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私的風景の電脳記録
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カテゴリ:日常( 34 )

シンネン

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて2010年が来てしまった。
もう21世紀の幕開けが過去の言葉になってしまったかと思うと、何とも奇妙な感覚だ。

毎年そうなのだが、1月の中頃に何かとアートプロジェクトが入るので、年末年始はとてもバタバタしている。
1月、2月と続くインスタレーションの準備の中、♭でいくつかのイベントを開催していたので、今年は年を迎えられるかと思っていたのだが、忙しいながらも今年はちゃんと実家でシンネンを迎えるようにした。
(ちなみに昨年は弟とアトリエでシンネンを迎えた。)

今年は自分史的に激動の年だ。
4月からは新しい道へ踏み出すことも決まり、それに向けた準備も進めつつ、今の仕事を納める準備も平行している。

今年こそはシンネンを持って行動するように心がけたい。
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by innerscape | 2010-01-01 00:00 | 日常

職業は演技される

市大病院にて継続して行われているアートプロジェクトで、何度かアーティストとして起用されてインスタレーション作品を作って来たが、今年度も呼ばれて作品を作る事になりそうだ。
病院には大きく分けて「外来」と「入院」があり、その中でも僕らが対象としているのは「入院」患者の方だ。
入院生活は長い人で4ヶ月以上も送る事があり、その間の楽しみはほとんど無い。
そんな入院患者が気晴らしに訪れる6階の中庭で前回は「風のおみく詩」という作品を作った。
だが、作品に出会うために6階まで下りて行く必要があり、情報が無いと期間中に訪れる事もなく終了してしまう。
だから今回はより多くの患者が自然にアクセス出来る場所がいい。
色々見て回った結果、やっぱり全ての病棟を貫いている吹き抜けの空間が一番ふさわしいのではないかと可能性を考え始めている。

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前2作に関しては指定された場所で制作を行ったが、今度はより病院の中を詳しく知りたいと思い、無理行って病院の見学をさせてもらうことにした。
朝から看護士長さんに連れられて病棟をうろうろとフィールドワークするのだが、そのままの格好では不審者と間違われる事があるというので、医者の服装に着替える事にした。
役者としていくつかの職業を演じた事はあるが、「医者」の役は初めてだったので興味津々に着替えて参与観察してみる(かつて患者役のオファーは来たことがあったが...)。
医者の立ち居振る舞いや休憩の仕方、歩き方などを観察しながらそれらしく振る舞ってみると、どうやら溶け込んでいるらしい。
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白衣をまとうと
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by innerscape | 2009-11-07 22:24 | 日常

里帰り

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久しぶりにお盆休みを頂いて里帰りへ。
里といっても、僕の場合はソウルなのでいわゆる「田舎」という感じはしない。
数年ぶりに来たソウルは開発が進んでいて、全く違う街になっている。
僕が小さいときはもっと野暮ったくて汚い街だったのだが。

今回は実は母の歯の治療をしようと連れてやってきたので、ランドスケープや都市開発などを見て回る余裕はないかもしれない。
でも母の母校である梨花女子大学にドミニク・ペローが手がけた建築があるので、それだけは観に行こうと思う。

実は今やソウルに住んでいる従兄弟達はあまりいなくて、ほとんどアメリカへ渡ってしまっている。
僕と同じ年の従兄弟もアメリカへ2日前に戻ってしまった。
久しぶりの休暇なので少しソウルで羽を伸ばしながら、自分のルーツと来年以降のプランについてじっくり考えてみようと思う。
もちろんその中にはソウルという舞台も入っていることだし。
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by innerscape | 2009-08-22 23:59 | 日常

情けは人のためならず

この半年で学んだ事はこれにつきる。
もともとそんなに薄情な方だとも思わないし、困っている人がいれば出来れば助けてあげたいとも思う。
人を甘やかすのも嫌いではない。
しかし、情けが人も自分も駄目にしていることをこの半年で実感した。
特に人間関係の中でちゃんと大人としての線を引く事が出来ない人に情けをかけることをしてはいけないのだ。
甘やかすということは引いた線を越えさせることだ。
甘やかす方が線を提示するのではなく、甘える方が提示した線をぼかすのが甘やかせるということの本質なのだと思う。
しかし、甘える方が線を提示せずにどんどん踏み込んでくるのに、こちらが甘やかすことを続けていると、自分がどんどん不幸になっていく。
この半年は、そんな感じの不幸な状態が続いた。
今年は自分を戒め、情けをかける気持ちをぐっとこらえ、心を鬼にすることを覚えよう。
そうする方が結果としてちゃんと人を甘やかすことが出来るのだと思う。
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by innerscape | 2009-03-26 03:19 | 日常

まだたたかう

常に何かとたたかって来た。
もう休めばいんじゃないと人にはよく言われる。
誰かのためにたたかうとか、正義のためにたたかうとか、そんな大義名分があるわけではない。
自分がたたかう理由はただ不安だからなのだと思う。
ずっとたたかっていないと自分には存在する理由が無いのではないかとただ怯えているだけなのだ。
一つたたかいが終われば、また次のたたかいへ。
その繰り返し。
日々その繰り返し。
戦って闘ってたたかって...。
そしてたたかうことに疲れ果てて、ついに休んだある日、人からはまだたたかうことを要求された。
腰を持ち上げ、瞳をひらきまたたたかう。
そんなことを繰り返しているといつの間にかたたかう事が目的になってしまった。
何のためにたたかうのか、たたかった果てに何を得るのか。
それは自分ではもはや分からない。
たたかうくせに戦略もない。
ただ目の前にある敵をなぎ倒すだけ。
そうしないと自分が倒されるという不安から逃れるためだけに武器をふるうのだ。
いや実は武器などないのかもしれない。
そして自分はたたかっていないのかもしれない。
そしてたたかわないほうがいいのかもしれない。
実はたたかいの場に身を置かない方が存在する理由が見つかるのかもしれない。
たたかいの場に身をおかずに、常に余裕の笑みを浮かべる方が存在する意味があるのかもしれない。
でもたたかわずに居れる場所はどこにあるのだろうか。
たったひとりでそんな事を考えながら歳をまた一つ重ねていく。
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by innerscape | 2009-02-20 01:33 | 日常

去来

だけどその訃報は突然やって来た。
もちろん僕には何が起こるか全く知る術はなかったのだけど、昼下がりになったころから出発地の無い胸騒ぎだけが暴れていた。

知らせを受け取った時は何のことか分からなかった。
誰について語られているのかを思い出すのに少し時間を使い、改めて顔を思い浮かべた時には疲れのせいでおかしな想像をしているのだと。

むしろおかしな想像であってくれれば。
未だ現実感はない。
でも明日僕は黒い服を着てそこへ出向くのか。


このページを開いて、日記なのか何なのか分からない書き込む時間はいつもの僕にとってそれほど意味を持たない余興なのだがしかし。
今はこうしてキーボードを打ち込むことで救われている。
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by innerscape | 2008-10-10 01:12 | 日常

何が起こるかわからない

人は次の瞬間になにが起こるかを知る術はない。
それは誰にでも平等な事なのだ。

知らないということが、人を色んな気持ちにさせ、行動に走らせる原因でもある。
知らないことが良い方向に作用するとそれは「期待」と呼ばれ、悪い方向に作用すると「不安」と呼ばれる。

何が起きるかわからないから人は生きて行けるのだと思う。
そしてその反対に何が起きるか分からないから人は絶望の淵に立たされるのだ。

そんな人の気持ちとは無関係に時は淡々と流れる。
僕たちは次に何が起こるのかわからないから精一杯もがき、時にはじっと耐えて待つのだ。

それは僕たちいのちを持つものに平等に訪れる死を待つ時間と同じである。
音楽を聞くことがエンディングを知ることだけではないように、僕たちの人生もまた死を迎えるまでの時間に起こる事を知らずに過ごすことにいきることの深みがあるのだと思う。
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by innerscape | 2008-09-22 02:40 | 日常

ご挨拶

昨年はたくさんの方々にお世話になりました。
仕事でも、プライベートでも、その区別は無い場所でも。
そしてこのブログに訪れていただいた方にも。
本年は皆さんとともに素敵な一年が過ごせるようにお祈りしております。

よろしくお願い致します。
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by innerscape | 2008-01-01 20:31 | 日常

あなたは何を信じていますか

自分が時々何を信じているのか分からなくなる。
そんな時には、自分以外の人が何を信じているのかが気になる。
いや、むしろ僕は普段から、人は何を信じているのかということにしか興味がないのだ。

それは神様とかそういうレベルの話から、この感触を信じているというレベルの話まで。

一生懸命何かをする人は何かを信じてそれをしているのだろうか。
マラソンを走る人々はなぜそんなに身体を酷使してまでひたむきなのか。
熱弁をふるう人には何を拠り所に語るのか。
作品に打ち込む人間には何が見えているのだろうか。

あるいは誰かを信じるとは一体どういう事なのだろうか。
政治家は信用出来ないのか。
それはメディアが創り出した幻想なのか。
自分の感触を確かめられる友人なら信じられるのだろうか。
それとも、信じているのは一つの側面だけなのだろうか。
とすれば自分の肉親は全面的に信じられるのだろうか。
今の家族内殺人の報道を見ているとどうもそうではないかもしれない。
自分の子供は信じられるのだろうか。
子供を持った事がない僕にはまだ分からない。

教会に熱心に通って「汝の隣人を愛せよ」という言葉にうなづく人々。
でもその人たちが互いに陰口を叩き、いがみあっている様子を今までにたくさん見て来た。
彼らは本当に神を信じているのかといつも疑問に思う。

やはり信じられるのは自分だけなのか。
それとも自分が一番信じられないのか。

でも一つ僕が信じているのは、信じることは人にはとても大切な何かだと思うことだ。

さて、あなたは何を信じているのでしょうか。
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by innerscape | 2007-12-06 01:55 | 日常

言葉を超えるために

普段から自分がどれほどまでに言葉を適当に使い回してるのかと、うんざりするときがある。
自分の気持ちを表現するために言葉を選んでいるのか、それとも言葉に自分の気持ちが振り回されているのか時に見失ってしまう。

もちろん僕たちは言葉にすることで誰かと思いをともにしている。
でも千の言葉を積み上げるよりも、ひとつの眼差しがより多くの事を語る時があるのではないか。
微かな手の温もりが、誰かに力を与える時があるのではないか。
そう思った時に、ふいに僕の中で言葉がチカラを失ってしまう。

言葉は所詮、ただの記号だ。
僕たちは日々の暮らしの中でこの記号を操っているつもりでいながら、実は記号に操られているんじゃないだろうか。
嬉しいという言葉、悲しいという言葉。
怒り、喜び、寂しさ、楽しさ、憤り、失望、悩み、快感…。
こうした記号は僕らの気持ちをうまくつかまえるためにあるはずなのに、その言葉が逆に僕らの豊かな感覚を制限してしまっている事もある。

そんな記号としての言葉をつかう時には、言葉を越えて何かを伝える事の大切さをいつも大切にしたい。
そのためには自分の内側から世界を捉えねばならない。
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by innerscape | 2007-11-04 01:33 | 日常

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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