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私的風景の電脳記録
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「街」と「温泉」と「恋愛」についてのトークに出ます

なぜか下記のようなテーマでトークッセッションに参加することになりました。
ご関心ある方は是非。


「ナレッジキャピタル木曜サロン~会話は人生の楽しみ~」

ホットな夏に、ランドスケープアーティストと温泉ソムリエが、
「街」と「温泉」と「恋愛」をキーワードにトークセッションを展開。

多くのみなさまのご参加をお待ち申し上げております。


■開催日時
2011年8月18日(木)19:00~20:30

■受付開始
受付18:30~

■開催場所
株式会社ナレッジ・キャピタル・マネジメント(KMO)
KMOサロンスペース
大阪市北区梅田1-12-39新阪急ビル9F
TEL:06-6342-8976

■会  費  
お一人様1,000円(ドリンク、おつまみ付)


サロンテーマ
「ランドスケープアーティストと温泉ソムリエとのコラボレーション」

日時 平成23年8月18日(木) 19時~21時
場所 KMOオフィス
http://www.kmo-jp.com/corporate/

プログラム
19時~ トークセッション
 花村周寛(俳優・ランドスケープアーティスト)
 山口貴史(温泉ソムリエ)

20時~
 立食形式の懇親会 会費 1000円
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by innerscape | 2011-08-18 13:14 | インフォメーション

ユーモアと孤独

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先日出演した堺Twitterサミットの様子を関西ウォーカーTVでたまたま見てしまったが、自分のプレゼンがかなり雑だと反省。

当日のプレゼン映像とトークセッションの様子はこちら


やっぱり2時間の内容を20分で離すのはちょっと無理があったかもしれない。
話す内容は変わらないが、2時間ぐらいあればじっくりと観客の皆さんに話を解釈させる時間があげれるから理解度は少し進むのではないかと思っている。
関西ウォーカーの玉置編集長からは、この内容を3分にしてR1に出ればいいんじゃないかとのお言葉をいただいたが、非常に興味深い。
びっくりしたのは僕のプレゼンから「バカリズム」を読み取ったことだ。
僕自身はバカリズムの升野さんのファンで、その手法も前々から通じるものがあると勝手に思っていたのだが、僕の一回のプレゼンでそれを読み取るのはかなり深い洞察力と想像力があると舌を巻いた。

クリエイションの参考にすべきイメージや領域は離れているほどいいと考えている。
その方が一旦アイデアを抽象化することが出来るからだ。

ピン芸人とランドスケープデザインはおそらくほど遠いと思うがそこに共通性を見いだせるのはかなり高度な抽象性を備えた視点で、玉置編集長の感性には正直びっくりした。

僕自身は自分の風景異化の表現を考える上で実は笑いを参考にすることが多い。
質の高い「笑い」は芸術と同じく批判力を持っていると思うからだ。
消費的な「お笑い」ではなく「ユーモア」というのは何かを揺るがす。

質の高い笑いというのは、我々が共有している常識やコモンセンスから少し外れた状態を表現するもので、そのためには共有されている常識とは何かということをちゃんと分かった上で、それを一瞬で相対化し感じさせねばならないからだ。

実に高度なテクニックなのだが、「お笑い」というくくりにされてしまうことで消費的に扱われるのが残念だ。
北野武などももともと笑いから映画表現に入っているが、おそらく本人の感覚の中では表現の違いはあれどやっていることはほぼ同じ事なのだと思う。
様々な表現で同じ感覚を描こうするのは僕も同じなのでとても共感出来る。
表現したいものの抽象度を一つ上げれば表現媒体は実は自由になる。


ユーモアは人の根底に横たわる哀しみや孤独と闘うための武器だ。
シリアスな状況に対してシリアスに向き合うことだけが全てではなく、僕自身はユーモアを持って闘いたい。

ユーモアを表現するためには、根底に人間としての孤独や哀しみが横たわっているかどうかが重要だ。己の我欲を満たしてもその哀しみが消える事はなく、ますます募っていくだろう。人は誰かの為に生き、誰かと共に生きるほんの一瞬だけ、哀しみから開放されるのだから。

組織や官の論理はどうしてもそうした孤独や心の問題を隅に追いやりつつ、人間を単純化して扱わねば成り立たない。 僕はどうしても個人という所からしか出発出来ないので、組織や官の理屈とは時々相入れないことがある。それを子供の理屈だと言うのであれば、それでも構わない。

大人というのはなろうとしてなるものだ。それは社会的な演技によって得られるもので、それを剥ぎ取れば人はみな子供だと思う。しかし、大人を演じているうちに自分の子供の部分を見つめる事が怖くなってはいないだろうか。見たくないと隅に追いやった幼児性は抑圧されて歪な形で噴出しなければいいが。

子供である事を受け入れて大人を演じる。それは哀しみや孤独を知った上でそれでもポジティブに生きるという態度に通ずるのではないか。

社会は単なる個人の集合ではないし、個人という概念ですら本当に成立するのかどうか怪しいのはちゃんと理解している。しかしその上であえて個人的な孤独感や情念、感情の表出ということから考えてみる重要性については全ての作家と共に唱えて行かねばならない視点だ。

「景観」の問題は社会的な事だが、「風景」の問題は個人的なものだ。僕は景観ではなく風景から考えたいといつも言うのはその視点に立っているからだ。これは今までの官の理屈で進められてきた都市計画やまちづくりなどとはひょっとすると相入れないかも知れない。

恐怖や孤独を克服する為に人は集まり寄り添い生きている。しかし、一方で集まり、寄り添う事で新たに生まれる恐怖や孤独というのもあるのだと想う。その時には再び離れてみる距離が必要だ。風景異化とはそこまでのスケールを持って語られねば意味がないだろう。

人間が生まれてから死ぬまでの時間に精神的に経験できることは今も昔もそう変わりはしないだろう。
愛して、憎んで、喜んで、哀しんで。そしてようやく昔の人が既に行き着いた感覚や認識に辿り着く頃には人生が終盤を迎えているのかもしれない。
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by innerscape | 2011-08-15 11:17 | 私的詩

表現と名実と

表現とは最終的にその人がどういう生き方をしているかという事に尽きるだろう。僕が工場に住みながら色んな人と場と時間をシェアし、助けてもらいながら知恵や価値を交換するのは生き方であり僕なりの表現なのだ。小手先の表現技術の問題ではない。生とどう向き合うかというアティチュードの問題だ。

事業化してもっと効率良く儲ける事も出来るのにと言う人も居る。美味しい目が見れるかもと期待をかけてくっついてきたが、いつまでたっても事業化しない事に愛想を尽かして離れた奴も居る。何が魅力の本質なのか見抜けず事業化しようとしても底は見えている。

生き方だ、表現だと何事も口で言うのは簡単だ。しかし本当にリスクを背負い、粘り強く耐えながらそれを実践していく事は困難だ。実践し行動し創造し続ける者の言葉にはリアリティが宿る。口先で理念ばかり唱えられがちな社会だからこそ体現することの重要性を噛み締める。

今のマスメディアは名実の価値を逆転させているように思える。実を行う者に光を当てることで名を得ていくプロセスが本当の道筋だ。しかし名を与える事でその者に実があるかのような錯覚を起こさせているのが現状ではないか。名には流行りや賞味期限があるが、実には地道な生き方が伴わねばならない。

プロデュースという言葉をはき違えてはいけない。 実に名を伴うようにするのがプロデュースであって、実がないものに名だけ与えることではないのだ。しかし、人は簡単に名があるものには実があると思ってしまう。ブランディングの逆転現象が起こっている。

今はこうして耐え忍びながら実を積み重ねていく。名は僕が作るものでは無いし、周りが価値を認めていないのであれば名など出来るはずは無い。今の自分に名が伴っていないのは、実が足りないか、価値を認める人が少ないということだと受け止めている。しかし、名の有無とはべつに実とは生き方だ。

名は業界というコミュニティから始まるのだが、一定間隔で旅をする自分はコミュニティの中で名が上がる事が無い。自分が実を行っていないとは思わないが、どの業界においても、誰も僕のしていることを知らないので評価のしようがないのは仕方ないだろう。

ただ名を伴なっていない今、自分の実を評価してくれている人間は貴重だ。名が伴なってから寄って来る人間には、実を見ている者も居るが、名だけを見ている者がほとんどだと思うからだ。そういう者は名の賞味期限が切れればすぐに離れて行く。「杜子春」の中にそういう者がたくさん描かれている。

自分だけの利益のために人を利用する者を悪人というのだ。 例えそのつもりはなくとも結果としてそうなってしまったとしてもそれは同じ事である。それを挽回するためには今度は相手の利益だけを考えてするぐらいの事をせねばならない。しかしそんな動機で動ける人間はなかなか居ないことを嘆く。
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by innerscape | 2011-08-15 10:36 | 未来の自分との対話

「ANIME GRAPH」プロデュース&デザイン

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極東EXプロジェクトの中に、ハナムラチカヒロとアニメーター吉田徹とのユニット「極東EX第七区」がある。その第七区として作った「ANIME GRAPH」がもうすぐ発売される。
吉田徹アニメーター30周年記念のいわゆる同人誌にあたるのだが、今回はハナムラがデザイン及びプロデュースをして第七区として世に出すことになる。
6月にハナムラの総合プロデュースで行なわれた「こうべイクメン大賞」でお披露目したミライスゴロクに続く第2弾のプロダクトなのだが、今回はちゃんと販売までする。

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手始めは8月13日から東京はお台場で始まるコミックマーケットにて。
僕はオタク業界の事はおろか、アニメもほとんど見た事がなかったので、各アニメーターさんたちから集まって来た原画を編集する中で色々と勉強させてもらったが、きっとマニアの方々には垂涎ものなのだろうなと思いながら、マニアのためだけにならないように全体のコンセプトとデザインを行った。

吉田さんが当時作画監督を務めた「ボトムズ」という作品に出てくるロボットを表紙にして全体をコロニアルなイメージの世界観に降ったのだが、なかなか良くできたと我ながら。
表紙にはガツンと活版印刷も施されている。
もちろん♭一階の印刷工場で刷っている。

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コミックマーケットでは予想を遥かに上回るかなりの部数が出回ってしまったので、品薄状態なのでがまだこちらに販売出来る数はあるので、もし欲しいという方が居られればこちらのフォームで是非申し込みを。

ANIME GRAPH
価格:2000円+送料
極東EX第7区プロデュース

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by innerscape | 2011-08-14 14:26 | インフォメーション

インスタントな覚悟など要らない

本気とか覚悟とか、本当の感情とか。
関係性が出来ていない時にそういうのを強要するのはある種の暴力だろう。
誤解を恐れずに言うと人とは「社会的な演技」をしながら互いに歩み寄っていくものだと思う。
相手が自分を傷つけないか、自分は相手を傷つけないか。
またどの距離が一番適切か。
そういう事を図りながら徐々に歩み寄って行くのだ。
コミュニケーションのあり方もどんどん間接的になっている。
会って話すよりも電話で、電話で話すよりもメールで交わす方が生の相手と向き合わずにすむ。
すっかり恐がりになってしまった時代を生きる我々はそうやって何かを通して、時間をかけてコミュニケーションを取って行く。
そういう時間が待てずに「本気」だとか、「覚悟」だとか「迫力」だとか。
一足飛びに生のコミュニケーションを期待するのはかなりな時代遅れではないか。

大体そういうことを言うのは未成熟なまま偉くなってしまった大人たちだ。
「お前の本気を見せれば助けてやらんでもない。」とでも言いたげな態度で迫って来る。
ましてや偉くもなっていないのに、権威的に振る舞いながら「君の本当の感情を見せろ」等と言う者は何も自分を客観視出来ていない未成熟な態度を取っているとしか言いようがない。
迫真の演技を求める映画監督や演出家に多い態度だが、それを役者にダイレクトに要求するのは、演出としてほぼ自分が無能だと言っているようなものだ。

偉くなってしまった人に言いたいのは、誰かからの素直な感想や批判が直接耳に届くなんて期待しないで欲しいという事だ。 もしそういうのを期待するならば、相当リベラルな空気を出さないと難しいだろう。権威的に振舞っていて素直な意見が欲しいなんてとんでもない。

そうでなくてもあなたには様々な社会的な記号がそこに張り付いているのだ。
それが無言の権力を持っていることをちゃんと自覚しているのだろうか。
それを自覚しつつ乗り越えてこいとでも言っているのだろか。
我々はあなたたちが若い頃にそうであったような反骨精神がすっかり抜け落ちているのだよ。
あなたたちがこしらえた土俵の中で勝負しようとは思っていないのだよ。

若者が出ぬように叩いて潰して来たことを棚に上げて、「今の若い奴には覇気や迫力がない」などと言う態度を我々が冷ややかに見ていること。
それが分からぬぐらいあなたたちは愚かなのだろうか?

覚悟というのは誰かに押し付けられて生まれるのではない。
迫力は持とうと思って持つものではない。
本気とは意識して生じるのではない。

それは悩みながら自分を見つめる中で静かに生まれて来るものだと思う。

迫力があるかのように見えるパフォーマンスとして政治家は対抗する政党に覚悟を問う。
しかし、こんな複雑な時代の中で簡単に覚悟を決めて進めるはずもなかろう。
悩んでいて瞬時の決断など出来ませんと言うことも一つの誠意の現れではないか。
我々は生産性を上げるために事を急ぎすぎている。
インスタントに生まれる覚悟等いらない。
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by innerscape | 2011-08-08 01:25 | 未来の自分との対話

ツイッターメモ

ツイッターが意外と思考整理に役立つが、消えて行ってしまうのでブログに整理する。

■「建築と都市計画と美術と造園の間に、そのどれでもない領域が見出せれは非常に有効なサジェスチョンになるだろう。」八束はじめ それがランドスケープという領域だと思いたい。以上、造園とランドスケープの違いを巡ってのメモ。 かなり今更な説明だが。


■しかし気をつけねばならないのは、こちらがリベラルな空気を出していることにつけ込んで、かなり失礼な態度を取ってくる者が居ることだ。権威や権力を使ってねじ伏せる態度は大嫌いだが、逆に権威が無いという所に付けこんで相手に敬意を持って接する態度が持てないのも同じ罠にはまっている。

■僕にとって詩を書くとは漂っている言葉をうまく捕まえるという行為のように思える。何かを捏造したり、何かを虚飾するような事とは違う感覚がある。

■権力で従う人の力よりも、誠意に打たれて動く人の力の方が尊いものだと思う。

■国会が演劇の舞台にしか見えない。 ゲームか何かをしているようで、リアルなやりとりに見えないのはなぜだろうか。

■キャナルシティ博多はジョーンジャーディのデザイン。六本木ヒルズ、なんばパークスと同じデザイナーで空間性もほとんど一緒なのだが、楽しげなのはやっぱり水がふんだんに使われているところかと。

■ジャーディ建築は周辺環境に対してほとんど関心がなく、中に設けられたラビーン(谷)によって自己完結的に空間演出されていることかと。いわばテーマパークの一種ではあるが、少しだけ違うのは土地のコンテクストは反映されていること。

■ヒルズは建築的にもアップダウンが設けられた丘(ヒル)になっているし、なんばパークスは大阪球場の跡地としてスタジアムの形状を踏襲する形になっている。キャナルシティは川縁にあることから水のイメージで繋がれている。外部環境への眺望や視覚的なつながりはあんまり持たないが文脈的連関がある。

■副首都の候補地として超党派議連から関西圏が上がっているが、当然議論の中に福岡はじめ北九州というのも挙げられているだろう。新幹線開通も含め、韓国やその他アジア諸国としてのゲートウェイ機能もある場所なので、ポテンシャルは高いはず。マルチリンガルも大阪より進んでいる気がする。

■博多ラーメンはもはや博多だけの文化ではなくなったな。長崎チャンポンが全国に広まったのと同じか。食のグローバリズム(というほどでもないが...)は嬉しい反面、その土地ならではのモノって感覚が薄くなっていく。博多にある屋台システムは空間装置として土地性が担保されている。


■問題に対してシリアスに向き合うのではなく、ユーモアを持って闘いたいと常々思う。

■ポストモダンの人工楽園。テーマパークとの違いは無料で自由にアクセス出来ること

■人工楽園にかかるメンテナンスコストは膨大だ。しかもそれで聖性が獲得されているとは思いにくい。楽園を支える公共性は協働ではなく資本という形で担保されている。

■どんな楽園もずっと居続けられるものではないように思える。楽園の選択性と回遊性が重要か。そのあたりが観光と結びつく部分。 http://instagr.am/p/IMzuU/


■表現の好みの問題をさも普遍的な理屈があるように語る口調はどうも好きになれない。建築家に多いような気がするが(偏見かも)全部説明しないと気が済まないというのは何かに怯えているようにも見えて可哀想に思えて来る。


■バスというメゾスケールのシステムは旅行者には使いづらい。鉄道、飛行機というマクロシステムとタクシーというミクロシステムの組み合わせで都市内であれば大体行ける。都市内バスは主に都市のヘビーユーザーのものなのだろうな。

■何だかんだ言ってもそろそろポストモダンを見直す時期に来ている気がするんだけどな。市内にこれだからね

■天神中央公園の特徴は三方を高い建物に囲まれていることか。アクロスの目の前に済生会病院があり格好の視点場に。でもここでは霧はれては出来ない。芝の管理がかなり行き届いている。ランドスケープは余計なこと考えずにこれだけで十分なんじゃ

■寝そべれるというアフォーダンスだけ提供すればいいんじゃないかとも思う。 http://instagr.am/p/IM9as/

■で中はこうなのね。外は自然で中は人工的。外見は羊で実は狼的な... http://instagr.am/p/IM-UI/

■ポストモダンの作家ってどうしてシマシマ好きなんだろう。建築もランドスケープも皆一様にシマシマ。多様なはずのポストモダンって実は一様なのかも。 http://instagr.am/p/IM-zl/
7月22日

■コミュニティ再生って騒ぎすぎだろうとも思う。強制的に再生させねばならないものでもないような気も一方でしている。 気負わずとも、もっと自然で緩やかに形成される方法はないのだろうか。

■セグウェイジャパンの大塚さんプレゼン。モビリティ社会の中で有効な乗り物になりそうだ。一回の充電で約40キロ走れる。日本では道路交通法の関係で走れない。全世界で日本とイギリスだけが走れない社会になっている。やはり問題多いな日本の道路交通法。

■世界ではポリス&セキュリティで最も利用されている。後は空港とテーマパークでの利用が多い。 セグウェイツアーとしてハウステンボス、十勝公園、中部空港などで活用。

■モビリティ社会の中で本当に車のようなパーソナル交通手段が最適かと いうとそうではないという問い。 自転車よりも面積を取らずその場でも回転出来るセグウェイは移動手段としての可能性は高い。

■今年、つくば市でモビリティ特区が取れ、道路に本格的にセグウェイが走れるようになる。確かにこれが普及すればパーソナルモビリティが変革するかも知れない。 乗り捨て出来るセグウェイシェアリングなども可能になる。

■一方で今オムロンとしようとしている「歩く文化」の再生はこのセグウェイのモビリティとは少し違った方向性か。 セグウェイが歩くという身体感覚に近づくほど、歩くことを放棄する社会になるのではないかという危機感もある。 自転車の代わりになるモビリティツールとしての代替が妥当な所か。

■医療現場、警備の現場のようにすぐに駆けつけねばならない状況で非常に有効な乗り物だろう。自転車では入れないようなエレベーターなどにも入れるのでアクセスタイムが早まる。

■モーダルミックスの一つのチョイスとして有効だと思う。 後は使用感が非常に心地よいのでエンターテインメントやスポーツ的に使用できるのも特徴の一つだ。
7月23

■日本ではやはり街乗りが法的に難しいのが一番の難点。 後は段差を乗り越えれる仕組みさえあれば爆発的に普及するのではないか。

■自動車はEVの流れもあって小型化の傾向にある一方でセグウェイを大型化するのは容易。上海万博では二人乗りセグウェイが導入されたが、考え方は体重移動で操縦という考え方はそのまま。

■ディシプリンから外れた人をキワモノとして扱うのは簡単だが、その質やレベルはちゃんと見極めた方がいいのだろう。 ただのキワモノか革新者かの判断を自分が正しくできているかどうかが問われる。

■同じ事をしていてもただ己の為にある業界を搾取しようとするのか、それともその業界の可能性を開こうとするのかというスタンスの違いがある。ビジネスと称して弱い立場の者から搾取しようとするヤツは何人も見てきた。

■きっちりと説明して伝え理解と共感を得るというコミュニケーションの重要性が唱えられる一方で、はっきり断定せず曖昧にほのめかすことでより多くを感じてもらうというコミュニケーションの重要性も言われる。答えを一つにするのではなく適材適所なんだろうな。

■トリイホールを後に♭へ。 鳥居さんのお話はなかなか含蓄が深かった。宗教と街の成り立ち信仰心の崩壊による街の乱れについては思うところが色々とある。都市の霊性があまりにも軽んじられていることへの警鐘とも受け取れるが、学生にはちんぷんかんぷんの空気が流れてた。それを埋めるのが僕の仕事。

■そりゃミナミ活性化とか期待して来た学生にいきなり霊とか神とか宗教とか言われると引くのも無理はないだろう。 でも実は芸能や文化とは切れない関係にあるのだよ。

■宗教とか言うと途端に胡散臭くなってしまう空気が既にデフォルトの社会なのでズレがあるのも当然。 それよりもズレを感じているならば感じているとちゃんと言うべきだし、言えない空気が対話の場にあることの方がよほど問題かと。

■そこをちゃんと相対化するのが僕の役目。他の人は歳取って偉くなりすぎているので、ある種神格化か無視の対象になる。 年齢や感覚の近さって重要だし、その感覚をちゃんと届く言葉にすることも重要だと感じる。

■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。

■ランドスケープデザイナーは現代のシャーマンを目指さねばならないのだなと改めて想う。 最近は建築家ですら自然を読んで建物を作るのに、自然を作るとか標榜している我々はより鋭い感性で深く自然を読むことが必要だと思う。

■勝ち馬に乗ろうと取り入る様子は見るに耐えない。なぜ自らが勝ち馬になろうと足掻かないのか。


■自分はまだまだ常識にとらわれすぎているのかと改めて反省。 常識とは従うものではなく、観察すべき対象なのだ。

■世の中には山ほど天才が居て、大体そういう人々は常識など疑ってかかっている。だからといって常識を知らないのではなく、それを観察する対象として捉えていると思う。
7月30日 お気に入り 返信 削除

■常識を疑うためにはたくさん常識を知らねばならない。まだまだ自分には知識が足りない。学問知も世間知も。

■学問知だけある者社会の中での人間関係の機微が分からないことが多い。世間知だけある者は世間の枠の中でしか捉えられないことが多い。 どちらもバランス良く伸ばしていくためには両方を同時に進めていく必要がある。

■若い者の方が発想が豊かだなんてとんでもない。若いヤツはものを知らないので発想が年寄りと違うだけで、本当に豊かな発想とはモノを知った上でそれを乗り越えられるかどうかだ。 若いか歳くっているかで判断するべきではないと若い頃から思っていた。

■僕が今まで見て来た学生で僕よりも発想が豊かだと感じたのは少なかった。だから年齢ではないのだろうなと感じる。 ただ豊かな発想だけが全てではない。

■しかし、若いヤツは年寄りを乗り越えねばならない。そうでないと文化や文明は進んで行かないからだ。 年寄りはすぐに潰そうとしてくるから、それを凌駕する力で向き合わねばならない。ただ単に若さを振りかざすのではなく、ちゃんと向き合う重要性を感じる。


■我々の抱く大阪のイメージがいかに東京のメディアによって作られているかが分かる。 それを笑ってすませる器量の大きさも良いが、反対に貶められてしまっている感もある。 タコ焼き、吉本、タイガースだけではないだろう。

■だからといって逆にお洒落になろうと無理する必死な大阪も違う気がする。その論理に絡め取られると東京とか他の都市と変わらないじゃないのか。

■アンチを唱えて突っ張るのも、無理して真似るのも両方同じ理屈だ。 そうではないやり方がたくさん沸き起こってくる必要がある。

■面白かったのは大阪出身の今の大学生の意識の中にも、根拠のない大阪人としての誇りが強くある事だ。 頼もしくも思うし、旅人としては羨ましくも思う。 しかし、問題は彼らに大阪の良さを説明できる材料が乏しい事だ。 それを提供する何かが必要だろう。まさにシビックプライド

■東京との差違として捉えられるためには東京に学んでいてはダメだろうと感じる。ソウルや釜山、シンガポール、上海、北京、クアラルンプールなど学ぶべき場所は山ほどあるはずだ。 東京にアンチなど唱えている場合ではないのではないだろうか。

■しかし、どうも大阪の動きを見ていると東京を意識しすぎか、売れればすぐに勝ち馬に乗って東京へ行ってしまう構図しかないように思える。

■ソウル人でも大阪人でも無い自分はかろうじて外なる視点を確保できているが、実は大阪人の方がその問題に目が向いていない気がする。

■昨夜のキネスケープは工藤栄一監督の1982年の作品「野獣刑事」。 出演、緒形拳、石田あゆみ、泉谷しげる。前回のガキ帝国同様、かなり殺伐とした話だったが、大阪の風景切り取り方が素晴らしい。 ランドマークもいくつか写っているのだが神崎川などの何気ない風景の撮り方が素晴らしい。

■和製カトリーヌドヌーブ、いしだあゆみさんが綺麗な上に役どころが可愛いく切ない。泉谷しげるさんもいい芝居で改めて工藤監督の役者との関係性の作り方の確かさを感じる。 あまり注目されていないがいい演技しているのが実は益岡徹さん。

■工藤監督の切り取りの構図は前衛写真家のようで楽しい。 津守という設定(実際は武庫川団地か?)で切り取った団地などはロシアか東欧風景のようでタルコフスキーみたいだという意見も。 反射を利用した構図や、窓の外からのロングとかも面白い。そのシーン長回しでやってしまうという?のもいくつか

■しかし、ガキ帝国との違いとしては、このシナリオは特別大阪でなくても成立するというように感じる事だ。ガキ帝国は韓国人との関係性など含めて大阪でする必然性があるが、野獣刑事はシナリオ上は大都市であればどこでも成立する。 いしだあゆみの大阪弁はかなり可愛いけど

■原稿ようやく出口が見えて来た....。単なる事実だけ述べても意味がなく、その事実を元に何を言うのかが重要だと感じる。言いたい事はリアルタイムとして全部ツイッターで呟いてしまっているのだが、活字にした時に急にリアリティが持てなくなることがあるから不思議だ。

■メディアのタイムラグについて再び想いを馳せる。ツイッターは感覚を伝えるのには良いメディアだが、何かの考えを深く伝えるのには向いていないかも知れない。反射的なつぶやきはその時にリアルな感覚だとしても、賞味期限がどこまであるのかが分からない。

■本日は維新派の稽古にて「第五福竜丸」を見る。 次回犬島公演での船の動きや波の表敬の参考に。

■「第五福竜丸」の後、松本雄吉さんが持ってきた「裸の島」を維新派と一緒に見る。 セリフは一切なしで、半分以上が水を運ぶシーンだったにも関わらず見入ってしまった。生きるとは何かという事を改めて考えさせられる。新藤兼人監督の凄さがここにも表現されている。

■この映画はほぼ農業映画と言ってもいい。実際にあの島に作物が育つかどうかをスタッフがかなりの年月をかけて実験したらしい。 当時は撮影技術もそれほど高くなかった時代に空撮なども綺麗に撮れている。無言劇もかなりの実験だったのではないか。

■維新派にも若い役者さんがたくさん居るがどう響いているか興味深い。 ハリウッド映画に慣れた若い人々にはかなり退屈な映画かも知れないが、無意味に見える時間の積み上げがあるからこそ最後のシーンに意味が出てくる。地と図の関係。
21時間前

■雄吉さんが伝えたかったのはあの船を漕ぐ動き。 手首のスナップ、腰の動き、大腿の踏ん張りなどは実際に櫂を漕ぐのを見ていなければリアルに身体を統合出来ない。マイムにも通ずるが、身体はそれに関わる環境によって形が決まる。舞台は虚構の環境なので、身体の動きでイメージさせねばならない。

■地頭の良さと偏差値はますます違うになってきたような気がする。
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by innerscape | 2011-08-02 18:47 | 覚書

縄文人と弥生人についてのメモ

縄文人と弥生人とで風景の嗜好性に決定的な差が出来たのだろう。 旅人としての縄文人の持つ世界の見方と、定住者としての弥生人のそれとではあまりに違うはず。そのレベルから風景異化と観光を捉えると深みが出てくる。

ある目的も持つことやあるリテラシーを持つ事で風景の見方は随分と異なる。それはどういうコスモロジーを心に抱いているのかという事と深く関わっている。現代ではそのコスモロジーが壊れているか、うまく機能していないと思うのだが。

弥生人の延長としての日本人はたかだか数千年の歴史しか無い。世界的に見てもそれ以前の旅人としての歴史の方が長く、人が移動することの必然性は昨今の観光現象にも顕著だ。生産性を追い求めていなかった狩猟時代の方が人口の抑制も効いており、エコロジカルだったことは間違いない。

ここにも生産性への警鐘が潜んでいる。究極的に言うと、地球に優しくしようとすれば定住しては行けないのかも知れない。しかし、今の観光のあり方がエコロジカルかと言うと全くそうでは無いと思うが。 人口抑制をどう考えるか。現代は人口爆発と人口減少を同時に迎えているからだ。

だから交流人口という考え方が重要になる。それが観光研究の本質的な立脚点。僕の研究者としての使命はそれとランドスケープの問題とを芸術や宗教を用いて止揚することだと思う。実践家としての使命ともリンクしてくるのだが、カバーせねばならない領域が大きくて一人では無理だ。

だが、文化というのは定住することから生まれてくるというのもまた事実。定住しその場で自然現象と闘うからこそ、様々な生活の知恵や精神的な救いのための儀礼が生み出される。ストレスと闘うための娯楽も生み出される。ヒトが動物から人へと変わる証は定住にあるのだ。移動と定住の弁証法が必要だ。


恐怖と命と風景とについても想いを馳せる。 もっと勉強と黙考が必要だな。 講演する度にこちらの方が学ばせてもらっている。 毎回、何てありがたいんだと感謝。
バタイユ先生に色々と教えてもらわないといけない気がしてきた。ますます、今しなければならない勉強から外れていく...。 脳が四つぐらい欲しい。

まぁこの辺りは岩手の神楽支援の時に使える勉強だと割り切ろうか。 ♭で神楽のVJした時に来てくれた植島啓司先生とも話してみたいネタ。聖と風景。しかし、僕の方が膨大な勉強をしなければ対談にもならないので、今は実力をつける。

人を取り巻いて避けられない困難として、自然現象からの恐怖、死からの恐怖、人口増加の恐怖の3つがある(吉村1997)。
一方で人口減少への恐怖というのが日本では起こり始めているのだろう。H氏の観光への期待と問題意識はまさにそこに起因しているが、Y氏の問題意識と重なるのかどうか。 おそらくベクトルは反対だろうな。


以上、思考整理のためのツイッターの呟きから。この140字をためていけば、本になるかも知れない。そのプロセスも公開するのは現代的かも。
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by innerscape | 2011-08-02 18:45 | 覚書

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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