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私的風景の電脳記録
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時について

今はすぐ過去になる
未来はすぐ今になる

今を止めることは出来ない
今はいつも止まっている

私たちは今しか生きれない
いつも今しかそこにはない
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by innerscape | 2005-11-28 00:35 | 私的詩

無意識な動き

a0091712_0392125.jpg深夜0時からスタートした撮影が終わったのは明け方。帰って来たかと思うと、また別シーンの撮影のため神戸へとんぼ返りする。
今日はスチールの方も交えての撮影なので比較的人数も居る中、撮影がスタートした。
作品の冒頭部分の車の中での会話シーンだが、前回撮影仕切れなかった部分からのスタートである。前回は雨の中で撮影が行われたが今回は快晴。雨上がりという設定になるのだろう。こうした大きな時間軸や天候も編集という作業によって切り取られ、繋がれてしまうのは映画と演劇の大きく違うところである。
演劇の場合はあわせ稽古が出来るのだが、映画の場合は撮影当日まで役者同士はほとんど顔を合わせないため、リズムの構築をその場でしないと行けない。セリフの間を調整しながら読みあわせをしてそこへ演出が入る。それに合わせて周りからスチール写真のシャッター音がバチバチとなる。

a0091712_0394711.jpg相手役の佐和警部補を演じるN氏は太秦映画村の役者で、年始の大河ドラマなどにも出ているベテランである。流石に長セリフも見事にこなしていく。僕の役は基本的に無口だし、このシーンでは長いセリフはないのだがあいづちや短いセリフの方が実は覚えにくかったりする。日常では無意識のうちにしているあいづちや間。役者はこれを意識的に組み立てる技術が必要になる。
僕が映画の中で演じている男は、右足が不自由でクラッチをいつも握り締めて歩いているが、車内のシーンではそれが出てこない。車から降りるときに初めて足が不自由な事が見ている人に伝わる。
自然に右足をかばう動きが出来るように随分と練習したが、実際にリアルな動きを出そうとすると訓練というレベルではなかなか難しい。右足だけを引きずればいいわけではないからである。

a0091712_0402371.jpg右足が不自由ということは、右手でクラッチを持つということである。ということは左手で銃を構えるということになる。もちろん携帯電話も左手で行う。車の運転は難しいし、クラッチが無いときは壁を背にしてもたれかかるような動作もするだろう。席につくときは右側が壁になるように座るだろうし、相手と話すときの左側が相手に向くような位置関係を取るかも知れない。右足が悪いからといって右足だけの演技で済むわけではないのだ。全身で右足をカバーしにいかないといけないし、意識もそう働くのである。そう考えると実際に障害を抱えている人の大変さが良く分かる。右足だけでも全身が大変なのに、もっと大きな障害ならばより色んな部分を使ってカバーしにいく必要がある。きっと普段の僕の動きの感覚とはかなり違うはずである。
リアルな演技をするということは、その動きやセリフを成立させるための構造を知らないといけない。どんな状況にその役が立たされていて、どんな気持ちの動きを辿っているのか。その結果どんなイントネーションでセリフが発せられ、どんな動きを取るのか。僕達が無意識でしていることを意識的に行おうとすると、日常の観察と洞察が必要になってくる。
撮影:斎藤潔さん
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by innerscape | 2005-11-20 00:37 | 映画と演劇

捏造される時間

a0091712_0431071.jpg深夜0時集合という無茶なスケジュールがまかり通る世界がある。それは撮影の世界。
毎週六甲アイランドで撮影をしている気がするが、この日も寝静まった埋立地で深夜ロケが行われた。
先週は火薬使用と殺陣シーンがあったのでおおがかりなロケだったが、この日は主に僕と殺し屋「ブルーカラー」とのシーンだったので比較的コンパクトなロケ陣で現場入りする。
深夜の六甲アイランドは寒い。そんな中、女子高生役のhimeは返り血を浴びた設定なので血ノリをふんだんに吹き付けられて寒そうだ。殺し屋役の隼人君も額に汗という設定なので水を吹き付けられていて、みんな身体を張って大変そうだなぁと感心。

a0091712_0434380.jpgしかし映画の撮影というのは時間がかかるものである。きっと商業映画ではこうはいかないのだと思うが10分に満たないシーンでも3時間も4時間もかけてじっくりと撮影する。
脚本も演出も俳優の演技も、演劇とは根本的に違う技能が必要とされるのだと思う。
車の中で電話をして、やってきた人物と少し会話するというシーン一つでも、何アングルも撮影した。まず助手席から僕の顔。後部座席から後ろ頭越しのフロントガラス。車の前面から。運転席の窓の外から中の様子。車全体を引いた角度から。手元のアップ。口元のアップ…。

a0091712_0441170.jpg編集で一瞬しか移らないシーンもたくさんあるだろうが、同じ演技を何度も繰り返さなくてはならない。現場でラッシュ映像を見ていないので、最初の方で演じていた感覚と最後の方で演じている感覚にズレがないかどうか少し心配だ。
こうして映画の時間は出来上がっていく。映画の中ではほんの数分でもそれは濃密に計算され、捏造された時間なのだ。ドキュメント映像でも編集によって時間は仕方無しに修正されてしまうのだが、根本的に違うのは映画は確信的に時間と空間の捏造を行って表現を行うという点ではないだろうか。アンリアルな時間と空間と人物によってリアルな表現を行うことの難しさを改めて感じる。
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by innerscape | 2005-11-19 00:42 | 映画と演劇

深夜のみなごろし

a0091712_0472260.jpg最近はもっぱら映画撮影のため週末が慌しいのだが、今夜は映画の中でも見せ場の一つ、深夜のアクションシーンの撮影が行われた。
このシーンには僕の出番はないのだが、結構大掛かりなロケなので僕も現場へ行くことにした。
前回の僕のロケと現場は同じ六甲アイランドなのだが、来ているスタッフの数が半端ではない。役者、スチール、ガンエフェクト、武術始動、スタントなど合わせて約30人ぐらいだろうか…。何ともまぁにぎやかな現場だ。スチールの方に話を聞くとこれでも通常の銃器使用ロケの半分以下の人数だそうだ。

a0091712_0474740.jpg水上警察の許可を取って道路での火薬使用を認めてもらったのだが、一応深夜12時から午前4までの間限定の許可なので、早めに取り終えてしまわないといけないということでスタッフ一同緊張が走る中、撮影はスタートした。
hime演じる主人公のホナミがごろつきを皆殺しにするシーンで、派手な殺陣があるのだが、その前にまず火薬使用のシーンを撮る。
面白いのは銃を撃った後に薬莢が銃から飛び出るのだが、これが結構高いものなので打ち終わった後にみんなで回収するために探し回る。実際道路に薬莢残して立ち去るわけにもいかんしねぇ。
結局なんだかんだとしながら4時頃に一応火薬使用のシーンは撮影は無事終了した時には監督の顔にも少し安堵の表情が見られる。
次に今回の見せ場の一つ、殺し屋『葬儀屋』対ホナミのシーンに取り掛かる。

a0091712_0481354.jpg結構派手なアクションで武術始動の小松氏の指導のもと、葬儀屋とホナミの動きが決められていく。
himeは流石に舞台で馴れておられるようで、かなりの部分はスタント無しで殺陣をこなしていく。かっこいいと思いながらも、僕の役は足の悪い設定なのでアクションがなくて残念だと心の中でつぶやいてみる。
という間に、結局全て撮り終えて帰路についてのは朝の6時前。
この6時間の間にきっちり7人が皆殺しにされたのだが、映画の中ではほんの数分間の出来事で、なかなか映画というものは時間のかかるものだと感じる。
実は今回の裏シーンは僕の番なので来週その撮影が同じ場所で行われる。
火薬使わないのできっとスタッフの数は少ないんだろうな。

撮影:斎藤潔さん (上段)
撮影:森達之さん (下段)
(c)「ヤリタイキモチ」製作委員会
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by innerscape | 2005-11-13 00:46 | 映画と演劇

INTERESTINGな風景

a0091712_056143.jpg扇町クリエイティブカレッジというところで講座を開いた。
今まで僕がしてきたフィールドワークやランドスケープエクスプローラーでみんなが見つけてきた外部空間装置をスライドで見せながら、普段とは少し違った視点で街の見る面白さについて共有していこうという内容である。
8月ごろにはまだ何も考えていない状態でタイトルを出さないといけなかったので、とりあえず「街に出てネタを探そう」という安易なタイトルをつけて送ったが、当日フタを開けてみると30名を超える人々がやってきて、2時間お話しすることになった。
(Recipの方々含め、来ていただきました方々には感謝の嵐です。)
こういう機会は僕にとってもなかなか勉強になる。
今まで街を歩きながら撮ってきた写真を整理するうちに、自分がどういうところへ目を向けているのかが何となく見えてくる。

a0091712_0563510.jpg今、僕たちが住んでいる街はそのほとんどが戦後に作られたものである。終戦直後の焼け野原に求められた風景は、皆が平等で公平に幸せを享受できる風景、誰の手にも独占されていないような風景が民主主義の表れだとして『FAIRNESSな風景』が目指されてきたんじゃないかと思う。公団住宅にしても全国一律に敷かれるアスファルトにしても、標準的なデザインの公園にしてもそうだ。モダニズムの動きもおおむねそういうことだったんだろう。

それに対して、一部の建築家やランドスケープアーキテクトはそれでは駄目だと言い出した。もっと生活の中に美しい風景、『BEAUTIFULな風景』を取り入れる必要があるという思想のもと、デザインされた場所の創出を展開し始めた。確かにそれはそれで正しいことである。生活に美の考え方は必要だと思うし、そう考える人はたくさん居るだろう。しかし、こうした美しい風景が一部の偏った感性で勧められた結果、それは作品と呼べるような緊張感のある風景が展開され、鑑賞する以外の関わり方を拒絶してしまうような場所になってしまっているケースもあるのだろう。

a0091712_0565879.jpg一方で、商業主義やアートなどの台頭によって、個性的なオブジェクトが置かれたり、派手な色使いの面白い風景『FUNNYな風景』が商業施設を中心に展開される。中にはとても面白く、それが街の個性になっていたり、新たな場所の意味を生み出しているものもあるのだろうけれど、周辺の街とあんまり関係性や必然性を持たなかったり、気をてらいすぎて失敗していたりする例も少なくはない。
その中で、僕が面白いと思ってカメラを向けている写真はそのどれでもないような風景が多いように思える。
それは極めて個人的で、何とも必然性に満ち、リアリティのあって興味深い『INTERESTINGな風景』とでも言うべきもののように思える。
その多くは完全にコントロールされた状態とコントロールを失った状態のはざまの風景のように僕には見える。とてもユニークで多様性に満ちた風景だけれども、何らかの見えないコントロールがある。
その場所に関わろうとする人のモチベーションが場所の課題に対してユニークな解決策を導き出した実用的な風景(例えばその場にあるものを植木鉢として代用するなど)。

a0091712_0574523.jpgそして、何かと何かが重なったときに偶然に見えてくる風景(通行人と駐車車両とホームレスの移動住居が重なったときに見える面白さなど)。コントロールされにくい自然の風景(地下の水分条件が地上の雑草を規定している風景など)。違法なんだけど、法律を気にしながらしているので、何となくコントロールされている個性的な風景(ポストの側面に落書きがしてあるなど)。産業のように何らかの必然性や合理性のみで展開されているスケールアウトした風景(廃工場のように機能100%で出来た場所から機能が取れてしまった風景など)。現代の合理的システムではコントロールできないような信仰に根付いた風景(工場のシステムの一部にご利益のもらえる鳥居を組み込むなど)。そして、誰にも迷惑をかけずに勝手気ままに振舞う風景(車のガラス面に人形を展示するなど)。
どれも僕には『INTERESTINGな風景』に映る。
その風景を見たときに何がコントロールしていて、どんなコントロールから逃れようとしているのかということを考えると、意外と街はネタに満ち溢れているのかも知れない。
a0091712_05819100.jpg

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by innerscape | 2005-11-04 00:58 | 居場所の獲得

光を映すこと

a0091712_3105216.jpg今日は文化の日で休日なのだが、いつも通りセンターに詰めて溜まった業務を片付けていた。
下のIMI(彩都メディアラボ)が最近忙しそうにしているなと思っていたのだが、どうやら今日行われるMoblabというイベントの準備だったらしい。
このイベントは日独メディアキャンプということで一台のバスに日本とドイツのアーティストが乗り込んで、全国を行脚するというイベントで、今までにIAMASや横浜トリエンナーレなどを経て、今回の大阪会場としてIMIが選ばれたようだ。

a0091712_3111375.jpg何も知らずにいつも通り来たのだが、様相がいつもと違っていて、興味深かった。いつもの入り口のところには大きなスクリーンが設けられてそこへ映像が投射され、その前では音楽やパフォーマンスが繰り広げられる。
こうした映像を使ったイベントではいつもそうなのだが、そこで投影される映像のコンテンツを実は僕はあまり見ていない。コンテンツそのものよりも、普段何でもないような場所に光が映され、それが何やら動きを持っているということが重要で、映像を投影するということ自体に意味があるように感じる。

a0091712_3113841.jpgもう一つ、いつもこうしたアートのイベントで感じるのは、来ている人々の偏りである。
特に興味のない人々を無理やり引き込む必要もないのだと思うのだが、なぜか毎回こうしたイベントでは閉じた印象を受けてしまう。こうした日常的な場所で非日常的なイベントを行う事は、今まで無意識に頭から排除していた場所の可能性を開いてくれるという意味において、とても可能性を感じるのだが、一方でそのイベントの閉じ方が街中のクラブやバーやギャラリーや学園祭といった場で、価値観を共有する人々の内輪で盛り上がっていることとどう違うのかといつも考え込んでしまう。これは場所の問題にも大きく関係していて、これからも僕自身の中で整理していく必要があるように思える。
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by innerscape | 2005-11-03 03:06 | 出来事の風景

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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