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私的風景の電脳記録
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得する空間

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ランドスケープエクスプローラーで今進めているワークショップ『アーキフォーラム』の第5回目を26日の土曜日に行った。
第5回目はユニット派建築家『みかんぐみ』の曽我部さんをお招きして色々とお話を伺う。
曽我部さんはとても気さくな人で、語り口がとても軽快だったのでつい時間が経つのを忘れてしまうほどだった。
『建築家に何が可能か?』というテーマを掲げて、建築以外のことを建築家はしてもいいんじゃないかという論点で進めていくプレゼンテーションは、目に見えるものは何でもデザインの対象であると詠うランドスケープアーキテクトが学ばなければならないことに満ち溢れていた。
下がプレゼンテーションされた内容。

■十日町×十日町
十日町の街づくりのワークショップでは、街を徹底的に調査して、面白い場所やモノを100個選んで紹介する箸袋のデザインを行った。
そこがどういう街なのか調べつくすところからモノをつくっていく姿勢がそこにはある。

■音の森
岡山ベネッセスクエアの教育について考える展覧会で会場構成をみかんぐみが担当した。発泡スチロールを使って壁と床がシームレスな空間を作り、ヘッドホンと指向性マイクを使って、一歩歩くごとに変化する音によって空間を把握できるようにする。壁とか床とかではない空間認知の可能性を模索している。

■マナイタハウス+チラシブース
・古い銀行をリノベしたカフェのプロジェクト。マナ板(ポリプロピレン)の持つ質感が面白いので、それを空間にするためにマナ板700枚を100円ショップで購入し、壁にひっかけて空間を作る。架けられたマナ板を手軽にはずしてお客さんが調理や給仕にも参加出来る空間を目指していて、そのことで店側とお客さんが渾然一体となった活気を生み出そうとしている。
その横のブースにチラシやフライヤーを入れることで完成する透明ビニールのパーティションを作る。ビジュアル的な表面と情報の詰まった裏面の両面が見え、それが空間的に分かれているので表と裏とで行動に違いが見られる。

■音符の畑+ハンガートンネル
横浜の馬車道のプロジェクト。展覧会場までのアプローチ部に楽譜にしたがって舗装に穴をあけ、そこに木を植えて一本を一人づつが管理していく。ここにも参加と愛着が生み出す風景をつくろうとする姿勢が見える。
同じ場所に結束線を使ってハンガーをまとめて組んでいくことで展覧会場までのトンネルを作る。これも簡単な工法を使って、参加しながら作っていける空間を目指す。

■リハピネス
・六本木ヒルズ『ハピネス展』の後のクロッシング展の会場構成。その前に行われていたハピネス展のセットをリサイクルして会場構成を考える。90人の学生を動員して作る。

■キュービックポット
・みあげ物屋の空間構成。目的がないが何かをしたくなるような物を作る。6面全部に穴があいたキューブ上の陶器をつくりその後色んな使い方を実践してもらう。ここでは使い方がすぐにわかるものよりも、使い方を考えさせるものの方が使い手の愛着をより喚起させやすいのではないかという問いかけがある。

■岡山のキャンプ場
・樹木の幹を囲むだけで、顔のように見えてくるアートや、山頂と麓の部分では異なる色をした土を顕在化させるインスタレーションを行う。普段見慣れているはずのものに情報を与えることで何かを発見させる。

といった感じのプレゼンテーションがされた。
曽我部氏いわく、こうした内容のプロジェクトと解決方法は建築家が担ってもいいという。
そして曽我部氏が普段写真を撮ってホームページにアップするような街の面白いネタからデザインが進んでいくという。
彼自身は愛着を持って『使い倒される』空間や場所を目指していて、これらを展開しているが、こうしたプロジェクトと曽我部氏の発言を注意深く観察すると彼のアプローチには大きく三つの手法が見え隠れしている。

カタチのデザイン
これはカタチによって使うことや愛着を喚起するやり方で、ただ単純に美しいことだけを狙ってはいない。
しかし、最初から使い方を想定してデザインをするとどこかつまらなく広がりのないものに陥り不毛なデザインになると彼は言う。
では何で成功を図るかというと、その後の使われ方の可能性がいかに広がったかということであり、そのためにはアフォーダンスの反応性やきっかけの密度を変えるデザインが優れている。
何の役に立つのか分からないものほど読み取りが深まるため、使い方を想定するのではなく美学や面白いと思えるかどうかという個人的な部分で最終的なカタチを決定していく。
しかしただ単に感性で奇抜なカタチを作る人との違いは、完成度を緩く作っているかどうかという点が我々が唱えるマゾヒスティックランドスケープの手法とほぼ同じ意見である。

情報のデザイン
情報を与える、見方・視点を与えることで使うことや愛着を喚起するやり方で、『使い倒せる』気持ちにさせる情報を与えていく。
ちょっとした使い方のきっかけや見方の変化でモノが持つ性質が変化する所に着目して、情報の与え方を一義的にせず、完結した小さな情報を与え続ける。
これにも一方的ではなく情報をインタラクティブに与える方が緩いつくりかたであるという点がマゾヒスティックな要素をはらんでいる。

参加のデザイン
建設のプロセスに参加することで使うことや愛着を喚起するやり方で、建設のプロセスに使い手が参加することで簡単に改変できる気持ちにさせることにポイントがある。『八代の保育園』などでも、保母さんが工作したくなるようなディテールにすることで改変していく事を目指した。
この手法も、ある場所の初期設定だけを決めて、後は新しい使い方を見つけながら場所を作って(使って)いくという、我々が共有している考え方
とほぼ同意見である。

この三つの手法を見ているとほぼ同じ考え方で、やはり同時代なのだという感覚を覚える。
そこで目指されているものは、映画や美術や絵画のような一方的に飛び込む情報を享受するような空間ではない。
ウェブのような、自分と場所とのインターアクションで成り立っていく空間が面白いと共有され始めているのである。
色んな意味で社会が豊かになってきて、一方で与えられるだけのつまらなさを感じてきた僕達は、きっと色んな事が出来る方が『お得感』がある空間だと思うようになっているのだろう。
使い方を想定されて作られたものに僕達はリアリティを感じない。実感を得ながら自分で掴み取っていくものこそ自分達が獲得しえるものになると感じている僕達は、何と贅沢な事を言うのかと思うこともある。
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by innerscape | 2005-03-26 23:07 | マゾヒスティックランドスケープ

最終回

今日でオフィスを去ることになった。
僕とこのオフィスの物語は今日で最終回を迎えたことになる。
これを機に1つの区切りをつけたいと、前のブログからこちらへ移ってきた。

この3年間のオフィスでの経験を思い返せば、業務内容がとても個性的だったため普通ではない様々な経験をしたと思う。
広大な荒地のごとき埋立地を大地へとリノベーションするために走り回ったこともある。
北京のシンガポール大使館で寝泊りしながらパーティガーデンの岩組みもした。
マンションの前庭の設計のため何度も現場を訪れて空間スケールの把握もした。
ヤンゴンの中心部のカンドジレイクパークのスタディのため作った大きな模型。
舗装の目地割で四苦八苦した経験もある・・・。

理不尽な事も、そしてその反対に充実した気持ちも味わったオフィスでの様々な思い出を胸にして去っていくのは複雑な気分だ。
次の職場はこの4月に新しく開設される大阪大学コミュニケーションデザインセンターといって、今までの僕がしてきたランドスケープのハードの設計とは違って、ワークショップなどのソフトデザインを実践する場である。
これからの5年ほどは『風景』というキーワードを中心に据えて、今までのものづくりによって場所を作る方法とは異なった視点で、場所をどう使っていくのか、そして風景をどう発見していくのかということを考えることができればと思う。

ところで巷では最終回がブームだそうだ。
ドラマや連載でも最終回ばかりを集めた本が売れるほど、人々は最終回に飢えているらしい。
このブームの裏側には、『終わりなき日常』なんて言われる淡々と流れる日々に、ある区切りをつけたいという現代人の欲求から生み出されているという見方も出来る。
今日は僕にとって1つの最終回を迎えるわけだが、しかしそれがいまひとつ実感がわいてこない。
おそらく僕達のようにプロジェクトをこなしていく職業は、プロジェクトごとに数多くの最終回を迎えているからかもしれない。

今回はとても大きな最終回なので実感が無いのは困ったところであるが、しかし最終回というのは案外そんなものなのかも知れない。

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by innerscape | 2005-03-25 23:43 | 日常

悲しみの音

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ロキナンテと今進めている“音の旅”のミーティングを日曜の昼下がりに行う。彼は前のミーティングから2週間で3つのトラックを作っていた。
このトラックはこれから制作される、とある映画に向けて進めているのだが、僕たちはこうした音の旅の中で映像をリードする音楽が生み出せないかというチャレンジをしている。
ミニマルな音を重ねて作る彼のイメージは不思議な静寂感がベースになっていることが多く、映像が浮かんでくるような音楽である。
前に向かって飛び出す音ではなく、包み込むような浮遊感のある音で構成したトラックに僕の声を載せながら二人でイメージを共有していく作業にしばし没頭した。

映画のテーマが殺し屋の話しだそうなので、改めてちゃんとその事について話したことはないが、ふと彼の音楽の根底には悲しみが横たわっているのではないだろうかと感じる。
確か坂本龍一も同じようなテーマを掲げていたような気がするが、悲しみを共有する媒体の一つとして、人は昔から音楽を選んできたのではないだろうか。
最後に人を送り出すときの鎮魂歌や、奴隷として連れてこられた黒人の悲しみをうたうブルース、多くの民謡や島歌、インディアンのうたにも悲しみを共有する音が垣間見える。

必ずしもポジティブなものだけに人間の気持ちが支えられるわけではなく、ネガティブな気持ちの動きが時に強く人に響くことがある。
幸せの延長線上に幸せがやってくるのではなく、不幸があるからこそ、その向こう側にある幸せが実感できるという感覚は、僕たちもリアルに思い当たることはあるだろう。

そうこうしながら日が傾いてきて、部屋に最後の陽光が斜めに挿し込んでくる。
黄昏の郷愁を味わいながら、僕たちが紡ぎだす悲しみの音は共有されるのだろうかと考えていた。
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by innerscape | 2005-03-21 23:43 | 音楽

作ること使うこと

4月からお世話になる大阪大学コミュニケーションデザインセンターCSCD)の藤田先生のお誘いで、月曜日に『コミュニティ・アート』のシンポジウムに行ってきた。

セッション1はパフォーマンスとコミュニティという事で、大阪工業大学の椋平先生と、劇企画パララン翠光団の務川氏の活動報告、セッション2はアウトサイダーアートの現在という事で兵庫県立美術館の学芸員服部氏と大阪大学教授の奥平先生から報告がある。
僕自身不勉強のため、両方ともあまり詳しくはなかったのだが、場所をどう使うかそしてどう見るかという視点で非常に参考になる話しだったので興奮して聞き込んでしまった。
前段は、演劇家を中心にアートの人々に公的資金が投入されたことでどのように活動が変化したのかという変遷が分かりやすく報告され、とても理解しやすかった。

80年代から90年代初めにかけて企業メセナが活発化し、バブル以降にハードからソフトの方へ投資が移行していく中、90年に芸術振興基金というのが設けられ、竹下内閣の手によって全国全ての市町村へくまなく1億円の支援が出るようになったのが、公的資金が芸術に対して支援される動きの発端になっている。
そうした中で演劇家含めたアート側の人間は活動に公的資金が導入されるわけだから、今までのように個人の自己実現のためにやっているだけではなく、社会的な意義を考えざるを得なくなったという。
そんな中95年に阪神大震災が起こる。
それを契機に被災者達に対して演劇に何が可能かを考え始めて色んな形の演劇ワークショップが生まれていくことになったという経緯がある。

そうした活動の一つとして、務川氏は夏市夢座という活動を94年から毎年続けている。

これは、毎年京都で地蔵盆の頃にお化け屋敷をつくるというワークショップで、廃校になった小学校や、震災で閉館になった映画館、お寺の駐車場などで、ほぼ毎年継続して行っており、最初は劇団の人々で作っていたスタイルから最近ではおばけやしきを作るところから子供を参加させるワークショップの形式を取っている。

話しを聞いているととても楽しそうで、子供達が自分で考えたおばけを実際に作っていく様子や、どうやって驚かすのかを相談するプロセス、震災で壊れた建物なども壊しながら場所を作っていくプロセスに参加した体験は、街の施設を非日常的に暫定利用させることを通じて忘れられない記憶を育くんでいくのではないかと思う。

特に壊しながら作ると言う行為は、普段意図的にしないことなので、結構刺激的な体験を生むことが多く、僕も必然性のある場所でそんなワークショップをいつかやってやろうと思ったりもする。
ここで勉強になったポイントとしては、子供が問題を起こしたときの取り扱いである。
子供が何か問題を起こしたときに、一過性のものとして扱うことでうまくいくということを務川氏は述べていた。そのことを周りが問題視しないことで、お化け屋敷を作る目標に向かって乗り越えていけるという。

まだまだアートや演劇の世界は自分達の自己実現の範囲に留まっている現状はあるが、こうした活動のように、演じ手と観客を分け隔てずに渾然一体となった状況がもっと出てくると街はとても楽しくなるような気がする。

僕たちが進めているランドスケープエクスプローラーでの活動も同じような視点を持っているのだが、どこまでが作り手でどこからが使い手なのかということをあまり明確にしないようなやり方は、色んなシーンで見られるようになってきている。

こうした現場ではプロかアマか、仕事か趣味かという区別は難しい状況が生まれてきていると務川氏も述べている現状の中、モノを作ることに責任を置くというプロフェッショナルと、人と活動とプログラムをマネージメントしていくプロフェッショナルは全く違う職能として発展していくべきなのか、一つの職能にセットで持つべきものなのかを僕たちもしっかりと考えておかないといけない。
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by innerscape | 2005-03-16 23:45 | コミュニケーションデザイン

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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