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私的風景の電脳記録
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デハEXPO開催+マチガイハンダイ

a0091712_137314.jpg本日はミッションハンダイアワードの日。
今回は「マチガイハンダイ」と称して、阪大の中のマチガイをたくさん探そうというのを行った。
やはりこの時期学生が少なかったというのと、テーマ設定が難しいというのもあって投稿数は激減している。
マチガイハンダイ

デハEXPOですが...
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by innerscape | 2007-02-22 01:20 | 情報デザインと風景

顔と貌

人はカオだと思う。
顔ではなく貌。
同じように“カオ”と発音するこの二つには大きな違いがあると思う。
顔は目鼻立ちの事である。
ハンサムであるとか美人であるとか言う目鼻立ちのバランスは顔の造りに現れている。
でも僕が興味があるのはそうした目鼻立ちの話ではなく「顔つき」の事だ。
どういう「顔」をしているかではなく、どういう「顔つき」をしているのか。
生まれもった目鼻立ちの様相ではなく、その人が何を見つめて何を想っているのかが現れた顔つき。
それが貌ではないかと思っている。

人は様々な表情をする。
笑いや怒りなどとはっきりと名付けられるような時もあれば、何とも形容し難い微妙な表情をしている時もある。
心の中が穏やかでなかったとしても顔を笑いのカタチに保つ事も出来るのだ。
演技のテクニックという側面だけで考えると日々訓練する役者には及ばないが、日常的に誰でもする行為である。
しかし貌は嘘をつく事が出来ない。
貌は顔とは違って簡単に作る事が出来ないと思うからだ。
その人がこれまで何を信じて、何を愛して、何を求めてきたのかという事が貌には現れている。
例え役者が演技で表情を簡単に作れるとしても、貌を作る事はなかなか難しいのだと思う。
だから常に良い貌を持ちたいと願うのだ。
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by innerscape | 2007-02-21 23:55 | 映画と演劇

自分と向き合ってみるかい?

またこの日が巡ってきた。
僕が生まれたとされている日、つまり誕生日だ。
不思議なもので、僕はその日に自分が生まれたという事を聞かされているから知っているけれど、実感があるかと言うとそうでは無い。ずっと連続的なアナログ時間の中で生きている感覚があるので、この日にパチッと「〜歳になりました」なんてデジタル感覚では捉えられないのがあたりまえだが、何だかリセットされた感覚があるのは1年の中で1月1日とこの2月20日と4月1日ぐらいなものである。
これが1年の中である程度ばらついていると、気持ちを切り替えるポイントとして使えるのだが、僕の場合はどうも上半期に集中するので下半期はダラダラと時を重ねがちだと思う。
誕生日から何か新しい事を始めると良いということを聞いたので、何をしようかと想いを巡らせてみる。
昨年はとりあえず求められるままに何でもしてきたが、今年はもう少し自分の事を大切に見つめてみようと思う。
自分を大事にする事。
普段からしているようだが、実はなかなか出来ていなかった。
自分を甘やかしたり、欲望や我を通す事ではなく、自分をしっかり大事にする事。
周りや情報に流されずに、自分としっかりと向き合う事。
ほんの少しでもいいから一日の中で自分のために時間を取る事。
家族や組織やチームプレーを考えるために、まずは自分が輝く事。
そうやって自分を大切に出来る人間が結局は人を大切に出来る人間なのじゃないかと思う。
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by innerscape | 2007-02-20 19:09 | 未来の自分との対話

フッコウスゴロクを作ってみた

a0091712_23224153.jpg一週間ほど前に中越復興市民会議の稲垣氏がCSCDにやってきた。
稲垣氏は中越地震から2年間、ずっと中越の中山間地域の集落復興について行政と集落住民の橋渡しの面倒を見てきている方で、彼なくしては今の中越の現状は無かったのではないだろうというぐらい中越にとって重要な人物である。
その稲垣氏がこの週末に目論んでいたのは「地域復興市民会議」というイベントで、地震以降に出来た団体も含めて中越復興市民会議がこの2年間活動を支援してきた50の団体が一同に介して交流するという壮大な会議である。
旧山古志村の村長(現衆議院議員)の講演や長岡技術科学大学の上村助教授、現在僕が作成している防災のストーリーブック「いのちをまもる智恵」でもお世話になっている室崎先生の講演などのプログラムが初日にあり、二日目の今日には150人の集落住民を対象に「物語復興ワークショップ」が開催されるという。
ふむふむと話を聞いていると、何とそのワークショップを僕にしきって欲しいと言う事でわざわざ来られたという事が判明した。a0091712_2323155.jpg
ちょっと待ってくれ、いくら何でも1週間前にそんな事を言われても...大体「物語復興ワークショップ」って何だよ...と内心不安になりながらも「何もしなくても居るだけで良いから」と言われて引き受けてしまった。とはいえ何もしないわけにはいかず、一日費やして「フッコウスゴロク」というツールをデザインした。

a0091712_23234684.jpg物語復興というのは僕も良く知らないが、先日のアメリカのサンタクルーズという都市でされたワークショップの中で出てきた言葉と概念らしい。
災害でやられた街を復興するのにどういう風景が展開されているかを極めて具体的に話し合いながら、文学のように進めていくワークショップらしいが、実際にはさっぱり分からん。
分からんのだが分からんなりに考えたのがこの「フッコウスゴロク」。スゴロクと言ってもスゴロクを遊ぶ訳では無く、スゴロクという体裁を取りながらみんなで盤面を作って行く事で未来のスケジュールをイメージしてみようという意図である。
誰のスケジュールかと言うことがなければイメージもしにくいだろうと10代から70代までのキャラクター家族を設定し、10年後の中越の幸せなある一日という事で、「どこで」「誰と」「何をして」過ごしているのかという事を極めて具体的にロールプレイしてもらうことを考えた。
現地に入ってから当日のワークショップのファシリテーションをしてくれる中越の方々に説明をしたのだが、皆さん目を点にされていた。それもそうだろう、やった事ないようなWSなので、ノウハウも無いだろう。中には酒に酔った勢いで「上がりが無いからつまらん」と喧嘩腰で筋違いな事を言う方も居られた。少し想像力を働かせれば理解出来るようなツールにしてあるがやった事ないことへ踏み出すのが怖い人も居るのだろうと理解し、そこは大人な対応でたしなめておいた。

a0091712_23243078.jpg実際に神戸と違い中山間地域の中で起きた地震だった中越の現状は深刻である。
地震が起こらず放っておいたとしても過疎と高齢化が進み、いつかは人が居なくなってしまう事が容易に想像出来てしまう限界集落がほとんどである。
村おこしだ、町おこしだと意気込んでみた所で、やはりこれを機に便利な都会暮らしを選ぶ人もたくさん居る。
いくら辺境の集落とはいえ最後の一人になるまでライフラインやインフラを維持する必要があるため、都市計画や世界規模のエネルギー問題、コンパクトシティの観点から言うと集落自体を安楽死させる方が効率は良いのだと思う。実際にそうやって全村が市街地へ下りてしまった集落もいくつかはある。
集落の人たちが考えている、「今までの暮らしをずっと守り続けたい」、「これからも発展し続けたい」という夢を煽る事、あるいは都市計画的なスタンスで「山を下りなさい」というリアリズムを唱える事。そのどちらが正しいとも思わないが、少なくとも今まで先送りにしてきた問題を今、当事者達が考えてみるという事は必要な事だと思う。

a0091712_2325517.jpgそう思ってワークショップをしてみた。
実際にファシリテーター達の心配をよそに、ツール自体は大盛り上がりを見せて、皆さん面白かったと口々に言ってくれた。しかし、本当に大切なのは10年後の未来をリアルに想像しながら殿方向に向かって一歩を踏み出すかという事である。その読取の作業はツールの改良とともにこれからも続けられなければ行けないと思う。
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by innerscape | 2007-02-18 23:20 | コミュニケーションデザイン

王様のまなざし

a0091712_0231038.jpg今日は朝から新潟へ飛ぶ。
僕は飛行機が好きだ。
空港に来ると“旅が始まるのだな”といつもワクワクする。
そしてシートに腰をうずめ、いよいよ空へ駆け上がって行く瞬間には何とも言えない高揚感を味わうのだ。
空から見下ろした街には地上で感じる匂いが無い。
全て同じテクスチュアに変わってしまった道路や住宅や超高層ビル。
地上の風景に入り込んだときに感じるあの空気感は飛行機の窓ガラス越しからは伝わってくる事はない。
むしろいつも都市計画をする時に向き合う地図から得る感覚と同じで現実からどこか遊離した感じがする。普段僕たちがしている都市計画の眼差しはこんなに現実感に乏しいのかと改めて感じる。
でも一方でその浮遊感が人が生きている街の匂いや温度の中に浸かっているだけでは決して辿り着けない問いを浮かび上がらせる事も多い。「高さ」という垂直方向への変化が、人間の認識に大きな影響与える事を再認識した。
a0091712_023446.jpg古くから権力者が街を見下ろす高台を好むのは、市井の風景の中に入り込んでいては些末なことに目が行き過ぎてしまい、街を統べる事など到底出来ないからなのだと思う。そう考えると高くから見下ろすというのはある種権力者に与えられた「権利」であり、だからこそ街の全体を考えるという「責任」が生じていたのだと思う。
でも今の世の中ではこうして簡単に飛行機に乗ることが出来て、飛行機に乗らずとも誰でもグーグルアースで世界中の街を見下ろせるようになってしまい、昔の王様と同じような権利を得てしまった。さてその時に、僕たちの中に権力者と同じような街への責任感をどれだけ持てているのだろうか。そんな事を考えているうちに足下の街は次第に雲に包まれていき、もっと完全に抽象化してしまった雲の上の世界へたどり着いてしまった。
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by innerscape | 2007-02-17 23:22 | 景観

ファッション/象徴という機能

a0091712_015487.jpg映画音楽を協同制作している友人が勤める大阪文化服装学院の卒業制作のファッションショーへ今年も招かれて行ってきた。毎年京橋のツインビルでショップの模擬店が開かれ、MIDシアターでファッションショーが行われる。
会場デザインをしないかという話も以前持ちかけられたが、結局実現しなかったのでせめて毎年顔を出すようにしている。
今年は大阪文化服装学院だけでなくイタリアフィレンツェのポリモーダ校の学生の作品が出展されていたが、レベルの違いに驚いた。流石に同じ路線で攻めていると日本人はいつまでも勝てないような気がする...。

a0091712_0155898.jpgファッションデザインはデザインの中でもかなり特殊なジャンルだと僕は感じている。
気温変化や怪我から身体を守るという本来的な「機能」からの分化がかなり早い段階から行われていて、もはや高度な表現芸術へと文化しているものだけが指されているかのようである。
デザインの中でも機能的解決というよりも個人から出発する表現が優先されるアートに近い分野なのだろう。
学術的な観点や歴史的な知識は僕には皆無だが、ファッションデザインがそうなった理由は大まかに言うと二つあるのではないかと考えている。

それは...
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by innerscape | 2007-02-03 00:16 | ランドスケープデザイン

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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