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私的風景の電脳記録
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カテゴリ:日常( 34 )

2015年を振り返って

2015年を少し振り返る。
今年は1月4日にオリックス劇場に出させて頂いた「ファウストの恋人」からスタートした。
昨年の年末年始はずっと稽古だった記憶がある。出演者及び関係者の方々には本当にお世話になりっぱなしだったが、あっと言う間に舞台が終わって、まるで夢のように過ぎ去っていった。
役者仕事としては、自分のアトリエのフラットで撮影した浦山監督の「株式会社恋文印刷所」を各所で上映して頂いた。

9月に韓国の済州島で、ダンサーやミュージシャン、現代アーティスト達と一緒に「Trace」という舞台作品を作った。こちらは役者と美術の両方を同時にするという試みで、コンセプトメイキングから材料調達までの全てを現地に入ってから2日間で行った。
現地で何を感じて、どういう風景を見たのかということと自分の表現が接続されるとリアルなものになるという手応えを得た。

そういう意味では、2013年に訪れて同じように現地で全て組み立てた「ベンガルの赤い蛇」もそうだが、8月末から9月頭には再度現地を訪れて、プロジェクトの続きを行い、11月にそのときのドキュメンタリー映像をアトリエで上映した。
2年前に僕が作品を作ったことがきっかけで、現地政府が動いて問題が解決した上に、国会議員へプレゼンテーションできる機会を得たが、国家プロジェクトへつなげるべく継続的に現地のディレクターを連絡を取りながら進める。

講演は奈良のロータリーから始まり、筑波大学のホスピタルアート、江之子島文化芸術創造センター、ファンドレイジングジャパンや、堺環づくり、りそなのシンポジウム、交友懇話会、CCC第3の道、関西ソーシャルアート会議、郷土芸能ストリーム、ソウル童話祝祭、新潟の水と土の芸術祭など含めて今年も各所でさせて頂いた。特に新潟では、「まなざしのデザインゼミ」として出張ゼミの実験をさせて頂いた。今後、大学以外の場所でもゼミや教育の機会を持ちたいと前々から考えていたが、少しずつ可能性を探っている。

学術的なアクティビティとしては広島大学の感性COIプロジェクトで何度か登壇させていただき、情報工学系や機械系、脳科学系の方々とディスカッションさせて頂いた。今年はわりと脳科学の研究者にご縁があったが、もうちょっとこの領域については詳しくなりたい。
調査としてはこれまでの聖地の調査を継続。特に密教を中心に、高野山、弥山と空海の足跡を辿り、山形は出羽三山や千手窟へと足を伸ばした。インドの聖者と上座仏教の長老のお話も何度か聴く機会があった。
学会発表は学生とともに3報行った。高野山の聖地のデザイン研究に加えて、映画に見る大阪のイメージの特質に関する研究や、ティーツーリズムに関する研究についても学生とディスカッションした。映画研究では釜山国際映画祭の調査にも訪れ、役者と学者の両方の角度から見させてもらった。

行政のお仕事としては、大阪市では何度は事業の審査員をさせて頂いた他は、堺市にご縁があるようでシティプロモーション事業のアドバイザーや芸術文化審議会の委員をさせて頂いた。シティプロモの方は3年目でそろそろ色んなアクティビティが見え始めてきたので、それを縦横につなぐタイミングか。

教育の方は大阪府立大学の観光・地域創造の社会人大学院で初の修士号が出た。花村ゼミからも何名か無事に卒業し、2期生、3期生と続いている。学生のほぼ全員が自分より年長者ではあるが、若輩者の言うことに耳を傾けてくれることに真摯に感謝したい。

一番大きな出来事としては5月に母が心臓の大動脈解離を起こして緊急手術をしたことだった。25年前に父が心筋梗塞で急逝し、2年前に弟が同じく心臓が原因でトロントで倒れたので、我が家系は心臓に難があることを意識させられた。
社団法人の仕切り直しも自分の中では大きな出来事で、来年からは少し体制も見直して、本当の意味で社会にこれから必要なことを打っていきたい。

大阪大学のCSCDのプロジェクトに参加してから10年、アトリエを始めてから7年、大阪府立大学に来てから5年ではあるが、激動の時間であった。
特にこの3年ほどは、自分の周りに起こる出来事の密度が急速に増えているいるが、それはおそらく世界的にも今後もますます加速していくだろう。
特に2016年から2020年までは、世界にとって非常に重要な5年間になることは間違いない。

今年一年にも、様々な出来事や困難な状況が起こり、分かち合えた喜びや頂いたご縁があり、交換しあえた愛や別れがたくさん訪れた。

今年の一年はこういうアクティビティだったが、今後どのようなアクティビティを行うのかは、自分自身が握っているわけではない感覚が強まっている。
自分の意図ではなく、社会や世界が自分にどういう役割を求めているのかに真摯に耳を傾けていると、自ずとやるべきことが立ち上がってくる。
そのような中で自分自身の存在が一つのメッセージになっていくことができるように、自我を滅して日々精進あるのみ。

2016年はより自分の幸せを世界と分かち合えるような年にしたい。
これまでの全てに感謝。
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by innerscape | 2015-12-31 15:12 | 日常

価値についてのメモ

価値を作る役割と価値を見つけて伝える役割は少し違う。
昨日のプレゼンテーションの場のような場所では伝える役割もするが、基本的には僕の役割は価値を作ることだから、実は伝えるのは苦手。
伝えるのは本当は誰かにやって欲しいと思っているが、上辺ではなくちゃんと中身を伝えてくれないと、間違ったものとして伝わるのが難しい。
それは逆に伝える人がどれだけの見識と理解力があるのかが問われる。
さらに難しい状況としては、「価値があるものが伝わる」というのではなく、「伝わったものに価値がある」という逆転現象が生じてしまうこと。
だから常に受け取る側は、批判力を鍛えておかないといけないと本当の価値が見えなくなってしまう。
まなざしのデザインで問いたいのはその一点に尽きる。

価値判断の主体が大衆に移った社会では、「売れる、注目される、皆が知っている」と言うことと価値がイコールで結ばれがちになる。本当は価値が広まった結果なのにね。
やっぱり価値が生まれる原因の方に僕は関心があるので、言葉は僕が紡いだとしても、伝えるのは誰かに任せた方がいいのだ。
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by innerscape | 2014-10-20 09:43 | 日常

料理を作る人と食べる人

新潟、東京、対馬、福岡、札幌、名古屋、大阪とこの一月の間に渡り歩いた。
どの都市でも普遍的に見られる人の佇まいと、その都市固有のローカリティが見える。
その間で文化の成熟とは何かを考え続けている。

共通して地方が抱える“まなざし”の問題と可能性の両方について、いつかは考えを整理せねばならない。
人は見たいものにまなざしを向けるので、己に加えられる批判は見たくないものだ。
だからといってまなざしを向けないでいるといつまでも成長出来ないどころか、時が過ぎれば大変なことになっていることもある。
難しい問題だが、タイミングを見極めつつじっくりと向き合うことしかないのだろう。

料理のクオリティをいくら上げても、それを食べる人の味覚のレベルと釣り合わなければ満足感は得られないことが多い。
それどころか、いくら高級な食材であっても子供が食べるためには、カレーにせねばならないという現状があちこちである。
カレーの方が喜ばれるので出し続けていると、高級な食材でなくても良くなる。
そうすると舌も鈍ってくるので、高級な食材はどんどん必要なくなって来る。

子供の舌が喜ぶからと、化学調味料で味付けした濃い食べ物ばかり出すと、その子供は将来どうなってしまうのか。
それでも喜ぶからと出し続ける親になるのか、それとも厳しく戒める親になるのか。
あるいはその意味をちゃんと説いて理解と共感を得る賢い親になるのか。
そのためにはまず親がちゃんと質を理解していなければならない。
文化や芸術も全く同じことが言える。

やっぱり人類の進歩のためには全ての人の舌は成熟するべきだと思うので、高級な食材とハイクオリティな料理を出し続けることが大切だと思う。
それは料理だけではなく、文化の課題かもしれない。
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by innerscape | 2014-09-29 08:36 | 日常

日常と非日常と超常

風景には日常、非日常と同様に「超常」という状況が在るのだと思うが、僕が進めている風景異化研究の射程範囲には超常現象も一部含まれている。
なぜならば風景の半分は想像力が見せているとすれば、その引き出された想像力の中には“怪異”と呼ばれるものがあるからだ。
それは古今東西、時代を問わず人々がその目撃を口にするものである。

「超常現象とは一体何なのか?」を科学的に解明するという問いも興味深いのだが、それよりも「人はなぜ超常現象を見てしまうのか?」という問いの方が風景異化論としては本質に迫れる可能性があるようにも思える。

実話の怪談ばかりを集めて語り続けている怪談作家の宇津呂鹿太郎さんに一年ほど前にそんな話しをしてみたら、実際にそれを公開で話してみましょうということになり、「妖しき怪談談義」というかなり際どいイベントへと繋がった。
これまで僕が参加した中ではかなり異色な内容だ。

僕は主催者ではなく、あくまでトーカーの一人として呼ばれている。
今夜に備えて結構勉強したつもりだが、元々そんなにオカルトに明るい方でも無いし、皆さんほど知識も多くはない。
トンデモな感じは否めないが、お声かかったので一生懸命に風景異化から切り込んでいきたいが、科学者から噺家までこの面子が集まって話する事はそうそうないので、これを機に少し勉強してみた。

心霊現象自体は僕にとってどちらでも良い事なのだが、「人間の意識と環境との関係」を考えるのに良い題材だと思っている。
“風景”が単なる物理的な環境ではなく、環境を捉える人の内部に生み出される物であるのであれば、意識や無意識の状態が変化すれば、環境の捉え方即ち風景も変化するというのは至極当たり前の話だ。
そうなると「意識とは何か」という問い、そして「意識と外界との関係は一体どうなっているのか」という問いへと繋がって行く。

僕は”今見えている風景がふいに違う風景となることがある”という現象を風景異化と名付けて研究しているが、超常現象や心霊現象というのはまさにその最たるものの一つだ。

風景異化から心霊現象を捉えた時に何が言えるのかを少し考えるためには、オカルトと呼ばれる現象について研究するところから始めねばならない。
かつて霊について研究した人々は何を知り、どこまで到達したのか。
果たしてそのような存在は居るのかどうか。

一応ひととおり人間の精神は肉体から独立しうるのかということを巡って、過去にどのような研究がされていたのかを調べてみた。
18世紀末のスウェーデンボルグに始まる近代の心霊研究の萌芽から、19世紀頭に大流行した交霊会の話、それに端を発してアメリカのデューク大学を中心に確立していった超心理学研究の紹介、そして心霊現象に対しての懐疑派達の理論が錯覚研究や認知科学、脳科学の角度からいかに展開されていったか、ヴァージニア大学の精神科に設立された人格研究所での臨死体験の研究から、最新の脳科学の研究、そして量子力学的なアプローチから意識と物の関わりを考察する研究から宇宙生命論の話まで。
僕が信じているのかどうかとは無関係に、近代以降どのような議論として熟しつつあるのかの概略をざっと調べてみた。

特に最近世界的に報告が増えている臨死体験。
おそらく医学の発達によって生還した人が多く居るのではないか。
最も古い記録ではプラトンの時代から臨死体験はあるらしいが、その記述が現代のものとかなり酷似しているのはなぜなのか。
死の今際に際して人々が見る風景には、古今東西、宗教を問わず共通のフォーマットが見られるという事実は非常に興味深い。
また最近のミシガン大学での実験では心肺停止してから30秒に渡って脳は活動を続けているらしく、その間に臨死体験者が見る風景が作られている可能性が高い。

より重要な問いは「霊が居るかいないか」よりも「なぜ我々はそれを見てしまうのか」だ。
そういう問いを建てれば死後の世界の研究ではなく、現在に生きる我々の認識の問題となる。


“否定派”の意見も大体そんなこんな感じだ。
「超能力信仰の最も強力な源は、不思議な出来事を日常生活の中で見聞きすること」ギロビッチ
「自然科学者を神秘世界に媒介するのは志向を放棄した平凡な経験」エンゲルス
「超常現象を信じたい人には信じるに十分な証拠が出る一方、信じたくない人には否定をするに十分な曖昧さが残る。そういうレベルの証拠しか出ないのが超常現象である。」ウィリアム・ジェームズ

一方で肯定も否定もしない懐疑派というのもたくさん居る。
科学的立場に立つと懐疑するのが一番良いのかもしれない。
カールセーガンはこういう。

「科学の核心は、一見すると矛盾するかに見える二つの姿勢のバランスを取るところにある。一つは、どれほど直感的に反する奇妙なアイデアであっても、新しいアイデアに対しては心を開くという姿勢。もう一つは、古いアイデアであれ新しいアイデアであれ、懐疑的に、かつ徹底的に吟味するという姿勢である。この二つのバランスを取ってはじめて、深い真実を、やはり深いナンセンスから選り分けることができるのだ。科学が正しい方向に歩み続けるためには、創造的な考え方と懐疑的な考え方の両方が必要なのである。」

そんな話を怪談ライブではしてみたが、これまで怪談作家さん達がしてきた普通の怪談ライブを期待してきた人は面喰らったかも知れない。
ただ漠然と盲目的に霊を信じている人や、そんなものは絶対に無いに決まっていると決めつける否定派の両方にとって共通に話せる土台をとりあえず用意した。

かつて怪異だったものは次の常識になっているかも知れないし、それでも残る怪異はあるのだろう。
しかし一番の怪異はランドスケープデザインやアートやってる僕のような人間がなぜこんなトピックを整理をしているのかということかも知れないと昨夜は感じた。
あらゆる風景を扱うのであれば人が死に際して見る風景や死後見る風景も研究と異化の範疇かと半ば諦めている。
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by innerscape | 2014-09-27 08:09 | 日常

問いと文化についての覚書

新潟、東京、対馬、福岡とあちこちの都市での講演とか調査とかで回って、ようやく大阪へ帰って来た。
第七区というアニメーターとのユニットをしているが、その展覧会が梅田で行われるので、その搬入を終え、大学の入試説明会を終えてすぐにワークショップのファシリテーターをする。

入試説明会の後のワークショップのファシリテーターは少しキツかったが、それでも色々と勉強になった。
今日は自分の意見や思想は全く話さずに皆さんがどういう問いを立てるのかを観察するだけにしたが、問いを立てるということは訓練が必要なことだと改めて感じた。
そのあたりをどうレッスンするかが次の自分の課題だ。

問いを安易な形で答えるのでは無く、それをちゃんと問いのままで残しておくという「勇気」が大事だというメッセージだけは伝えたつもりだ。

普段の生活では問いを問いのまま残しておくと仕事にならないし、物事が前に進まない。それをずっと繰り返していると、問いが立った時にすぐに答えを出して処理するというマインドになるわけだが、その答えがうまくいかなくなった時に問いへと戻る訓練を積んでいないと別の答えを探せない。
その訓練を僕はまなざしのデザインという言葉で説明しているに過ぎない。
それは別に特別新しい概念ではないし、皆本当は知ってることだと思う。
ただそのことをすぐに僕らは忘れちゃうのよね。

アートでも芸術でも文化でも呼び方は何でもいいんだけど、そういうのは生きている中でリアルに生まれて来る問いに対して、必死で答えようとする人間の表現が、結果としてそう呼ばれるだけのこと。
問いが無いのに最初から答えは無いし、問いが浅いのに深い答えが生まれるはずはない。
深められた問いと、それに対して共有される答えが結局は次の文化を作っていくのだと思うが、そこをうまく考えられないんだろうと思う。
抽象的な概念では人は理解しにくいので、それを具体的にどうやって示すのかが僕自身の課題だとしかと受け止めた。

毎晩どこかの都市で誰かと、同じようにそういう問いの話をしている。
結局はそういう対話の積み重ねでしか長期的にはまなざしのデザインは出来ないのだろう。
短期的な外科治療としてあちこちでしている自分の講演があるのだが、それはある種のショック療法なので、そのうちそのショックは薄れていく。
講演で僕の放ったメッセージをしっかり受けとめた人は、会社辞めるとか自分で何かを始めるとかする人も居るが、その問い続けることを持続させるのはやはり相当難しいことなのだ。
だから長期的に他者との対話が必要だし、まなざしを深めていくための技術というものを身につけないと行けないのだと思う。
今の自分の講演はほぼ組み立てとして完成して来ているので、それはそれで2時間のショック療法としてアリだけど、そのから日常へ帰った時にどうやってそれを持続するのかというプログラムは次に僕が考えねばならないことか。
大学での教育だけでは広がりに限界があるかもしれない。
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by innerscape | 2014-09-13 22:33 | 日常

アトリエにて

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この古い活版印刷工場を改装したアトリエで住み始めて次の10月で丸4年が経つ。
空調もないし、風呂もないし、洗濯機もないような生活だが、寝室以外は皆とシェアしながら楽しくやっている。

僕が提唱している「クリエイティブシェア」を本格的に昨年から実践しはじめて、人が生活するとは何かという事を考え続けているが、集まってくる仲間とともに対話を重ねるプロセスの中で、自分が精神的にとても豊かになっていっていることに気づく。

まるでソローの「森の生活」を都市で実践しているようだが、誰かに植え付けられた欲望に従って、モノを買い続け、消費し続けるライフスタイルとは違う補助線をこのアトリエで自分が実践することでメッセージとして発していけないかと考えているつもりだ。
最近、特に実感するのは土曜日毎に集まる仲間たちと話をしながら、随分とそれが僕の周りでは当たり前になってきたことだ。

今では特にモノを欲しいとも思わず、何かあればすぐに作れるという自信が出てきた。
暑いからエアコンを入れるのではなく、どうすれば暑さをしのげるのかを工夫する知恵が出てきた。
摩天楼の最上階のレストランで食事をするのもいいが、仲間たちと一緒に作って食べる食事には勝てないという確信が出てきた。
メディアから流されてくる情報を鵜呑みにせずに、人と対話を重ねることで情報から洞察し、それを智恵に変えていく態度が日常化してきた。

僕が研究者として提唱し、作家として実践している「風景異化」の目標は、何千年も前に釈迦やイエスが言っていることから何も変わらない変哲もないことだ。
でもそれを独りで実践するのではなく、自分のライフスタイルの変革を通して「クリエイティブシェア」をみんなで実践することで、少しずつ次の世界を考えて行きたいと願っている。
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by innerscape | 2012-06-24 11:30 | 日常

減災絵本「いのちをまもる智恵」を作るにあたり

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2007年、まだ僕が大阪大学コミュニケーションデザイン・センターに居た頃、減災のチームと一緒に本を作った。
いのちをまもる智恵」という減災の本だ。

過去このブログでも紹介している

「防災」と言わずに「減災」。
災害は発生するもので、それを無理に防ぐと言うことではなく、普段から少しでも減らす生き方や努力をするというメッセージが込められている。

災害やそこからの復興に際して、これまで人々が時間をかけて培ってきた様々な智恵を、全国各地30カ所から集めて来て本にしたのだが、このプロジェクトにお誘いを受けた時、僕はただグラフィックデザインとして奇麗に本をまとめてほしいと言うことしか期待されていなかった。

軽い気持ちで引き受けたのだが、関係者から話を聞いているとそこで語られている智恵とは人の生き方そのものであり、それをちゃんとメッセージとして届けコミュニケーションにしていくためには、単に視覚的に奇麗にまとめるというレベルでは済まされないと感じた。
人の温度や思想や哲学がその智恵には詰まっていて、それが客観的な報告書という形で脱臭されることに違和感を覚えたのだ。いくらそれがビジュアル的に奇麗であろうといかほどの意味があるのか。

だから、報告書をもとに30個の物語を書くことを自ら決めて本にした。

僕自身はランドスケープデザイナーだったので、もちろん災害対策や減災のことなど知っているはずも無かった。
報告書とともに膨大な量の資料を読みあさり、そこから物語を紡ぎ出して行く。
幸い役者経験があり、脚本を読む事は多かったので何とか出来ると思った。

フィクションかノンフィクションかはあまり関係なく、使えそうな物語はどんどん使って、売れない作家のように毎晩書きあさった。

見開き一つのページに割ける文字数は、読みやすさを考えると800字前後。
その中でいかにメッセージを伝えるのかということに苦労した。
登場人物は2人か3人。多くても4人以内におさめないと分からなくなる。
そしてシーンとしてはワンシチュエーションが限界だったので、日常や非日常の1シーンを切り取るように努力した。

書き出しに一番インパクトのあるフレーズを置き、読みやすくなるように工夫した。

キャッチコピーも全て一人で考えた。
その智恵で語られている中で最もメッセージとして重要だと自分が思える言葉を詩的に聞こえるようにした。
そしてそのコピーはどこか特定の地域でなくても使えるように普遍的な言葉にした。
古くからの言い伝えの中にやはり智恵が潜んでいる事と、それを将来へ受け継いでいかねばならないことを踏まえて、全体のストーリーの順番を決めた。

今回の東日本大震災で被害を受けた地域も物語にした場所だ。
津波をいかにして防ごうと努力して来たかという地域の人々の歩みを物語として切り取った。
だから僕にとっては今回の震災は人ごとでは無かった。

この絵本に登場する人も被災されたのを新聞を読んで知った。
第26話の「津波てんでんこ」に出てきた方で誰よりも津波の恐ろしさを知っている人が津波に襲われたのだ。

災害と言うのは必ずやってくる。
しかし我々はそれがいつやってくるかを知らされていない。
だから普段から災いを少しでも減らす生き方が必要なのだ。

この本にはそういうメッセージが込められている。
決して手前みそで言っているのではない。
是非、この絵本をお読みいただきたい。

僕はただの代弁者で、そこにはその地域で災害と闘って来た「人間」の智恵は描かれている。


「いのちを守る智恵 〜減災に挑む30の風景〜」

編著:花村周寛
絵:中村妙
解説:吉椿雅道
発行:レスキューストックヤード


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by innerscape | 2011-05-20 19:44 | 日常

日記に記されて嬉しい件

昨年11月に行った♭スペースオープン及び「日韓合同企画プロジェクトハウス」に訪れていただいた方が、そのことを日記にアップしてくれました。
吹田からお越し頂いた研究者の方で初めてお会いして少しお話しした程度だったのですが、僕の混沌とした活動を一発で理解される洞察力に驚きました。
こうした出会いがあるから場所を構えるのは楽しいです。
以下はその方の日記よりの引用です。


日韓合同インスタレーションのアート
2011年01月03日00:12


韓国から人が来て大阪の一軒家をデコレーションする。日本からも韓国へ行って家をデコレーションする。空間をデコレーション方法はインスターレーションというらしい。この日韓合同のアートプロジェクトを観に行った。この場所を主宰しているのは花村周寛(http://migohsha.com/db/d00277/)という人だ。

家は居住地区にあるもともと町工場だった建物。印刷機械の音が漏れてくる。中に入ると床はむき出しの木だった。短い廊下を通った先は広くなっていて展示物がある。ビデオや言葉、展示物。そして、狭~い隙間から隣の部屋にいく。天井から糸がたくさん垂れていたり、電球が垂れていたり、人形が置いてあったり、風船が敷き詰めてある。メッセージが床にまき散らしてあったりした。映像が流れていたり、人の声が流れていたりする。二階には人がいるらしくギシギシときしむ音がする。

ここで何がしたいのだろう?

花村氏は「アートはクエスチョン(問題)、デザインはソリューション(解答)」と言う。アートで世の中に問題を提起する。見逃されている点に光を当てて活用したり、忘れられたものを新たな命を吹き込んで再生したり、新たな視点を提案したりする。具体的な作業は全然違うが、話してみると研究と姿勢が非常に似ていた。今の時代を創っていく基礎作業ってこういうことだ。

花村氏の過去の活動には、実際の病院を舞台にしたものがあった。吹き抜け構造を持つ建物の真ん中にシャボン玉をたっくさん飛ばす。普段は病人と医者という役割でいる人たちが、みな窓にへばりついて吹き上げられている風船に見入っている。両者をいっぺんに癒すのだ。そう、両者とも病んでいるのが現代だ。

他にも被災地に関する本を出版していた。全国の地震や火災、洪水などの被災地にまつわる物語をつくって、どのように対策するのか建築物の構造について分析する。

花村氏の活動はとても幅広い。俳優もやる。映画監督もする。家具のデザインもする。名刺やパンフレット等のデザインもする。大学で授業を持って建築を教えたり、コミュニケーションを教えたりもする。自分の家もアトリエにしている。こんなに色々な先進的なことにチャレンジしながら生活が成り立っていることが信じがたい!

花村氏はたくさんのかぎ爪を持っていて、社会の壁をガリガリと掻きながら、新しい扉を見つけようとしている。彼のエネルギーが世の中に対して四方八方に向かっている。

私ももっと創意工夫して社会との接点をエネルギッシュに見つけるようにしないと!

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by innerscape | 2011-01-07 15:02 | 日常

緑橋からイノベーション

講談師の旭堂南半球氏が♭へ見学に来られた。
以前に、氏がワッハ上方で行っている「ガンダム講談」という場でゲスト出演した事があるのだが、それからのご縁だ。
それ以前にも、僕が出演していた映画や舞台を南半球氏はご覧になられていて、評価のお言葉も頂いているが、♭へ来るのは今回が初めて。
というのは、19日に緑橋セブンデイズで行われたイベントに、アニメーターの吉田徹氏との映画新企画の資金集めに出かけた折に、南半球氏とは再会し、その打ち上げに緑橋へ来る用事があったということで立ち寄っていただいた。

♭の空間は非常に気に入っていただいたようで、これからひょっとするとここで講談が繰り広げられるかもしれない。
元々この地域は落語家や芸人が多い地域だったようなので、文脈としては講談が行われるのは必然もあると思うし、地域の方々にも来ていただけるコンテンツとしては最適だと思う。

ただ、♭でやるからには普通の伝統芸能になるわけがない。
元々南半球氏はガンダム講談などのように通常は講談では絶対に扱わないようなネタをされているところにも共感が出来る。
僕自身はガンダムを見た事がないので、内容は分からない部分もあるが、何より既存の枠にとらわれた中で活動するのではないことに魅力とシンパシーを感じる。

♭自身も11月のスペースオープンを終えてから思う事は、地域ということを全面に打ち出すのではなく、何かと何かの狭間から生まれる新しいカルチャーを育てていくような場所としてアトリエの舵取りをしていこうと考えている。
緑橋には六波羅さんがされている「灯」や、セブンデイズのようなイベントスペースもあり、♭も合わせて着実に顔が見え始めている。
後数カ所こういう拠点が出来ればきっと面白いことになるに違いない。
今この界隈の工場と共同でものづくりやコンテンツづくりをしようと動いているが、うまく紡いでいって、大阪の東から静かに水面下でイノベーションを起こしていきたい。
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by innerscape | 2011-01-02 17:21 | 日常

2011謹賀新年

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皆様あけましておめでとうございます。
昨年はみなさまにも大変お世話になりました。
本年も皆様が健康で幸せであることを願ってやみません。

21世紀に入り10年目を向かえたという事実は、そのまま自分が齢を重ねたということに繋がります。
10年前の自分と比べると、少しは成長したのかどうか分からないけれど、一生懸命生きていこうという力はついたような気がしています。

今年は色んな意味で自分のスケールをアップしたいと考えている年です。
相変わらず気が多い自分ですが、それぞれのことをそれなりに続けてくる中で、ようやく一つになりつつあるようで、それをどう世に問うていくのかということをいつも考えています。

皆様の暖かいまなざしが僕の前進む力となりここまで来ました。
今後とも暖かいご支援をいただければ嬉しいです。

2011年元日
ハナムラチカヒロ
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by INNERSCAPE | 2011-01-01 21:49 | 日常

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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