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私的風景の電脳記録
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「おおさかカンヴァス」でのインタビュー

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2月24日に大阪赤十字病院にて終了した拙作「霧はれて光きたる春」のインタビュー映像が「おおさか
カンヴァス」のウェブサイトのアップされています。

以下リンクです。


ハナムラチカヒロインタビュー映像


作品の制作途中の裏話や葛藤などを赤裸々に語っておりますので、是非ご覧下さい。
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by innerscape | 2012-02-27 15:54 | アート

内外の一致と不一致についての覚書

自分の言動が人を苛立たせた時は自分が変われるチャンスでもある。その人は何に苛立ちを感じたのか。それは自分に正すべきところがあるのか。それとも相手の認識に正すべきところがあるのか。ただムシの居どころが悪かったのか。数多くの問いが自分の中に立つ。そうやって自分の言動の修正をして行く。

相手が苛立つ時の反応が、ある特定の人だけではなく複数の人にも見られるのであれば、それはおそらく何か自分に問題があるのではないかと思った方がいいのではないかと自分に言い聞かせている。無意識に何か苛立たせる原因となる言動をとっているかみしれないからだ。

無意識の言動というのは無意識というだけあって、意識出来ないからやっかいだ。だがそれは相手の反応をチャンスに意識化出来る可能性があり、意識化出来たことと向き合えるかどうかで己が成長できるかどうかが決まるような気がする。まだまだ変われる余地はあるし、そうやって成熟していくんだろうな。

内側から見ている自分の言動や姿というのは、外から人が見ている風景と一致しないことがある。演技の難しいところはそこであるし、それはコミュニケーションの問題にそのまま繋がるように思える。そのつもりで行動していても、そうは見えないということがある。その調整をするのが演出という行為か。

己を己で演出するという視点を持つ事でコミュニケーションはうまくなるのだろうが、一方で演出され、何かの意図のもとに制御されたコミュニケーションに気味悪さを感じたりすることがあるから難しい。いわゆる営業トークの芝居がかった薄気味悪さもそうだし、器用さが鼻につくというのも同じかも。

テクニックとして己の演出方法を覚えてしまうことと、腑に落ちるまで考えて言動を正すのは根本的に違うマインドなのだろう。基本的に演技も腑に落ちるまで考え感じて、かくあるという方が佇まいがリアルなのだろうが、精神が持たなくなる時がある。

だから演技をするというのは人にとって本質的であると同時に、とても危険な行為とも言え、アイデンティティ崩壊と隣り合わせになる可能性もはらんでいる。嘘から出た誠ではないが、フリをしていることが繰り返されるうちに本当にマインドを作ってしまう可能性は多いにあるからだ。
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by innerscape | 2012-02-25 01:52 | 覚書

「霧はれて光きたる春」をバリアフリーラボで話しました

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現在実施中の拙作インスタレーション「霧はれて光きたる春」について、ソーシャルネットワーク大阪の「バリアフリーラボ」で話してきました。
実施中に自作について語るという希有な体験をいただき本当に感謝。
やはりやっている最中なので、語りに熱が入ってしまった。

普段は聞くことが出来ない裏話などもしてますので、ご興味在る方は是非。
http://www.ustream.tv/recorded/20619385

本日は雨模様だったが、また奇跡が起こった。
開始15分前まで降っていた雨が、開始時間にはピタリと止んで、滞り無く実施することができたのだが、その話は今日は語っていないのでまた別の機会で。

「独白する不純物」のことや風景異化のことなども話してます。

詳しくはこちらで。

バリアフリーラボ

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by innerscape | 2012-02-22 23:51 | アート

消費と投資についての覚書

資本主義と市場主義は分けて考えられねばならないが、議論として混同されがちな感がある。市場経済は「消費」を根底に需要と供給のバランスの中でモノを効率的に分配するための仕組み。資本主義は今ではなく将来的な利益を得るための「投資」が基本にある。つまり時間差がある事がポイント。

この消費と投資の両方へのまなざしが重要で、一方だけを見ていると罠に陥りそうだ。僕が唱えるクリエイティブシェアは消費を抑えるという単なる低成長論であってはならず、個人の消費を削減して共同体の将来のために投資をするとあう考え方を持たねばならないのだなと改めて思う。

デフレが進むと消費が落ち込むだけではなく、将来への投資も落ち込む。どつしても近視眼的なものの捉え方になるのが問題で、今の自分の世代だけの議論になりがちだ。しかし我々が今こうして豊かに暮らすのは前の世代が今の我々に投資をしてくれたからだということを忘れてはならない。

今の我々が将来の社会に何を投資出来るか、子供たちが大人になった時に食べていくための産業も今から投資として仕込んでおかねばならない。文化や観光というのは橋や道路のように、そういう長期的な視点の中で捉えられるべきインフラなのだろう。もちろん芸術もその範囲に入ることは間違いない。
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by innerscape | 2012-02-22 12:28 | 覚書

なぜ病院での芸術は報道されないのか

マスメディアの嗅覚の悪さにはいい加減うんざりする。僕らがやっている取り組みに意義を感じる感性も持たず、他の下らないイベントを追いかけるのに忙しいからと取材にもこれず、誰にも知られること無くひっそりと僕らの取り組みは終わって行く。

社会の中での新しい可能性を世に発信して、多くの人に勇気を与え、社会を批判的に見据えるのがマスメディアの役割だと考えていたのだが、その気概はどこにも見えない。僕らの取り組みは今回が終われば次はもうないのかもしれない。気がついた時にはもう世は変わっているのだ。

数ヶ月前から交渉している新聞社やテレビ局も反応が鈍い。いつからマスメディアはこんなに嗅覚が鈍くなってしまったのか。非公開とはいえ、我々の取り組みに辿り着けないマスメディアの体制と感覚の悪さには辟易する。他に優先して取材したものは一体どれほどの価値を持った情報なのだろうか。

僕らの取り組みは今日、社会化しないと明日はもう出来ないかもしれない。まだ誰も評価していないからこそマスコミが発信する価値があり、誰かが既に評価してことに対して群がって来ても、それは何ら先見性があるとは言えない。マスコミには失望ばかりだ。

本当は数ヶ月前の交渉の段階からプロセスを取材して欲しかった。作品だけ見てもそのプロセスが全く分からないからだ。病院の中であの規模の芸術作品を成立させることがどれほど苦労を伴うのか。しかしそうやって数々の難問を乗り越えて実現した作品の様子ですら取材に来ようとしない。あきれてしまう。

簡単に行くとでも思っているんだろうか。院内の規制の話や必要性への懐疑をくぐり抜け、電源や搬入路や無菌室への影響なども全てクリアし、到底出来ないような予算で人を説得し、なおかつ天候によっては出来なかったりするリスクまで背負いながら、己のためだけにやっていると思っているんだろうか。

誰からも取り組みの意義を認めてもらえず、誰からもそんなこと出来ないと言われながらようやくこぎ着けた極みだとしても、世に発信されねば届かないのだ。何ヶ月も前からそのことを伝えているのにマスコミは他のイベントを追いかけるのに忙しく、こちらで起こっている奇跡には見向きもしない。

後から来てももう二度と同じことはできない。僕はいつでも一期一会なので二度と同じことはしないし、僕が同じことをしたとしても自然現象や現場状況がそれを許さない。今を伝えるのが報道の役割だと信じていたが、全く愚かになってしまったことを嘆く。
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by innerscape | 2012-02-21 12:03 | 崩壊のロジック

奇跡を見た

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誕生日のお祝いメッセージがこんなにたくさんの方々から寄せられることに本当に驚きとともに感謝が尽きない。僕は自分の誕生日をこんなに多くの方々に祝ってもらったことはこれまで無かったのでふと目頭が熱くなる。見てもらうというだけでも多くの方々に支えて頂いているんだと実感する。精進せねば。

それに加えて、今日は神様からの最高のプレゼントをいただいた。快晴な天気と穏やかな風が作り出した奇跡的な風景は自分の作品の最高傑作というだけでなく、これまで僕が見た風景の中で最も美しいものだった。惜しむらくは記録がなされていないことだが、心の中に焼き付け生涯忘れることはないだろう。

ランドスケープアートは僕が作り上げるものではない。僕はきっかけを与えるだけに過ぎず、後は自然がそれを演じるのだ。僕の意図は半分しか介入出来ず、神様が奇跡を起こした時にその美しさは永遠に心に焼き付けられるものとなる。作家の意図などその前では無意味で、観客と一緒に奇跡を祈るだけだ。

だから毎日違う風景がそこに立ち現れる。昨日見た風景と明日見る風景は違うのだ。それはエンターテインメントと呼ぶような意図を持ったものではなく誰もコントロールし得ないからこそ奇跡的な風景であり、だからこそ一期一会のその出会いが貴重なのだ。今日は最高の日だった。明日はどうなるだろうか。

これは演出の意図がどうとか言う話ではない。雨が降るか風が吹くか光がさすかは我々人の手ではコントロール出来ないからだ。そのことを分かった上で何かを信じたり、期待を込めて眺めたりすることは、誰かに何か美しいものを与えられることよりも遥かに重要なことであるように僕には思える。

おそらく金さえかければ楽しませることは出来ると思う。しかし確実に成功することが分かっているような作品が必ずしも深い感動につながるとは限らないと思っている。誰も結果が分からず、誰もが成功を願う状況があるからこそ、それが成就出来た時に何か奇跡的な力や祈りの力を感じることが出来るのだ。

だから明日は成功しないかもしれない。そして明後日や明々後日も成功しないかもしれない。そのまま成功を見ずに終えてしまうかもしれない。だがそれがどんなに無駄に終えることに見えようとも。奇跡を望むまなざしを捨ててはならない。その姿勢はまるで闘病や生きていることと同じではないのか。

奇跡を目にする人間はそれほど多くはない。しかし奇跡は目にした人の言葉を通じて目にしていない人の心に届けられる。この世のどこかに奇跡があると信じる心こそが人が生きる上で必要なことであり、それは誰かに仕組まれ、演出された風景とは似て非なるものだと感じる。

奇しくも今日自分の誕生日に僕は奇跡を目にした。もちろん自分が仕組んだランドスケープアートだが、それは僕の意図を越えた奇跡的な風景を生んだ。おそらく僕は生涯この風景を忘れることはないだろう。願わくば僕と一緒にこの風景を見た多くの人々が、同じように心に奇跡として焼き付けれるように。
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by innerscape | 2012-02-20 00:58 | 自然について

物語と語りについての覚書

物語と語りは少し違う。物語を大切にする演劇と語りを大切にする演劇では自ずと手法も変わってくるだろうさ。演ずる方も同じで、物語を演ずるのと、語りを演ずるのとでは振る舞いの意識が違う。

歴史的に人の振る舞いで風景を作ってきた演劇には、場所に人のアクティビティを導く手法が山ほどある。都市計画や建築やランドスケープでアクティビティの誘発云々を考えている人は演劇をもっと勉強したほうがいいと思う。
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by innerscape | 2012-02-20 00:08 | 覚書

ギブとテイクに関する覚書

ここのところ強く思うのだが、僕でなくても出来ることは他の人に頼んで欲しいということ。もちろん余裕があれば僕がやってもいいのだが、本当に物理的に時間が無くなって来たので、僕にしか出来ないことを頼む人の仕事か、僕がしたいと思っている作業を優先したい。

金をもらうというのはモチベーションの一つの形に過ぎない。金など無くても僕がその作業に何らかのメリットを感じるものを提供してくれれば、そこでギブとテイクが成立するからだ。僕だけギブして相手は何もテイク出来る物をギブしてくれないか、あるいはギブの軸がずれているのではフェアではない。

昔はもうちょっと無邪気だったので、長期的にテイク出来るものがあると信じてギブし続けてひどい目にあったこともある。しかしこちらのギブに対してちゃんとギブで返そうとしてくれないスタンスの人や、ギブのレベルが合わない人とはフェアな何かが出来るというように最近では思わなくなってきた。

年齢や社会的立場とともにギブとテイクのバランスというのが刻一刻と変遷している。ギブとテイクの収支を事細かにカウントする気もないし、自分に余裕があり社会的意義を感じることに何かをギブすることは構わないのだが、今の状況をにらんだ中でバランス感覚を持つことの重要性を再び噛み締める。

まずはギブを出し合って、その束の中からテイク出来るものを探して行くというスタンスが好きなのだが、どこに束が置かれているのかを見極めるのはとっても重要だと感じる。そのギブや善意が社会的に無駄に終わることが無いような場所に束が置かれるべきだろう。
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by innerscape | 2012-02-19 23:43 | 覚書

演じることとアイデンティティについての覚書

昔からなぜか人の心の中を分析してしまう癖があり、精神科医になりたいと思っていた時期があった。今でもそれはあまり変わらずに、むしろ他者の心の観察と分析の精度が上がってきているように思える。己に対しても分析の眼を向けるという意味では役者として「何かを演じる」というのは良い訓練になる。

ここでポイントになるのは「誰かを演じる」のではなく「何かを演じる」ということ。想定したキャラクターを演じるという事ではリアリティは生まれないように思える。借りてきた振る舞いを演じるのではなく、その根元にある感情をいつでも取り出せるようにしておくのが役者の仕事なのだと思う。

人は誰でも「何かを演じている」というのが僕の基本的なスタンスだ。それはカメラの前や舞台の上だけではなく、日常の中に演技は溢れている。状況が演技を作る事もあれば、経験の中で演技の方向性が培われることもある。演じているうちにそれがアイデンティティになってしまうこともある。

知らずのうちにその演技している自分が自分らしいと感じてしまい、そこから外れた自分に違和感を覚えるようになってしまうのは、演じ方にアイデンティティを覚えるからなのだろう。だから演じ方が揺らいだ瞬間に変われるチャンスがやって来る。しかしその時は成長と同時に危うい瞬間でもある。

これまでの演じ方に指摘と否定を加え、アイデンティティの揺らぎを起こすことで取り込もうとするのがカルトの手口だ。コミュニティが共有する宗教や倫理の基盤がしっかりしている時にはそう簡単に揺らぎはこなかったのかも知れないが、基盤が崩れている今は危ない状態でもあると感じる。

もっとも見せかけの安心感をつくろうことで、何も揺らぎなどないような錯覚の中に漂わせるという罠も巧妙に仕掛けられていることに気づかねばならない。ある年齢まで来るとアイデンティティを揺らがされたくはないものだからそうした罠に疑いの眼を向けたくなくなる気持ちがあるのだろうが。

アイデンティティと社会を巡る問題はメディアの発達とともにますます複雑になっているし、演劇や演技のあり方の変化を通じてそれが透けて見えることもある。そのあたりを少し問いたいとは考えているのだが。さてうまくいくのだろうか。
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by innerscape | 2012-02-19 23:41 | 覚書

RIFTIイベント「似顔絵フォーラムin堺」 開催

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僕が研究員を務めるRIFTI(大阪府立大学観光産業戦略研究所)主催のイベントが明日、堺市役所で行われます。

「似顔絵フォーラムin堺」ということで、似顔絵アーティストが集まり、パフォーマンスとフォーラムを行います。
ご興味ある方は是非お越し下さい。


「似顔絵フォーラムin堺」


日時:2月17日 10:00−17:00
場所:堺市役所
主催:大阪府立大学観光産業戦略研究所

開催趣旨
 わが国の「似顔絵」は、ふるくは鳥羽絵や浮世絵の美人画・役者絵に遡ります。近年は漫画やアニメの影響も受けつつ独自の発展をみました。諸外国の専門家のあいだでも「NIGAOE 」は、西欧の戯画(カリカチュア)とは異なる日本固有の文化であると認識されつつあるようです。
 私たち大阪府立大学 21世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所では、国際似顔絵協会日本支部との連携のもと、「NIGAOE」の国際化をはかるべく活動を継続しています。
 今回のフォーラムでは、『2011 ANNUAL ISCA CONVENTION(似顔絵世界大会)」の優勝者である世界的な似顔絵アーティスト田畑伴和さん、似顔絵セラピーの実践で知られる村岡ケンイチさんのほか、日本を代表する似顔絵アーティストをお迎えして、「NIGAOEを堺から世界へ」をテーマに対談・パネルディスカッションを実施し、堺から「NIGAOE文化」「NIGAOE芸術」を世界に発信する可能性を探ります。
 このフォーラムが大阪・堺の地域魅力創造に寄与することができれば幸いです。多数の皆様のご参加をお待ちしております。
橋爪紳也

10:00-17:00
似顔絵パフォーマンス
堺市役所 「高層館1階ロビー」にて


2011年度世界大会優勝者を含む日本を代表する似顔絵アーティストが集合し、似顔絵のパフォーマンスを行います。(*材料費として1人500円) 
また、似顔絵ブースにて似顔絵アーティストの作品を展示します。


14:00-16:00
似顔絵フォーラム「NIGAOEを堺から世界へ」
堺市役所 「本館地下1階大会議室」にて


司会及びパネルディスカッション進行役 橋爪 紳也(RIFTI)

13:30開場
14:00~14:05 ごあいさつ  奥野武俊 大阪府立大学 学長 
14:05~15:00 対談 「NIGAOE 芸術の可能性 -NIGAOEフェスティバルの報告と今後の展開-」
パネリスト
田畑伴和(似顔絵アーティスト、2011年度似顔絵世界大会優勝)
高橋悦子(似顔絵アーティスト、ISCA日本支部役員)
橋爪紳也(大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所長・教授)


15:10-16:00  「パネルディスカッション 「似顔絵セラピーの可能性」
パネリスト
村岡ケンイチ(似顔絵セラピスト)
川出英行(愛知厚生連 海南病院 臨床心理士)

■お申し込み・お問い合わせ
株式会社インプリージョン
〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋2丁目
4-48金村ビル3階
TEL:06-6624-8555 
FAX:06-6624-8505
e-mail:info@impregion.jp
担当:重村(しげむら)
橋爪紳也(府立大観光産業戦略研究所教授)

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by innerscape | 2012-02-17 12:41 | インフォメーション

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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