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私的風景の電脳記録
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批判と愛についての覚書

観客や消費者というのが下す評価はシビアだ。プロセスを共有すればするほど、自分事として考えられるので、事情を斟酌して評価が甘くなりがちだが、外から飛んでくる評価は結果しか見ないので結果が全てである。とはいえ評価される方程式が分かっている所にさほどチャレンジはないと思う。

自分の苦労をいかに自分が知っていようと、一旦そこから切り離して批判的に自分の表現を眺めねばならないことがある。昨日、伝書鳩で話した愛の深度の話しと一見矛盾して聞こえるかもしれないが、より深く愛するために一度突き放さねばならないこともあるということ。厳しいね。

だから自分が感じておらず、考えてもいなかったような角度から来る批判には真摯に耳を傾けねばならない。想定内の批判であれば、一度チェックしているわけだから構わないが、想定外の批判は要注意だ。

しかし注意せねばならないのは、批判することが目的になっている場合があることだ。想定外のことであったとしても意義が見出せないような批判には耳を傾けるべきではない。そういう批判は多くの場合は愛が感じられない批判だ。

批判することはある種の快楽を伴うことであり、相手の想定外のことを指摘することで己の能力の高さを証明しようとする自意識が働いている場合がある。それが何かの意義を共有出来るような批判であればよいのだが、単に自意識への報酬が欲しいだけの批判に対しては憐れみのまなざしを向けるのがいい。

愛がそこにあるかどうかというのは抽象的でも何でもなく、重要な要因だ。愛についてはこれまでずっと考えて続けて来たし、これからも考えて行くテーマだが、奇しくも昨日の伝書鳩フォーラムで小山田さんからもそのキーワードが出て来たことに共時性を感じる。もうちょっと掘り下げたかったのだがな。


宗教家のようなことを言うかもしれないが、人は愛し、愛されねば生きてはいけない生き物なのだと想う。世にこれほどまでに愛の詩が満ちあふれていることがその証拠ではないか。批判する自意識の問題も、孤独の問題も突き詰めれば愛の問題に行き着く。そのことに目を背けて何が批判かと思うが。

末梢神経の反射のごとく消費されてしまうようなものは愛とは思わない。時間をかけて付き合い、発見を重ねるうちに愛は育まれていくのだと思うのだが、その時間に耐える忍耐力が時代とともに失われていっているような気がする。もちろんそれは自分にも例外ではなく、忍耐力が無いことが多々ある。

自分が男性だからだと思うが、最近の特に女子を見ていると愛の貪りがはびこっていることにある種の絶望感を感じる。愛されたい願望はよく分かるのだが、愛したいとは思わないのだろうか。愛されたいだけの女性を見るにどうにも哀しくなるのは勝手な思い込みだろうか。

深すぎる愛が困りものだという考えもあるのだろうが、その深さと呼ばれるものには想像力の欠如がセットになっていて、それが愛を自分勝手にしているのだろうと推測する。愛と一緒に持ちたいのは思いやりなのだなと自分にも言い聞かせねばならない。
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# by innerscape | 2012-01-23 00:48 | 覚書

表現とアイデンティティについての覚書

昨夜の「独白する不純物」の打ち合わせは昼間のインスタレーションの影響もあり、少し掘り下げれた気がする。音の調整やりながらだったから集中は出来なかったが、伝書鳩での僕のプレゼン聞いてもらったので狙いを共有出来たことが随分と大きい。

しかし伝書鳩での自分のプレゼンの出来は「公演」としてはいまいちだった。やっぱり時間がネックだな。前の人達の時間が延びたので、気になってパフォーマンスが落ちた。内容的には薄くなるが20分ぐらいでコンパクトに話せるようなものも必要かとは思うがテーマがシャープならそれも可能だな。

社会の中で何かの表現に取り組むというのは色んな批判の眼にさらされることになる。特にそこに利益や害悪が絡むと余計にシビアな意見が飛んでくることは覚悟せねばならないし、一度自分を突き放さねば成長出来ないことも多い。ある枠組みにあぐらをかいていては見えない成長があるように思える。

年齢によらずアイデンティティと自己肯定感の問題は常につきまとっている。しかし自分の成長と成熟のためには一度それを突き放してセルフイメージを更新する必要がある。更新しても更新しても消えない部分に本当のアイデンティティと業が見え隠れしているのだと思う。

自分を否定するのはとっても難しいことだが、それが出来ないようになれば考えが深まることはないのだと思う。人に否定してもらってもよいが、下手なやり方だと壊れてしまうか防衛本能が働いてしまうので、出来れば自分で出来た方が良い。否定しても否定しきれない自分の良さが分かれば強くなれる。
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# by innerscape | 2012-01-23 00:46 | アート

『「シェア」からつながるまちのコミュニティ』やります

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緑橋×町家再生×シェアハウスというテーマでトークセッションをうちのアトリエで行います。
朝は大阪市役所ロビーで伝書鳩フォーラムですが、すぐにすっとんで帰ってこちらのフォーラムです。

シェアに興味のある方は是非お越し下さい。


「シェア」からつながるまちのコミュニティ

日時:1月22日(日)
時間:
14:00〜15:30(第1部) トークセッション+緑橋まち歩き&再生町家見学・説明会
17:30〜(第2部)懇親会

場所:
第1部
♭ (フラット) 大阪市東成区中本3丁目10-2
第2部
町家再生複合施設「燈」

トークゲスト
六波羅雅一(建築家/六波羅真建築研究室代表)
永瀬泰子(有限会社Come on up代表取締役)
ハナムラチカヒロ(ランドスケープデザイナー/アーティスト/極東EX主宰/役者/大阪府立大学準教授)

コーディネーター
早川厚志

参加費:500円

予約・お問い合わせ
有限会社Come on up
TEL/FAX 03-3760-1392
mail: info@comeonup-house.com



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# by innerscape | 2012-01-22 22:47 | インフォメーション

伝書鳩フォーラムで話します

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大阪市役所のロビーで行われる「伝書鳩フォーラムvol.02」で話します。
前回はトークイベントを拝見する立場でしたが、今回はお声がかかったので、壇上から失礼致します。

うちのアトリエで2年前にした「住み開きシンポジウム」でもご一緒した小山田徹さんと、別府アートプロジェクトの山出淳也さんと一緒に基調講演とクロストークです。
会場は友人のドットアーキテクツによるデザイン、午後からは関西の若手アーティストによるプレゼンテーションがたくさんありますので、ご興味ある方は是非お越し下さい。

伝書鳩フォーラムvol.2
基調講演「表現を考える」。大阪を中心に様々な「立場」「現場」で活躍する6組の表現者の方々をお招きして、その先進的な活動を伺うと共に、特に大阪の表現活動の「未来について」自由に対談して頂きます。

場所:大阪市役所ロビー

2012年
1月21日(土)
10:00-10:20 基調講演1 新聞女氏
10:20-10:40 基調講演2 三村康仁氏
10:40-11:00 基調講演3 樋口ヒロユキ氏
11:00-12:00 クロストーク 「大阪の表現を考える」フリー対談

1月22日(日)
10:00-10:20 基調講演1 小山田徹氏
10:20-10:40 基調講演2 山出淳也氏
10:40-11:00 基調講演3 ハナムラチカヒロ氏
11:00-12:00 クロストーク 「大阪の表現を考える」フリー対談

【伝書鳩とは?】
 『伝書鳩』とは、大阪市の芸術創造活動支援事業の1つとして、表現活動を通じて、未来を『よりよい方向に変えていこう』と様々な現場で活躍している『若手表現者達』にスポットをあて、まるで『伝書鳩のように』正確に伝えていく事にポイントを置いている2つのプログラム、2011年6月~11月に月 1回、計6回、中之島4117をメイン会場にして開催する『伝書鳩トーク』そして、2012年1月21日、22日の2日間、大阪市役所玄関ロビーを会場にして開催する『伝書鳩フォーラム』の総称です。
 長引く経済不況、急激に変化する社会情勢。ともすれば私たちは、昨日まで信じていた『今』を信じる事が出来ず、未来に対して容易に不安になってしまう時代に生きているのでは?とかんじています。だからこそ、彼らが社会に対して、それぞれの表現活動を通じて向き合っている『今』を『メディアなどの編集を通さず、自分たちなりに正確に知る事』また『その知る機会自体を参加者同士で共有する事』は今の時代に生きる私たちにとっての何かしらの気づき、もしくは指針の1つになるものだと考え、本企画を開催させていただいていおります。

 前回に続き、第2回目の開催となる今回は2011年6月から11月まで月1回、各2組、計12組のゲストを、表現活動を広義な意味で人(表現者)場所(スペース運営)事(プロジェクト)の3つに分類して、それぞれの活動を紹介していただく事で、表現活動を始める人の“きっかけづくり”になる事を目指すと同時に、来場者を交えて、それぞれに共有する想いを考えていく『伝書鳩トーク きっかけづくり“ヒト、バショ、コト”』を新たにシリーズ企画として実施した後、翌2012年1月21日、22日の2日間開催の『伝書鳩フォーラムvol2〜未来を考える〜』においては、ジャンルや活動領域こそ違うものの、ただ1つ『未来をよりよい方向に変えて行く為に』『社会に対して表現活動を行っている』という共通点をもつ表現者達が前回の2倍である34組『大阪の真ん中』大阪市役所玄関ロビーに集結し、それぞれの活動を発表します。

 そして、その事がそれぞれの多様性を包括したまま、大阪、そして全国に『伝書鳩』のように『正確に』発信される事で、来場者の皆様それぞれにとっての『未来を考える』きっかけの1つになれば。それが勝手ながら企画委員としての私たちの願いです。
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# by innerscape | 2012-01-22 19:22 | インフォメーション

ラディカルと許しについての覚書

6対4で勝てると踏んだら全面戦争、5対5だと勝負に出ないというスタンスは多数決で決まる民主主義での生き残り戦略かも知れんが、負けた4を皆殺しにするのはどう考えても倫理的に正しいとは思えないし、も合理的にも得だと思わない。負けた4を活かす方が得だろうに。
革命の怖さは負けると皆殺しという所だろう。相手を赦すという考えを持つ革命家や為政者の方が信じられると思うのだが。相手赦す方が一周回ってよほどラディカルだと感じる。
どちらかが生き残るための戦いと、共に生きるための戦いは、同じ戦いでも似て非なるものなのだろう。
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# by innerscape | 2012-01-20 01:20 | 覚書

関西大学インターフェイス工学にて講演

関大へ向かう道中で論文の受け渡し。大阪の名所絵図と観光ガイドブックから江戸時代と今とでどう風景が変化したのかという研究を昔していたが、雑誌「大阪人」での参考にしたいようだ。今でも基本的な研究スタンスは変わっていないのだが。

関大での特別講演が終了。たくさんの人が来てくれて感謝。クリエイティブシェアの話も熱心に聞いてくれていたので、こちらも話に熱が入る。でもやはり時間は1時間半とかかかるな。日曜の伝書鳩の持ち時間20分なのにどうしようかなと。

風景異化学とインターフェイス工学とを総合的に仕掛学の中にまとめて行く中でどうしても避けて通れない課題として賞味期限の問題がある。このあたりをどう検証し回避するのかということを今回の研究の中でも考えねばならない。松下先生とも議論していた課題の一つ。
風景異化にヴァーチャルリアリティは有効なテクノロジーだと前から考えているので、ヒューマンインターフェイス系の人とは相性が良い。一方で、テクノロジーにいかにも頼りましたというのがプリミティブ派なランドスケープとしてはつまらなく感じる。彼らの技術をどう演出するかが腕の見せ所。
場合によってはテクノロジー的には大したことのない事でもすごく見える時がある。任天堂WIIもそうだし、オリザさんが演出したロボット演劇もそうだが、ようはどう演出するかだと思う。



【下記はツイッターで拾った聴講者の感想】

「今日のハナムラチカヒロ (@flwmoon) 先生の講演、大変興味深く、楽しく聴かせて頂いた。私の研究が事故・災害関係なので、もう少しそのあたり聴きたかったけれども、予定が詰まっていてお話できなかったのが残念。医療の文脈で、事件・事故被害者・遺族の風景異化ができないかと考えた。」

「ありがとうございました!時間を空けてもう一度聞くと、いっそう核心に触れたような気になり、何故か森に造花を植えたプロジェクトとアートカフェプロジェクトの話の途中で泣きそうになりました。そう友人に話すと、友人も同じ体験をしたそうで、それ程魅力的な話でした。」

「遅ばせながら先日は講演ありがとうございました。私も泣きそうになった一人です。デザインの可能性をすごくすごく感じることができました。またアトリエの方も行かせてもらいますね。」
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# by innerscape | 2012-01-19 22:00 | 情報デザインと風景

勝利と正しさについて

自分が正しいという所から出発するスタンスは一定の人に見られる。世代だけでは無いと思うが、世代や年齢というファクターも一つはあるだろう。自分がそうなっていないか常にチェックする姿勢を持たねばと思う。

思い込まないと何も出来ないのも事実だが、思い込みが激しいととんでもない間違いを起こす可能性がある。思い込みが激しい状態が多いと、そのことに気づけない上に相手を糾弾したり洗脳したりするのでこれが厄介だ。特に権力や権威を持ってしまうと気づけないことが多くなる。

なまじ弁が立つ人だと相手を論破しようとする戦闘モードに入るので、余計に相手から反発を喰らうが、大体そういう人はそれでさらに燃えるので、話す気が失せる。大事なのは相手と戦闘する議論じゃなくて、共有へ向かう対話だよ。

戦う人は時にカッコ良く見える時があるので、みんな戦う姿を見たがるけど、本当に何かと戦うことと、身のこなしや言動が戦っている風に見えることは似て非なることなのだと思う。真に戦いたければ騒がずとも静かに着実に戦えば良い。

議論戦闘力の高さで人望が得られるというのはもはや大きな間違いだと思う。
言っていることが正しくても言い方によっては正しいと見なされなくなる。内容と形式の両方が適切じゃないと伝わらない。過激な言いまわしで伝わるならばいいのだが、どうも必ずしもそうでは無い場合があるのだと思うのだが。


ディベートで理解しようとして相手と向き合うのと、勝ちに行こうとして相手と向き合うのとでは、全ての振る舞いのマインドセットが違う。後者の場合は喧嘩だし、勝つことが目的だからそのための印象操作も戦略のうちと言うことか。勝った方が正論を言っているようにも見えてしまうのが恐ろしい所だ。

つまり口喧嘩の強い奴の言っていることが正しいということになってしまう。腕っぷしの強い奴が正しく、戦争で勝った方が正しいという理屈。だとすれば正しさを得るためには勝たねばならないということがまかり通るが、それでいいのだろうか。正しいことを学ぶことは勝ち方を学ぶことになってしまう。

「正しい者が勝つ」ということと、「勝った者が正しい」というのは似て非なることだと思うがややもすれば混同しがちだ。何が正しいかということが立場によってあまりにも異なり、共有出来ていない時代だからこそ「勝ったものが正しい」とされる危険性があるのだと思うが、ちゃんと見れているだろうか。

言っていることが仮に正しくても、言い方が間違っていれば内容まで間違っているように捉えられる。まさに表現方法と内容の混同。同じく自信満々に言うと正しいことを言っているように聞こえる。どちらも発言の印象が内容判断に重要な要因になっているということ。そこを見抜かねば。
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# by innerscape | 2012-01-18 22:09 | 未来の自分との対話

断食と弱さについての覚書

年始に教会へ行き神父と話をした。丁度年末から断食を行っており、元旦がその最終日だった。旧くから知っている方だがそれを聞いて改めて興味が出てきたので断食の理由について尋ねてみた所、「断食すると自分の弱さと向き合うことになる」という答えが帰ってきた。答えに納得すると同時に深く共感。

普段人前で神の教えを説き、説教を述べる神父や牧師であっても断食をすると己の欲望や弱さや肉の枷からは逃れることが出来ない。傲慢になりがちな己を思い知り、より己を戒める為に断食へ向かう姿勢から我々は何を学ぶことが出来るのかを考えさせられる。己への静かな戦い方の一つが見える。
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# by innerscape | 2012-01-16 23:43 | 覚書

物語についての覚書

先日、視察団のアテンドのため東大寺に行った時に痛感したが、仏像というのは宗教的な意味合いはもちろんあるにせよ、当時のキャラクタービジネスだったのだと思う。だって造形とか半端ないぐらいカッコいいし、それ目当てで寺に来る人もたくさん居たと思う。

2010年に♭で展覧会をしたイダンの旦那さんのヨンギュンも彫刻表現の現代アーティストだが、日本の仏像へのオマージュが相当強い。信仰とか宗教も教義はもちろん重要だったのだと思うが、それに伴ってああした美術が持つ力というのは信者を増やす上で相当有効だったに違いない。

僕は見たことのないガンダムだが、これは宗教化していると先日対談した七井コム斎氏は言う。キャラクターから入って精神性へ辿り着くというプロセスなのだろうが、当時の仏教にもそういう部分はあったのだろう。現代のアニメーションについては宗教でも無いし教義などないのだが精神性はあるのかと。

逆に精神性や哲学の無いようなアニメーションはそこまで信奉されるような現象にはならないのではないかと感じる。最近は極東EX第7区としてアニメーションやキャラクターデザインについての仕事を少しやり始めているので、考えさせられることが多い。

あとは最近は物語の力について再考している。古くから物語について考えて来た演劇ではもはやリアリティを持てなくなってしまった一派が居ることも面白いし、ジャーナリズムやドキュメンタリズムの中で物語の持つ虚構性への指摘もよく理解出来る感覚ではある。ドミューンやニコ生のリアリティも納得。

一方で、膨大に生み出されて行くマンガやアニメーションは物語がバブル状態になっている。マンガ喫茶にずらりと並べられたのは全て物語である。テレビで流れてくるドラマも、映画もアニメも演劇も全部物語が形を変えて表現されているにすぎない。人には物語への欲望があることもまた事実。

しかし安易な物語がこれほどまでに氾濫していて、それを皆が知っているが故に、物語ではない事実の方が物語性を持っているという逆説的な現象が起きている。しかしダマされるな諸君。事実だと思っているのは誰かが捏造した物語ではないという保証はどこにもないのだ。テレビや新聞も嘘をつくのだよ。

物語を求める人間の心を利用して、いかにも物語然としたことが事実として提示される時には気をつけた方がいい。まさにスペクタクルの社会。ギー・ドゥボールは頭の良い人だったのだろうな。

なぜ洗脳論などを含めこういうことを言うかというと、僕の言う風景異化は物語と非常に関係しているから。記号論や脳科学との関係性の中でランドスケープが語られねばならないというのが僕のスタンスの一つ。そんなこと考えているうちにコンテンツビジネスとかの方向へ歩いて来てしまっているのだが。

年末年始にかけて映画に3本出ていて本日の一本クランクアップしたのだが、こうした活動も物語の内部へ入っていると言える。僕自身は物語の「作り手」ではないが、自分の体を通して物語の「語り手」にはなっている。書かないのかとよく言われるが、しばらくは物語の作り手になる気は今のところない。

なぜならば僕自身が物語の「語り部」になることが蓄積していくと、実は勝手に現実の僕自身が物語の作り手になっているという現象が起きると思っているからだ。そして実はそのことの方がよほど捏造された物語よりも物語性を帯びる。だから僕は主体的な作り手にはならず誰かのリアクションに徹している。

別に今日出たようなアクション映画とかがしたいわけでもないし、何か一つの物語を語りたいわけではない。ただ、周囲の人間が僕の存在にどういう物語や意味を込めるのかということに応じることで、総体として何かに回収されない物語が立ち上がるのではないかと感じているのだ。

だから僕の活動の一部だけを見て「こういうことがしたい人なんだな」と早合点するのを避けようとするので、いつも自分のプレゼンテーションが長くなるのだ。風景と同じで総体として活動を眺めないと見えてこないものがある。それを10代の頃から仕込み続けている。

ある記号に回収されないので、社会的に僕の存在が認知され無いことは仕方無い。しかし、それはあまりに安易な記号性を求める社会自体に問題があるのではないかというアンチテーゼとして機能すれば良いと思う。一人の人間というのは多重なる記号を持っている。それは例え仕事や職業という面においても。

その多重性こそが人間にしか出来ない仕事を成させるのではないか。チャップリンのモダンタイムズではないが、歯車のように単一の機能だけでできることであれば機械にまかせておけば良いこともある。
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# by innerscape | 2012-01-15 23:45 | 覚書

『石井岳龍は、路上にいる。』 協力してます。

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縁あって、映画監督の石井岳龍さんのトークライブツアーのお手伝いしています。
僕は2週連続で神戸プラネットアースです。
皆さん是非お越し下さい。


石井岳龍トーク・ライブ・ツアー
『石井岳龍は、路上にいる。』

●神戸 2012年1月15日(日)18:00〜(開場は30分前)
神戸元町高架下商店街アート・カフェ『プラネット・アース』
場所:JR元町駅下車、高架下商店街を西へ約5分。モトコータウン2(山側)
★テーマ『映画を目指す若い衆へ。生きてるものはいないのか?』
神戸芸術工科大学で教鞭を取る石井監督から、次代を担う若者へメッセージ。
参加者とのディスカッション、「生きてるものはいないのか」予告編、短編作品プロジェクター上映など。参加者による交流会も。10分以内の映像作品(DVD)をお持ちの方はどうぞお持ち寄り下さい。時間の範囲内で上映いたします。

●大阪 2012年1月21日(土)18:00〜(開場は30分前)
天神橋筋6丁目ブック・カフェ『ワイルド・バンチ』
場所:各線天神橋筋6丁目駅 2番出口より、北北東に徒歩2分。
★テーマ『かつて石井聰亙と呼ばれた男』
対談:石井岳龍×ミルクマン斉藤(映画評論家)
石井聰亙時代の足跡を辿り、改名に至る道のりを検証。
そして、今後の新たな思いを語る。撮影当時のエピソードやレアな話が飛び出すかも。石井ファン必見!
「生きてるものはいないのか」予告編、石井監督短編作品をプロジェクターにて上映。
《誠に恐れ入りますが、1ドリンクのご注文をお願い致します》

●会費
一般・学生=2.000円(『生きてるものはいないのか』特別鑑賞券付)
『生きてるものはいないのか』前売券をすでにお持ちの方はご提示により、1.000円にてご入場いただけます。

※会場の混乱等を避けるため、メールでのご予約を優先とさせていただきます。
quickone@sky.bbexcite.jp(主催:渡辺)までお名前、希望日、希望人数をお知らせくだい。返信にてご予約完了とさせていただきます。
また、当日は自由席となります。ご予約済の方でもお席の確保は困難となりますので、早めにお越し下さい。

本企画は、石井監督、関係各社・各位のご協力のもと、自主企画として開催されます。トラブルのない運営を心がけますので、よろしくご協力お願いします。
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# by innerscape | 2012-01-15 23:00 | インフォメーション

作品制作プロセスについての覚書

昨日は「霧はれて光きたる春」の現地実験。色々と課題が見えて来るのでそれを一つずつ潰していく。43組居るおおさかカンヴァスのアーティストの中でまだ作品を実施制作していないのは僕だけになってしまった。病院で行うというのは様々なリスクを背負わねばならないので、作品よりもプロセスが重要。

今回は特に電源の問題が大きい。他にも昨日浮上してきた問題は霧の空調への吸引。無菌室は吸気を止めるわけにはいかないので、そのトラブルシューティングもある。思った以上に吹き抜けに気流があるので、毎日風を読みながらセッティングを変えていくしか無い。

搬出時間が配膳の時間とかぶっているので搬入用エレベーターが使えないという問題もある。EPSの垂直引き回しが耐熱処理の床を抜けていかねばならないので、電源収支を測定して何とか近くから引き込みが出来るような段取りも数日以内に立てねば。アナウンスと音響はまだテストを一度も出来ていない。

サインと告知もまだだな。やること山積み。情報掲示の制作には誰かに手伝ってもらいたいところ。霧はれて当日見れるという事で、誰かパネル制作手伝ってくれないかしら。

こうして病院でインスタレーションする時の課題を洗い出して行けばいかに困難な事かが浮き彫りになる。もともとそういうことをする為に作られた施設でもなく、美術制作に対応できる担当は誰もいない組織においてアーティストとして関わるには熱意とコミュニケーション能力が全てだと改めておもう。

昨日の現地実験で担当職員と技術職員達の態度が少し変化した。現象を目の当たりにして急に現実感が増したのだろう。その後非常に協力的になり、提案も向こうからたくさん出てくる。僕の作品という枠組みなど取り払い、彼らのプロジェクトになるべきだと思う。獲得されるプロセスが重要なのだ。

かつてクリストがランニングフェンスやアンブレラプロジェクトをした時に一軒ずつ交渉して作品の設置を行ったという話があるが、風景を作る中で起こるプロセスそのものが浮き彫りにする問題提起というのが作品の本質の一つだろう。いずれ論考にまとめねばならないが、それはまだ先の話だろう。

今回の病院は市大病院と比べてこうしたインスタレーションやアートイベントについてまるで知らないので、どのような問題が発生するか想定出来ていない。むしろ我々の方が病院よりも技術的、仕組的、倫理的な問題について意識出来ているので、何か出てきた時にすぐに対応できる。

この数ヶ月の間に足しげく通い、何度も説明と確認を繰り返し、調整を重ねながら進めて来た。その間に、担当職員の態度が段々と変わっていくのが見える。最初はこんな事出来るのかと訝しがっていたが、今や「何とかして見ます」というスタンスに変わった。これが実は作品よりも重要な成果だと思う。
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# by innerscape | 2012-01-13 23:49 | 覚書

風水についての覚書

キムキドク先生との共同研究に当たって本気で風水の勉強をせねばならないと感じる。高校の時から関心を寄せ少しずつ勉強して来たが、アメリカンランドスケープと現代アートを通過してようやく機会が巡って来たように思える。

様々な迷信を取り払いながら丁寧に問いと答えの連鎖を見ていくことで、近代が忘れた空間デザインの本質が見えて来るかもしれない。都市計画からインテリアまでスケールをまたいで通底した理屈があるのも興味深い。近代のランドスケープを乗り越える論理があるかもしれん。

僕が考えている風景異化の根幹を成す「見立て」とも相通じるところがある。我々は近代という補助線にあまりにとらわれすぎていて、それが唯一の実線だと思い込んでいないだろうか。
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# by innerscape | 2012-01-13 23:48 | 覚書

欲望と参画についての覚書

何に問題を感じているのかはもう一度確認せねばならない。何も問題が無いのであれば、使命感を持ったコミットをする必要は無いからな。後は楽しいからという参画のモチベーションだけが残るわけだが優先順位で加わるかどうかを決める。
後は問題の大小と己の使命感との整合だな。
自分がしたいという欲望を正当化するために使命感を持つという態度と見分ける目を持ちたい。したいという欲望を否定しているわけではなく、その欲望は深められねば、個人的には意味あっても社会的には意味は持ちにくい。
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# by innerscape | 2012-01-11 23:53 | 覚書

批判についての覚書

昨日トーク修了後に話していた地方から東京進出型キャリアパスの限界の話は僕もずっと感じていた話。未だにその幻想に囚われている人を見ると洗脳の深さにはビックリする。昨日まで続いて来たシステムが明日も続くと信じている無邪気さはある意味でうらやましい。

何かのアーキテクチャーに乗っかることで急激な伝播力を獲得する方法は今でも強い力を持っているのは事実だとは思うが、消費されることや潰されるということも簡単に起こる。時間をかけて獲得して来た信頼は持続力を持ちうるのではないかと思うので、地道な活動をしているのだが、なかなか。

何かのアイデアを誰かに話すと大体「無理だろう〜」って答えが返って来る。無理だと決めてかかるから無理なんだと思うよ。それって実は自分で能力にリミッターをかけているだけでなく相手の勇気ややる気も奪っている。

相当親しくて信頼していて自分をサポートしてくれる友人だとしても、それ言われた時には結構やる気が凹んでしまうのだから、ましてやあんまり知らない人に叩かれたりすると誰もやろうとは思わないし、アイデアすら話そうとはしないよね。クリエイティビティを奪う社会にしているのは誰だろうか。

やりたい人ばかりの昔と比べて、誰しも不安で答えを持ち得ず行動しにくい今の社会で、批判の仕方はとっても重要なように思える。やたらと焚きつけるのも違うとは思うが、相手の能力を半分以下にまで落とす批判はもはや罪とさえ思えて来る。
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# by innerscape | 2012-01-08 23:55 | 覚書

神戸のガンダム講談にゲスト出演です

今度は神戸でガンダム講談のゲストで出ます。
全く何を話すのか、どんな話になるのかは検討もつきません。
ご関心ある方は是非。

【七井コム斎のガンダム講談コーベ方面軍7】
日時:1月8日(日) 15:00開場/15:30開演/17:30頃終演
場所:プラネットアース(JRまたは阪神電車の元町駅より高架下商店街を西に徒歩3分)
地図:http://bit.ly/gErBaw
会費: 予約1500円 当日2000円 18才未満無料
ネット予約:http://bit.ly/ieaHPI(12/12〜前日まで)
演目:『ソロモンの悪夢』『マ・クベの武士道』
ゲスト:ハナムラチカヒロ(ランドスケープアーティスト)
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# by innerscape | 2012-01-08 14:27 | インフォメーション

競争についての覚書

ネオリベが嫌なのはそこにスポーツマンシップが感じられないことか。競争は人を磨くためにあるべきで、相手を蹴落として絶望に追いやるためではないと思う。最初から公平で平等な状態などありはしないのだから、助け合い補い合う精神を持たねば潰し合うだけになるのではないか。

昔からあまりコンテストとか競争に興味がいかなかったのはそういうことか。競争に乗らなくても評価される世界とは何だろうか。
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# by innerscape | 2012-01-08 00:00 | 覚書

哲学についての覚書

正月はずっと森岡正博さんの哲学に対する文章を読んでいたが、己を棚上げしないアティテュードが僕にはかなりリアルに響いた。同じ府立大学の教員だし、「生命学」の提唱者なので一度話を聞いてみたい。

僕が阪大CSCDで教員していた頃に、鷲田清一氏と一緒に3年間哲学の授業を持っていたが、その時も己をどこかに棚上げしない語りというのを大事にして毎回の授業に臨んでいた。その後彼が学長になってからは一緒に授業することはなくなったが、今でもあの頃に彼と議論していたことを実践している。

哲学というのは一般的には役に立たない学問だと思われているようだが、僕はそうは思わない。人が生きて行く上でこれ以上応用が利いて役に立つ学問はないのではないかと思うぐらいだ。それは哲学の知識の話ではない。哲学の知識で言うと僕はほとんど知識を持っていないのだから。
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# by innerscape | 2012-01-07 23:58 | 覚書

哀しみについて

誰も信じないから誰からも信じられないのだ。
誰かを信じて裏切られれば、怒りを持って返すのではなく、哀しみに変えればいい。
哀しみは静かな力になり、いつか相手に届くだろう。
それが届いたのなら裏切った者の方が本当の哀しみに囚われるのだと思う。
その時に優しく微笑んであげれるような器を持ちたい。
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# by innerscape | 2012-01-07 22:23 | 未来の自分との対話

冷静さについての覚書

己を冷静に保っていないとバカな事も無茶なことも出来ない。激しく感情が揺さぶられているように見える時ほど、実は己の中で冷静に状況を観察しているまなざしがある。宮沢賢治の死に際ではないが、外からの有様と内からのまなざしは随分とちがうものだ。
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# by innerscape | 2012-01-07 00:03 | 覚書

「独白する不純物」制作途中の覚書

伊藤さん、三田村さんとのハングアウト会議終了。一人演劇の「独白する不純物」の準備を会議を着々と秘密裏に進める。いよいよ来年度からの配信でプレの配信日も決定した。そこを皮切りに一年間かけて一人演劇を配信する予定。ネット時代の演劇のリアリティとは何かを考える。

自分自身が役者として演劇をするということは非常に重要な思考ツールとして効いている。風景を内部から捉える視点と、外部から風景として捉えられるという視点の両方を持ち得ると同時に、アイデンティティの問題にも迫ることが出来る。何かを表現する上でこの視座はとても重要だと感じる。

「独白する不純物」はある種の実験と思考の場だと考えているので、表現として成立しているかどうかは終わってみないと分からないだろうなとは思う。ただメディアランドスケープを考える上で演出家と一緒に夜な夜なネット時代のアイデンティティのあり方や、ニコ生のリアリティについて語るのは楽しい。

クリエイティブシェアが爆発的に一般化したのはやはりyoutube以降だと思うが、それが開く風景のあり方についてリアルな場でも、ヴァーチャルな場でも考えねばならないとは常々感じている。リアルな場で試みている極東EXに対して、ヴァーチャルな場として「独白する不純物」が実験の端緒か。

ブログで書いてきた過去のネタからいくつかリメイクするという方向性も出て来た。最近はブログよりもツイッターの方が便利なのでこちらでつぶやくことが多いが、昔はかなりアイデンティティについて書いていたんだな。読み返してみると等身大で生きてきた痕跡が残っていて恥ずかしい限りだが。

しかし個人的なことをつぶやいたり、自分の赤裸々な想いを公開したりすることに何らかの社会性があるとどこかで信じているので、自らの人生を使って実験しているのではないかと思う。自分を作家とは思わないが、作家性を持ち得るとすればそういう所か。

表現や答えとしてはフィクションでも良いかもしれないが、想いや問いはフィクションでは絶対にいけないのだろう。そこをゆずると何らリアリティがない言動しか出てこないのではないかと思う。論理的で客観的な文章を書く時に陥りがちなのが、この部分。だから私的で詩的なことの方が僕にはリアルだ。
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# by innerscape | 2012-01-07 00:00 | 覚書

客観性と補助線についての覚書

実践では実験にはならないのだろうが、現実の実践には二度と同じ条件にはならないので、再現性がない。客観性を持とうにも、作家として関わるので主観を捨てれは意味が無いし。研究と実践の間で引き裂かれそうだが、グッと堪えねば。

大仰な客観性や科学性を振りかざすのではなく、自分という存在を棚上げせずに等身大で社会に向き合うことから立ち上がって来る客観性があると信じたい。それが「組織」ではない場所に身を置く職業の社会的な役割の一つだろう。

我々の世界の認識は、知識や感性が先にあってそれに導かれるのだと思う。先に認識があるのではなく、ある補助線が先にあるのだろう。それをたくさん持つことが客観性につながるのだと思う。

心や信念を強くもっておかないと自分の主張というのはすぐに潰されてしまうが、強すぎるとその事が強権的で絶対的な主張に聞こえる。真実など誰にも分からないので、確からしい可能性だけを伝えるような主張の仕方を取りたいと思うのだが、それでは迫力は無いのだろうか。

科学者は政治家ではないし、必ずしもそれほど強き主張で何かを訴えなくても良いのではないか。常に真実に対して可能性を開きながら、世界に疑いの目をむける必要がある。それは自分の考えに対しても同じだと思う。補助線が描くのが科学者の役割でそれを実線に変えていくのが政治家の役割かと。
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# by innerscape | 2012-01-05 00:06 | 覚書

映画と流通についての覚書

映画監督は作る事については色々と考えているが、流通するということについてはほぼ手が回らない印象を受ける。無論流通は監督の仕事ではなくプロデューサーの仕事なのだろうが、独立系コンテンツの場合は独自のプロデューサーも立てれないので、資金調達と流通の面でスケールが上がらないという問題。

僕の場合も映画への関わりは基本は役者としてなので、どちらかと言うと生産脳が働いている。自分が納得して生産していない作品は流通する気も起きない。流通脳を持つプロデューサーが加わると頼もしいが、作品が売れるかどうかが判断基準になるので、生産脳と相入れない部分があるのは否めないかと。

雑誌の場合でも運営権と編集権が独立するなんてことが難しいから批判力が下がっていくのだが、映画も同じ問題を抱えている。流通される仕組みそのものから考えねば新しいものの生産には限界がある。マーケティングの限界がコンテンツ生産の限界に影響しているんだな。

ハリウッドモデルも20年代、50年代、70年代、90年代、00年代と変遷してきた。70年代にコングロマリット化した流れはそのまま続くだろうが、既に別の流れがyoutube以降として出てきている。まだモデル化には至っていないだろうが、独立系の映画監督は意識した方がいいように思える。
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# by innerscape | 2012-01-05 00:04 | 覚書

全体主義についての覚書

東京に就職した♭の卒業生が正月に帰ってきて昼ご飯を一緒に食べた。休学してバックパッカーとして世界一周しただけあり、根性もやる気も半端ない。実存の話やメディア洗脳の話などあれこれした。かなり刺激受けて帰った模様で良かった。

全体主義が進むとそこに従わない個性を排除する方向に進む危険性があるが、その全体主義を嫌う主張ばかりするあまりに何も共有しうる物がない相対主義に陥るのも同じ罠にはまっている事を再確認。コミュニティの形成とかデザインとか言われているが一度壊れてしまった我々に対して簡単にはいかない。

極めて政治と芸術の話。今アトリエでしている実験はそう言う問題と地続きなのだと正月早々考えさせられる。皆が答えのない中で模索中しているが、自分もコミュニティの主体として関わるからこそ出てくる悩みもある。外からああだこうだ指揮者的に言うのはある意味主体を棚上げした態度に見えるな。

そういう意味で正月からレファレンスとしては最適な映画を見た。独裁と全体主義と心理実験。全体主義的社会と双発型社会との違いをちゃんと意識出来ているかのチェックとしても興味深かった。
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# by innerscape | 2012-01-03 00:09 | 覚書

ノイズとデザインについての覚書

最近は建築家とかデザイナーが作る隙の無い空間がしんどく思えてきた。歳かな。それとも時代かな。

広い意味でジェントリフィケーションが上がって行くとノイズが排除される。それがつまんないけど仕組まれたノイズの方が今はよりつまんなく感じる。

一方で職人がきっちりとする仕事は気持ち良いというのも事実。そこにはノイズを取り入れようとかいう変な意図が無いからかも知れない。一周回ってノイズは仕組むものでは無いんじゃないかと思えてきた。

ノイズが生まれるかどうかはデザインの問題というよりも構造の問題なのだと思う。
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# by innerscape | 2012-01-02 00:12 | 覚書

家屋についての覚書

「哲学とは、われわれがはまっているところの枠組みそれ自体を、野蛮な力をもって徹底的に疑い、再考し、われわれ自身が何者であるのかを根底からあぶり出していくような試みであるはずだ」

♭で暮らし始めて三年が経つが、普通の住宅の性能の良さに改めて驚くようになった。まず暖かいし明るいし快適極まりない。住宅はもうこれで充分だしこれ以上の快適さは必要無いのだろうな。でもこれが標準になってしまうと、それが無かった時のありがたさを忘れてしまうかも知れない。

雨風が防げる。暖が取れる。安全に眠れる。水が出て流れる。こんな当たり前さに住宅のピュアな部分があることを工場に住んでみることでリアルに体感している。まだお湯が出るというのは獲得していないが、文明が住宅の標準スペックとしてお湯を獲得したプロセスを今から経験出来るのは楽しみではある。
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# by innerscape | 2012-01-02 00:10 | 覚書

問いの深さとコミュニティとカタチについての覚書

シェアこたつを後にする。アンテナが高くて頭の良い人と話をすると気持ち良いし、話が早い。関西ではなかなかそういう人と話が出来ないのは人材不足なのか、僕がまだそのレベルではなく巡り合えていないのか。自分の価値観を信じて疑わない人と会話するとちゃんとした対話にならないので辛い。

問いの深さが揃っていると違うジャンルでもすぐに話が繋がる。自分の方が問いが浅くて相手が深い場合は、相手の懐次第では対話が出来る。自分の方が問いが深くて相手が浅い場合には、自分に忍耐力が要求される。ジャンルが違って知識や情報も違うと問いの深さでしか話が出来ないのだ。

問いが浅いのに自分の問いが深いと勘違いしている人との会話が一番困る。そういう人は真摯に相手から学ぶ姿勢とかなくて相手を説得したり論破しようとするからだ。そういうことするから問いが浅くなることに気づいていないのだが、それを相手の自尊心を傷つけずに指摘するほど自分にスキルがない。

教育者と学生という立場、あるいは東洋においては年齢など、権力的な枠組みを借りればまだ相手を諭す事が出来るかも知れないが、フェアな状態で話しをする場合に、途中で相手の問いが自分より浅いのに気づいてしまうと話す気を失ってしまうのはまだ未熟だ。特に相手が歳上だとよりやっかい。

大体、問いの深さに年齢などあんまり関係ない。その事を考え続けた時間で決まるのだ。経験や知識も多少は影響するかも知れんが問いが無い状態で得た知識や経験はただ通り過ぎていくだけだろうと思う。だから歳の功だけをカサに正しさを主張して来る人に腹が立つのだろうな。

コミュニティの形成に主体として関わる人を見ると応援したくなる。外からやってきて専門家顏でデザインなどと称して去っていくのに個人的にはどうも違和感を覚えるからだ。年末だが、深く問い続け考えている人にまた一人出会えたことに感謝。

シェアとかコミュニティとかを仕掛けるって、まぁ忍耐のいることだ。とても逆説的だが、それをストレス無く実行するためには仕掛人は孤独を受け入れねばならないということなんだろうな。

自分の弱みでもあり強みでもあるのは「カタチ」にこだわってしまう所だと今日は再確認。しかし自分の中でもカタチを信じている部分もまだ捨て切れていないということと、おそらくそういう人は僕だけではないということもまた事実。カタチが欲しい人には与えればいいというのが今の所の僕の答え。

逆にカタチがあるせいで、誰かを自由に出来ないという限界も良く分かる。だから彼はカタチを捨てたのだと思う。しかし実はカタチではないと思っている人ど同じぐらい形を欲している人もいるというのが僕は正しいと思う。パブリックを問うのであればそちらも認識しないと片手落ちだと思う。

本当に頭の良い人は高圧的な話し方をしない。中途半端に賢(さか)しい人が己の自意識を振りかざして議論とか挑んで来る。本当に頭が良くても性格悪い奴は同じような表現形なので見分けるのが大変。最近見分け方が分かってきたが、それするとこっちが被害にあうので極力使わないように二年前から心がけている。

東京からの帰り道、岸井さん、羽鳥くんの出している「ゆっくり考えたい」の全ての号を帰りの新幹線中の名古屋までに読了。こんな尖った議論がこんな所でされているのに驚く。この方面でのアンテナ低い人にはほぼ理解不能な内容なんじゃないかと思う。ここらあたりがおそらく最先端だろうな。

ここ一年ぐらいで演劇領域の前衛ラインが大体見えた。建築や美術の前衛ラインとも概ね同じ方向を向いている。若干違うのは映画か。デザインもまだそこまでは追いついていない感がある。後10年ぐらいはこの前衛ラインが進行するだろうが、その後にやってくる波は今の揺り戻しとなるだろう。

しかし揺り戻しがくる頃ぐらいにようやく今の前衛ラインに気づいた人が増えてくるので、その頃には別の問いが立っている。つまり社会化した段階で既に答えが出ているということ。アンテナを高く保てる者だけが次の問いに取り組むことが出来るだろうな。ただビジネスしたい人は答えが出ないと動かない。

常に新たな問いを立てるには自分を追い込む体力と精神力が必要だ。だから肉体的な体力と、不当に追い込まれることで生まれる精神力を持つ若い奴の方が切っ先の尖った問いを立てれる。歳をとると答えに満足しちゃうからその気力が無くなるのだろうと考えれば、ちょっと年寄りを労わりたくもなる。
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# by innerscape | 2011-12-27 10:09 | 覚書

なぜ僕が講演の初めに自分のルーツを話すのか

誕生日と結婚式を迎える弟に会いに母が東京に行くようなので、講師料は全て母へ渡して旅行のたしにしてもらうことにした。最近忙しくて全然親孝行できていなかったので、せめてもの気持ちだ。
弟に結婚の祝儀を渡したが、それと同時に僕は母へ同じ額の祝儀を渡した。弟の結婚は母の一つの区切りであり、彼女への祝福でもあるからだ。
姉の結婚の時には僕に経済力がなく、十分なことは出来なかったのだ。

日本へ来てもう40年になる母は日本人になったのも最近で、今も年金すら無い暮らしだ。
朝鮮戦争の疎開の時に怪我し、ほぼ片腕状態で僕ら三人を大学まで出させてくれた母に僕は頭が上がらないのだ。だから彼女を何とか支えて生きるためにも金に興味ないなどとは言ってはいられない。
我々がまだ小さくこれから養わねばならない時に父を喪い、コネも地縁も無い中で己の根性と能力のみで生きていかねばならなかった母の人生を察すると、僕自身は甘えた事を言ってはいられないという気持ちにもなる。だからこうして講演が出来るようになるまで育ててくれた母に感謝の気持ちを表すのだ。

母には思い切り今を楽しんでもらいたい。
10年後はもう楽しめないような健康状態になっているかもしれない。将来への貯蓄など必要はなく、今を楽しみ消費するために必要なお金というのがある。だから僕は僕の能力で稼いだお金を今の母のために使う。今でないと意味が無いようなこともあるのだ。
己一人の私腹など、底が知れている。茶碗一杯でお腹いっぱいになるのだから。
そんなことよりも今の己を何が成り立たせて来たのかということへ感謝することや、これから出来るであろう己の子供が生きて行く上でどういう社会が良いのかを考えることの方が僕にとって余程意味のあることだ。

色んな人が色々と近づいて来て、己の能力で必死に生きる僕らから搾取しようとしてくる。頭から出てくるものは原価がかかっていないので当然のごとくタダのように扱う。
冗談ではない。
血のにじむような母の努力と生き様があったからこそ、今の僕のクリエイティビティがあるのだ。搾取されてたまるか。
僕はモノを動かして商売している訳ではない。己のクリエイティビティと情熱を武器に仕事をしているのだ。24時間そのことに熱意を傾け、人生を自分の資本にしているのだ。そんな僕を作るために母が僕にどれほど投資をしたのか。それを考えるとビジネスなんて言葉に搾取されている場合ではないのだ。

だから僕は講演のはじめに必ず自己紹介をする。その時に必ず自分のルーツの話をするのだ。なぜ今の僕があるのか。そのことを語らねば今の自分のクリエイティビティは無いと考えているからだ。インターナショナルでいいねと人がうらやむが、それは僕が自分の人生をポジティブに読みかえているからだ。
僕が母の血のにじむような努力をポジティブに評価しないと一体誰が評価してくるというのだ。語られずに埋もれてしまう彼女の歴史を声高に訴えるには僕という人間のありようが社会化することしかない。制度に守ってもらえなかった彼女が必死で守った僕の存在が彼女のプライドになるしかないではないか。

20年前に父が亡くなる時、長男の僕にだけ耳打ちした言葉がある。
でも家族の誰ひとりそれがどんな言葉であったかということは知らない。
僕と父との間でだけ交わされた約束事だ。

母は海外に居て、父の最後には立ち会えなかった。
姉もその時はアメリカにいて同じく父とは最後の言葉を交わしていない。
当時弟は7歳で記憶すらあいまいではないかと思う。
もうダメだと分かりロビーで泣きじゃくる僕に優しい言葉をかける弟が何も知らないのだなと考えると、さらに不憫に感じたのを今でも忘れてはいない。

もっと強くならねばならない。そしてもっと優しくならねばならない。そう静かに想う。
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# by innerscape | 2011-12-16 10:44 | 私的詩

「霧はれて光きたる春」DVD上映のご案内

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京都造形芸術大学の公開講座でお話をします。
もしこれまで僕の話を聞いた事が無い方が居られれば是非、お越し下さい。

下記、案内文。


「風景をずらすことで起こる変革」
花村周寛
日時:2011年11月20日(日)13時30分から16時30分
会場:大阪サテライトキャンパス
申込不要、参加費無料


このたび、芸術環境研究領域では大阪府立大学の花村周寛先生をお招きして下記のとおり公開講座を開催します。花村先生はランドスケープアーキテクトとして空間設計に携わるだけでなく、俳優やアートカフェのディレクションなどさまざまな活動に関わっておいでです。本講座では、花村先生のこれまでの活動についてお話を伺うとともに、病院でのプロジェクト「霧はれて光きたる春」の記録映像を上映し、公共空間とその場の「異化」について考える機会を持ちたいと思います。大学院生以外にも多くの方のご参加をお待ちしています。
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# by innerscape | 2011-11-20 13:30 | インフォメーション

歩く文化の復権

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などと普段から車に乗る自分が書くのもおかしいが、そう思うのだから仕方あるまい。
縁あってオムロンさん主催の「京都カラダ会議」なるものに参加して一緒に議論している。割とすごいメンバーが来ているのだが、京都カラダ会議といいながら京都では一度しかしていない。

さて、そのカラダ会議での話題の中心はオムロンが出している活動量計とウェルネスリンクというシステム。

いわゆる万歩計という奴なのだが、自分が歩くということを数値化すると意外と歩いていない事に気づく。
例えば、この1週間の自分の歩数を見てみると。

10月26日 10118歩
10月27日 6481歩
10月28日 7638歩
10月29日 1300歩
10月30日 2239歩
10月31日 6923歩
11月1日 4242歩

という結果。
「だんだん減ってんじゃん」とか思うわけだ。
大体29日の1300歩って一体....とか思ってスケジュールを見ると、研究室にこもって作業をしている日だったりする。
こんな感じで歩く事を「見える化」することで気づく事が多い。
「見える化」については僕の風景異化論の中でも重要な要素で、データハンダイでそのあたりをやったが、いつかまたやってみたいネタではあると暖め続けている。

ともかく歩く文化の復権が重要だと思う。
僕のいる観光産業戦略研究所はツーリズムを研究するところだ。
ツーリズムとは英語で書くとTourism。
つまり"ism"であって主義主張や思想である。
だからTourにismが付いているのでずっと旅し移動し続けるという思想だ。

そもそも考えてみれば人類の歴史のほとんどは移動の歴史で定住し始めたのはほんの最近のことだ。
狩猟民族であったころは、とにかく狩りのためにずっと移動している。
この時代は人口が増えればその分の食料が必要で、自然から収奪するのも大変なだということから期せずして自然環境は守られていたといえる。
しかし人間が定住し、穀物を育てるようになってから一気に人口が増え、環境破壊が起こったという人も居る(コリン・タッジ「農業は人類の原罪である」)。

それまでは人類は移動し続けていて、つまりTourismだったわけで、もの凄い距離を歩いてグレイトジャーニーしていたという。
だから潜在的に人間のカラダは歩く事がプログラムされているのだ。
しかし、今や仕事のほとんどがパソコンの前に座ったり、または移動を伴わないようなものになってきていて、しかも移動も私のように車を使って移動したり、電車に乗ったりと乗り物に乗るようになってきているので、ますます総人口メタボ化や成人病などになってしまっているという。
方やフィットネスなどに通ってカロリーを消費しているという不思議な現象も起きる。

歩く文化を復権させるということは、健康文化を作るということである。
そしてマルチメディアの発達で脳化した社会の中でカラダを復権させるということでもある。
歩く文化を復権させることは街を歩いて楽しい環境にすることでもある。

そんなことを考えているのだが、こうしてパソコンの前に座って声高に唱えていてもリアリティは無いのかもしれんけどね。
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# by innerscape | 2011-11-02 18:28

キネスケープショーケースvol.001

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♭で週末に行なっている「キネスケープ研究会」では映画の中のランドスケープを巡って映画監督の方々などと一緒に議論しています。
今回はその研究会を公開にした「キネスケープショーケース」として、研究会メンバーの監督作品を上映し、関西のインディペンデントシーンで映画を撮られている方の作品を巡ってオープントークをする機会を設けたいと思います。

是非ご参加下さい。

CINESCAPE SHOWCASE vol.001

■上映作品
監督・脚本:渡辺シン
「テンロクの恋人」(99min/2011 年) /出演:桂三風・宇賀仁美・山本拓平 他
監督:吉田徹
「マルセリーノ」(17min/2011 年) 脚本:佐藤絢美/出演:くにえださわこ、ますもとまさゆき、ハナムラチカヒロ

日時
10 月 16 日(日) 14:00~17:30

13:30 開場
14:00 開演
14:20 「マルセリーノ」上映
14:50 「テンロクの恋人」上映
16:50 監督によるトーク

17:30 終了
終了後、懇親会(会費制)あり


参加費
一般1,000円


定員
40名


連絡先
quickone@sky.bbexcite.jp
渡辺真

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# by innerscape | 2011-10-16 13:05 | インフォメーション

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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