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私的風景の電脳記録
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集客都市デザイン研究会vol.01 開催

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昨年度から参加していた大阪府立大学の「ニューツーリズム産業研究会」を、今年度から装い新たに♭で行うことにした。
その名も「集客都市デザイン研究会」。
吉田先生と二人で考えた名前だが、今までの研究会とは違ってもう少しくだけた感じのサロンにしていこうと目論んでいる。第一回目は元ミーツリージョナルの江弘毅さんをゲストによその人を大阪へ案内することについて話してもらった。


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まずは主宰の橋爪紳也先生から会の趣旨と、他国での事例紹介が行われる。
ドイツで百貨店をスクォッティングしたアーティスト達から生まれた観光スポット、そして一緒に行った韓国のプラトーンの取り組み事例を紹介。
行政にひっついて芸術家が何かをするのではなく、勝手にし始めたことを後から公がサポートする
というスタイルでないと面白いことにならない。
♭で僕たちがしている試みもその延長線上に位置づいてほしいと激励とプレッシャーのお言葉が。
サポートは観光産業戦略研究所はじめ様々な形でしていただけるようで良かった。

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そして、その後20分ほど♭のプレゼンテーションを僕から行う。
なぜこの場所を選んだか、そしてどうやってこの場所を獲得して来たのか。
そしてこれからどうしようとしているのか。
かなり大風呂敷を広げて話しているが、若造の語る言葉を来場者の皆さんは暖かく聞いてくれた。

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本日のゲスト江弘毅さんのお話が始まる。
非常に知的で観察眼鋭い街の見方に舌を巻く。
僕が考えていることとほぼ同じこともあったし、新たなに学んだこともたくさんあった。
しかし、多くは共感の嵐。

ミーツリージョナルのような地域情報誌ではやはり食べ物から街を切ることが多く、その観点から主に話されていた。

フランス料理などは実は記事にとてもしやすいジャンルで、タコヤキやお好み焼きは記事にとてもしにくい料理。なぜならばそれは記号化出来るかどうかという部分にかかっているからだ。

このフランス料理店は○○産の肉をつかい、○○で作ったソースをかけて、○○という銘柄のワインとともに出す。
そういう記事は何か料理が分かった気になりやすいし、味への想像力も膨らむ。

しかしお好み焼きの場合は、小麦粉○○グラムに、豚肉○○枚、キャベツ○○グラムと書いても何らその店の良さを伝えることにはならない。なぜならば、その店の雰囲気や、店主のこだわり、接客の方法など総合的な空気で店の味が評価されるような食べ物だからだ。
タコヤキに至っては特集を組むことすら意味がない。
なぜならばタコヤキはわざわざ食べに行くようなものではなく、ある街へ出かけた時についでに食べるものであり、街の文脈やその時の身心の状態などに左右されるようなものだからだ。
それは決して記号化出来るようなものではない。

街を記号化して捉えることには僕自身も疑問を持っている。
反対に思い切り意図的に別の方向へ記号化してみることで、ある記号化から逃れようとする試みもいくつか僕自身の実践の中にはあるが、食という観点では考えたことはなかった。

一つ面白かったのは、割烹料理の話だ。
割烹は大阪が発祥らしい。

割烹料理は客も食べたいものが決まっているわけでもなく、料理人も出したいものが決まっているわけではない。訪れた客が、料理人に今日の旬の食材は何か聞いて、それをどう調理して食べるか互いのコミュニケーションの中で決めるのだ。
ファーストフードの正反対の料理。
記号を全て外した中から生まれてくる料理が割烹だ。

どのような調理方法でも提案出来る高度に専門的な技術が料理人に求められるし、客の方もコミュニケーション能力が必要だ。
互いに答えを持っていない状態から、やりとりで答えを探して行く。
それは最初から解答があるわけではなく、その場で最適解を見つけて行く方法論だと思う。

僕が♭で試みていることも、自分の人生で試みていることも同じだ。
最初から何かやりたいことがあるわけではなく、誰かとの出会いや相手が自分に求めてくるものの中から最適解を見つける行為。
その自由度と敷居の低さを担保したまま、クオリティを下げないということはかなりのセンスと技術が要求されることだと覚悟している。

その後、いつものように懇親会として♭から料理をふるまう。
しかし張り切りすぎたのと、キャンセルが非常に多く、かなりの赤字が出てしまったので、次回からは大幅に見直さないといけないと思った。

撮影:山本嘉寛
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by innerscape | 2010-05-26 02:11 | 極東EX

知り合いと友は少し違うと思う。
知り合いでも腹を割って話せると思うし、一緒に楽しい時間を過ごすことも当然出来る。
一緒に仕事することもあるし、プライベートで付き合うことも出来るし、熱く語り合うことだって出来る。
じゃぁ何が一体知り合いと友を隔てているのか。
あくまで僕の場合だが、僕にとって友と言える人は損得でつきあいたくない人なのだと思う。
自分が損してもこの人と時間を共有したいと思えるかどうか。
そしてそんなことを考えることすらしない相手。
そんな相手が僕にとって友と言える人なのかと想う。
そしてここは重要な部分だが、相手もそうであることを求めたい。
しかしこれがなかなかうまくはいかないのが現実だ。
だから僕には友と呼べる人が本当にとても少ない。

同士はまた少しニュアンスが違う。
同士は何か目的を共有している相手だ。
目的を共有している間は損得ではつきあわない相手だが、目的が果たされると一度リセットされる間柄だ。
その回数が多く、コミュニケーションが深くなれば友になる可能性はある。

ネガティブな感情を誰かと共有することは日常生活の中でなかなか難しい。
自分がネガティブな時には相手に迷惑をかけてしまうこともあるからだ。
しかし僕にとって友と言える人はそれを受け入れてくれる人だ。
それはある意味、家族や恋人に近しい存在なのかも知れない。
多少ではないレベルでわがままを言える相手なのだ。
というよりも相手のそういう部分を察知して理解して、それでもちゃんと側に居ようとする相手。
それが僕にとって友だ。
自分の人生においてそれはとても得難い。
ある意味、人生の伴侶を見つけるのと同じぐらい難しいことだとも想っている。
だからそれを信じた相手は自分にとってはものすごく貴重な相手だ。
何があっても助けねばならないし、何があっても心の支えにしたい。
家族と同じかも知れない。

だから僕の友であり続けるのはきっと大変なのだと想う。
僕が友であると想っていた人でも離れて行くことも多い。
旅人の僕にとってそれは仕方ないことだと思っているし、それはそこまでなのだ。

でも僕の友であり続けようとしてくれる人には僕も友であり続けなければならない。
そして友とはくっついたり離れたりするようなものではないとも思っている。
それは決して物理的な距離ではなく心の距離だ。
どちらかの気持ちが一度離れればそれはもう友ではなく知り合いか同士か場合によっては敵になるかも知れない。
誰も信じていなかった頃はその感覚が分からなかったが、最近はぼんやりとそんなことが見えるようになってきた。少しは誰かを信じられるようになったからか。
でもやはり僕には友は少なく、友で居てくれる人は貴重なのだ。
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by innerscape | 2010-05-19 20:39 | 日常

「こうべイクメン大賞」へのご協力願い

6月20日の父の日にあわせて「こうべイクメン大賞」を三宮センター街にて行います。
こうべイクメンとは育児を積極的に率先して行う男性、育児を楽しんで行う男性のことで、お父さんだけでなく、関わる全ての男性のことを言います。

僕の旧友である藤井淳史さんを中心に、僕も参加するこうべイクメン大賞実行委員会が行うイベントで、100人のイクメンを集めてイクメン認定を行うことを目論んでいます。
自薦、他薦は問いませんし神戸の方でなくても大丈夫ですので、「我こそは育児に関わる男性だ」という方は是非、下記のアドレスの応募フォームからイクメン登録していただければ幸いです。

こうべイクメン大賞募集要項

こうべイクメン大賞ウェブ応募フォーム
http://www.kobeikumen.com/form.html

男性が育児に関わる機会が増えることは、女性の社会進出やワークライフバランスの問題も含めて様々なメリットがあるとおもいます。また、それは父親だけではなく地域教育として街ぐるみで子供を育てて行くという文化が再び育つようにこうした取り組みをしています。
人生のキャリアパスは一つではなく、様々なライフスタイルや職業選択があって良いと思うのですが、地域で子供を育てるメリットは、子供が小さい頃から様々な大人に触れコミュニケーションを図ることで固定化された職業観や人生観ではない多様な個性と人生にふれることかと思います。

育児にかかわる様々なエピソードを集め、それを共有するところから我々としても始めたいと考えてますので、是非ご協力いただけますとありがたいです。

神戸新聞掲載
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by innerscape | 2010-05-12 13:11 | インフォメーション

愛と孤独と信頼と

今日はコンペ終了後の打ち上げが意義深かった。一緒にしていた山兄さんの洞察力と理解力に本当に脱帽です。何よりも慈愛に満ちたまなざしにここ数日の心労や不安が随分と楽になりました。心から信頼と感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。

面白かったのは、人間のタイプを音楽のジャンルで例えるアナロジーを二人で発見したことかな。彼はブルースで、僕はサウダージのボサノバだということが判明。何かをあきらめたブルースと、いつまでも何かを探すサウダージの違いはあるが、共通点は孤独の共有かもしれない。ロックほど熱くなれず、ジャズほどクールでもいられない二人は、きっと似ているのだろうが、人とつながれない孤独感を受け入れるのか、それとも幻想を抱き続けてあがくのかのスタンスの違いはある。 もちろん、僕は後者なのだが。
人とつながることをあきらめられない僕はきっと現実の厳しさをちゃんと見据えることに抵抗している子供なのかもしれない。ただ、そんな僕を理解し、慈しみの眼差しでサポートしてくれる存在が居ることに救われる。 その事からは逃げ出してはいけないのだと思う。
僕の関心ごとはもっぱら、人は何を愛するのか、そして自分はどうすれば愛されるのかということなのだが、一方で愛されることを恐れているフシもあり、すぐに愛から逃げ出してしまう。 必要とされる場へ行くが、必要とされなくなるとその場に居場所を見出せずに去るのは僕の悪い癖のようだ。
居場所は本当はあるにもかかわらず、そこに居ることが怖くなり逃げ出す。結局は孤独な状態を求めているのか、そうでないと不安なのかもしれない。孤独が不安なのに、孤独でいないことも不安だというのはアンビバレントな存在でそれが、自分のサウダージ感をだしているのだろうか。

普段は赤レンジャーで居ることを求められることが多いし、実際はその方が得意なのだが、呑気な赤レンジャーで居ることの虚しさも知っている黒レンジャーが僕であり、それを共有できるのは全体を常に観ている緑レンジャーである彼なのかと改めて確認した時間だった。
黒レンジャーは戦隊には加わらない。一時は共に闘うが、敵が去ればまた独りに戻るのだ。黒レンジャーは必要とされなければやって来ないし、時には敵になるかもしれない危険性もはらんでいる。 なりたくてそうしているわけではない。そうせざるを得ない生き方なのだ。それはきっと理解出来ないだろう。
結局は誰も信じていないから孤独で、それをあきらめていないからさらに孤独なのだ。だから誰かを信じられた時には至福の時間だし、信じること自体がとても貴重で奇跡的なことのように思われる。その分それが裏切られたり、喪ったりした時の喪失感は半端ではない。だから簡単に人を信じないのだ。

それでも信じられる人は居る。確実に居るのだ。ここ数日は個人的に人を信じられず、信じられないという絶望感を味わう出来事があったりしたのだが、今日の彼との会話で随分と楽になったし、信じることの素晴らしさを改めてかみしめた。僕の根底に流れるサウダージを理解し慈しむ友がとても嬉しい。

本気でつきあえる人物は誰なのかを見極めることは大切だ。繰り返すようだが、こちらが誠意を持って必死に生きていることに、誠意を持って接してくれない相手は付き合うに値しない。それはいかなる理由があろうとだ。反対に誠意に応えてくれる相手には命をかけてもまた誠意でこたえなければならない。
信頼関係を築くのは簡単では無く長い年月や苦楽を共にすることが必要なこともある。しかし一方で、たった一つの誠意を欠いた行為が簡単に簡単に信頼関係を崩すことがあるのだ。自分がそれをしてしまった事に自覚や反省がない人物とは本当に付き合うことは出来ないだろう。

そして、そんな事がよく起り、その度に人の世を嘆くことを繰り返すうちに自分の中にサウダージが培われたような気がする。役者として陰のある役を求められる事が多いのはそういう自分が見抜かれているからかもしれない。それはなんとなく自覚している。
ここ数日は、信頼とは何か、誠意とは何か、誰が自分の誠意に応えるのか、そして誰の誠意に応えるべきなのかということを巡って、とても考えさせられる日々だった。信じていただけにとても傷つき消耗した時間だったが、最後にこうして信頼に足る人物と時間を共有出来たことは、本当に救いになった。
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by innerscape | 2010-05-10 10:02 | 居場所の獲得

ベリーロールの短編映画

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人見知会でもご一緒しているベリーロールフィルムさんから短編映画のオファーがあった。
20分ぐらいの作品だが、2日かけて撮影する。
脚本をもらい、別日で読み合わせを一回終えて本番を迎えると脚本がかなり変更になって、台詞が半端無く増えていた。

若年ホームレスの問題を扱った短編でもあり、たった3人しか出演していないが、それぞれの持つ社会への参加の仕方や社会性について考えさせられる内容だ。
ちなみに僕の役どころはかなり最低な男なのだが(笑)。
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現場では緻密にリハーサルを重ねて演出がつけられていく。
台詞も大きく現場で変わるのが演劇と違う醍醐味だ。
結局は映画の現場が好きなんだな、きっと。

全編アフレコというのも楽しみ。
ただ1日目にうっかりしてかなり日焼けしてしまったので、2日目のカットとつながらない心配が。
2日目はファンデーションと日焼止めを思い切り塗ってなんとか誤摩化したのだが、ラッシュ映像見てないのでちゃんとつながっているかどうか。
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by innerscape | 2010-05-03 22:51 | 映画と演劇

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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