flw moon innerscape
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オクラホマの空気
オクラホマの空気は乾いていると言われるが、僕が来るときは湿った空気の日が多いようだ。今日のオクラホマもスーパーフラットに広がる大地に薄く霧がかっていて、雨も降ったりやんだりを繰り返している。
毎回来るたびに思うのだが、ここでは都市と車と人間が一体化している。
彼らはあんまり厚着をしない。
なぜなら、外の空間を歩くことが少ないからだ。
家から車までと、車の駐車場から店までの間。
触れる外気はその程度である。
だから車が衣服代わりで足代わりになっている。
街の中心部や周辺部がなく、異様なほど広範囲に人口密度が低い街が広がる中、移動手段は車以外はありえない。
たとえば、食事に出かけるとしよう。
一軒の店まで行くのに、ハイウェイを使って30分ほどかけて出向く。そしてそこが例えば閉まっているとすると、またハイウェイに乗って40分ぐらいかけて別の店へ出無かなければならない。
大阪で例えると、市内に住む人が少し食事に出かけようとすると堺市まで車を走らせ、そこが閉っているとなると今度は別の店へ行こうということで吹田の方まで車を飛ばす。
そんな距離感だ。
そんなオクラホマには高層ビルなんてありえないと思っていたが、そうではなかったようだ。やはり銀行や企業のオフィスや官公庁のあるあたりはいくつかのビルが建っている。
クリスマス前なのでビルにも光でクロスが描かれていた。
飛行機から見えたクロスは教会ではなく、これだったようである。
霧の中でぼぉっと浮かぶ光のクロスは平面的なオクラホマに象徴的に浮かび上がる。
クリスマスの空気をこれみよがしに感じたければマンハッタンのような大都市に行けばいい。
そうした商業主義的なデコレーションで出来上がったクリスマスの雰囲気も楽しいが、普段は乾いたこの地をクリスマスの霧が優しく包み込んで出来上がるこの空気感も好きになりそうだ。
毎回来るたびに思うのだが、ここでは都市と車と人間が一体化している。
彼らはあんまり厚着をしない。
なぜなら、外の空間を歩くことが少ないからだ。
家から車までと、車の駐車場から店までの間。
触れる外気はその程度である。
だから車が衣服代わりで足代わりになっている。
街の中心部や周辺部がなく、異様なほど広範囲に人口密度が低い街が広がる中、移動手段は車以外はありえない。
たとえば、食事に出かけるとしよう。
一軒の店まで行くのに、ハイウェイを使って30分ほどかけて出向く。そしてそこが例えば閉まっているとすると、またハイウェイに乗って40分ぐらいかけて別の店へ出無かなければならない。
大阪で例えると、市内に住む人が少し食事に出かけようとすると堺市まで車を走らせ、そこが閉っているとなると今度は別の店へ行こうということで吹田の方まで車を飛ばす。
そんな距離感だ。
そんなオクラホマには高層ビルなんてありえないと思っていたが、そうではなかったようだ。やはり銀行や企業のオフィスや官公庁のあるあたりはいくつかのビルが建っている。
クリスマス前なのでビルにも光でクロスが描かれていた。
飛行機から見えたクロスは教会ではなく、これだったようである。
霧の中でぼぉっと浮かぶ光のクロスは平面的なオクラホマに象徴的に浮かび上がる。
クリスマスの空気をこれみよがしに感じたければマンハッタンのような大都市に行けばいい。
そうした商業主義的なデコレーションで出来上がったクリスマスの雰囲気も楽しいが、普段は乾いたこの地をクリスマスの霧が優しく包み込んで出来上がるこの空気感も好きになりそうだ。
by innerscape
| 2005-12-17 00:37
| 未来の自分との対話
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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