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私的風景の電脳記録
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モノガタリノチカラ

CSCDには減災プロジェクトというのがあって、災害現場において生じる様々なコミュニケーションを考えているチームが居る。
そこのプロジェクトメンバーとのコラボレーションとして夏頃から一緒に災害にまつわるストーリーブックを作っている。
全国各地で起こった災害から学んだ智恵や天災にまつわる言い伝えなどをリサーチして回って、それをいかに伝えるかという表現の部分で当初僕は呼ばれた。しかし出てきた智恵の内容というのが、対処法的なすぐに使えるようなものではなく普段の心構えや生き方に近いものばかりなので、思想や哲学を伝える「絵本」という形式を取ればどうだろうかという提案をしたがために、当初全体のアートディレクションだけだったのが、最近は夜な夜な売れない作家のように物語を書いている・・・。
最近の僕の仕事は一般的なランドスケープデザインの範疇からかなり外れてきていて、このままどこまで行くのだろうかと半ば楽しみながら進んでいるのだが、幸いにも演劇や映画の経験がこんな形で活かせると思っていなかった。

僕自身は映画や演劇への関わりとして専ら演技サイドからモノを考えていたのだが、脚本を読むのは結構好きな方だったかも知れない。
しかしいざ書いてみる立場になると、少し脳の切り替えが必要な事に気がついた。
これも幸いにも劇作家の平田オリザさんと普段から話す機会が多くて、何気なく聞いていた事がこんなところで活かされるとは...。

よそで起きた災害というのは報道にのった「社会的」な事柄である。
取材された方自体は、被災者にインタビューをして綿密に調査をしているが、やはり「報告書」という形で出てくると、読み手にはやっぱりどこか人ごとなのである。
それをあまり関心を持っていない人に読んでもらおうとする時に悲しみや喜び、恐怖といった人の心に近い所を演出してあげる必要があるのだと思う。取材の中には災害を防ぐために行政がした施策などが含まれているが、それを説明したり体験する個人の物語が重なれば頭に入ってきやすくなるし、ぐっと印象に残ると思う。
物語はフィクションであろうとノンフィクションであろうとキャラクターにまつわる「個人的」な事柄で、それが「社会的」な事柄とクロスする時に良い物語が生まれると平田さんは常々言っているが、今回の場合は災害という社会的な現象と、それを体験する「私」という個人的な心情がクロスするところに物語と教育の接点があるような気がしている。
そんな事を考えながら30個もストーリーを書かなくてはならないのだがね。
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by innerscape | 2006-12-27 01:39 | 出来事の風景

赤を探せ!!

a0091712_341610.jpg本日は恒例のミッションハンダイの日。
データハンダイ実行委員会からそれぞれのクルーへ飛ばされたメールの指令を遂行した結果が発表されるのだ。
今日のテーマは「赤」。
阪大にある様々な「赤」を写真に収めて送ってこいという指令を飛ばしてみた。
前回に比べて、敷居が低かったのか今回は応募者が多かった。
60件ほどの投稿が寄せられ設けた4つの賞を厳選した。
発表の詳細はこちらへアクセス。
RED HANDAI

さて今回は情報と風景の関係が端的に現れている好例だと思う。「赤を探せ」と言われた瞬間から、日頃見慣れた場所の見方が少し変わるのではないだろうか。
今まで気にも留めなかったようなサインやベンチ、舗装の色などが気になり出す。環境を受動的に受け入れていた事から、少しだけ主体的に関わり始めるようになる。
この感覚をデータハンダイとしては狙っているのだ。
良くやってくれた功績をたたえて今回の受賞者をここでも発表しよう。

a0091712_3315298.jpg今月の切り込み隊長:最も早く投稿したクルーに送られる賞
吹田キャンパス工学部GSEコモンのエレベーター前の壁・椅子
オオフジさん
















a0091712_3322442.jpg寸止賞:花村賞の一歩手前
赤の衣装「阪大の教員のうち最も赤の衣装の着用率が多いのはおそらく、臨床哲学のこの先生。(花村賞希望。)」
タカハシさん















a0091712_333437.jpg花村賞:花村が独断と偏見で選ぶ賞
基礎工学部J棟の、昼と夜。「昼はわかりませんが、夜は、建物の上のすみっこのところに赤いランプがつきます。飛行機が上手に飛べるように応援するためのランプでしょうか」
キタザワさん




a0091712_3345082.jpgレッド賞:今回の特別賞。最も赤かったもの。
豊中キャンパス図書館にて発見◎/図書館2階入って右手すぐにある図書の棚。
オクムラさん/キタザワさん
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by innerscape | 2006-12-21 03:17 | 情報デザインと風景

システムかい?

システムをつくるヤツって、結局はシステムから外れたヤツかシステムに居ながらシステムを信じていないヤツなんじゃないかな。
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by innerscape | 2006-12-19 00:17 | 未来の自分との対話

「何を」から「いかに」

僕の単なる妄想かもしれない。
しかしだんだんと現代アートは主題よりも手法に重きが置かれるようになってきたのような気がする。いや現代アートのみならずメディアでも政治でも同じで、たくさんの情報があふれている中では、新しく取り上げる(何を)ということは結構難しくなってきて、その取り上げ方(いかに)の新しさに焦点が移行している感じを受ける。

20世紀のアートの発達を眺めると印象派の絵画の手法も、時間を2次元に塗り込めたキュビズムの手法も、マルセル・デュシャンが既製品の便器を選んできて「泉」というタイトルをつけたことも、アンディ・ウォーホールが行った一連の表現も、描かれているものよりもその描き方が問題にされていて、モノを描く技術よりもモノを見つめる眼差しの方にクリエイティビティが置かれている。これはアートの中でも写真の世界が「何を撮るか」から「いかに撮るか」の問題へ移行して来たことと無関係ではないだろう。

情報過多の中で僕たちは色んな物事を既に知っているが、僕たちが知り得ている物事には様々な側面があって、それを切り出し方によってあらためて発見することの面白さは様々な分野を横断してみられる傾向だ。しかしそこに危機があるとすれば「いかに」切り出すかという事が結果としてもつインパクトが「何を」や「なぜ」といった本質を翻弄してしまわないかと言う事だろうか。
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by innerscape | 2006-12-18 02:08 | アート

プロとアマチュアの線はどこにあるのか

a0091712_157784.jpg本日は東大の情報学環から水越さんをはじめメディア系の方々やCRESTのメンバーの方々が来られて研究会を行った。水越さん達に会うのは実に1年半ぶりでCSCDの会議室を使って日本マスコミュニケーション学会の分科会として行われた。
プレゼンテーターは3名。
多摩美術大学美術学部情報デザイン学科の須永さん、東大先端科学技術研の堀さん、そしてCSCDからは西川さん。
須永さんからは、メディア技術が台頭する中でブログやyou-tube、フリッカー、グーグルなどを通じて非専門家による表現の社会が生まれつつあるのではないかという問題提起とそうした表現を組織化し社会化するしくみをデザインする技術やプラットフォームしを構築する必要性についての解説がある。
堀さんはもともと人工知能を研究していたが、今は『デコンストラクションエンジン』という訳の分からない物を作っているというお話。これは結局最後まで何かは明らかにされなかったのだが、表現されたものを解体し、それを再構成するという表現のリサイクルを狙っているようである。感覚的には、椹木野衣の言うシミュレーショニズムの作家たちがしている事に近いのだろうか・・・。
そして西川さんからはおなじみのディスコミュニケーションについてのお話。
昨年からずっと聴いている話だが、ここ一年でぐっと洗練されてきた気がする。
簡単に言うと、コミュニケーションの必要性に対しての問題提起である。
世の中コミュニケーションが図れないような状況や理解出来ない状況に陥る事が多いのに、コミュニケーションを図る事が正しい事だとするような感性に対して警鐘を鳴らしている。分からないことや理解出来ない事、ディスコミュニケーション自体がその場を創造的で豊かにしている可能性があるということである。
これはアートやランドスケープにあてはめるとよく分かることで、訳が分からない言葉や現象だからこそ、関わろうとする全ての人が「分からない」という事において同じ立場になり、それを巡って場が動いていく。遊園地という理解できる場所での遊びよりも、原っぱという捉えどころの無い場所での遊びの方がより創造的になる可能性があると僕も後ほどのコメントで青木淳の言葉を引用しながら語った。
人間は理解することで恐怖を克服しているが、理解出来ない事だらけの世の中で生きて行くには理解出来ない事(ディスコミュニケーション)を寛容する感性が必要だという意見については、なるほど納得のいく話であるが落とし穴がある。それは理解するということへの渇望を持つことが人間の科学も文化も進めてきた側面もあるので、それを捨て去るということでは決してないという事を忘れてはいけない。

さてそのプレゼンテーターに対して3名のコメンテーターから意見が寄せられる。映像のNPO「remo」の甲斐さん、CSCDの平田オリザさん、明治学院大学の長谷川さん。
甲斐さんからはコメントというよりも活動報告に近い意見が出た。
「remo」は映像メディアを巡って学ぶ/つくる/語らうの三つの実践をしているNPOである。
甲斐さんいわく、映像に対してマンネリ化した文法しか持たない日本のマスメディアの状況はかなりやばらしく、メディアや映像の作られ方を知ったり自分たちでも実践したりすることで無批判的に受け入れてしまっている映像についてのリテラシーを持つことが重要であるという。
これはそっくりそのまま環境という言葉に置き換えても同じであると僕自身は思うし、データハンダイをはじめ各種のワークショップでしていることはその事への僕なりのチャレンジである。
平田さんの方からはおなじみの話だが、分かりやすかったのはアーティストの役割について日本と欧州とでの明らかな認識の差がある話。
もともとアーティストや牧師のような人は欧州ではすごく尊敬されているがそれには理由がある。本当は市民全員が常に神の事や生きる事死ぬ事について考えているべきなんだが、忙しい市民にはそんな時間はない。だから牧師やアーティストに24時間そのことを考えてもらうことで、市民たちはその責務から逃れているというコンセンサスがそもそもある。税金による補助が投入されるのも理解されるという事である。しかし、日本ではアーティストの成功例だけを持ってきてそうしたコンセンサスの部分は見過ごされているのでおかしな状況を生んでいるという。
長谷川さんの方からはデューイの芸術論などの引用しながら、ある人々の間で共有される尺度や日常のなかでのあるやり方が高まっていく事でアートが生まれるというコメントがあった。

その後の議論では市民芸術を巡って意見が戦わされたが、水越さんから振られて僕もいくつかコメントをした。

議論の中で市民芸術については以下の意見が出た。
「プロフェッショナルはより力を持ち、それを見せなければいけない」というのが概ね平田氏の意見。
それに対して、「どこからがプロの技でどこからがアマチュアの技なのかという事の線引きがだんだん難しくなってきている。」というのが市民芸術側の意見。
平田さんとしては、プロがプロ意識に欠けて力を見せなかったから、アマチュアとの線引きが難しくなってきていて、もっとプロは研鑽してその力を誇示するべきであるという警告が根底にあるのではないかと推測する。
概ね僕もその意見には賛成で、見て圧倒的に違いの分かるプロの力というのは眼前としてあり、そこで重要になってくるのは表現のオリジナリティである。
しかしもう一方で集積する事で価値を持つような表現があるというのも事実で、一つ一つのオリジナリティを問わないのだが、多様性を持つ事に価値があるものもある。
どちらかといえば、こちら側に市民芸術としての可能性を感じている。
僕たちが『マゾヒスティック・ランドスケープ』で収集した事例も、赤瀬川原平氏のトマソンも、メイドイントーキョーもブログもyou-tubeもこちら側で、一つ一つの質よりも集積の中から見えてくる「傾向」や「方向性」にオリジナリティがある。
そうした意味では市民芸術の可能性としては作家自体のオリジナリティをそれほど問わないが、何らかの表現を集積して発信するような仕組みを作る事で開かれるのだろう。
須永さんは表現かどうかを決定するのは表現者が相手を意識しているかどうかだという定義をしていたが、必ずしもそうでは無い場合もあるのではないかと思う。
例えばアウトサイダーアートでの表現者や園芸を道端で出す人、スーパーと自動車教習所をセットで立ててしまう施主や建築家は必ずしも見る人を想定した表現という訳ではないのだろうが確実に表現としての面白さがそこにはある。そこで重要になってくるのは、そのような市民や誰かの行為を『表現』として見いだす人の存在である。
これはまさしくアーティストとアートプロデューサーの関係性と同じではないか。

アーティストのしている表現も一歩間違えばゴミのようなどうしようもないものである。それを見いだすアートプロデューサーが居る事で社会への参加を許されている部分があるのではないか。同じ事が市民が表現する市民芸術にもあてはまる。
それはプラットフォームを作ったり、システムを作ったり、それをプロデュースしたりと見いだす側が色々とテーブルを作ることで初めて価値を持つのである。
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by innerscape | 2006-12-16 01:33 | コミュニケーションデザイン

クランクアップ

長かった...。
そして楽しかった現場ももうこれで終わりかと思うと少し残念だが、本日のロケで全てのシーンを撮り終え無事にクランクアップを果たした。
(パチパチパチ...。)
流石に花束はないけど、感無量。
と言っている暇もなく、主演3人はあまりの寒さにガタガタと震えながらの撮影だった。
僕は最後の最後にちょこっとだけ車の中のシーンだったのでラクチンだったが、他の二人はこの寒い中設定が秋なので、薄着で頑張っておられた。

いやぁ...自主映画とは言え、皆さんの映画にかける気合いたるやすごいものあります。
本当に勉強させていただいた一年でした。
関係者各位どうもありがとうございました。

とはいえ、後は編集のお手伝いを少しと英語訳の製作、音楽の方も担当しているのでこれから大変ですが。
フェスと配給ルートも探さんとね。
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by innerscape | 2006-12-03 01:13 | 映画と演劇

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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