flw moon innerscape
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演技とコミュニケーション
映画に出ることになった。
実は1年ほど前からずっと出演のオファーがあって脚本の完成を待っていたのだが、ついに完成して撮影がこれから本格的にスタートすることになった。
第一回目のスタッフの顔合わせは既に一部済ませていたのだが、今日はメインキャストが集まって台本合わせを行った。
今回の映画の監督の細川氏とは前作からのお付き合いである。
前作の『ベイシティコップin KOBE』は主演の十一十三氏のプロデュースのもと細川監督が手がけた作品で、第10回ガンアクションムービーコンペティションで東宝賞を受賞した。ちなみにこのコンペティションの審査員の中にはアニメーション映画『イノセンス』などの脚本を手がけた押井守氏の名前もある。
その作品で僕のバンドが一部楽曲提供をした時の縁からお付き合いが始まったのだが、映画の打ち上げの時に『被写体として興味があるんで次回作出てくれない?』の一言から今回の作品では役者と音楽の両方から参加することになった運びである。
うーん、役者は初めてなのでこれは結構気合がいるかもと最初は構えていたのだが、監督から脚本を書く際に僕をイメージしながら書いているキャラクターがあるなどと言われてしまうと、ついつい乗せられてしまう困ったタイプなのだなぁと自分を再発見したりした。
以前から映像を自分で作ったりしていたし、映画にも少なからず興味もあったので、せっかくだからこうした映画製作の現場に参加して色々と考えてみようと思う。
脚本に目を通したがこれが非常に面白く、各キャラクターの個性が暴れまわるバイオレンスアクションになっている(仮にも大学の教員がこんなことしていいんかなぁ…っていう内容だが…)。
ストーリーの詳細は書くことが出来ないが、しかし僕が演じる荒川という男はなかなかのくせものである。元凄腕の殺し屋だったのだが何かのきっかけで片足を不自由にして、今は女子高生を使って代わりに殺しをさせているエージェントである。その思考形式や行動パターンには独特のものがあり、台本に書かれていない彼の生活を色々と考えると想像力が膨らんで楽しい。
僕は今回ではアクションシーンとしてはそれほど多くはないのだが、他の役者さんはアクション満載で前作と同じく武術指導の小松氏のもとアクショントレーニングが日々行われるようだ。
うーむ。他は芸歴の長い役者さんばかりなので、かすんでしまわないように頑張らねば…と思いながらCSCDにて台本読みに入る。
やはり他の役者さんはセリフ回しもうまくて流石だなぁと思う反面、実は日常会話っていうのは結構支離滅裂なことが多いし、しどろもどろになりながら話すこともあるんじゃないかなと、ついつい分析的に演技を見てしまうのは悪い癖かもしれない。
役者さん各自がそれぞれの考えで役を解釈し読み上げたセリフを、監督が演出として修正するのを見ていると、そこにコミュニケーションデザインにつながる可能性があることを感じとってしまう。
平田オリザ氏のワークショップでも気づいたことだが、役者が台本から感じ取っている役のコンテクストと、監督がキャラクターに思い描いているコンテクストにはズレがあることが多い。それを調整していく作業がずっと続く。
実は役者がその役のコンテクストさえ理解できれば、セリフの些末な部分は気にならずキャラクターがダイナミックに動き始める。『ここはもっと子供っぽく』とか、『ここは大人の押し付け方をして』などと演技を調整していくのを見て、逆にキャラクター同士の関係性を自然にかつ個性的に浮き彫りにするのが演出の仕事なんだなぁと思う。
僕たちは日常ではそんな事をあまり意識しないで生きているのだが、それは自分の中のコンテクストと会話をする相手のコンテクストを理解しているからだ。その事はそれまでの時間の中で築き上げてきたお互いの関係性を知っているからこそ自然な動作や言葉づかいが生まれる。
しかし演技というのはそうではなく、ある切り出された時間の中でいきなり経験したことのない人になって、しかも素性の分からない相手と会話をしないといけない。
セリフはもちろん重要な要素なのだが、そこで発せられるセリフだけでは意味を伝えはするが、キャラクター同士の関係性まで伝えないことが多い。それを感覚的に伝えようと思うと、その人が何を感じ何を愛し何を憎んでいるのかという事を理解することが大切なのだと思う。
自分が誰かになるということで得られるこういう理解って実はコミュニケーションにとって重要な要素なのではないだろうか。
うまく言語化できていないけれど(平田さんがあちこちでされていると思うが…)、今回の映画出演をきっかけにこうした事も考えていければと思う。
実は1年ほど前からずっと出演のオファーがあって脚本の完成を待っていたのだが、ついに完成して撮影がこれから本格的にスタートすることになった。
第一回目のスタッフの顔合わせは既に一部済ませていたのだが、今日はメインキャストが集まって台本合わせを行った。
今回の映画の監督の細川氏とは前作からのお付き合いである。
前作の『ベイシティコップin KOBE』は主演の十一十三氏のプロデュースのもと細川監督が手がけた作品で、第10回ガンアクションムービーコンペティションで東宝賞を受賞した。ちなみにこのコンペティションの審査員の中にはアニメーション映画『イノセンス』などの脚本を手がけた押井守氏の名前もある。
その作品で僕のバンドが一部楽曲提供をした時の縁からお付き合いが始まったのだが、映画の打ち上げの時に『被写体として興味があるんで次回作出てくれない?』の一言から今回の作品では役者と音楽の両方から参加することになった運びである。
うーん、役者は初めてなのでこれは結構気合がいるかもと最初は構えていたのだが、監督から脚本を書く際に僕をイメージしながら書いているキャラクターがあるなどと言われてしまうと、ついつい乗せられてしまう困ったタイプなのだなぁと自分を再発見したりした。
以前から映像を自分で作ったりしていたし、映画にも少なからず興味もあったので、せっかくだからこうした映画製作の現場に参加して色々と考えてみようと思う。
脚本に目を通したがこれが非常に面白く、各キャラクターの個性が暴れまわるバイオレンスアクションになっている(仮にも大学の教員がこんなことしていいんかなぁ…っていう内容だが…)。
ストーリーの詳細は書くことが出来ないが、しかし僕が演じる荒川という男はなかなかのくせものである。元凄腕の殺し屋だったのだが何かのきっかけで片足を不自由にして、今は女子高生を使って代わりに殺しをさせているエージェントである。その思考形式や行動パターンには独特のものがあり、台本に書かれていない彼の生活を色々と考えると想像力が膨らんで楽しい。
僕は今回ではアクションシーンとしてはそれほど多くはないのだが、他の役者さんはアクション満載で前作と同じく武術指導の小松氏のもとアクショントレーニングが日々行われるようだ。
うーむ。他は芸歴の長い役者さんばかりなので、かすんでしまわないように頑張らねば…と思いながらCSCDにて台本読みに入る。
やはり他の役者さんはセリフ回しもうまくて流石だなぁと思う反面、実は日常会話っていうのは結構支離滅裂なことが多いし、しどろもどろになりながら話すこともあるんじゃないかなと、ついつい分析的に演技を見てしまうのは悪い癖かもしれない。
役者さん各自がそれぞれの考えで役を解釈し読み上げたセリフを、監督が演出として修正するのを見ていると、そこにコミュニケーションデザインにつながる可能性があることを感じとってしまう。
平田オリザ氏のワークショップでも気づいたことだが、役者が台本から感じ取っている役のコンテクストと、監督がキャラクターに思い描いているコンテクストにはズレがあることが多い。それを調整していく作業がずっと続く。
実は役者がその役のコンテクストさえ理解できれば、セリフの些末な部分は気にならずキャラクターがダイナミックに動き始める。『ここはもっと子供っぽく』とか、『ここは大人の押し付け方をして』などと演技を調整していくのを見て、逆にキャラクター同士の関係性を自然にかつ個性的に浮き彫りにするのが演出の仕事なんだなぁと思う。
僕たちは日常ではそんな事をあまり意識しないで生きているのだが、それは自分の中のコンテクストと会話をする相手のコンテクストを理解しているからだ。その事はそれまでの時間の中で築き上げてきたお互いの関係性を知っているからこそ自然な動作や言葉づかいが生まれる。
しかし演技というのはそうではなく、ある切り出された時間の中でいきなり経験したことのない人になって、しかも素性の分からない相手と会話をしないといけない。
セリフはもちろん重要な要素なのだが、そこで発せられるセリフだけでは意味を伝えはするが、キャラクター同士の関係性まで伝えないことが多い。それを感覚的に伝えようと思うと、その人が何を感じ何を愛し何を憎んでいるのかという事を理解することが大切なのだと思う。
自分が誰かになるということで得られるこういう理解って実はコミュニケーションにとって重要な要素なのではないだろうか。
うまく言語化できていないけれど(平田さんがあちこちでされていると思うが…)、今回の映画出演をきっかけにこうした事も考えていければと思う。
by innerscape
| 2005-09-04 04:49
| 映画と演劇
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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