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対馬の聖地の調査
対馬の聖地と天道信仰の調査に入る。
調査二日目の対馬は雨。
雨の方が聖地の感覚がよく伝わってくる。
昨日は島の南半分の神社を回って、この島が神々の島であることは十二分に理解した。
社殿は単なる拝み、祈るための場所であり、実際に神がおりてくる場所には建築は無い。
聖地のランドスケープの研究はその辺りからの出発。
対馬は朝鮮と日本との境界上の重要な場所で、このアーキペラゴの風景だけ見ても普通の場所とは異なることがよく分かる。
和多都美神社は海彦山彦の神話の地。
本殿は単なる遥拝所だが、裏側に磐座があり、おそらくそこが本命かと。
蛇の鱗の岩が気になる。
山のシューレで植島先生、伊藤先生と鼎談させて頂いた時にぶつけたのは、エネルギーと物質が交換される場としての聖地の話だったが、そこに記憶というファクターが足されねばならないというのが、その時に僕の中で学んだことの一つ。
聖地は見出されるものであって創られるものではないため聖地など人の手でデザインすることなど出来ない。
では人に出来ることはないのかという問いがそこに立つ。
ヤクマ祭の時に浜に積み上げられる石にはその辺りのヒントがありそうだと思い訪れてみた。
木坂の海神神社のヤクマ。
天神多久頭魂神社の岩積み。
朝鮮の影響を色濃く受けているのが分かる。
岩積みが対になっているので、その中央の木造の鳥居がおそらく中止だろうと推測して方位を図ると、案の定真東を向いている。
五根緒の岩積み。
曽根崎神社近くの岩壁に積まれているもので、ヤクマ祭との関連があるのかどうか。
地図にも無いような場所なので辿り着くのは難しい場所にある。
海が一望出来るというのとはあるが、なぜこの位置にこの形で積まれなければならないのか。
江戸期の対馬には約450個ほどの神社があったという。
現在では約150箇所ほどに減少しているが、かなり古い信仰の形態が残っている。
中でも興味深いのは龍良山を中心として設定された「オソロシドコロ」という禁足地で、その境界地として表八丁郭と裏八丁郭という場所。
(八丁角とも書く。)
これはヤクマと同じように岩積みがされており、そのたかさは3m程にも及ぶピラミッド型だ。
ここから先は入ることはおろか、木の葉一枚も持ち帰ってはならない場所となっており、言い伝えによると八丁郭を見ることすらタブーとされたという。
八丁郭を見たり、そこから先に間違って入ってしまった者は頭に草履を乗せて「インノコインノコ」(犬の子犬の子)と言いながら後ずさりして退出せねばならないという。
天道法師の信仰とも関係してくるが、熊野権現や修験者のしきたりを踏襲した可能性があり、非常に興味深い。
日本の国家神道以前の古神道の色合いを濃く残している場所には聖地のランドスケープのヒントがある。
一日半は大学の業務である、対馬市の地域ブランディング、もう一日半は聖地の調査というスケジュールだったが、とりあえず今回の調査はこれで終了。
基本は人か神かに呼ばれないとどこかへ訪れることは無いが、また呼ばれることがあれば次はもう少し掘り下げてみたい。
もう一つ注目すべきは、対馬は壱岐と並んで、卜占(ボクセン)が異常に盛んだったことだ。
もちろん朝鮮半島と近かったことが大きく影響しているが、亀卜(キボク)と関係している神社が数多くある。
卜占術は古代の科学であったが、太占(フトマニ)は動物の骨を焼いてそのひび割れの形から吉凶を占うものであり、特に対馬は海亀を使う亀卜が中心のようだ。
日本の古神道の一旦でありながら、大陸の亀卜も併せ持つ独自の発展をしているのが興味深い。
司馬遼太郎によると、大宝律令制定(701年)の頃に神祇官の職掌名として「卜部」(ウラベ)が20名ほど宮廷に置かれるようになったが、壱岐から5名、伊豆から5名、そして対馬からは10名呼ばれて、その職についている。
亀卜、岩積、天道、古神道あたりの積層が一つのポイントだが、もうひとつの補助線としては山の形が尖ったピラミッド型が異常に多いということ。
風水的に見てもかなり複雑な形態をしているのと、全体が泥岩と花崗岩で主であることもポイントになってきそうだ。
by innerscape
| 2014-09-29 09:49
| 聖地創造論
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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