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必要の必要性
大きく分けて人間は、“必要としたい”人と、“必要とされたい”人に分かれる。
“必要としたい”人は仕事も恋も友情も、自分から追いかけて行く。判断基準は全て自分の中にあり、主観が第一で動く。人がなんと言おうと自分の感覚を大切にし、一度信じたことは簡単には揺らがない。自分が信じていることを相手にも信じて欲しいと思い、きっと信じてもらえると思っている。
一方で“必要とされたい”人は仕事も恋も友情も、相手から来るのを待つ。判断基準は常に相手で、客観を重んじる。自分の感覚の危うさを知っていて、様々な状況を勘案して物事を判断するので簡単には物事を信じない。人が信じている事を知りたいと思い、信じられなければ自分の力が及ばなかったと思う。
“必要としたい”人は強い人と呼ばれる事が多いが、““必要とされたい”人は柔軟な人と呼ばれる事が多い。
“必要としたい”人は頑固者と呼ばれる事が多いが、“必要とされたい”人は優柔不断と言われる事が多い。
“必要としたい”人は自分の中にエネルギーがあり、自分が気持ちいい事が第一である。
“必要とされたい”人は誰かのために動く時にエネルギーが湧いてきて、相手の喜ぶことが行動のモチベーションとなる。
“必要としたい”人は必要性を感じてその人を選ぶが、“必要とされたい”人は必要だと言ってくれる人に必要性を感じる。
“必要としたい”人は相手に支えられることで生きていけるが、“必要とされたい”人は相手を支えることで生きていける。
“必要としたい”人は人に甘えるのが得意だが、
“必要とされたい”人は人を甘やかすのが得意だ。
しかし大きな落とし穴がある。
“必要としたい”人は実は“必要とされる“人なのだ。
逆説的なのだが、人から「必要とされる」ためには、実は人を「必要としなければ」ならない。
そこに“必要とされたい”人の悲哀がある。
“必要としたい”人は仕事も恋も友情も、自分から追いかけて行く。判断基準は全て自分の中にあり、主観が第一で動く。人がなんと言おうと自分の感覚を大切にし、一度信じたことは簡単には揺らがない。自分が信じていることを相手にも信じて欲しいと思い、きっと信じてもらえると思っている。
一方で“必要とされたい”人は仕事も恋も友情も、相手から来るのを待つ。判断基準は常に相手で、客観を重んじる。自分の感覚の危うさを知っていて、様々な状況を勘案して物事を判断するので簡単には物事を信じない。人が信じている事を知りたいと思い、信じられなければ自分の力が及ばなかったと思う。
“必要としたい”人は強い人と呼ばれる事が多いが、““必要とされたい”人は柔軟な人と呼ばれる事が多い。
“必要としたい”人は頑固者と呼ばれる事が多いが、“必要とされたい”人は優柔不断と言われる事が多い。
“必要としたい”人は自分の中にエネルギーがあり、自分が気持ちいい事が第一である。
“必要とされたい”人は誰かのために動く時にエネルギーが湧いてきて、相手の喜ぶことが行動のモチベーションとなる。
“必要としたい”人は必要性を感じてその人を選ぶが、“必要とされたい”人は必要だと言ってくれる人に必要性を感じる。
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“必要としたい”人は人に甘えるのが得意だが、
“必要とされたい”人は人を甘やかすのが得意だ。
しかし大きな落とし穴がある。
“必要としたい”人は実は“必要とされる“人なのだ。
逆説的なのだが、人から「必要とされる」ためには、実は人を「必要としなければ」ならない。
そこに“必要とされたい”人の悲哀がある。
by innerscape
| 2008-07-06 00:44
| コミュニケーションデザイン
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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