料フリーで入園させて、社会と接点を持たせるというセツルメント活動をずっと続けている。
保育は子供の面倒だけを見ていれば済む問題ではなく、親の問題や、地域の問題にまでつながる。
地域社会全体で子供を守っていく仕組みづくりを小椋園長は目指したいと言う。
あいりん子供連絡会というネットワークを母親を中心に広く行政や病院関係者なども含めて運営していて、情報誌を発行していたり、ホームページを運営したりと近年では特に活性化してきているようである。

この園内以外に子供達の居場所はあるのか聞いてみた。
街には生活保護を受けている高齢者達がたくさん居る。そうした高齢者は自ら何か生きがいを見つけたいとボランティア活動の一環で保育園の掃除や、紙芝居などを子供に見せに来たりしている。
そうした高齢者達のアパートや彼らが連れて行ってくれる公園が居場所になることもあるという。

もともとそうした高齢者もホームレスと同じ状態であった。多くの方が住んでいる場所はドヤである。
ドヤは宿泊施設のため、そこの住民は居住者としてはみなされない。
居住者でなければ生活保護を受けることが出来ず、いつまでも明日の食料の心配をしなくてはいけないのである。
そんな中、ドヤの経営者の中で心ある人がドヤをアパートに変えて申請することで、そこに住む人々は生活保護を受けれるように便宜を図ったという。
明日の食べ物に困らなくなった高齢者達は何か生きがいや社会に貢献できることが出来ればとわかくさ保育園を訪ねたという経緯である。

そうした人々に囲まれて育った子供達が大きくなってこの町に愛着を持って居つくのかどうかを聞いてみた。
やはり難しいらしい。
少し大きくなって、稼げるようになったり、生活が楽になったりすればやはり違う土地へ引越ししていくため街には常に貧困層しか残らない。
あいりん子供連絡会などの活動を通じて少しづつ西成のイメージは住む人々の中でも変わりつつあるようだが、やはり地域ぐるみで子供を育てて、そうした子供が街に愛着が持てるようになるには長い時間と非常に厳しい社会問題が横たわっている。

公園で高齢者と一緒になって芋を育ててそれの芋掘りを行うなどの活動もしていたという話が出たので、行政からの規制や指導などはなかったかと聞いてみた。
そこについては行政も問題なく認めてくれたという。
あちらこちらに道路交通法違反が見られ、公園には24時間居住者が居る中で、子供達と高齢者が公園に畑を作って楽しむことを咎めるのは不毛なのであろう。

こうした地域が抱える問題は、僕達が普段住んでいる街とは違ったレベル、基本的な居住性含めて解決すべき問題がある。
そしてそうした問題がとても大きいが故に、パブリックスペースのプライベート的な獲得に対して規制が緩くなっているのも事実である。
しかしホームレスが街にあふれかえっている今の現状を決して肯定するわけではないが、そうした風景の中に地域のポテンシャルと屋外が豊かに使われている事例や可能性が見え隠れしている事に目をつぶってはいけないと複雑な思いで感じていた。
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by innerscape | 2005-05-09 21:53 | マゾヒスティックランドスケープ

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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