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私的風景の電脳記録
by innerscape
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RIFTIイベント「似顔絵フォーラムin堺」 開催

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僕が研究員を務めるRIFTI(大阪府立大学観光産業戦略研究所)主催のイベントが明日、堺市役所で行われます。

「似顔絵フォーラムin堺」ということで、似顔絵アーティストが集まり、パフォーマンスとフォーラムを行います。
ご興味ある方は是非お越し下さい。


「似顔絵フォーラムin堺」


日時:2月17日 10:00−17:00
場所:堺市役所
主催:大阪府立大学観光産業戦略研究所

開催趣旨
 わが国の「似顔絵」は、ふるくは鳥羽絵や浮世絵の美人画・役者絵に遡ります。近年は漫画やアニメの影響も受けつつ独自の発展をみました。諸外国の専門家のあいだでも「NIGAOE 」は、西欧の戯画(カリカチュア)とは異なる日本固有の文化であると認識されつつあるようです。
 私たち大阪府立大学 21世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所では、国際似顔絵協会日本支部との連携のもと、「NIGAOE」の国際化をはかるべく活動を継続しています。
 今回のフォーラムでは、『2011 ANNUAL ISCA CONVENTION(似顔絵世界大会)」の優勝者である世界的な似顔絵アーティスト田畑伴和さん、似顔絵セラピーの実践で知られる村岡ケンイチさんのほか、日本を代表する似顔絵アーティストをお迎えして、「NIGAOEを堺から世界へ」をテーマに対談・パネルディスカッションを実施し、堺から「NIGAOE文化」「NIGAOE芸術」を世界に発信する可能性を探ります。
 このフォーラムが大阪・堺の地域魅力創造に寄与することができれば幸いです。多数の皆様のご参加をお待ちしております。
橋爪紳也

10:00-17:00
似顔絵パフォーマンス
堺市役所 「高層館1階ロビー」にて


2011年度世界大会優勝者を含む日本を代表する似顔絵アーティストが集合し、似顔絵のパフォーマンスを行います。(*材料費として1人500円) 
また、似顔絵ブースにて似顔絵アーティストの作品を展示します。


14:00-16:00
似顔絵フォーラム「NIGAOEを堺から世界へ」
堺市役所 「本館地下1階大会議室」にて


司会及びパネルディスカッション進行役 橋爪 紳也(RIFTI)

13:30開場
14:00~14:05 ごあいさつ  奥野武俊 大阪府立大学 学長 
14:05~15:00 対談 「NIGAOE 芸術の可能性 -NIGAOEフェスティバルの報告と今後の展開-」
パネリスト
田畑伴和(似顔絵アーティスト、2011年度似顔絵世界大会優勝)
高橋悦子(似顔絵アーティスト、ISCA日本支部役員)
橋爪紳也(大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所長・教授)


15:10-16:00  「パネルディスカッション 「似顔絵セラピーの可能性」
パネリスト
村岡ケンイチ(似顔絵セラピスト)
川出英行(愛知厚生連 海南病院 臨床心理士)

■お申し込み・お問い合わせ
株式会社インプリージョン
〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋2丁目
4-48金村ビル3階
TEL:06-6624-8555 
FAX:06-6624-8505
e-mail:info@impregion.jp
担当:重村(しげむら)
橋爪紳也(府立大観光産業戦略研究所教授)

RIFTIイベント「似顔絵フォーラムin堺」 開催_a0091712_12522980.jpg

# by innerscape | 2012-02-17 12:41 | インフォメーション

科学についてのつぶやき

「科学的である」ということはどういうことかを考えている。一つには印象や感覚ではなく、他者によって再現可能な方法によって結果が示されているということではないか。職人的な芸術はどちらかというと他者には簡単に再現不可能な方法と結果によって生まれてくることが多い。

他者にも再現可能ということが重要であり、科学とは一人ではなし得るものではない。他者とコミュニケーションの中で検証され磨き上げられ、より確からしいことを求めるのが科学的な態度であり、そのために共有素材として数値や実験というものがあるのだと思う。

この大勢で検証するということが科学を科学足らしめていることである。科学が指し示すものだけが真実ではないという科学批判を聞くことがあるが、それはその通りだと思うし、おそらく科学者も自分たちが真実を口にしているのではないという認識なのではないか。より「確からしい」と言えるだけなのだ。

だから科学が示した結果が後々に正しくなかったということも当然起こってくる。それはある意味では仕方の無いことであり、科学者がそのことを一番よく理解しているから厳密な方法で進めようと努力するのだ。それをすっ飛ばして結果だけ早く教えろと科学者に迫るのは少し違うようにも思える。

科学の恩恵にあずかりながら暮らす我々は、科学者でなくても少なからず科学について知るべきだろうし、それを複雑すぎて無理と放棄するのであれば、科学者を批判してはならないだろう。その研究や科学が有用かどうかということを早急に求める議論も同じだろう。時間が経たねば分からないこともある。

科学の暴走などという批判もあるのだが、どちらこというと科学よりも経済が暴走していることの方が問題としては大きく、それが科学の暴走とすり替えられている可能性が高い。今のところ科学以上に世の現象を正確に把握出来る方法などないし、我々が社会的に構成して来た重要なルールの一つだ。

つまり文明の恩恵に預かっている以上、望まなかったとしても科学として構成されたものを我々全員は認めているのであり、たくさんの人間によってより確からしさを検証し追求して行く科学的態度が必要なのであると思う。しかし、それら全部を踏まえた上であえて思うのは一人の人間の直感が持つ力である。
# by innerscape | 2012-02-15 15:20 | 自然について

「独白する不純物」実験配信中

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4月からUstream配信予定の独り芝居「独白する不純物」を現在実験配信している。

「独白する不純物」



劇団France_panの演出家/劇作家の伊藤拓と僕とでタッグを組んで行っているが、様々な方の協力をいただいている。
2月9日から2月13日までは実験期間として毎晩12時半から15分の独り芝居と、24時間の日常配信との組合せで行っており、昨夜の配信で折り返しに来た。

昨夜の配信をリアルタイムで見て頂いた方は分かると思うが、僕自身もどういう結末になるのかはその時になるまで分からず、まさに今実験的に作っていっている段階である。
昨夜が最も困難なミッションとカタルシスという山場だったが、あと二日残っており、最後までやりきってからフィードバックする予定をしている。

部屋の様子は24時間流れていて、芝居終了後にアフタートークもするのだが、まったくどうなるか予想がつかない。
ネット時代の演劇や物語のあり方、果ては自分のしている風景異化研究まで、文字通り等身大で実験しているのでご興味ある方は是非。
# by innerscape | 2012-02-12 16:07 | 映画と演劇

自意識と権力についての覚書

ここ数ヶ月で大阪を巡る状況が二転三転しており、意見交換しているうちに、かなり立ち入った話となる。色々と状況把握に苦労されている感もあったので、僕の観察の結果と印象と感じていることと考えていること、心配していることをとりあえず伝えたつもり。

気をつけねばならないことはたくさんあり、知らないうちに陥りがちなこともたくさんあるので、それを進言するのが僕の役割だと思っている。対話ができそうな人には伝えることが出来るので時間がかかっても精一杯伝えねばならない。

変わることや動くことというのはそれだけでとても魅力的で、やもすれば自分が状況を変えていることに陶酔するという罠に陥る。しかし重要なのは変わることではなく、より良き方向に変わることであり、そこへの追求と忠誠を無くせばそれはただの逃避か破壊にとどまってしまう。それを伝えたかった。

もちろん変わることへの恐怖から足を引っ張るものも居るだろうし、これまで動いてこなかった現状があるのは間違いない。ただ、変えなければならないということに囚われ過ぎて、本質的な事を保留して変わることへ邁進するという誘惑とは戦わねばならないのではないか。

変わることには賛成だ。しかし変わり方へ変わった先に何があるのかは吟味する必要はある。そして何のために変わるのかということを忘れてしまってはただ変わることに疲弊するだけになる。子供でも言える当たり前のことではあるが、それゆえに本質的で重要なことだと思う。

現実的に今すぐ解決せねばならないことが山積みなのがリアルな状況だということもよく分かるし「子供のように甘くぬるいことを」と言いたくなる気持ちも良くわかる。足を引っ張るつもりもないし願わくば応援したいと思っている。しかし自戒も込めて人は簡単に陥ってしまうことを肝に命じねばならない。

自分の袖の一振りが多くの状況を変えるという魅力は強烈なものだ。そういう立場に立ち、実際に力が振るえることが分かれば、どれだけ聡明で客観視に優れた者でも、自意識の赴くまま思う存分に力を振るうことの魅力に取り憑かれる。自分を否定する者に目にもの見せてやるという気持ちに囚われるのだ。

自意識と権力とが本質を見失わせることがある。これはどれだけ聡明な者であってもやってくる誘惑なのだと思う。全ての人々が幸福になれるような解決方法などないのかもしれず、何かを選択せねばならないのは仕方が無いことだ。しかしもし理想を願うのならば相手の言葉にも耳を傾ける態度が必要だ。

相手を論破する議論ではなく、相手を理解するための対話ができる状況であれば陥ったとしても救いはある。しかし対話などしている暇は無いという態度であれば危ないと思う。我々は戦うためにしているのではなく、共によりよく生きるためにそれをしているのだということを忘れてはならない。
# by innerscape | 2012-02-10 01:11 | 覚書

監視と演技についての覚書

♭へ帰還。これから「独白する不純物」のカメラセッティングとミーティング。今日からは監視カメラの元で24時間過ごさねばならないとは。もはや役者の仕事ではないだろうというレベルだが、ネット時代のアイデンティティを探る大事なプロジェクトのために身を捧げる…のか?大丈夫かな…

クリエイティブシェア時代のアイデンティティの行方を探して旅をせねばならない。生のコミュニケーションは怖いけど、画面越しになら誰かと繋がりたいという欲求がニコ生という現象を生んでいるという前提に立つが、日常の演劇性や演じることとは何かということにどれだけ迫れるのだろうか。

何か出来事が起こることを期待しているんだろうが、そうはいかない。日常というのは淡々と流れる。
言葉を発するからと言って、語りかけてくる物があるかというと必ずしもそうではないだろう。無言でも伝わってくるものがある。風景とはそういうものだと思う。
僕のアトリエは24時間みなさんの監視の目にさらされている。これが一体何を生むのかというのは終わってみないと分からない。記録されているのはほんの一部で目撃出来るのはリアルタイムに見ている者だけだ。

「人が居ればそこに演劇が生まれる」という定義をしている演出家がいる。役者である僕としては「人が演じるのではなく、演じるのが人なのだ」という定義をしてみたい。

何か出来事が起こることを期待するかもしれないが、実は既に出来事はそこにあるのだと思う。問題はそれを出来事だと認識出来るまなざしがあるかどうか。ジョン・ケージみたいだが。

エンターテインメントを見るまなざしと、風景をみるまなざしの違い。誰かが何かを与えてくれるのを待っているのが前者。自ら何かを見出そうとするのが後者だ。
# by innerscape | 2012-02-08 01:13 | 覚書

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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