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私的風景の電脳記録
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見てはいるが見えてはいないこと

a0091712_0105744.jpg95年に起きた阪神淡路大震災以降、街づくりや都市計画の中でも防災意識が高まってきているが、CSCDにも減災コミュニケーションデザインというプロジェクトがある。
これは災害を防ぐのも含めて『減らして』いくという考えの下に、日常的なコミュニケーションから災害意識の醸成などに取り組んでいるプロジェクトである。
そのプロジェクトでは月に一度ぐらいのペースで減災カフェという会を設けてまちづくりへの取り組みなどをしている人から話を聞いているのだが、今回は僕が今進めているプロジェクト『データハンダイ』に及びがかかって発表することになった。


a0091712_0111894.jpg『データハンダイ』は僕が4月にCSCDに来たときから構想していたプロジェクトで、大阪大学をずっとスキャンして、面白い側面を切り出すことを目論んでいる。
もともとの発想は自分が勤務することになった大阪大学の事を、僕がまるで知らなかったので単純に知りたいという個人的な理由から始めたが、今では色んな人が関わるようになり随分と大きくなってしまった。
大阪大学には工学部や医歯薬学部など主に理系の研究科が集まる吹田キャンパスと、文学部、法経学部など主に文系の研究科からなる豊中キャンパスの二つがあるのだが、その事実も僕は来るまで知らなかった。もちろんそんな事ぐらい阪大生やここの研究者なら周知の事実だが、どちらのキャンパスがどれぐらい大きいかという事になれば結構怪しい人が多いのではないかと思う。


a0091712_0114246.jpg実際自分の住んでいる街もそうであるが、どこまで自分達の環境の事を知っているのか、そしてそれがどんな実感を伴っているのかということを僕達はきっちりと意識化していないことが多い。そのあたりを逆手に取って、毎日通う大学自体を知らない場所や知らない事の宝庫にしてしまって、未知の遊び場に出来ないかと考えていた。


こんなデータがある。豊中キャンパスは約44ヘクタール。ユニバーサルスタジオより小さくて、甲子園球場の11倍。同程度の面積はローマ市内のバチカン市国である。
それぞれのデータは何も新しい情報ではないが、それが同時に与えられることで、大学や自分が過ごす環境を眺める一つの見方が変わるかもしれない。
もう一つ。阪大には電柱が無い。


a0091712_0121052.jpgこれも毎日通いながら見て知っているはずなのだが、改めて言われないと気づかない風景かも知れない。案外毎日そこで過ごしている人には見えなくなってしまっている言葉やルールや風景というのがたくさんあって、外からやってきたヨソモノがそれを指摘することで見えてくることがある。
そんな事をみんなで出し合いながら共有して、大学を知的な遊び場に変えてしまおうというのがこのプロジェクトの大きな主旨である。

というわけでハンダイを巡る面白いデータを色々と夏ごろから、賛同する学生と一緒に集めていたのだが、それが今日の減災カフェでデビューした。
関わってくれた学生は文学部や人間科学部を中心に十数名で、出来上がったシートは18枚。
それぞれ僕が授業で声をかけた学生やその友人達の集まりであるが、最終的には全くつながりがないような人でも参加できるシステムを目指している。
CSCDのミッションの一つに横断的なフィールドでどのようなコミュニケーションが図れるかという課題があるが、大阪大学で過ごし誰もが一生活者として関われるキャンパスや環境を巡ってつながっていける可能性がないかと考えている。そのような中ではキャンパスに関わり関心を持つ人であれば、教員だろうが学生だろうが、事務員だろうが散歩に来るおばさんだろうが誰でも関わることが出来、なおかつその結果が全員にフィードバックされえるような仕組みを考えたいと思っている。


a0091712_0124264.jpg今日の発表ではA3のシートパネルを展示して行ったが、当面はより開かれた情報掲示と一枚からでも関われるオープンなツールとしてガイドブックあるいはポストカードという形態を目指して進んでいこうという話をしている。
大阪大学の学生でご興味を持たれた方は是非連絡を頂きたい。
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by innerscape | 2006-02-28 00:09 | 情報デザインと風景

コラージュが伝えるもの

a0091712_0184674.jpg本日のアーキフォーラムはいつものINAXショールームから場所を変えて、靱公園の側にあるアーツアンドクラフトのオフィスで行う。
残すところあと2回のアーキフォーラムの今回のゲストは後藤武氏である。
近代建築史の研究からスタートした後藤氏の話は同時代における絵画や彫刻などのアートとの関係から建築を捉えており、今回は「建築の時間」というテーマでお話を聞いたが非常に勉強になる内容だった。
20世紀、特に建築やデザインの世界ではモダンという概念がよく問題にされる。
モダンとは一体なんだったのか。そしてその後にやってくるポストモダンとは一体なんだったのか。そしてオルタナティブなモダンとは何か。そんな大きな話題を巡って話が進められた。


a0091712_019557.jpgモダンの後にやってくるポストモダンの考えかたの引き金になったのはコーリン・ロウの書いた「コラージュシティ」であると後藤氏は語る。この“コラージュ”というキーワードを巡って、その後の話が展開されていく。
ピカソやブラックなどのキュビズムの視点というのは、なぜあんなヘンテコな絵になっているかというと、複数の視点から見たものを一つの二次元平面である絵画へと閉じ込めてしまう、つまりコラージュしてしまうからである。これは一つの絵の中で複数の経験をしてもらおうという意図があって、後藤氏いわくそれは時間が圧縮されたものだと言える。
ちなみにポストモダンの建築ではそういうことをやってきていて、磯崎新のつくばセンタービルもフィリップジョンソンのAT&Tも全部歴史からの引用とコラージュの手法で出来ている。中でもミースとコルビュジェをコラージュしたクンストハルや20世紀の使えるボキャブラリーをうまくコラージュしたボルドーの住宅などを作っているレム・コールハースはポストモダンの論理を一番うまく構築していった人ではないかと後藤氏は続ける。


a0091712_0192975.jpgあまり系統立てて考えたことはなかったが、何かのパーツと何かのパーツをくっつけてひとつのものをつくってしまうというコラージュの本質を考えると非常に面白い。
コラージュされるということは何かのパーツが既にパーツとして存在している、つまり名詞化された状態にあるということで、名詞化された状態ではいとも簡単に取り扱えるツールと化してしまう。
例えば「ハサミ」という名刺。もとは物を切るために「挟む」という動詞だったはずである。それが名詞化してしまうと今度はそのものの本質とは離れたイメージで一人歩きしてしまう。そうするとコラージュのツールとして用いられやすくなる。
建築の場合であてはめてみると、例えば「ピロティ」や「スロープ」や「屋上庭園」などの名詞ももともと本質的に何のためにそれをしていたのかという動詞があるはずである。だから後藤氏は「動詞で考える建築」を考えたいという。

ともかくコラージュというのはある意味で都市を捉える上で重要な概念であるような気がする。


a0091712_0195981.jpg僕達の街での空間体験はかなり断片化している。
御堂筋を歩いているときと地下鉄御堂筋線に乗っているときと、御堂筋沿いのそごうの中に居るときとでは全く違う体験をしていて、それらは連続的にイメージされにくい。というよりイメージと言うのはもともとコラージュ的なものなのだと思う。


だから複数の視点を一気に経験できる映像や映画はコラージュ的だ。映画はシーンによって主観が切り替わったり、引いた構図になったり、手元や口元がアップされたりする。それって人間が体験したことを脳の中でイメージしたりする構造に似ているのではないだろうか。
それに対して舞台に向かって全ての観客が同じ方向から眺める演劇はコラージュ的な表現媒体ではなく、出来事的なのだろう。

建築で言うと、様々な空間性を持った場所を隣接させる建築、例えばアドルフ・ロースの建築などはある種、空間同士がコラージュされた映画的建築で、どこに居ても同じ体験が出来る、ユニバーサルな体験が出来るミース・ファン・デル・ローエの建築は演劇的なのだと思う。

映画にも少し携わり、空間デザインについても考え、イメージリテラシーの実験を仕事の中で同時にコラージュしている僕としては、今日の後藤氏の話を聞きながら、このあたりの関係性についてもう少し考察を進める必要があるとつくづく思う。
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by innerscape | 2006-02-11 00:17 | マゾヒスティックランドスケープ

世界を奏でる音色

a0091712_0274725.jpg大阪市立大学が運営している船場アートカフェというプロジェクトに10月から関わっている。船場アートカフェは都市文化論の橋爪紳也氏、ガムラングループ「マルガ・サリ」を主催されている音楽学の中川眞氏をプロデューサーとするアートディレクター集団で、船場エクセルビルを拠点に活動をしている。
ちょっとした公演やライブなどが出来るスタジオと会議室の二つがあり、そこでトークイベントやワークショップなどを定期的に行っていく予定である。
CSCDの教員でもありアートカフェのディレクターでもある臨床哲学の本間氏のお誘いで僕は関わり始めたのだが、なぜだかすっかりと居ついてしまっている。
今日はそこで中川氏主催のタイ音楽のワークショップが開かれた。


タイのピーパートという楽器を中心に胡弓などの民族楽器をタイの先生が連続ワークショップで教えるこのシリーズは今までタイの音楽や楽器に触れたことのない人々が生み出す音の可能性を感じさせる。
民族楽器の出す音は僕達が普段耳にする楽器とは少し違った音色を持つので、不思議な空気を生み出す。
僕達のイメージに刷り込まれているのだろうか。原始的な楽器からは原始的な音色が流れ出すように思える。しかしそれは音色が単純だという意味ではなく、長い時間の中で完成されたゆえにとても豊かで、ある世界観を語る上で音色に無駄や冗長が無いような気がする。
これから毎週、船場の地下からこんな音が流れ出すなんて、とても楽しいんじゃないだろうか。

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by innerscape | 2006-02-07 00:26 | 音楽

科学と技術がもたらす物語

a0091712_034430.jpgCSCD科学技術コミュニケーションデザインチームのお誘いで、東京お台場の日本科学未来館へ行ってきた。
常に最先端の科学技術を展示・公開している世界でも稀なこのミュージアムは宇宙飛行士の毛利衛氏が館長を勤めることでも有名で、展示内容も自分自身で触れ、楽しむことができる参加体験型の展示が中心なので、科学技術とアートとコミュニケーションをテーマにしている我々としても非常に参考になる場所である。
今回は、そこの運営スタッフとCSCDとの交流ということでミーティングが設定されて、我々アート分野の人間も呼ばれて伺うことになったのである。
科学未来館もCSCDと同じように研究者と表現者が半分づつぐらいの割合で勤めていて、展示の内容によって混成チームを組んでいるので内容が非常に分かりやすく面白い。


a0091712_0354272.jpg今回の特別展示は『サイエンスフィクション展』つまりSFに焦点を当てた展示がされていた。もともとこれはドイツのフォルクスワーゲン財団が企画制作した巡回展で、インゴ・ギュンターを始めとするアーティストが関わっている。
映画『スターウォーズ』のヨーダの人形が展示されていたり、映画『ミクロの決死圏』で使用されたマシンの可能性の説明や、人間の身体を輪切りしたような模型があったりとSFで問われた事に科学的解説を加えた展示内容に非常に引き込まれる。
科学技術と聞くと何だか難しそうな印象を受けるが、実は僕達は日常的に触れているものはもちろん、生活している場も目にしているものも科学技術の産物である。
その中でも、SF(サイエンスフィクション)というのは誰しも取っ付きやすいメディアだし、もとからサイエンスとアートの融合の一つの形なのではないかと改めて思わされる。
人々の生活にどんな風に組み込まれるのかというストーリー提案が、テクノロジーやサイエンスを自分の身近なところへぐっと引き寄せるのだろう。

a0091712_036218.jpgその中でも、SF(サイエンスフィクション)というのは誰しも取っ付きやすいメディアだし、もとからサイエンスとアートの融合の一つの形なのではないかと改めて思わされる。
人々の生活にどんな風に組み込まれるのかというストーリー提案が、テクノロジーやサイエンスを自分の身近なところへぐっと引き寄せるのだろう。
それを考えると建築も素材や工法含めて科学技術の結果そのものであると同時に、それを生活空間へどう豊かに持ち込むのかという点でアートを嗜好している点ではSFに負けていない。むしろ1950年以降、テクノロジーがグンと進んだ時代以降においては建築の領域でもずっとSF的な提案が行われてきた。

『ウォーキングシティ』や『プラグインシティ』などある場所から別の場所へ居住用のセルを移動させて都市を再構成することを考えていたイギリスのアーキグラムなどはまさにSF的な思考で表現していたのではないか。科学技術の進歩の結果プラスチックという素材が開発されて気泡状の造形が可能になったことで、熱気球によって移動する空中都市『インスタントシティ』などのSF的提案が生まれている。
1960年代に活躍した日本のメタボリズムグループもかなりSFチックな提案をしていて、それが実験という形で結実したのが70年の万博だったのではないだろうか。
サイエンスとテクノロジーは生活と遠い言葉ではなく、それらがもたらす未来の風景として実は僕達の中にSFなどの物語として刷り込まれている。
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a0091712_037548.jpg科学がSFを模倣するのか、SFが科学を物語の素材に使うのか。その両方の相互作用の中に科学技術を人々に分かりやすく伝えるきっかけが潜んでいるように思える。
そんな事を考えながら、未来館の外へ出てくればランドスケープアーキテクトのジョージハーグリーブスが手がけた庭があった。
では一体ランドスケープデザインはサイエンスやテクノロジーとどういう蜜月を交わすのだろうか。
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by innerscape | 2006-02-05 00:32 | コミュニケーションデザイン

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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