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科学技術と風景
毎週木曜日はCSCDの全体ミーティングが行われる。
しかし、前回もその前もそうだったのだが、その場に居られる方々のお互いの専門や経歴、問題意識や取り組んでいることなど具体的な事が何一つ明らかになっていない中ミーティングが進められるので、いささか迷走気味な空気が流れている。
コミュニケーションデザイン・センターなのに、スタッフ同士のコミュニケーション不全の状態が続くのはいかがなものかという問題意識は共有できているようで、今日からはスタッフそれぞれが今までどんな事をしてきて、どんな事をしようとしているのかということを共有するために毎週、人を代えてプレゼンテーションを行うことにした。
今日のプレゼンテーターは副センター長の小林傅司さんで科学哲学を専門にしている先生である。
僕自身は科学哲学という分野自体については全く知識をもっていなくて、アインシュタインの相対性理論とプラトンのイデア論とブッダの色即是空の類似性を語っているような分野なのだろうかと思っていたのだが、そうではなく科学者が持っておくべき倫理観や哲学、知識やコミュニケーション能力についてどんなことをしてきたのかというプレゼンテーションでとても面白かった。
小林さんは理学部出身なのだが、そこから科学史の方へ進まれた人である。
理系の科学者が人文系の知識についてまるで知らないこと、その逆に人文系学者のテクノフォビア、そして学術とは無縁のところで生活する市民が広い知識を持ち合わせていないという知識不全、コミュニケーション不全に大きな問題意識を感じている。
そうした問題意識の中、科学技術者と専門的知識を持ち合わせていない市民を同じ場で議論させるコンセンサス会議を初めて日本に持ち込んだ人である。
コンセンサス会議というのは1980年代にデンマークで生まれたテクノロジーアセスメントの1つの手法なのだが、これが画期的だったのは専門家同士の合意ではなく一般市民(この一般市民という言葉も誰を指すのかということがCSCDでは議論になっているのだが・・・)を含めて行われたところにある。
委員会はあるテーマを設定して、公募によって選ばれた市民パネル及びその分野を含む様々な分野の専門家を呼んで質疑応答などのプロセスを交えながらテーマについての議論を行う。
ここで面白いのは色んな考え方の専門家を呼ぶところである。
例えば原子力テクノロジーについての討論であれば原子力に賛成派も反対派も呼んで討論を行い、そのことで、様々な角度からの意見があることを共有し安易な予定調和に至らずに議論が深まったり、あるいは市民がそのことについて考え始めたりすることに意味があるという。
選ばれた市民だけが議論に参加できるというのは、サイレントマジョリティの問題を解決していないとはいえ、単純に1つの価値観が共有されなくなっている時代にこうした会議を行うことや、規模は違えど朝まで生テレビのような番組で議論するプロセスを公開していくというのは、市民意識を変えていくことに大きな意味を持っているように思える。
もうひとつ面白かったのは日本人が持っている自然の征服と幸福についての価値観の変遷グラフである。1960年代までは『人間が幸福になるためには自然を征服してゆかなければならない』という意見に賛同する人が『人間が幸福になるには自然に従わなければならない』という意見よりも圧倒的に多かったことに対して、1968年から1973年の間にその関係は一気に反転するという結果をデータで見せてもらった。
確かにこの68年から73年の間は68年パリの五月革命を初めとする世界各地で起こる学生運動、69年のアポロ11号の月面着陸、70年の大阪万博、73年のオイルショックなどなど、様々な局面でパラダイムがぐっと振られていく時代だったのだろうということが意識調査に現れているのが非常に興味深い。
万博にモダニズムのアンチとしての自然の象徴、『太陽の塔』を建てたことが本当の反博だと言う岡本太郎の引用も冴えている。
小林先生が今科学技術業界を含めて行われている議論はこの70年代に提起された問題の延長であると言っていたコメントも興味深く、まさに国民の多くが食糧生産従事者から企業人へとシフトしていった70年代は、ライフスタイルの変遷を通じて社会風景のあり方が変化した時代だったのである。
プレゼンテーションの最後の方では、72年に科学と政策の接点であるトランスサイエンスを提唱していたワインバーグの話を引用しながら、今の時代性について考察をされていて、ある科学技術の是非や採択は科学者達だけの問題でも政策側だけの問題でもなくその重なる部分になってきているため、何を採択するかはパブリックに開いた上でその意思決定が共有されるプロセスが重要であるとしていた。
科学技術の問題もそうであるが、ある領域の問題だと考えられていたことを様々な分野を俯瞰してメタな補助線を一本引くと関係性が見えてくるという考え方は、風景(ランドスケープ)が持っている統合された視点からの読み解きと同じ眼差しである。
しかし、総合的な社会環境に取り組むはずのランドスケープが今しているデザインが、農作物の遺伝子操作の問題や原子力発電の問題などと、どう関係づくのかはあまり見えてこないのではないだろうか。
風景デザインなどと言って大風呂敷を広げているが僕達が背負える責任の範疇というのは実はちっぽけなもので、大きな社会問題についてひょっとすると何も出来ないのかも知れない。
とはいえそうした科学技術や社会問題への意識を持った人々がどんなライフスタイルを選ぶのかということはすぐにも風景の問題と関係づいていて、その時に僕達がどんな環境像を提示できるのかということは少なくとも責任の範疇にあるはずである。
そのことについては常に考えておかなければならない問題で、風景を考える職能としてはCSCDで他分野の方々とのセッションを通じて広く模索していきたいと感じた会議だった。
by innerscape
| 2005-04-14 20:24
| コミュニケーションデザイン
私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?
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