flw moon innerscape
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問いが無いのに最初から答えは無いし、問いが浅いのに深い答えが生まれるはずはない。
深められた問いと、それに対して共有される答えが結局は次の文化を作っていくのだと思うが、そこをうまく考えられないんだろうと思う。
抽象的な概念では人は理解しにくいので、それを具体的にどうやって示すのかが僕自身の課題だとしかと受け止めた。
「芸術は爆発だ」は岡本太郎の言葉だが、まさに日々の命の中で立ち現れて来る表現の結果が芸術へと繋がるのだと思う。
僕自身も気をつけないといけないと思っているのは、その表現が目的化していないかとということと、その表現がちゃんと高いレベルで問いと答えを出せているのかということだ。
よくありがちなのは、問いのレベルと答えのレベルが合っていないということで、問題意識は深いけどそれがちゃんと「芸」になっていないと浅いレベルでしか伝わらない可能性がある。
それは自分の中でも課題なので、かなり気を使うようにしているがなかなか難しくてまだまだだ。
きっと一生それを求め続けていくのだと思うし、そのアティテュードの積み重ねが振り返れば結果として芸術になっていれば、それはそういうものかときっとその時に気づくのかも知れない。
最初から表現を追い求めると足下を掬われるかもしれないと日々戒める。
「聖なる場所の力」を巡る3日間のシンポジウム「山のシューレ」が本日で終了した。
植島啓司先生の基調講演、伊藤俊治先生と植島啓司先生とハナムラチカヒロによるオープニングシンポジウムで幕を開けた聖なる3日間の結び舞台は、本日の谷川俊太郎さんと谷川賢作さんによる舞台で、素晴らしいパフォーマンスの中、皆が幸せな気持ちの中で終えた。
期間中に知り合った全ての方々は、とても優秀で心の優しい人ばかりだったし、聖なる場所の力を一緒に思考する冒険に出た貴重な仲間のような気がしている。
個人的にはこの那須で弟の1回忌の命日を迎えることが出来たことは特別な意味を持っている。
丁度一年前に弟はトロントで亡くなった。
その訃報を聞いた夜に僕は泣き崩れる母を連れて遺体の確認のためにトロントに出向いた。
365日経ってまさか自分が那須の地に立ち、聖なる場所の力を語っていることになるとは想像もしていなかった。
実は今朝、3日間降り続いていた雨が一瞬止み、陽光が射している中で朝食を取っていた時に僕は不思議な体験をした。
それは一匹の蜂との出会いだった。
その蜂は僕が朝食を食べているテーブルにやってきて、最初はテーブルに置いていたルームキーに止まっていた。
しばらくして飛び立ち、僕の掌にとまった。
全く怖がる様子もなく僕の手の上でウロウロしていていた。
不思議と僕も怖い想いもなく、その蜂がおしりを振りながら触覚を僕の手に何度も押し付ける様子をしばらく見つめていた。
いつまでたっても僕の手を離れてくれないので、そのまま食事を続けているとどこかへ飛去ってしまった。
その時は何とも思わなかったのだが、食事を終えてしばらくするとその蜂はまた僕の掌に戻って来たのだ。
中指に止まった蜂は僕の掌の方へなつきながら近づいてくる姿を見て僕は何とも堪えきれなくなった。
僕はその時にこの蜂が自分の弟だと確信したのだ。
弟はきっと僕の側にいることを蜂の姿で告げていたのだと思う。
この三日間、聖なる場所の力について多くの方々と話し合ってきた。
聖性とは場所に帯びるだけでなく、どんな場所にでも帯びる瞬間があるのではないかと僕は風景異化を交えた自分の発表でこの3日間の最初に述べた。
弟はそれが正しいということを僕に伝えてくれたのだ。
兄として弟に教えてあげれたことよりも、弟から兄へ教えてもらったことの方が多いのは、彼が死してなお続いている。
生活の終わりは生命の終わりではないのだ。
今日の結び舞台で谷川俊太郎さんの詩の朗読にこんな一説があった。
身近な死者が増えてきた
彼らにしてやれたことよりも
してやれななかったことのほうがずっと多い
僕は谷川俊太郎さんの少しくぐもったその朗読を聞きながら弟のことを思い浮かべざるを得なかった。
6月9日のこの弟の命日に那須で過ごしたこの記憶は僕は死ぬまで忘れることは無いだろう。
心からありがとう。
土曜日の夜から降り出した雨が日曜日の午前には強くなってきていた。
傘をさして歩くのも難しいぐらいの激しい雨が一時は降っていたが、なぜか午後には晴れるような予感がしていた。
天気予報でも午後からは雨が止むと言っていたこともあったが、そういう情報からではなく、もっと大きな予感が今日の「霧はれて光きたる春」の最終日に素晴らしい風景が見れる事を告げていた。
実際に午後にはピタリと雨が止んだ。
なぜかそれは自然なことのように感じられた。
一週間を振り返ってみると、奇跡のように一度も中止にはならなかった。
本番の一時間前になるといずれの日も天候がおさまるのだ。
不思議な力が働いているのを感じる。
土日にこの「霧はれて光きたる春」を実施するのは実は今回が初めてだ。
今までは土日は病院側のスタッフも少なくなるのと予算の関係もあって実施を見送っていたが、今回はなぜかこの土日にしたいと自然と思えるようになったのだ。
お見舞いのご家族やご友人の方々ともこの風景を共有することが必要な気がしたのだ。
それと今回はサポーターの方々ともこの風景を共有したかったということもある。
実際に今日がこれまでの中で一番たくさんのサポーターが集まった。
毎回サポーターには16時に病院前の公園に集合してもらい。、そこでお名前の確認をした後、院内を皆で通って控え室へ向かう。
そこで40分間ほどのディスカッションの時間を事前に持つ事にしている。
そこでは自己紹介から始まり、趣旨とサポート内容の説明、そして30分の間のまなざしの向け方や注意事項などの説明を行う。
やってこられる方々は様々で、僕の講演を何度かお聞きになった方や、普段からよくご一緒させて頂いている方、そして初めて会う方など様々だ。
クラウドファンディング頂いている方には全員にサポーター参加の呼びかけをしているが、それでもわざわざこの病院まで時間を作って風景を見にやってきてくれるのはほんの一部だ。
こちらからいくら見て欲しいと思っていたとしても、結果的にこの風景を共有出来る人はご縁があったということなのだと思う。
いくら欲していてもご縁の無い方とは風景が共有出来ないし、別に望んでいなくてもたまたま共有してしまう人も居る。
人の縁とはつくづく不思議なものだと感じる。
現象は毎日変わるし、サポーターも毎日入れ替わる。
そして院内の人々の認識も変化していく。
毎日同じ時間に同じ空間で現象が起こるが、気流によって現象も異なれば、それを共有する人々も異なるし、見る人々のまなざしも異なる。
それは毎日起こる出来事なのだが、まるで違う風景なのだ。
現象が起こるライトコートに面していて一番人が集まりやすい談話室がメインの視点場になるのだが、普段はそこにあるテレビから何かの番組の映像が流れているので、それを院内の人々はぼぉっと眺めているようだ。
しかし17時になるとテレビが消されて、現象がスタートする。
そうすればそれまであまり人気がなかった談話室にそれぞれの病室から人が集まって来ていて、知らない間にいっぱいになっている。
テレビは受動的に目に入って来るが、ライトコートで起こる現象は「能動的なまなざし」になるという違いがある。自分から現象を追いかけないと現象そのものを捉える事は出来ない。ここにも僕は意味を見出している。
病院の中にいると、受動的になりがちなのではないかと思う。
治療してもらうということに身を任せることも大事なのだが、自分から治りにいくという構えが治癒する力を引き出すのではないかと信じているからだ。
そうしたまなざしを引き出すためには、現象そのものがショーやエンターテインメントのように何か具体的で分かりやすい意味を持って迫るのではなく、抽象的で自分から能動的に意味を探しにいかないと掴めないような一歩引いた表現をしている方がいいのではないかと考えている。
最終日の現象は素晴らしかった。
この一週間の中で僕が現象として素晴らしかったと考えているのは火曜日と水曜日だったが、それと同じぐらい今日の現象はとても豊かな動きをしていたように思える。
もちろん毎日気流が異なるので、日々違う表情を見せるのだが、今日は空気の動きが複雑でライトコートの中で縦と横の渦を巻いてまるで螺旋のように上昇と下降を繰り返すという風景が展開されていた。
現象の豊かさは単なるきっかけに過ぎない。
多くの人はこの「霧はれて光きたる春」という作品はライトコート内の現象だと思っているようだが、実は本質はそこではない。
現象に反応する人々が演じるドラマに実は本質があるのだ。
もちろん豊かな現象がそこに展開されれば、人々の反応も豊かにはなるかもしれない。
しかし毎日見に来ている人々の中には、まなざしがどんどん豊かになっていって、それほど派手な現象が起こっていなくても、微妙な空気の動きを敏感に感じ取れるように磨かれていく人もたくさん居る。
そして現象を前にして一人でたたずむ姿が美しかったり、また現象をきっかけに初めて言葉を交わす人々同士が生まれる事もドラマティックだ。
ドラマとは何もテレビや画面の中にあるのではなく、日常の何気ないワンシーンの中に見出されるものだと思う。
今回サポーターで参加した方々には最初にそういうまなざしのデザインを施してから現場に身を浸してもらっているので、帰って来ると口々に自分が見たドラマを語り出すのだ。
中には涙を浮かべながら語る人々もたくさんおられる。
自分の抱えている状況と重ね合わせて風景を見ているのだ。
僕は常々「風景の半分は想像力で出来ている」と主張している。
だからサポーターの皆さんが語り出す風景は、それぞれが心に抱いている想像力が生み出していると言えるだろう。
豊かな風景を語り出す人は豊かな心や想像力をもってその場にまなざしを向けている証かもしれない。
しかし一方でうまく言葉にできない人のまなざしが貧しいかというとそうではない。
その場でその時に言葉にできないこともあるし、むしろ言葉にしない方がその事をより深く見つめることが出来るという場合もあるのだ。
今日はあるサポーターは窓辺にたたずむおばあさんに話しかけたエピソードを語っておられた。
そのサポーターはおばあさんに毎日見に来ていますかと話しかけたら、おばあさんはこの作品が好きで毎日見に来ていると答えたそうだ。
それで会話は終わって、そのサポーターはおばあさんからこの風景のどこが好きだとか、どういいうふうに好きだとかは聞かなかったという。
しかしそれが逆に良かったと語っていた。
すぐに言葉にしなくてもいいこと、そして言葉にしなくても一緒に窓の方を向いてたたずんでいられることというのもそれは豊かな風景なのだと思う。
僕らはとかくすぐに言葉にしてみたり、すぐに成功か失敗か、正解か間違えかを判断したがる。しかし、それはすぐに何かに回収させてしまうことで豊かな意味が奪われてしまうことも時にはあるのだ。
この七日間、僕自身はこの「霧はれて光きたる春」という出来事を通じて大きく自分が成長出来た気がする。そしてそれは僕だけではなく、今回の事業に関わった仲間達やサポーターの皆さん、そしてひょっとしたら病院の中で過ごしている人々も何か掴んだかもしれない。
僕にとって芸術として表現をしたり作品をつくったりするということは、自分の思考を深め成長するためにあるのだと思っている。
過去2回この作品を行った時とは比べ物にならないぐらい今回は多くのことを学んだし、そのプロセスを多くの方々と共にすることで、一緒に認識を深めていけたのではないかと思う。
きっと後で映像アーカイブで振り返った時に分かるだろうが、初日の僕の語り口と最終日の僕の語り口は全く異なっていることだろう。
こういうと変な言い方になるが、「霧はれて光きたる春」は僕が作っているようで、実は僕が作っているわけではなく、僕は何かに突き動かされて”作らされている”ことを感じる。僕はシャーマンのように単なる純粋な媒体(メディウム)であり、それは僕を通じて何か大きな意思がそこに出現させた出来事なのだと思う。
そしてここでこの作品を共にした多くの仲間達や、支えてくれた人々との出会いも偶然ではなく、何かの必然が働いていることを感じるのだ。それら全てがこの場の風景を成り立たせている。
それら全ての状況に心より感謝の念が湧いてきて、僕はこの「霧はれて光きたる春」の最終日の最後の振り返りの締めくくりとして自分で書いた詩を朗読した。
こんな経験は初めてだったし、それはどの記録にも残っていない。
しかし何かの確信として自分の中で大切に出来ればと思う。
少し風もおさまって穏やかかと思っていたが、昼下がりになるにつれてだんだんと風が強まり始めた。
今回のライトコートの竪穴は13階分あり底面積も過去最大の大きさで気流はうまく読めない。
室外機がライトコート側にたくさん出ているので、そこから出る空気も竪穴内部の気流に当然影響を及ぼす。
いつも本番の一時間ほど前にはテストで機材を動かす。
大体は竪穴の底から見上げて落下してくるのをチェックするのだが、ゆっくり動いている雲の動きとは反してテストの時には雪もシャボン玉も奇麗に落下して来た。
これが夕方になるとまた流れが変わる。
時おり上昇気流がふいに生じることもある。
気流ばかりはどれだけやっても正確に読むのは難しいし、それ自体は見えないので何かを媒介させる必要がある。
今日の気流はとても複雑で、30分の間にも上昇気流が吹き上げたり、下降気流が一辺だけに下りたりとしていたので、とても変化に富んだ動きが展開されていた。
どちらかというと今日は上昇気流が豊かだったので、霧と底部のシャボン玉を多めに演出した。
こうして毎日気流や天候を読みながら作品を作っていると、自分がやっている表現は芸術というような領域の話ではなくシャーマニズムの一種なのだと改めて思えて来る。
ランドスケープアーティストは自己表現というようなものではなく、現代のシャーマンとして自然を読みながら、それに形を与えていくということだと僕は思っているが、霧や雪やシャボン玉というメディア(媒体)をこの場所に差し込む事で、僕は気流の動きを表現しようとしているのだと自己分析してみる。
ところで、世界中のあちこちの部族はそれぞれ何らかの雨乞いの儀式を持っているが、概ねそれは煙を炊き、水を撒き、太鼓を叩くということをするという。これは煙は空に立ち上る「雲」を表し、水は天からの「雨」を表し、太鼓の音は「雷」を表している。
こうして雨が降って来るプロセスやマテリアルを真似る事で、実際に雨を呼び起こそうという儀式なのだが、J・フレイザーによるとそれは“共感呪術”と言われる行為だという。
僕はこれは物理的にそのマテリアルが影響して天候が変化するということではなく、自然と類似したプロセスを作ることで生まれる空気感が重要で、それに感応する人々の心の力が雨を降らせるのかもしれないと考えている。それが共感呪術の本質なのではないかと思う。
僕のしていることがシャーマニズムであるとするならば、上から雪を降らせて下から霧を発生させることで肌寒い吹雪の風景をつくり、その後に空から光る珠が落ちて来る風景を作るというプロセスが、一体何を模倣し、何を呼び起こそうとしているのかというのは興味深い。
そしてそれが病院の人々のまなざしをどう変化させ何を祈らせるのかについて、考察する必要がある。
自分で表現しているものに対して、必ずしも自分が一番正確に把握しているとは限らないのだ。
むしろ自分が完全に把握しているものというのは逆につまらなくて、自分が無意識に選択しているものの中に創造性の本質があるようにさえ思えて来る。
僕はこの作品の意味は一体なんですかと聞かれる度に、一応の説明として「霧は闘病生活の不安を表し、シャボン玉はそれを抜けた後の希望を表現している」という答え方をするが、それは後から引いた意味付けの補助線であって、それを理由に自分がこの表現を思いついたわけではない。
常に原因は自分の無意識の領域の中にあり、後から結果として理由がやってくるのだ。
今回はそうしたことも検証したいと考えており、サポーターの皆さんのまなざしを借りて、人々の心の中での動きや祈りを読み解くことを試みている。
さて、本日聞いた中で興味深い話をいくつか紹介する。
6階の心臓外科の談話室に二人のおじいさんが座ってシャボン玉を見ていた。
その二人にこちらのアーカイブスタッフがカメラを向けた時に、その二人はカメラに向かってピースをしていたりした様子で楽しまれていたという。
その時に片方がもう片方に向かって「元気やな、今から手術やのに」と呟いたそうだ。
今から大きな手術を控えた方の様子ではなかったので報告してくれたサポーターは驚いたという。
他には7階に居た若いカップルは現象が始まっても全く見ずにテーブルについて話をしていたので、サポーターが話しかけて現象の存在を促したがあまり興味を示さなかった。
しかし、だんだんと談話室に人が増えて来て皆が窓の外に起こる現象を見て騒ぎ出しても、そのカップルは相変わらず窓の外を見ずにテーブルで会話していたが、その会話のトーンが先ほどとは明らかに違って、はしゃいでいる人々の高揚感に影響されていて白熱しているようだったとサポーターは感じたようだ。
現象そのものには心を動かされていなくても、それに心を動かされている人の心やそれに影響を受けている「空気」に反応するということがあるのは非常に興味深い。
空気とは物理的な気流の動きだけでなく、その空気の持っている情感や質というのがあるのだと思う。
霧と雪とシャボン玉というのはいずれも物理的な気流に反応するマテリアルとして挿入しているのだが、それだけではなく、このマテリアルが人々の心にどういう情感や質をもたらすメディアになっているのかという所が重要だ。
一つのマテリアルが複数の情感をもたらすことはあると思うが、それが総体としてその場所にどのような空気感を与えているのかということは研究の余地がある。
ひょっとするとその空気感に感応した人の心が、実際の何かの行為や現象を引き起こす可能性があるからだ。会話の白熱という行為はきっと現象に感応した人の心がもたらす空気感が引き起こした結果だろう。
現象だけがこの作品のマテリアルではなく、そこから派生する人間の心の動きもまた、別の人のマテリアルになっていくというのが面白いと個人的には思っている。
明日は最終日。
今夜から降り続ける雨は、きっと明日の本番の開始時刻までには降り止むと確信している。
雨上がる風景をイメージしながら祈るということも、また共感呪術となり実際の天候を導くかもしれない。
空は快晴で温度も高い。
過去二回は、遅くても3月の第1週の開催だったのでもっと肌寒い冬だったが、今回はもう春がやってきている。
「霧はれて光きたる春」というタイトルは、冬の実施をイメージして名付けたが、春に行うとまた違った意味合いが出てきそうだ。
3月の頭と最後では全然条件が異なる。
まず気温が違うのと、後は日の入りの時刻が変わって来る。
夕方の凪の時間も微妙に違うので、そのあたりを毎日読みながらあれこれ試行錯誤する。
ランドスケープアートは自然を相手にするので、思い通りにいかない事が多い。
僕の演出は半分で、残り半分は自然が作る。
だから100%狙い通りにいくとは限らないし、逆に自分の予想を遥かに上回る風景が見られることもある。
安定した風景ではないのがいわゆるショーとは少し異なる所だ。
温度と湿度によって霧の消滅までの時間は変わって来るのと、後はライトコート内部の気流が変化する。
今日のような晴れた日よりも、少し曇っていて空気が停滞している日の方が面白い現象が見られることが多い。
理論値で行けば1分間に5000個のシャボン玉が吹き抜けに現れることになる。
しかし、それはほぼ不可能な数なのだが、僕はそれに近い状態を過去一度だけ見た事がある。
気持ち悪いぐらいの数の光の珠が空間いっぱいに満ちている風景。
「美しい」を通り越してかなりグロテスクな風景だった。
美しさと醜さというのは紙一重だと思う。
その危うい臨界が芸術の最も興味深い領域なのだ。
醜いと思われているものが美しく転じたり、美しいと思われているものが限界を超えると見にくく感じたり。
その間の臨界を揺らがせるのが芸術のある種の役割なのではないかと思う。
入院病棟のライトコートは普段は裏側にされている空間で、誰も目を向けない醜い風景だ。
そこがこの作品が出現する30分間だけは聖なる空間へと転生する。
しかし面白いのは、その聖性を生み出している美しいシャボン玉がある臨界点を超えた数になると、今度はまたグロテスクで醜い風景になるのだ。
そうやって反転を繰り返していくときっと人の心は豊かになっていくのではないかと思う。
それはまるで刀鍛冶が熱い火の中に鋼を入れた後で、冷水をかけて叩いていくことで鍛えていくことに似ているように思える。
同じ場所、同じ物に対して美しさと、醜さが交互に現れることで自分のまなざしは鍛えられて行く。
僕は芸術に役割があるとすればそういう心の中を鍛えていくことなのではないかと思っている。
今のところ今回の病院ではまだそういったグロテスクな風景とは出会っていない。
残り二日の間にそれは出現するだろうか。
流石に五日目にもなると、患者さん達の間ではこの時間帯にやってくるこの風景が日常化してきている。
毎日やってくる常連がたくさん居て、逆にこの現象を合図に皆が談話室へ集まって来るようにもなっている階があるようだ。
今日聞いたエピソードとしては、5階のプレイルームで子供がシャボン玉に向かってガラス越しにも関わらず息を吹きかけていたという風景が見られたようだ。
他には8階では、始まる前に一人のおばあさんが両目をティッシュペーパーで押さえてずっと泣いていた様子だったが、吹き抜けに雪が降り始めると、窓辺にやってきて現象を見始めた。
おばあさんの話によると弟さんが丁度手術中で辛い状態らしく、毎日この時刻に来て30分ずっと現象を見ているという。そのおばあさんは特に友達も居ないようだったのだが、30分の最後の方でやってきた別のおばあさんと会話をし始めたということが起こったようだ。
吹き抜けに起こる現象は単なるきっかけに過ぎない。
でも何かのきっかけがあれば人は誰かとコミュニケーションを図ったり、自分の力で歩き出したりするのだと思う。
その人間模様の風景が実はこの作品の本質なのだと思う。
そういう意味でこの作品は演劇ということも出来る。
ランドスケープアートは現象を見るということだけではなく、そこで人々が織りなす状況も同時に見るべき風景となる。
単に吹き抜けにインスタレーションを行うということだけではなく、それを眺める人のコミュニケーションとまなざしにまでアプローチしたいというのが僕の意図なのだが、さらにそれを外からサポーターのまなざしに今回は実験的に迫っているところもある。
ずっと悪態ついているお爺さんの言葉の中に、この現象への愛を感じることもあるだろうし、下を向いて現象とは無関心に本を読んでいる人がふと見上げる視線に何かの心の動きを見る事もあるだろう。
30分間その空間に身を浸すことで人々の振る舞いと心の動きとの間にある関係が見えて来るかもしれない。
それはこれまであまり意識しなかったことなのかもしれないが、そうやってまなざしが変化していくことは、きっと心の中を豊かに鍛えるレッスンなのかもしれない。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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