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私的風景の電脳記録
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2012年 11月 15日 ( 1 )

流行についての覚書

非日常を仕組むのは日常での連帯や意味を強化するためにあるべきだと思う。非日常の方が派手で意識に上りやすいが、それに惑わされて日常の持っている力の大きさを軽視してはいけないのだろう。非日常と日常を繋ぐ反日常として役割を果たせるかもしれないのが、風景異化なのだと改めて自分のしている事を認識している。

自分にとって意図的に情報遮断をする時間というのはとても重要なことだ。情報が入ってくればくるほど自分の思考が深まらないことがあるので、そういう時はあまり情報を入れずにちゃんと内を見つめる事にしている。
あちこちに出かけて情報収集するのも良いがそれに溺れぬようにせねばならない。

特に「流行っている何か」を見に行く事は自分にとってあまり重要でない事の方が多い。みんなが見ているから自分も見なければという強迫観念は本質的なまなざしを曇らせる事がある。既に流行っているものは自分が発すべき問いをはらんでいないのだからそれに追随しなくても良いと思っているし、自分がそういう立ち位置だということも自覚している。だから常に注目されないマイノリティ感があるのかもしれない。
人は何か与えられた「答え」を見たがるし、そういうものに光が当たるのも理解出来る。でも本当に重要なのは「問い」であって、答えは個々人がそれぞれが決めていかねばならないのだと思う。人に「答え」を考えてもらうのではなく、自ら「問い」を立てて「答え」を導く態度を持つ事の方が流行を追いかけるよりも余程重要なのではないかと感じる。

人は流行を追いかけるのに精一杯だ。まるで流行に取り残されると自分が無くなってしまうかのように必死で心配している。だから何とか乗り遅れないように流行の情報を仕入れて、流行のイベントに出かけて行き、流行の答えに飛びつこうとする。
そうやって次々と通り過ぎて行く今ばかりを追いかけ続けていることで、今や流行を消費し続けることに疲れやしないだろうか。今のデザイン業界を見ているとそう感じてならない。

建築やデザインやアートが自分を飾るためのファッションになってしまっているのであれば、それはもう本質からはずれてしまっているのだと思う。クリエイティブ業界の人間が増えることが良い事だと信じていた時期もあるが、その増え方や流行り方に異様な空気を感じているのは僕だけの感覚なのだろうか。

世を冷静に眺めていて、人や街のお洒落度が上がって行くことを単純に喜べないのは、そこに何とも言えない異様さが漂っていると感じるからだ。流行っているものの中にはもはやクリエイティビティもクリティカリティも薄れていて、そこには流行を取り込むことで、自分が何とか世界に組み込まれている事を確認しようという未成熟な自意識を見て取ってしまうのはあまりにうがった見方なのだろうか。

注目されているから、人が良いというものだからという理由だけで何かを選択するのであれば、それは自分の頭で考えることを放棄する危うい状態なのだと思う。
ブランドやブランディングという言葉の持つ危うさとも実は無縁では無いと思うのだが、人に何かの価値や答えや幸せを決めてもらうのは実はかなり危ない状態だと僕は思っている。もちろん光が当たらない良いモノにちゃんと光をあてて価値を示すという本質的なブランディングも一方では確実にあるのだとは思うが。

取り立てて騒ぎ立ててブームを起こすというのではなく、もっと静かで着実に社会を変革して行く方法がないかと考えている。非日常性、スペクタクル性の中にはもう何も無いのではないかと随分前から思っているが、政治が劇場化してくることも含めてますます加速された状況になっていることを嘆く。本当に起こる革命とは日常の中に反日常性を作ることだとずっと思っている。非日常はそこらに溢れ過ぎていてもう何かを変える効力を持たないだろう。

本当に刮目して追いかけねばならないのはマジョリティではなく、マイノリティなのだと思う。マイノリティであるということは単にマニアックであるということとは似て非なる可能性が潜んでいるが、多くの人はそれに気づかずにいる。特にマスメディアが鈍感かつスピードが遅いので、多くの人に届く頃にはマイノリティの問いがもう次のレベルに移っている場合が多い。流行や答えは移ろって消費されるが、問いや思考は蓄積され深まる。

マイノリティが開いた地平がだんだんとマジョリティに広まっていくのだが、それが流行り出した段階でようやくマスメディアは注目する。マスに受ける事が確実に分かっていないと動く事が出来ないほど機敏さを失っているからだ。
フリーペーパーやミニコミ紙などの方が情報や新たな問いの萌芽に敏感なのは機敏さがそこにあるからだと思う。もちろんFacebookも同じだ。リアルタイムで問いを立てて行けるからだろう。

本当の意味での創造性がいわゆるクリエイティブ業界の中にはもはや無いというのが嘆かわしく感じる。ジャンル化されてしまったものは既に答えが定まっていて、そこにはクリティカルな問いが消滅している。やはり領域の間や、越境する存在の中に創造性が移って来ているという感覚がより強まって行く。
発せられた「問い」がマジョリティに浸透して行くというのはある意味で「答え」が出ている状態でもある。それは意味があることではあるが、その「答え」が創造を装いながら実は消費の方向を向いているのか、それとも社会の新たな局面を切り開くことが出来ているのかを見極める目は持たねばならない。

既に注目が集まっている所に光を充てるのはただ勝ち馬に乗りに行くだけで、そこにクリエイティビティは何ら感じない。あまり注目はされていないが、重要な問いがはらまれているものを掘り起こしちゃんと光を当てることの方が消費的ではなく、社会の次を描こうとする態度だと想う。
難しいのは今から売れそうなもの、流行りそうなものを扱う時で、それに関わる事で社会的な問いを深めていく態度を持つのか、それともそれを単に利用することで一発当てようという態度を持つのかで、やったことの評価が分かれる。
今の時代の価値観というのを敏感な人は肌で感じている。特にアーティストはカナリヤみたいな存在なので、かなり早くに反応して次の道を模索している。むしろ完全に時代の感覚から取り残されているのは政治家の方で、そんな人間達がシステム作ると全員が死んでしまうかも知れないので密かにヤバイと思っている。
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by innerscape | 2012-11-15 15:20 | 情報デザインと風景

私“flw moon”が日々の生活の中で感じた事を見つめ直し記録します。
心のフィルターを通して見た日々のシーンをひとつづつ電脳に記憶させることで、果たしてどんな風景が見えてくるだろうか・・・?

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