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私的風景の電脳記録
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キャンパスでエクソダス

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本日は、大阪市立大学での最終講義日。
この5年ほど文学部で開講されている表現文化演習という学部の授業を受け持っているが、大学側からのリクエストとしては学生達の凝り固まった視点を変革するようなワークショップや講義をお願いしますと言われている。

人と場所、人と人との関係性を取りもつメディアをデザインして新しい風景を開くメディアランドスケープデザイナーとしては、最も本領が発揮出来る授業の一つだ。

主に視覚からのアプローチではあるが、これまで様々な風景への実践をしてきた。
キャンパスを対象に、カラーハンティング、星座作用、トマソンの発見、ガリバースコープ、フォトモの制作など、アートやフィールドワークの手法を用いて様々な風景を開く。

かなり学生達も日常の風景が撹乱されたのではないかと思っている。
そういうのはアーティストの社会的役目の一つでもあると信じている。

さて、本日は最終日にあたるので自分の身体をメディアにして風景へ介入するワークショップを。
丁度一年前に應典院コモンズフェスタの会場構成の指名アーティストに選ばれた時に開発した行動展示「エクソダス」をやってみる。

このエクソダスは人々というメディアで人と場所との関係性をずらす実践として僕が試みているもので、メディアランドスケープデザインの中でも超ショートスパンで「出来事のデザイン」や「状況のデザイン」を達成するというもの。

本年度の僕の講義の受講生は23人居て、その中の22人が女学生という変な構成なので恥ずかしがるかなと思ったのだが、やりたいという要望もあったのでエクソダスを実践してみた。
これは僕の中でも役者の文脈とランドスケープデザインの文脈のミックスで、自分の公共演技論を考える上での根本的なインスピレーションの源泉になっている。

まず最も簡単な実践としては「一列になって歩く」
人の居方のエントロピーを変えているだけで、何ら法律には触れていない。
これでずっとキャンパスを闊歩するだけで、実践する方も、それを観察する方も風景に違和感を起こす事が出来る。
横断歩道を渡ったり街にも出てみる。

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「公園の遊具を占拠してみる」
そこに居た高校生も取り込みながら遊具をぐるりと取り囲んでみた。
エクソダスの面白い所はどこからどこまでがオリジナルの参加者でどこからがそうでないのかの区別がつかなくなることだ。
人々をメディアに他の人と場所との関係性も変革している。

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「写真を撮る」
全員が一斉に何でもない場所を写真撮影する事で、そこに「何か撮るべきもの」があるかのような状況が起きる。
これは視線を上に向けても同じ。皆が見上げて何かを探そうとする。

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「池のほとりで引きこもる」
オープンスペースでそれぞれ座り込み引きこもってみた。開けた場所で引きこもるとは矛盾しているが、やってみると不思議と気持ちのいい時間が流れる。風や池のさざ波に敏感になったる。
学生達も一様にそのことを訴えていた。

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きっと今日の市大でエクソダスに遭遇した学生達にとっては不思議な一日だっただろう。
こうやって日常の風景や行動規範から脱出(エクソダス)してみることで、実は我々が普段どんな行動を無意識にとってしまっているか、そして日常の中でどんな見えない制約を受けて行動している事が浮かび上がってくる。

このエクソダスやメディアランドスケープデザインが最終何を目指しているのかということを問うては行けない。何かを目指す事だけが全てではないし、目指していた何かに不安や行き詰まりを抱いた時にこそ風景への新しい眼差しが必要なのだから。
この講義を通じて学生達の風景への眼差しが少しでも変革されればいいと信じている。
僕自身はそうやってメディアランドスケープデザインを教育という側面を通じても実践している。
教育が出来る事が実は最も息が長く、大きいのだから。
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by innerscape | 2011-01-21 13:52 | 出来事の風景

行動展示「エクソダス」展開中!!

應典院コモンズフェスタの展示「トランスパブリック」の一環で行動展示を行っている。
この行動展示はエクソダスと名付けたのだが、街へ集団で出て行ってその街のルールを探るべく様々な奇異な行動を取ってみるというものである。
僕の中ではランドスケープデザインと演劇パフォーマンスを組み合わせた「状況のデザイン」の位置づけで、大学の授業とも連動させている。
これまでに5回行ったが非常に興味深く街の規範が見えて来たので、vol.02までの分としてこれまで行ったエクソダスのうちの一部を下に掲載しておく。
この映像はコモンズフェスタ会場の2階でも映像展示として行っているので随時観る事は出来るが、もしご興味を持った方は是非30日に来て頂きたい。

30日(土)は行動展示としてはファイナルなので、出来るだけたくさんの方々に来て頂きたい。
集団でしか出来ない事もあり、集団ですること街の規範を生み出す事が出来るかもしれないのだから。

エクソダスvol.06
ナビゲーター:ハナムラチカヒロ
1月30日(土)10:00〜13:00
應典院ロビー集合後、市内へ移動。
予約受付中
arc@outenin.com



■「係員」の腕章をつけて赤バスに乗る。
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■「係員」の腕章をつけて街を闊歩する。
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■「係員」の腕章をつけて商業施設を勝手に警備する。
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■商業施設のエレベーターに乗り続ける。
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■駅の自販機にて同じ缶コーヒーを買い並ぶ。
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■歩道橋の上で缶コーヒーを並んで飲む。
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■歩道橋から同じ方向を見つめる。
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■街角を一列で占拠する。
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■缶コーヒーをゴミ箱に供養する。
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■「係員」の腕章をつけて自転車を勝手に整理する。
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■黒門市場を一列で練り歩く。
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■誰も通らない袋小路を集団で歩く。
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■昼間の雑居ビルに集団で乗り込む。
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■閉まっている銀行に並ぶ。
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■閉まっている畳屋に並ぶ。
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■落ちている帽子を囲む。
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■街角で韓流スターになる。
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■歩道橋でアイドルになる。
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■マクドナルドでマクドナルドのCMを上映する。
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■日本橋でリアカーを引く人と知り合いになる。
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■街角でテレビモニターに群がる。
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【エクソダスについて】
たくさんの人が動き、行動し、眺めている街の中で、僕たちは何をどこまですることが許されているのだろうか。もちろん街は家とは違う。自分のことを知っている人はほとんどいないだろうし、気を抜いた行動や個人的な行動をすると奇異な目で見られるかもしれない。禁止されている行為もあるだろうし、法律が禁止していなくてもそこに居る人々が生み出す空気感が許さない行動もあるかもしれない。そこにはその街や人々が共有する価値観や規範が風景の中に見え隠れいていると言える。
このエクソダスという試みは、トランスパブリックの中でも行動展示としてコモンズフェスタの会期前から会期中にかけて実践されている集団パフォーマンスである。旧約聖書の出エジプト記のように集団で街の規範から脱出してみることで、逆に街の規範や価値観をあぶり出し、公共性を問いなおすことが出来ないかと考え、毎回参加者を募り街へ出て行っては違和感のある行動を取ってみる。一人だと単に変な目で見られる行為も、集団が同じように街に対して違和感のある行動を起こすと実はそこにある種の権力のようなものが働きはじめる。中には道路交通法が適用されてアウトになるような行動だとしても、集団で行うことで許されてしまう空気がある。
 よく考えてみると、街でみんなしているのだけど実は法律違反だと言う行為というのは少なくない。それが街の中でちゃんと位置づいているということは、法律は許さない風景だとしても、街はその行動や風景を許している可能性もあるのだ。そうなった時に、実は法律の方が僕らの欲求にそぐわないかもしれないという政治的な問いかけがそこにあるのだと思う。
エクソダスではここに展示しているように記録という方法で皆さんと共有する形もあるのだが、もし時間が合えば是非参加して一緒に体験を共有して欲しい。その時にあなたはトランスパブリックの一部になり、そして街の一部になっている自分に気づくかもしれないのだから。
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by innerscape | 2010-01-29 22:23 | 出来事の風景

太平洋上で

もう何回目か忘れてしまったが、またアメリカへ向かうことになった。
確か最後に訪れたのは昨年のマンハッタンだったと思う。
その時はサンフランシスコから途中オクラホマとテキサスへ立寄り、マンハッタンへ入ったはずだ。
今回はグループダイナミクスの研究者達と一緒に行く調査旅行で、西海岸とニューメキシコを中心に回る予定を組んでいる。

3人の研究者と関西国際空港で落ち合い、軽く食事を済ませてからいつものようにセキュリティチェックを受け、ゲートへ向かう。
ゲートの待ち合いではすることもないのでぼんやり周りを観察してみる。
日米両方交えたビジネスマンの一団、旅行らしき老夫婦、日本から帰国するであろうアメリカ人の若い夫婦...。
そうしていると賑やかな音を立てながらアメリカの高校生らしい一団がやってきた。
総勢で15人ほど。
皆ごつい身体つきだが、顔には幼さが残っている。
そんな子供達の間をでっぷりと太った男性が忙しそうに飛び回っている。
引率の教師らしい。
どうやら修学旅行か何かで日本にやってきてその帰りなのだろう。
待ち合いにいる人たちは賑やかな一団を煙たがる様子も無く、みな淡々と時間を待っている。
まもなくして搭乗の案内があったので僕たちは飛行機に乗り込んだ。

僕だけ他の3人とは今回の旅程が異なり最後のサンタクルースでの4日間を繰り上げて早く帰国する。
そのせいか僕だけが座席番号が違うようだ。
後ほどと言いながら3人を通過し後部へ移動する。
座席は真ん中の列の通路側で、荷物を上にあげてふと見下ろすと、先ほどの引率の教師が隣に座っている。
周りを見渡すとどうやら僕の座席は先ほどのアメリカハイスクールの一団に包囲されているようだ。
賑やかなフライトになりそうだ...などと考えている間に飛行機は大地を離れて空へと飛び立った。

6時間ぐらい経っただろうか。
どうやら眠り込んでいたようだが...。
窓の外はもうすっかり暗くなっていた。

何となく機内食のメニューなどを見ているとふいに周りが騒がしくなってきた。
隣の教師はしばらく学生達につぶやいた後、僕に座席を代わって欲しいと頼んできた。
快く席を代わると、教師は大きな身体を揺らしながら座席から這い出てどこかへ行ってしまった。
高校生達は不安気な表情を浮かべているので、何があったのかと隣の高校生に事情を聞いてみた。
どうやら生徒の一人が呼吸困難になったという。
それも僕の座席の列の反対側の通路席の生徒のようだ。
身をうずめている生徒が苦しそうに大きく胸で呼吸し、シートに身をうずめている生徒の横にいつのまにか先ほど出て行った教師がついていた。

客室乗務員が乗客の中にドクターがいないかどうか呼びかけている。
それに応じてアメリカ人の夫婦が手を上げて座席から出てきた。
そのスキンヘッドのドクターは生徒の胸に手を当てて診察を始めた。
飛行機の中を緊張が包んでいる...。

一通り状況を把握したドクターは飛行機の中ではこれ以上処置を続けることが出来ないと判断したらしい。
座席の前にあるモニターを見ると、表示された飛行機の現在位置は太平洋の上だったが、飛行機は既に反転して日本へ機首を向けている。
ここから東京へ引き返してそこで生徒と教師を降ろして他の生徒はアメリカへ戻るというプランになりそうだ。

確かに雲の上で発作が起こったり、発病したりするとどうすることも出来ない。
飛行機は船とは違って、燃料が無くなっても浮いていることは出来ないので引き返すか、そのまま進むかを即座に判断しなければいけないのだ。
科学技術が進んで安全快適に空の旅に出れるとはいえ、旅の本質は危険なのだと改めて感じる。

教師は生徒達から小銭を集めている。
きっとほとんど全てドルに換金してしまった後なのだから空港から病院までのタクシー代も無いに違いない。

数時間後、成田空港で呼吸困難に陥った生徒と教師の二人が下りて行った...。

出発してから10時間近く経っていたが、まだ日本から出ていないという計算に旅の行く末の不安を感じるが、
太平洋上で飛行機が引き返すという珍しい体験を初めてした僕は軽く興奮を覚えていた。
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by innerscape | 2007-04-13 01:56 | 出来事の風景

船場ミッションウォーク

a0091712_014650.jpg大阪府公園協会発行の雑誌「OSOTO」の編集委員をしているのだが、次号の特集のためにワークショップを行った。
次号の特集は「オソトでさんぽ」。
その特集に向けて船場の街を対象に学生と一緒に歩きながら、いつも見ている街の違った風景を発見出来るようなワークショップを開発して欲しいという依頼を受けた。
それで「船場ミッションウォーク」というワークショップを考え、それを大阪市立大学の嘉名先生(都市工学)と一緒にやってみた。

ミッションウォークとは...
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by innerscape | 2007-03-15 23:58 | 出来事の風景

モノガタリノチカラ

CSCDには減災プロジェクトというのがあって、災害現場において生じる様々なコミュニケーションを考えているチームが居る。
そこのプロジェクトメンバーとのコラボレーションとして夏頃から一緒に災害にまつわるストーリーブックを作っている。
全国各地で起こった災害から学んだ智恵や天災にまつわる言い伝えなどをリサーチして回って、それをいかに伝えるかという表現の部分で当初僕は呼ばれた。しかし出てきた智恵の内容というのが、対処法的なすぐに使えるようなものではなく普段の心構えや生き方に近いものばかりなので、思想や哲学を伝える「絵本」という形式を取ればどうだろうかという提案をしたがために、当初全体のアートディレクションだけだったのが、最近は夜な夜な売れない作家のように物語を書いている・・・。
最近の僕の仕事は一般的なランドスケープデザインの範疇からかなり外れてきていて、このままどこまで行くのだろうかと半ば楽しみながら進んでいるのだが、幸いにも演劇や映画の経験がこんな形で活かせると思っていなかった。

僕自身は映画や演劇への関わりとして専ら演技サイドからモノを考えていたのだが、脚本を読むのは結構好きな方だったかも知れない。
しかしいざ書いてみる立場になると、少し脳の切り替えが必要な事に気がついた。
これも幸いにも劇作家の平田オリザさんと普段から話す機会が多くて、何気なく聞いていた事がこんなところで活かされるとは...。

よそで起きた災害というのは報道にのった「社会的」な事柄である。
取材された方自体は、被災者にインタビューをして綿密に調査をしているが、やはり「報告書」という形で出てくると、読み手にはやっぱりどこか人ごとなのである。
それをあまり関心を持っていない人に読んでもらおうとする時に悲しみや喜び、恐怖といった人の心に近い所を演出してあげる必要があるのだと思う。取材の中には災害を防ぐために行政がした施策などが含まれているが、それを説明したり体験する個人の物語が重なれば頭に入ってきやすくなるし、ぐっと印象に残ると思う。
物語はフィクションであろうとノンフィクションであろうとキャラクターにまつわる「個人的」な事柄で、それが「社会的」な事柄とクロスする時に良い物語が生まれると平田さんは常々言っているが、今回の場合は災害という社会的な現象と、それを体験する「私」という個人的な心情がクロスするところに物語と教育の接点があるような気がしている。
そんな事を考えながら30個もストーリーを書かなくてはならないのだがね。
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by innerscape | 2006-12-27 01:39 | 出来事の風景

未完のダンスフロア

10月に行うイベントの打ち合わせで再び新北浜駅の地下に潜る。
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by innerscape | 2006-09-13 18:34 | 出来事の風景

サバイバル訓練施設

a0091712_041672.jpgランドスケープデザイン事務所のE-DESIGNと一緒に大泉緑地でイベントを行った。
大阪府公園課が主催する防災イベントなのだが、通常の避難訓練のようなスタイルではなく日常的に楽しみながら防災の訓練が出来るようなものを目指して「フィールドワークキャラバン」という名前で行った。

災害が起こった時に公園は避難地になる。同時に公園は被災者の避難生活をバックアップするための後方支援の拠点になることも多く、そのための設備が公園にはたくさん備わっている。例えば電源や給水施設、仮設トイレなどのインフラ設備がそうである。


a0091712_051324.jpg日常的にはこうした設備というのは我々の意識からは外れている。そんな設備が備わっている事すら知らない人がほとんどではないだろうか。そうした設備をみんなで点検しながら公園を歩くようなイベントをするのが今回の目的だ。その中には森の中でビニールシートを使ってテントを張ったり、紙で食器を作ったり、非常食の炊き出しを食べたりという内容も入れている。
実際に災害が起こって家がなくなりたちまち野宿生活を強いられてしまったときに、今回はこうしたイベントの中で経験した事はきっと役に立つのではないだろうか。
こう考えると公園はまさにサバイバルのための施設だとも言える。
公園は商業施設のようにお金を生み出すような場所ではないので経済的な観点だけで見ると、必要のない施設に見えるのかも知れない。

しかしもともと人はコンビニも自動販売機も無い自然の中で生活していたことを考えると、公園は都市の中にありながら動物としての生活の原点をいまだに残している場所であるとも言える。
災害などが起こり今まで自然の代替物として機能していた都市施設が一旦停止してしまうと、その事が急に浮き彫りになるのではないだろうか。
普段からサバイバルを意識しながら生活する事は、今の生活の豊かさや過剰さを見直す事にもつながるのではないだろうか。公園という場所はそれを日常的に訓練できる場所だとすれば、やはり都市の中で最も必要な施設であるような気がする。


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by innerscape | 2006-03-04 00:03 | 出来事の風景

光を映すこと

a0091712_3105216.jpg今日は文化の日で休日なのだが、いつも通りセンターに詰めて溜まった業務を片付けていた。
下のIMI(彩都メディアラボ)が最近忙しそうにしているなと思っていたのだが、どうやら今日行われるMoblabというイベントの準備だったらしい。
このイベントは日独メディアキャンプということで一台のバスに日本とドイツのアーティストが乗り込んで、全国を行脚するというイベントで、今までにIAMASや横浜トリエンナーレなどを経て、今回の大阪会場としてIMIが選ばれたようだ。

a0091712_3111375.jpg何も知らずにいつも通り来たのだが、様相がいつもと違っていて、興味深かった。いつもの入り口のところには大きなスクリーンが設けられてそこへ映像が投射され、その前では音楽やパフォーマンスが繰り広げられる。
こうした映像を使ったイベントではいつもそうなのだが、そこで投影される映像のコンテンツを実は僕はあまり見ていない。コンテンツそのものよりも、普段何でもないような場所に光が映され、それが何やら動きを持っているということが重要で、映像を投影するということ自体に意味があるように感じる。

a0091712_3113841.jpgもう一つ、いつもこうしたアートのイベントで感じるのは、来ている人々の偏りである。
特に興味のない人々を無理やり引き込む必要もないのだと思うのだが、なぜか毎回こうしたイベントでは閉じた印象を受けてしまう。こうした日常的な場所で非日常的なイベントを行う事は、今まで無意識に頭から排除していた場所の可能性を開いてくれるという意味において、とても可能性を感じるのだが、一方でそのイベントの閉じ方が街中のクラブやバーやギャラリーや学園祭といった場で、価値観を共有する人々の内輪で盛り上がっていることとどう違うのかといつも考え込んでしまう。これは場所の問題にも大きく関係していて、これからも僕自身の中で整理していく必要があるように思える。
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by innerscape | 2005-11-03 03:06 | 出来事の風景

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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