flw moon innerscape

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表現と名実と

表現とは最終的にその人がどういう生き方をしているかという事に尽きるだろう。僕が工場に住みながら色んな人と場と時間をシェアし、助けてもらいながら知恵や価値を交換するのは生き方であり僕なりの表現なのだ。小手先の表現技術の問題ではない。生とどう向き合うかというアティチュードの問題だ。

事業化してもっと効率良く儲ける事も出来るのにと言う人も居る。美味しい目が見れるかもと期待をかけてくっついてきたが、いつまでたっても事業化しない事に愛想を尽かして離れた奴も居る。何が魅力の本質なのか見抜けず事業化しようとしても底は見えている。

生き方だ、表現だと何事も口で言うのは簡単だ。しかし本当にリスクを背負い、粘り強く耐えながらそれを実践していく事は困難だ。実践し行動し創造し続ける者の言葉にはリアリティが宿る。口先で理念ばかり唱えられがちな社会だからこそ体現することの重要性を噛み締める。

今のマスメディアは名実の価値を逆転させているように思える。実を行う者に光を当てることで名を得ていくプロセスが本当の道筋だ。しかし名を与える事でその者に実があるかのような錯覚を起こさせているのが現状ではないか。名には流行りや賞味期限があるが、実には地道な生き方が伴わねばならない。

プロデュースという言葉をはき違えてはいけない。 実に名を伴うようにするのがプロデュースであって、実がないものに名だけ与えることではないのだ。しかし、人は簡単に名があるものには実があると思ってしまう。ブランディングの逆転現象が起こっている。

今はこうして耐え忍びながら実を積み重ねていく。名は僕が作るものでは無いし、周りが価値を認めていないのであれば名など出来るはずは無い。今の自分に名が伴っていないのは、実が足りないか、価値を認める人が少ないということだと受け止めている。しかし、名の有無とはべつに実とは生き方だ。

名は業界というコミュニティから始まるのだが、一定間隔で旅をする自分はコミュニティの中で名が上がる事が無い。自分が実を行っていないとは思わないが、どの業界においても、誰も僕のしていることを知らないので評価のしようがないのは仕方ないだろう。

ただ名を伴なっていない今、自分の実を評価してくれている人間は貴重だ。名が伴なってから寄って来る人間には、実を見ている者も居るが、名だけを見ている者がほとんどだと思うからだ。そういう者は名の賞味期限が切れればすぐに離れて行く。「杜子春」の中にそういう者がたくさん描かれている。

自分だけの利益のために人を利用する者を悪人というのだ。 例えそのつもりはなくとも結果としてそうなってしまったとしてもそれは同じ事である。それを挽回するためには今度は相手の利益だけを考えてするぐらいの事をせねばならない。しかしそんな動機で動ける人間はなかなか居ないことを嘆く。
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by innerscape | 2011-08-15 10:36 | 未来の自分との対話

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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